ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

小説・評論:孤城忍太郎の世界コミュの相撲(すまふ)の樂しみ方 『孤城的な餘りに孤城的な』

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 デイリイスポオツ・マガジン社から、

 『国技 大相撲』

 といふ「DVD附き」の册子がシリイズで出版されてゐる。
 書店で見かけたら、第七、八卷ぐらゐまで出てゐて、これから何册出版するつもりかは解らないが、その中の第六卷の題名(タイトル)に、

 「千代の富士 53連勝」

 といふ懷かしいものがあつて、當時、それに就いて書いた文章を思ひ出したので、その記事を次に披露して見たいと思つた次第。


     §相撲(すまふ)の樂しみ方 『孤城的な餘りに孤城的な』

 第五十八代横綱、千代の富士が到頭、引退した。
 支持者(フアン)の一人としてはまことに殘念であるが、若さに限りがある以上、それもまた已(や)むを得ない事だらう。
 筆者が千代の富士を好きなのは、彼の人格が優れてゐるからでは毛頭ない。
 傳(つた)へ聞く所によれば、綱を張り始めた頃は、性格的にも缺點(けつてん)があつたらしいが、結婚して子供が出来てからは、温厚になつたとの事である。


 しかし、本人に會つた事もないのだから、その程度の事で人格を云々する資格があるとは思はれない。
 第一、二十歳(はたち)過ぎの若者に幾ら横綱だからと言つて、完成された人格が具(そな)はつてゐるなんて氣味が惡いし、もし本當(ほんたう)にさうであるならば、聖人が爭ひ事である相撲をする事自體(ことじたい)が可笑(をか)しく、また、それを觀戰(くわんせん)したとしても面白くもなんともないだらう。


 筆者は昭和二十九年頃から相撲に興味を持ち、メンコの鏡里なんかを見て育つたが、最も眞劍に觀戰するやうになつたのは、昭和三十四年頃の若乃花の時代であつた。
 大鵬の時代になつてからは興味が薄れ、輪島が横綱だつた頃は貴乃花を贔屓(ひいき)にしてゐたが、北の海には關心(くわんしん)がなかつた。
 大鵬を引退に追ひ込んだ貴乃花は人氣があつたものの、實力(じつりよく)的には足腰の良さだけで勝負をしてゐるやうな所があつて、横綱になる爲には、體格(たいかく)の不足を補ふ相撲理論がないと駄目だらうと思つた。


 その名大關と言はれた貴乃花を引退に追ひ込んだのが千代の富士で、彼が大關から横綱になつた時のテレビ放送は、史上空前の視聽率を記録(マアク)した。


 所で、横綱は江戸中期から始まつて、現在の旭富士の六十三代までゐた事になるのだが、歴代横綱の中で後世まで名を殘す横綱には、不思議と「四、五、八」の數字と縁が深いやうに、筆者には思はれてならない。
 ざつと、例を掲げれば、

  四代 谷   風 梶 之 助
  五代 小 野 川 喜 三 郎
  八代 不 知 火 諾右衞門
 十四代 境   川 浪右衞門
 十五代 梅 ケ 谷 藤 太 郎
 十八代 大   砲 萬右衞門
二十四代 鳳     谷 五 郎
二十五代 西 ノ 海 嘉 治 郎
二十八代 大   錦 大 五 郎
三十四代 男女 ノ 川 登  三
三十五代 双 葉 山 定  次
三十八代 照   國 萬  藏
四十四代 栃   錦 清  隆
四十五代 若 乃 花 幹  士
四十八代 大   鵬 幸  喜
五十四代 輪   島 大  士
五十五代 北 の 海 敏  満
五十八代 千代の富士 貢


 この中で拔けてゐるのは、色々と異論もあるかも知れないが、

 「二十二代 太刀山 峰右衞門」

 と、

 「三十六代 羽黒山 政司」

 の二人ぐらゐだと思はれる。
 尤も、史上五人しかゐない五〇連勝した内の一人である、太刀山(五十六連勝)が拔けてゐるのは、この發想にとつて殘念ではあるし、

 「栃木山や常ノ花、玉錦さへもゐないではないか」

 と言はれれば、返す言葉もない。


 そこで横綱は本來、名譽稱號(めいよしょうがう)であつた、とこつちのぺエスに話を持つて來るのだが、するとそれまであつた相撲の最高位は何かといふ事になるのだが、それは勿論、

 「大關」

 といふ事になるのはいふまでもないだらう。


 從つて、横綱は大關の中で最も優れた風格と品位あると思はれた者に、吉田家が綱を締めるのを認める事によつて奉納の土俵入りが出來たのであるが、階級は飽(あ)くまでも大関であつた。
 所謂(いはゆる)、柔道の十段が最高位で、特にこの世界に貢献した人物に對(たい)して

