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小説・評論:孤城忍太郎の世界コミュの九、『大衆文芸評判記』 三田村鳶魚著 『摂取本(セツシボン)』

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 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の,

 『Motion1(和樂器・Japanese instrum)』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。








 九、『大衆文芸評判記』 三田村鳶魚著 『摂取本(セツシボン)』


 『大衆文芸評判記』は昭和八年に出版されてゐて、それが四十年以上經(た)つて中公文庫から再版されたのを、隨分以前に讀んだのだが、著者の三田村鳶魚(みたむらえんぎよ・1870-1952)氏は江戸學を確立して、集大成した人として知られてゐる。


 その氏が、

 「大正末期から昭和初期へかけて話題になった大衆小説を俎上にのせ、時代考証の誤りや見当ちがいを痛烈に批判したもので」

 あつたが、この本を讀んでしまふと、ものを書くといふ事の怖さを思ひ知らされて、

 『江戸物に限ったことではないのは、くれぐれも断っておかなければならないが、いずれの時代にしても、いかなる書き方であっても、時代のあるものである以上は、その時代にどうしてもない事柄や、あるべからざる次第柄は、何といっても許すことは出来ない。例えば、緋縅の鎧を着た人が長靴を穿いている。上下(かみしも)姿の人が帽子を被っている、ということが許せないのと同じで、何ほど事実から拘束されることのないものであっても、それほどのことは許されまいと思う。「()は筆者」』

 といふやうな事を指摘されるが、これは現代が舞臺だとしても、例へば、一九八〇年代の事を書いた時に、SFでもない限り、一九九〇年代の音樂が街に流れてゐたなどと書けないのと同じ事と思はれる。


 といふ具合に、とくに時代のもなどは迂闊(うくわつ)に書けなくなつてしまふ程である。
 しかし、讀者として讀む分には、面白い事この上ない。
 なにしろ著名な作家がバツサ、バツサと遠慮なく切られて行くのであるから、痛快極まりない。


 その被害に被つた作家は、次の通りである。

 大 仏 次 郎  『赤穂浪士』
 土 師 清 二  『青頭巾』
 直 木 三十五  『南国太平記』
 白 井 喬 二  『富士に立つ影』
 長谷川 伸    『紅蝙蝠』
 吉 川 英 治  『鳴門秘帖』
 林   不 忘  『大岡政談』
 中 里 介 山  『大菩薩峠』
 佐々木 味津三 『旗本退屈男』
 子母沢 寛    『国定忠治』

 これらの著名な作家がどんな目にあつたかは、讀んでからのお愉しみとして、差し控へておく事にする。


 それよりも、「はしがき」に『大衆』といふ言葉の蘊蓄(うんちく)を述べ、

 「それに民衆とか、民庶とかいうような意味のないことはわかっている。通俗小説というのがいやで、それを逃げるために、歴史的意義のある「大衆(だいしゅ)」という言葉を知らずに使うほど、無学な人の手になったものである」

 と言つておきながら、この本に、

 『大衆文芸評判記』

 といふ題名(タイトル)を使ふほど人を喰つた三田村鳶魚氏の茶目つけぶりを、微笑ましく思つてしまふのである。


二〇一〇年平成二十二年五月十八日


十、『邪馬台国はどこですか?』 鯨統一郎著 『摂取本(セツシボン)』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53583331&comm_id=4699373

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