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長崎原爆を忘れないでコミュの原爆と秘密結社

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http://www.thesecretofnagasaki.com/Japan%20A-Bomb%20Dionisi%20Japanese%20Translation.pdf
日本の原爆研究は、京都大学でのサイクロトロン設置に成功したが、あらゆる入手可能なところからウラニウムを入手する必要があった。そこで、先ずウラニウム供給源を北朝鮮に求めたのが、日本の実際の原爆開発施設を日本ではなく北朝鮮に建設した理由の一つである。

又、北朝鮮の長津ダムでの発電施設が大量の電力供給に適うことと、更に核爆発実験による放射線被害から日本本土を守るためにもなるとの理由もあって、北朝鮮が原爆開発拠点に選ばれたのである。
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北朝鮮の興南地域に日本の原爆開発施設があったことが、何故日本がその地域の長津に発電所用ダムを建設したのか、又朝鮮戦争の際の 1950 年 11 月 27 日から 12 月 13 日にかけての「凍結した長津での戦い」で何故アメリカ軍が不名誉な敗北を喫したのかについて手掛りを与えくれる。

25 この「凍結した長津での戦い」でアメリカ軍兵士らは、F号計画のために建設された興南地域の山岳施設を再発見している。
26 この秘密の山岳施設の所在を知るこ
とになった朝鮮戦争での米兵捕虜たちは、1953 年板門店での停戦協定の後も帰されること
はなかった。彼等は頭を撃たれて射殺され、その頭蓋骨は北朝鮮政府によって保存されていたのである。
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デイヴィド・スネルは、日本の原爆開発計画を進める決定は B-29 の出現によっても影響されたと書いている。

28 スネルは、ソウルで本国に送還される日本人将校を尋問して日本の原爆開発計画についての情報を得た。その日本人将校は、戦時中に朝鮮での日本の原爆開発計画の防諜任務に当たっていた。米国政府は、スネルに対して当の防諜担当将校の氏名を含む詳細を公にすること禁止し、スネルは、その日本人将校に若林哲夫の偽名をつけるよう要求された。

スネルは、後日出版物の中で、「日本の原爆開発計画は、当初名古屋で始められたが、B-29 が日本本土の工業諸都市を盛んに爆撃するようになって、やむなく朝鮮へ移動させざるをえなかった」と記している。

29 彼は、若林が「自分が思うに、日本を敗北させたアメリ
カの主要兵器は B-29 で・・・・B-29 が我が方の原爆開発計画を朝鮮に移動させたのであり、
その結果3ヶ月も遅れをとってしまった」と述べたことを引用している。
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日本の陸軍と海軍は、日本、ビルマ、中国でもウラニウムも発見しているが、朝鮮北部が
ウラニウムの最良供給源の一つであることが分かっていた。しかし、原爆製造には更に多く
のウラニウムが必要であった。そこで、ナチス・ドイツが金、生ゴム、阿片、キニーネその他
の戦争継続に必要な物資との交換で日本へウラニウムを提供することになったのである。
ドイツのウラニウム運送
ヴェルナー・ハイゼンベルク(左)は、ナチスの原爆開発計画を指導した。
31、32
ハイゼンベルクは、1941 年にコペンハーゲンに出かけて、この開発計画の進行状態を著名
な物理学者ニールズ・ボーアと論議した。
33 その後、ボーアは、ハイゼンベルクが彼に語っ
たことを英国人たちに警告した。
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ナチスの原爆が完成間近いとのハイゼンベルクの言明、即ち長年歴史の中に埋もれて
しまうであろう事実があったにも拘らず、1934 年には死の血盟団はアドルフ・ヒットラー
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に対する影響力を失っていた。その結果、血盟団は原爆開発をイギリスからアメリカに
移し直すことになり、結局ニールズ・ボーアが彼等のマンハッタン計画に加わるようになる
のである。
35 死の血盟団に仕えていたと考えられるハイゼンベルクは、ヒットラーの原爆
開発の進行を阻止したが、高濃縮ウランの日本への輸送を阻むことは出来なかった。ドイツ
が隠密裏に日本へウラニウムを輸送しようとした事実は、米国政府によって記録されて
いる。
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かのマンハッタン計画は、多分に原爆リトル・ボーイ[訳注=広島に投下されたウラニウム爆弾
の形状による暗号名]にナチスのウラニウムを使用したであろうことが推測できる。1945 年 8
月 6 日に広島上空で炸裂した原爆リトル・ボーイは、ウラニウムの爆弾用濃縮度アイソトー
プであるウラニウム 235 を使っていた。又、ナチスのウラニウム爆弾開発は、米国が二つの
非常に異なる種類の爆弾、即ち 1945 年 8 月に日本で落されたプルトニウムとウラニウムの
原爆をどのようにして製造するに至ったかを説明するものかも知れない。
ドイツのUボート U-234 号は、下の写真(左)に示されるように、日本へウラニウムを輸送
途中の 1945 年 5 月 14 日に U.S.S.サットン号[訳注=アメリカ海軍の駆逐艦]に降伏した。
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