 「名人」

 といふ稱號(しようがう)を與(あた)へたのと同質のものと言へる。
 それがどうして階級の最高位となつたかに就いては、ここでは詳しく述べないが、その代りに、相撲の醍醐味に就いて語る事にする。


 相撲の醍醐味とは、探究者同士の鍔迫合(つばぜりあ)ひであると筆者は思つてゐるのだが、それはどのやうなスポオツでも言へるものであるものの、特に相撲には顕著であると思はれる。
 その理由として、相撲には拳鬪(ボクシング)のやうに體重(たいぢゆう)によるランクがなく、即ち、無差別のスポオツであるといふ事が擧(あ)げられる。


 國技と言はれる相撲と雖(いへど)もスポオツである以上規則はあるが、一體、規則といふものは、對戰(たいせん)する者同士を平等ならしめる爲にあるもので、一方が有利な條件で試合を展開出來ないやうにする爲であるのは言ふまでもない事であるが、かと言つて、その平等が何處までを以(もつ)て良し、とするかは難しいものである。


 一般的には、一定の規則に從つて同じ器具を裝備し、定められた區域の中で同等の人數によつて勝負を決するのが、スポオツであると定義出來るが、それに先ほども述べた、個々の肉體的な違ひ、主に體重によるランク別にする事によつて勝負を決める場合もある。


 けれども、これを言ひ出すと、背の高さは勿論、腕や足の長短はどうなのかといふ事も、競技内容によつては重要な問題になる筈であるから、體重差のあるスポオツは、そこの所も檢討しなければならなくなるかも知れないだらう。


 そこへ行くと、相撲は土俵の外へ對戰(たいせん)相手を出すか、足の裏以外の身體(しんたい)の一部を土の上へつけさせる爲の技があり、互ひに制服(ユニホオム)としての『廻し』を締め、審判といふ行司を仲介として、土俵といふ區域の中を二人で勝負するスポオツで、何度も述べるやうに體重による區別はない。


 當然の結果として、體重のない者よりもある方が有利であり、歴代の横綱の殆どが、その時代時代においての差はあるものの、平均體重を上廻る者がその地位についてゐた。
 知る限りでは、それを下廻つた横綱は二人ぐらゐで、一人は、

 『初代 若乃花』

 と、もう一人が冒頭にも出て來た、

 『千代の富士』

 である、


 彼等が、その體重差をどのやうにして克服したかといふと、柔道の極意でもある、

 「相手の力を利用する」

 といふ事を基本とし、土俵といふ圓(ゑん)を活用する事に重點(ぢゆうてん)を置いてゐたやうに思はれる。
 これは何かの本で讀んだ事があるのだが、

 『ボクシングのリングは四角だから、隅に追ひ詰められると逃げようがないが、土俵は圓(ゑん)だから、廻り込めば無限の廣(ひろ)さがある』

 といふ條件が、體重差を克服出來る競技たる所以(ゆゑん)であらう。


 更に、

 『西洋の挌鬪技では、敵と自分との間は單なる空間としてしか捉へてゐないが、日本の場合は無とは考へずに、「間(ま)」といふ獨特の思想で捉へてゐる』

 といふ文章を、これもまた何かで讀んだ記憶があるが、かういつた所にも、相撲を觀る面白さがあると言へるだらう。
 しかし、なんと言つても見落としてならないのは、四十八手(本當はもつとある)の技を基本の方として、個人の體型に合せた型を持つてゐるかどうか、を觀る事に盡きるだらう。


 これは以前、

 『形式に就いて』

 でも述べた事だが、基本の形(型)といふものはどのやうな部門(ヂヤンル)にもあつて、音樂ならば、

 「一部形式・二部形式・三部形式・複合三部形式・輪舞(ロンド)形式・奏鳴曲(ソナタ)形式・輪舞奏鳴曲形式」

 などがある。
 これが繪畫(くわいぐわ)だと、

 『色と形・枠組』

 とがあるし、文學における發句や短歌は勿論のこと、小説には、

 『起承轉結』

 とふ形式がある。


 これと同じやうに、

 『柔道・劍道・拳鬪(ボクシング)』

 といふその他いろいろなスポオツにも、それぞれの技といふ形式があるのだが、ここで忘れてはならないのは、勝負の相手が同質の生命を有するものであるといふ事で、これを超越するものが相手の時は、スポオツとしての面白さには缺(か)けるものになると思はれる事である。


 それが何かといふと、記録がそれに當るだらう。
例へば、百メエトル競爭で記録を爭ふ時、人類がどれほど速くなつたとしても、現在、正常と言はれてゐる肉體を使用する限り、コンマ一秒の記録を出す事は不可能である。
 そこで當然の結果として、ある一定の世界記録が出た後では、科學の力に頼つて、時間から分、分から秒といふやうに、時計の精度を細かくして行くより方法がなくなつてしまふのである。


