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小説・評論:孤城忍太郎の世界コミュの第一部 五、展覧會 『繪(ゑ)のない畫家(ぐわか)』Op.31

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この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これはムソルグスキイの展覧會の繪(Tableaux dUNE exposition)の中の、

『プロムナアド(Promenade)』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

映像は神戸の美術館の、

『レンピツカ展』

へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。

Moussorgsky with strings.『Tableaux dUNE exposition』Promenade





     第一部 五、展覧會 『繪(ゑ)のない畫家(ぐわか)』Op.31


 京介は受附に自分の名前を書くと、會場の中へ足を蹈(ふ)み入れた。
 四季展は都心の最も人通りの多くなる、それもこの春に百貨店(デパアト)として竣工されたばかりの高層ビルの一階を借り切つて開催されてゐたので、日曜日のまだ朝も早い時分なのに、広い會場には人が溢れてゐた。
 

會場は催物としての用途を意識したのか、ちよつと風變りな造りで、壁際から七、八米(メエトル)置いて四本の石柱があり、それによつて中央の廣間が確保された格好になつてゐるが、それにも拘はらず驚くほど廣い空間で、天井は高く、體育館のやうに四 米(メエトル)ほど中空に幅の廣い廻廊があつて、奧の一部が喫茶店になつて入口までを見渡せるやうになつてゐるし、床から壁、柱に到るまで總てが大理石によつてゐるといふ豪華さであつた。


 京介は中央に展示されてゐる、幾つかの彫刻の一つに近づいて行つた。
 人々は大理石に影を映して、それをお互ひが蹈み合つてゐるのにも頓着せずに壁の繪を眺めてゐた。
 京介には、その人々が本當に繪を鑑賞してゐるのかどうか、解らなかつた。
 ひよつとすると、彼等にとつて繪といふ藝術は裝飾品(アクセサリイ)の一部か何かに違ひない、と皮肉な眼差しを投げかけてゐる自分に氣がつくと、大理石の冷たい感觸が靴を通して爪先から傳はつて來さうだつた。


 と、何處からかピアノの音が幽(かす)かに響いて來た。
 なんの曲だらうと耳を欹(そばだ)てると、ムソルグスキイの『展覧會の繪』だつた。

 「これは、やり過ぎだな」

 さう呟きながら、京介がゆつくりと歩を進めると、五、六人の女學生の視線が氣になつた。
 京介はこれまでに斷(ことわ)る事も儘(まま)ならず、幾つかのテレビ出演をしてゐたので、恐らく署名(サイン)でも強請(ねだ)られるに違ひないと思つた。

 ――これだから、都心は嫌だ。


 どうしようかと考へてゐると、

 「九鬼先生」

 といふ聲にふり返つた。
明かり窓から斜めに會場へ降り注ぐ光の帶の中に、黒い洋服姿の上半身だけを浮び上らせた雪子が微笑んでゐた。

「宇津木さん」

京介は、救はれたやうに雪子へ近寄つた。

「こんなに早く、いらして下さるとは思ひませんでしたわ」

「その節は、厄介になりました」

父親の葬儀からは、もう一週間が過ぎてゐた。

「いやですわ、あれぐらゐで。亡くされた方の心までは……。

とても癒せない、と言はうとしたが、雪子は何か言ひ過ぎるやうな氣がしたので、感情を押し殺すやうに言葉をつないだ。

「事務所の方に、櫻木もゐますので、ご案内いたします」

「絶對、間違ひないわ、あれは九鬼京介よ!」

さういふ女學生の聲を背中に聞きながら、その聲から逃れるやうにして、京介は雪子に從つて行つた。

「大變な人氣なんですのね」

こんな言ひ方をされても皮肉に聞えない所が雪子の人徳なのだらう、出版社も心得たものである。

「あの、音樂、何とかならないのですか」

一番奧の事務所の鐡扉(てつぴ)の前に來ると、京介は雪子の問ひを無視するやうに、少し含羞(はにか)みながらさう言つた。

「あら!

