ずっと頭の中にあったこと・・
僕の生まれた所は焼け野原でした。
僕の父は原爆で母を亡くし、何もない荒野でなにを思ったんだろう・・
学校では夏になると、夾竹桃の花が咲くころに、原爆の恐ろしさ、平和の大切さを先生たちは訴えてきました。
長崎で受けた教育はただ「戦争のかなしさ」だけが記憶に残ります。
語り部の悲しみが強く伝わってくるのです。
このコミュの語り部のことばを是非ご覧ください、お分かりになると思います。
最近知ったことは、一部の高齢者たちは日本はアメリカに戦争に負けて良かったんだ、勝っていたら戦争が終わることはなかっただろうから、と振り返って言っている方が多いのも深く考えさせられます。
高齢者たちが言うのは、家にある鍋や釜などのあらゆる鉄を全て提供して、芋の茎しか食べるものもない生きるか死ぬかの生活をしていて、最新兵器を持つ米兵に竹やりで迎え撃つ訓練などを早く終わりにしたかったと言うのです。
長崎を離れ、改めて今まで原爆の被害者、としての想い以外の様々な想いを聞くことができたのです。
被爆した長崎の語り部たちの言葉から感じられるのは、ただ「繰り返してはならない悲しみ」だけでした、謙虚な長崎人気質ならではだと思います。
それからカトリックの教会群から平和を望む静かな鎮魂の祈りが続いています。
これも長崎の人たちの、静かな、でも確固としたメッセージなのだと思います。
長崎は祈りの国です。
高らかに反戦平和を叫ぶより、静かに祈る方々の静かな、でも確かなメッセージ、思いを多くの方々に知っていただき、また、当時と比べ物にならないほど情報量が多い今、様々な側面からみた客観的な意見をいただき、新たな気づきと、風化しない想いをみなさんとともにつくりあげていきたい、という趣旨です。
平和な国づくりをしていくのは私たちです。
どうぞあなたのメッセージをこのコミュに残してください。
長崎原爆資料館url http://
なお、長崎と沖縄とは聖フランシスコ会を通してご縁がありますので,
悲惨を極めた沖縄戦のことも知っていただきたく、沖縄の方々のお話も幅広くお伺いしたいと思っております。
*沖縄戦(ウィキペディア):http://
追記:このコミュは皆さんと一緒になり、少しでも知識を深め、学ぶべき事は学ぶと云う姿勢で取り組む趣旨ですので、どんな些細なことでも気軽に発言してください。ただ、言論の批判や自由な発言ができなくなるようなコメントはお避け下さい、どうぞよろしくお願いいたします。
困ったときには