 これは、

 『マラソン・走り幅跳び・走り高跳び・棒高跳び』

 などにも言へる事で、現在ソビエトのブブカ選手が棒高跳びで世界記録を更新中であるが、これとても努力したからと言つて地球の成層圈まで屆かない以上、早晩コンマの爭ひとなる事は必死であらうから、このやうに記録に拘泥するならば、何も團體(だんたい)で競技する必要(確かに獨りよりも大勢の方が励みになつて記録は出し易いかも知れないが)はなく、審判だけが各地へ出向くだけで充分だと思はれる。
 況(ま)して、團體競技における優勝者が必ずしも世界記録を上廻つてゐる譯ではない事でも、スポオツが記録だけを目的にしてゐない證據(しようこ)であると言へるだらう。


 筆の滑るのを許してもらへば、スポオツの世界で新記録が出た時、

 「人類の壁を越えた」

 といふやうな表現を見かけるが、これに賛成し兼ねるのは、

 「人類が科學の力で月へ行つたから優秀なんだ」

 といふのと同じで、確かに月へ行つたのは人類であるものの、斷じて筆者個人ではなく、人類のほんの一握りの優秀な科學者たちが成功したに過ぎないからで、筆者はといへばそんな能力がない事が解つてゐるので優秀でもなんでもないし、それはスポオツにおいても、世界で最も速いといふ一人の人間がゐるだけで、その人物が如何に優れた脚を持つかといふ肉體の證明をしたに過ぎない事が解るからである。


 そこでこれを相撲に當嵌(あては)めると、この相撲の對戰相手が、例へば三百瓩(キログラム)もある眞四角な鐡(てつ)の塊(かたまり)で、それを何メエトル動かすか、あるいは何囘(なんくわい)廻轉(くわいてん)させるかを兢(きそ)ふのだとしたら、これほど情けないものはないだらう。
 何故なら、さうなると體の大きな者が有利である、といふ事を證明する爲だけのものでしかなくなつてしまふからである。


 逆に、相手がいかに大きくとも人間であり、相手も勝たなければならないので動かねばならず、そこにこそ小さな者でも大きな者に勝つ機會(チヤンス)が生れるのである。
 ここで氣をつけなければならないのは、勝負事である以上は勝つた方が良いのは當然の事なのだが、たとへ負けたとしても納得の行く勝負もあつて、それを觀るのが本當の樂しさであると知つてもらひたい事である。


 それが何かといふと、型を身につけてゐるか、ゐないかといふ事で、例へば、

 『上手投げ』

 といふ技があるのだが、これは誰がやつても「上手投げ」であるものの、身體が大きな者と小さな者とでは、同じ「上手投げ」でも掛ける時期(タイミング)が異なる事はいふまでもないばかりではなく、さらに身體が大きいと言つても、上背(うはぜい)がある者と、體重(たいぢゆう)が重い者とでもその差が出て來るし、その兩方に惠まれた者や、腕力でも右腕あるいは左腕の強い者、またその兩面に及ぶ者と、實(じつ)に樣々な個人的特徴があるので、それが技に反映し、技を掛ける時もそれを辨(わきま)へてゐなければならない事になり、それを承知の上で萬全(ばんぜん)の體勢(たいせい)に持つて行く。

 「型を身につける」

 とは、かういふ事をいふのである。


 自分の型を持つた者が強く、横綱に昇進するのは偶然ではないのである。
世間ではこれらを、

 『強い者が勝つ』

 といふが、その「強い者」とは身體が大きい者の事であり、身體の大きな者が技を身につければ完璧であると思つてゐるやうだが、もし本當にそれだけの事であるならば、誠に味氣ない事と言へるだらう。


 勿論、身體は大きい方が有利である事は依然として否む事は出來ないが、それを近代スポオツとして相撲を捉へ、身體の小さな者でも理論によつて勝つ事が出來ると證明したのは、栃錦と若乃花や、輪島とか千代の富士に顕著に見る事が出來るだらう。


 所で、とかくこれらの横綱の記録を比較して見たくなるのも世の常であるが、その場合は、その時代時代の對戰相手である力士の體重差を調べ、それを加味して檢討しなければならないだらうし、記録があるから偉大なのではなく、偉大な人物が記録を殘したと考へたいものである。


 さて最後に、次は問題の六十四代の横綱であるが、一體、貴花田はこれに該當(がいたう)するのだらうか……?!


 平成三年六月一日


 ※あれから十七年も經(た)つてしまつて、貴花田改め貴乃花が、横綱としてどうだつたかは結果が出てゐるし、その他の、例へば朝青龍についても第六十八代といふ結論が出てゐて、何とか面子を保つてゐて感慨深いものがある。



關聯記事

形式に就いて
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49243214&comm_id=4699373


朝青龍の問題
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1401876983&owner_id=25109385


朝青龍問題に見られる不安
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1403722535&owner_id=25109385

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

小説・評論:孤城忍太郎の世界 更新情報

小説・評論:孤城忍太郎の世界のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング