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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第269号】  2011/06/13(Mon)

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【城郭ニュース 第269号】                2011/06/13(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=
◆今週の目次◆
(1)中畑城(岩手県奥州市):東北では珍しい障子堀を検出
(2)姫路城(兵庫県姫路市):7月に「姫路城大学校」を開講
(3)上ノ郷城(愛知県蒲郡市):深さ2.5mの空堀を発掘
(4)安土城(滋賀県近江八幡市):平成25年導入を目指してCG復元へ
(5)多賀城(宮城県多賀城市):出土した木管を画像データベースとして公開
(6)小浜城(福井県小浜市):石垣見学と学習会を開催


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(1)中畑城(岩手県奥州市):東北では珍しい障子堀を検出
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 中畑城の発掘調査を4月下旬から行っていた岩手県埋蔵文化財センターは、周囲を囲む堀が東北では珍しい障子堀であることを確認した。県営経営体育成基盤整備事業の実施にともなう緊急発掘調査で、今月15日まで実施される。すでに堀があることは知られていたが、調査によって城域を囲む堀が障子堀であることが確認された。堀は四列あり、幅7〜8m×長さ約60mの規模で、深さは 1〜1.5mあった。また障子堀を構成する仕切りの高さは、1m以下であった。

 中畑城は16世紀後半の戦国時代に樫山平次郎、同彦三郎が城主だったという記録が、江戸時代にある。樫山氏の本城は金ヶ崎町の館山遺跡であるが、こちらでも2列の障子堀が検出されている。障子堀は小田原北条氏関連の城など関東地方に多いが、東北では仙台方面や米沢方面に見られる。障子堀は敵兵が堀の中を移動しにくくする工夫で、また溜めた水が流れてしまわないようにという意味もあるのではと同センターでは分析している。

▼中畑城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/nakahata-jyo/


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(2)姫路城(兵庫県姫路市):7月に「姫路城大学校」を開講
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 姫路市は今年の7月から来年2月まで、姫路城周辺施設で開催される各種講座と連携した「姫路城」を開く。これらの講座を受講すると1単位を取得することができ、5単位に達すると来年3月に修了証や記念品がもらえる。

 姫路城周辺には県立歴史博物館や市立城郭研究室などがあり、城郭関係の展示や講座を開催している。例えば市立美術館では、姫路城主酒井忠以の弟で画家として知られる酒井抱一らを紹介する「酒井抱一と江戸琳派の全貌展」が開催される。また市民教養講座などでも、姫路城やゆかりの人物に関する講座が開かれる。

 同市では城郭、日本史や郷土史などの12講座63講義を選定し、これらの講座を受講すると入学証明書裏面にスタンプが押される。姫路城を大学のキャンパスに見立てた新しい取り組みで、修理が進む姫路城に関する知識を深めてもらうとともに関心を高めてもらう。

▼「姫路城大学校」の詳細については、下記姫路市の公式サイトをご覧ください。
 http://www.city.himeji.lg.jp/s70/2845684/_11311/_24950.html

▼姫路城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/←姫路市による公式サイト
 http://www.himeji-kanko.jp/castle/index.html
 ↑←姫路観光コンベンションビューローのサイト
 http://www.himeji-castle.gr.jp/←姫路城のバーチャルツアー


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(3)上ノ郷城(愛知県蒲郡市):深さ2.5mの空堀を発掘
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 上ノ郷城の発掘調査を行っている蒲郡市教育委員会は、深さ 2.5mの空堀を新たに確認した。これまでの調査では本丸のすぐ下に東郭があり、堀はその外側にあるとされてきた。しかしながら、東郭のあった場所を新たに試掘すると、新たに空堀が見つかった。

 この空堀は岩盤を削って造った形跡があり、さらに60度以上の急傾斜となっており、本丸の周囲を囲んでいると推測された。また空堀の外側には、一間間隔で杭が立てられていたとみられる直径30cmの竪穴2個も見つかった。今回見つかった空堀は、戦国時代初期に鵜殿長善によって設けられたとみられる。

 上ノ郷城は今川方についた鵜殿長照の時代である永禄5年(1562)に、三河平定を目指した松平氏に攻められた。結局は落城するものの、松平元康(徳川家康)が簡単には落とせなかったことで知られる。今回見つかった堀は、その猛攻に耐えた一因とも思われる。松平氏のものとなったのち、城代となった久松俊勝が城の拡張のために空堀を埋め、その上に東郭を造成し、さらに外側に別の堀を造ったものと考えられる。

▼上ノ郷城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.geocities.jp/chiezoikomai/e-mikawa/kaminogou.html
 http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/mikawa/shiseki/higashi/kaminogo.j/kaminogo.j.html
 http://www1.linkclub.or.jp/~part3/far/kaminogou/kaminogou.html


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(4)安土城(滋賀県近江八幡市):平成25年導入を目指してCG復元へ
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 CGで安土城の復元を目指す近江八幡市の「VR安土城創造会議」の初会合が、安土町総合支所で開催された。メンバーにはVRのエキスパートである大阪大学大学院の福田准教授ら10人が委嘱され、互選で福田准教授が会長に選ばれた。

 安土城については図面が見つかっていないことから、安土城の研究家として知られる名古屋工業大学の内藤名誉教授の案を採用することとした。同会議ではCG制作については花園大学に委託し、来年度には試験運用を行って、平成25年(2013)度には本格導入したいとしている。

 安土城は近世城郭の嚆矢とされるが、本能寺の変後に焼失している。同市では最新のCG技術などを導入して、仮想世界で安土城の再現を図ろうとしている。

▼安土城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/1b/
 http://www.azuchi-shiga.com/n-yakata.htm←「安土城天主 信長の館」のサイト
 http://www.azuchi-museum.or.jp/←滋賀県立安土城考古博物館のサイト 


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(5)多賀城(宮城県多賀城市):出土した木管を画像データベースとして公開
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 奈良文化財研究所は、多賀城で出土した奈良時代の木簡17点分を「木簡画像データベース 木簡字典」として今月8日より公開した。今回公開したのはまじないや軍事などに関わる木簡の画像で、同研究所では「東北の人が書いた木簡を、東北の土が約1300年間守ってきた。復興のシンボルになればうれしい」としている。

 奈良時代には東北は軍事上の最前線で、平城京には東北の物資がほとんど入ってこなかった。そのために平城京跡などでは東北の木簡はほとんど出土しておらず、画像の公開も珍しいという。

▼奈良文化財研究所については、下記公式サイトをご覧下さい。
 http://www.nabunken.go.jp/

▼多賀城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.thm.pref.miyagi.jp/tagajyo/index.html
 http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/tagajo/tagajyou98.html
 http://inoues.net/ruins/tagajyo.html


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(6)小浜城(福井県小浜市):石垣見学と学習会を開催
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 小浜城で、先月22日に石垣見学と学習会が開催された。講師には城郭に詳しい香川県丸亀市教育委員会文化財保護担当長の東さんが選ばれ、城郭石垣の進歩や小浜城の石垣について市民に説明した。

 小浜城は慶長6年(1601)に京極高次によって築城が開始されたが、完成を見ずに京極氏は松江に加増転封となった。替わって城主となった酒井氏によって築城が続けられ、天守などを造営して寛永19年(1642)に完成した。しかしながら明治3年(1871)に火災によって大部分が失われ、さらに明治5年(1873)の廃城令で天守が解体されるとともに内堀も埋められてしまった。

▼小浜城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-3-5-siro-OBAMA.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/obama.htm
 http://saigokunoyamajiro.blogspot.com/2011/03/1.html

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