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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第245号】  2010/12/06(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第245号】                2010/12/06(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)荒神山城(鳥取県鳥取市):出土品が古備前の一品と判明、城と関連か
(2)小田城(茨城県つくば市):信田郭で大規模な改修を確認
(3)安土城(滋賀県近江八幡市):城跡調査をめぐり、27日にシンポジウム開催
(4)山形城(山形県山形市):現地説明会を開催
(5)益田氏城館(島根県益田市):現地説明会を開催
(6)太閤堤(京都府宇治市):遺構を復元して整備する方針を決める


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(1)荒神山城(鳥取県鳥取市):出土品が古備前の一品と判明、城と関連か
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 荒神山城から昭和63年(1988)に出土した備前焼のとっくりが、室町時代末期(1492〜1573頃)の古備前「らっきょう徳利」の一品であることが判明した。古備前の徳利が完全な形で出土することは大変に珍しく、話題を呼んでいる。

 この徳利は道路拡幅工事の際に荒神山城の北東側麓から出土したもので、高さ26cm×胴径16cm×底径9cmの大きさで傷一つない完全な形をしている。備前焼の徳利としてはもっとも古い段階のらっきょう徳利で、室町末期に製作されたことを示す「青胡麻」がかかる。らっきょう徳利は酒を入れるのに使ったほか、花入れとしても珍重された。

 埋めた時期や理由は不明だが、荒神山城と何らかの関係があったのではないかと推測されている。荒神山城は戦国時代の1560〜80年代前後に毛利氏や尼子氏などが何度も争奪戦を繰り返し、徳利の製作時期はこれと重なる。出土場所は城の北東側で鬼門に当たることから、鬼門封じや魔除けのために埋納した可能性もあるという。


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(2)小田城(茨城県つくば市):信田郭で大規模な改修を確認
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 国の史跡に指定されている小田城の発掘調査を行っているつくば市教育委員会は、今年度の発掘調査結果を発表した。本丸東側にある信田郭から貴重で高級な青磁器などが出土したことから、有力者の屋敷があったと推定された。また新しい地面を造る造成工事が4回にわたって行われたことが確認され、曲輪の構造が大幅に造り替えられていることも判明した。

 この信田郭は100m四方のほぼ正方形で、本丸と同様の形である。また城主である小田氏には信田氏という家臣がいたことから、この曲輪には屋敷があったのではないかと推測されていた。本丸以外で青磁器が発見されたのは今回の発掘が初めてで、また「かわらけ」という素焼きの小皿も大量に見つかった。かわらけは酒を酌み交わす儀式に多く使われることから、有力者の屋敷の存在を強く推測させる。

 掘り下げ調査により、上幅約3mの古い堀跡一条が確認された。この堀跡が埋められたあと、曲輪には平面形が方形で周囲に堀や土塁がめぐる構造に改修されたことも判明した。また曲輪中央には逆L字型で上幅が約6mの堀割も確認されたが、これは曲輪の出入口を防除するための堀跡で屋敷のある区画から防御のための区画へと役割が変えられたのではないかと考えられた。

 同市教育委員会によると、曲輪が大規模に何度も改修されているのは関東では珍しく、小田氏と小田城の歴史を再考すべきではないかとしている。なお、5日(日)に現地説明会が開催された。

▼現地説明会の詳細については、下記をご覧下さい。
 http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/53/370/003386.html

▼小田城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://otakeya.in.coocan.jp/info02/odatk.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Ibaragi/Oda/index.htm
 http://4619.web.fc2.com/shiro57.html


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(3)安土城(滋賀県近江八幡市):城跡調査をめぐり、27日にシンポジウム開催
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 滋賀県教育委員会などは安土城発掘調査の集大成として、シンポジウム「安土 信長の城と城下町」を27日に開催する。

 同県教育委員会は平成元年(1989)から平成20年(2008)度にかけて発掘調査を行い、平成12年(2000)には天守台下の本丸で出土した建物礎石の配置が「京都御所の清涼殿に酷似」しているとして大きな反響を呼んだ。これから城内に天皇を住まわせて、天皇を超えようとしたとする信長像が広まったが、礎石の位置を都合よく解釈していると批判的なのが奈良大学の千田教授である。