彼女は、扉の把手(ノブ)にかけた手を急に放して、

「もつと、おとなしい方が良かつたかしら」

「いや、これでも構はないのでせうが……。

それならばこの場に合ふ曲は、と切り返されても京介には、俄かに答へられなかつたが、不圖(ふと)、思ひついたので、

「一層の事、いろいろな演奏の『展覧會の繪』を流して見るのも、變化があつて面白いのぢやないですか」

「そんなのあるんですか」

「えゝ、なんでしたら、音盤(レコオド)を持つてきませうか」

「お手數でなければ、助かりますわ」

雪子の聲が途切れると同時に、

「これはこれは」

といふ櫻木編輯長の聲が、二人の後ろから聞えた。

「編輯長!」

「櫻木さん、約束が遲れてしまつて濟みません」

「いやいや、そんな事より、宇津木君、いつまでも人氣者の彼を立止らせておくのは、得策ぢやないと思ふがね」

雪子が自分を取戻すやうな驚きの聲を發してそつと周りを見ると、さつきの女學生達の外にいつの間にか十數人といふ人垣に圍まれてゐて、といつても十代後半の年齡層がほとんどで、それは女學生の噂がこれだけの人垣にふくらませてゐるらしかつた。
雪子は周章(あわ)てて把手(ノブ)を手前に引張つて扉を開けたが、耳を眞赤にしてゐた。

「もう少しで、収集がつかなくなるところだつた」

事務所に入つて扉を閉めると、櫻木は大きな溜息を吐きながらさう言つた。

「どうも申し譯ありません」

「宇津木君も、あの女學生と氣持は同じだつたといふ所か……。

櫻木はさも愉快さうに笑ひながら、事務所の中央に据ゑられた應接用の長椅子(ソフア)まで京介を導いた。

「しかし、布川先生の眼力の確かさを證明した事になるね。九鬼京介といふ存在は。

京介は面映ゆい雰圍氣を躱(かは)すやうに煙草に火をつけた。

「ところで、九鬼財閥を弟に譲られたと世間では専らの噂だが、

櫻木は餘分な事にまで話を蹈み込ませたと思つたのか、

「いや、家庭の事情にまで立入るつもりはなかつたのだが、どうも雜誌記者としての癖が出てしまつたやうだ」

さう言ふと、同じやうに煙草を取り出した。


櫻木は記者から叩き上げられて今日の地位を手にしてゐ、編輯者としても次々と斬新な企劃を打出したり、新人發掘の目も確かで、過去に何人の作家がその恩惠に浴してゐるか數へ切れないし、この業界では名編輯長として一目置かれてゐた。
その事は、今年六十七歳といふ定年が過ぎてゐる年齡にも拘はらず、會社側が手放さないといふ事でも知られるだらう。

「編輯長!

雪子が珈琲を運んで來て、

「編輯長も、女學生と變らないんですね」

「儂は……、

櫻木はそれがけ言ふと、してやられたよいふ風に笑ひ聲を上げた。

「適はないなあ、今の若い者にかかつては」

冷めない内にどうぞ、といふやうに京介の前の珈琲に手を差出してから、櫻木は琥珀色の飲物を口に運んだ。

「僕もこれで、餘計な事に煩はされずに創作に打込めます」

京介はそれだけ言ふと、珈琲を口に含んだ。

「しかし、よくも反對派の意見を抑へたものだね。餘程しつかりした參謀がついてゐるんだらうね。

櫻木は感心したやうに頷いた。


確かに、反對派との軋轢はかなり嚴しいものがあつた。
黒澤は勿論思ひ通りになつたのだから何も言はなかつたが、叔父の雅彦は執拗に喰ひ下がつたものの、後藤の懷柔策に押切られた形で納得したやうだつた。
しかし、いづれにしても親族關係は比較的速やかに解決したが、一番困つたのは外部の血である副社長の藤田派の暗躍で、これには後藤も隨分手古摺つたやうである。
後藤はその對策の爲に、體重が五瓩(キロ)も減つたと苦笑交じりに京介に語つた。

「それはさうと、さつき扉の前で何を話してゐたのかね」

不安さうに京介を見てゐた雪子に、櫻木は話題の中心を振つた。

「會場に流れてゐる音樂に、變化をつけた方が良いのではと九鬼先生が
仰有(おつしや)いましたので……」

「ほう」

さう頷く櫻木の反應を考慮に入れながら、

「それで音盤(レコオド)を持つて來て下さると……、ねつ、さうでしたわよね。九鬼先生」

と雪子が京介に相槌を求めた。

「さうなんですよ。いろいろな演奏による『展覧會の繪』の音盤が、僕の蒐集(コレクシヨン)の中にありますので、さうですねえ、十枚ぐらゐはありますか」

「そんなにあるのかね」

櫻木は感心するやうにさう言つた。

「えゝ、尤も中には若者向きの派手なものもありますがね」

「編輯長、この企劃を採用しても構はないですよね」

雪子が間髪を入れずに京介の言葉を繼いだ。

「わが社が協賛してゐる關係上、大きな問題はないと思ふが

腕組をした指で盛んに耳朶(みみたぶ)をいぢりながら、

「さうだ、宇津木君。確か今日は四季會の大橋畫伯(がはく)が來られてゐた筈だね」

「えゝ、まだ二階の喫茶店にいらつしやると思ひますが」

雪子の言葉を最後まで聞かない内に、櫻木はもう立上がつてゐた。


事務所を出てそのまま會場から二階へ行くのかと思つたら、櫻木は廊下傳ひに突き當りの階段へ出て、それを登つて幾つかある内の扉をひとつを開けると、喫茶店がそこに出現した。
喫茶店は一般客と植木などの障碍物でうまく遮られてゐて、一種の密談が可能な空間になつてゐるのを見て、

「狐につままれたみたいだ」

と京介は感歎した。

「また女學生に騒がれてはたまらないからね」

櫻木はさう言ふと、卓子(テエブル)の隅に腰かけて新聞に熱中してゐる男の方へ歩み寄つた。

「大橋畫伯」

櫻木の呼びかけに、新聞がガサリと音を立てて珈琲の湯氣を斷ち切るやうに卓子の上に置かれた。

「櫻木さん、何か用ですか」

そこに現れた姿は、歳は六十半ばを過ぎ、中肉中背で紺の上衣(ブレザア)を著(き)、ベレエ帽の下の額の張り具合などに頑固さうな性格を感じさせた。

「えゝ、紹介したい人がゐまして」

「そちらにをられる方ですか」

大橋は卓子の上の新聞を無造作に折つて横の席に放(はふ)つた。

「さうなんです。彼はいま新進作家として注目を集めてゐる九鬼京介さん。こちらは四季畫壇にその人ありといはれた、大橋畫伯」

京介は櫻木の言葉に促されて大橋の前へ進み出て、

「九鬼京介です」

と會釋(ゑしやく)をした。

「大橋です。

畫伯はにこやかに、しかし、威嚴を保つやうにその名を告げた。

「厄介な事でもあるのですか」

櫻木はとんでもないといふ風に手を振つて、

「會場に流れてゐる音樂なんですがね、

話に合せるやうに跫音がしたのでそちらへ振り向くと、脚の美しい女給仕(ウエイトレス)が水を運んで來て、ほつそりとした指が水滴の浮んだコツプを京介の前へ光らせた。

「儂は珈琲。君は?」

「僕もそれにして下さい」

櫻木に從ふやうに京介は同じものを註文した。


「それで、何處まで話しましたかね。

櫻木はもう用件の方に意識が集中してゐるらしかつた。

「さうさう、いま會場に流れてゐる音樂が單調なので、もう少し變化を持たせたらどうか、とこの九鬼君が提案してくれてね」

「うん? どういふ事か、よく解らんね」

大橋は急に不機嫌な顏つきになつた。


しかし、京介は言ふべき事は早く濟ませた方が良いと思つて、櫻木の言葉を引き繼いだ。

「展覧會に『展覧會に繪』の音樂を流すといふのは構はないと思ひますが、中途半端な氣がしたので、いろいろと編曲されたものがあるので、それを使用した方が變化があるんぢやないかと思ひまして」