 今回のシンポジウムではこの千田教授も招いて、パネルディスカッションを予定している。同県教育委員会ではこれまでの調査で安土城のすべてが分かったわけではないので、異なる意見も交えて議論して研究を続けるべきだとして同教授を招待した。表門から城の中心部につながる大手道に関しても、県教育委員会が天皇訪問を考慮していたとするのに対して、同教授は小牧山城でも同様の造りで必ずしも天皇訪問のためとは言えないとしている。

▼安土城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/1b/
 http://woodone9959.web.infoseek.co.jp/c-1-3-6-1-siro-ADUTI.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kansai/Shiga/Aduchi/index.htm


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(4)山形城(山形県山形市):現地説明会を開催
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 国の史跡に指定されている山形城の発掘調査を行っている山形市教育委員会は、本年度に行われた本丸御殿の発掘調査結果についての現地説明会を27日に開催する。

 今年8月から10月にかけて行われた今年度の調査で、城主の住まいとされる礎石建物跡1棟が見つかっている。また、南北の長さ12m以上で柱穴の直径が1mほどもある大規模な掘立柱建物跡に加えて、雨落ち溝や土間として使われたと推測される瓦敷き遺構なども確認された。さらに、陶磁器や土器、金箔瓦なども出土している。

▼山形城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://yamagata6.blog118.fc2.com/blog-entry-10.html
 http://kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?panel=detail&d01=877
 ↑山形市観光協会のサイト
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tohoku/yamagata.html


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(5)益田氏城館(島根県益田市):現地説明会を開催
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 国の史跡に指定されている益田氏城館(三宅御土居)の発掘調査を行っている益田市教育委員会は、今年度の発掘調査結果についての現地説明会を28日に開催する。同市教育委員会による発掘調査は同地にあったお寺の移転にともなって平成20年(2008)度から本格的に開始され、今年度は3年目となる。

 城館を構成したと思われる10個以上の柱穴を確認したほか、中世のものとみられる中国製の青磁や白磁なども出土している。発掘調査は5ヵ年計画のため来年度以降も続けられるが、終了後は史跡公園化などを検討している。

 益田氏は戦国時代までこの地方一帯を収めていた豪族で、政務を執った城館のほか、七尾町には山城である七尾城を築いている。江戸時代になると、毛利氏に従って萩に移っている。

▼益田氏居館については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.masuda.lg.jp/kanko/masudashi_02.html←益田市のサイト
 http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=203536
 ↑文化庁の文化遺産オンライン
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/miyakedoi.htm


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(6)太閤堤(京都府宇治市):遺構を復元して整備する方針を決める
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 豊臣秀吉が前田利家らに命じて、宇治川の流れを変えるために築いた太閤堤の整備方針を検討していた宇治市は、発掘調査で見つかった遺構の上に保護層(土の層)を設け、その上に見つかった遺構と同じものをそっくり復元して展示・公開するプランを市議会に提示した。専門家などで構成される保存整備検討委員会の審議を経て、今年度中に整備基本計画を最終的に決める予定である。

 宇治川沿いの史跡地の全長は約 400mで、このうちで石張り護岸などが見つかった北側約 100mについては堤が機能していた頃のままに復元することを予定している。一方の南側については茶畑になっている部分があるため、茶畑を活かしながら宇治川の流れによって運ばれてきた土砂で中州が形成され、やがて堤が埋没していく江戸時代頃の姿を再現するという。

 太閤堤は平成19年(2007)の発掘調査で、京阪宇治駅近くで見つかった。石張りの護岸や水流を調整する「水制」などが出土し、昨年には国の史跡に指定されている。

▼太閤堤については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.uji.kyoto.jp/0000003769.html←宇治市のサイト
 http://sendo.fc2web.com/flame02/20070908taikoudutumi/taikoudutumi.htm
 http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_02_10.htm

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