「それは違ふと思ふがね。

大橋畫伯は京介の提案を頭ごなしに否定した。

「君は、洋琴(ピアノ)版が原曲だといふ事は、知つてゐるんだらうね」

京介は頷きながら、

「知つてゐます」

「だつたら、それを何故この會場に選んだか、解りさうなものぢやないか」

大橋は不遜ともいへる口吻(こうふん)を弄(ろう)して、冷めかけて珈琲を含んだ。

「編曲は僞者だと!?」

京介はしまつた、と思つてそれとなく櫻木の顏を見ると、むしろニヤニヤしながら事の成行きを樂しんでゐる風だつたので、以外に公正な編輯長としての彼の本質を見る思ひがした。
しかし、畫伯は思つてもみなかつた京介の反撃に、持つてゐたカツプで匙(スプン)を彈き飛ばすほど激しく皿の上に置いて、

「そこまでは言はないが、第一、管絃樂の曲を會場にながしたら、うるさくつて繪の鑑賞どころぢやないだらう。本末轉倒だらう、その考へは」

京介は、相手が昂奮すればますます冷靜に話を切り出した。

「參列者が新郎新婦よりも目立つと困りますが、藝術は冠婚葬祭と同じではないでせう。音量(ヴオリユウム)を調整すれば濟むはなしですから、

大橋は苦蟲を噛み潰したやうに、眉間に皺を寄せた。

「それに、もし音樂ぐらゐで繪が見られないと心配しなければならないのなら、そんな繪を、藝術と呼ぶのは烏滸(をこ)がましいんぢやないですか」

すかさず櫻木が仲介するやうに、

「九鬼君、それは少し言ひすぎではないのかな」

大橋は助け船を出されて、

「君の考へは極端だ。私は常識的な事を言つたまでで、まツ、若いといふ證據だらう、さういふ斬新なものの考へ方は……」

常識的なものの考へ方では藝術は出來ないでせう、と京介が言はうとしたところへ、珈琲の馨(かをり)と湯氣を携へた女給仕が現れて、陰險な空氣をなだめるやうに卓子の上に置いた。
櫻木が砂糖とミルクを入れた珈琲を掻き廻しながら、

「今日の客の入りはどうですか」

と大橋に對して話題を轉じた。


京介は議論の續きには興味がなかつたので、櫻木の言葉に引き入れられるやうに、窓硝子から見渡せる階下の會場へ視線を移しながら珈琲を飮んだ。

「豫定より動員數が多いので、安心しましたが、

大橋はさう話しながらも、ちらツと京介の動作を氣にして見てゐるらしかつたが、さういふ自分を許せないかのやうに煙草の火を何度も點(つ)け直してゐた。

「描き手が小粒になつてしまひましたなあ。私らの若い時分には、個性的なのがゴロゴロゐましたからね」

京介は、その言葉を最後に二人の會話から離れて窓際に寄つた。


それは階下の入口のところに雪子らしい姿が見えたからで、あの黒い洋服の嫋(しな)やかな仕種は彼女に違ひないといふ確信が、珈琲カツプを持つた儘その行動をとらせたのだつた。
どんな用事でそこにゐるのかは解らなかつたが、見ようによつては誰かを捜してゐるといふ雪子の素振りであつた。
京介は無性に氣になつたので、飲み乾した珈琲カツプを卓子に置きに行き、

「ちょつと、會場を見てきます」

と二人に斷りをいれた。

「さうか、例の件は後日といふことで」

櫻木の含めるやうな言葉に、大橋は背凭(せもた)れに身體をあづけながら煙草を吹かして頷いた。
京介は大橋や櫻木に輕く頭を下げて足早に元來た扉の外へ出ると、何ものとも知れぬ呪縛から解き放たれたやうな氣がした。



一九九〇年平成二庚午(かのえうま)年二月三十日




   始めからどうぞ

第一部 一、邂逅(かいこう) 『繪(ゑ)のない畫家(ぐわか)』
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