ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第242号】  2010/11/15(Mon)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第242号】                2010/11/15(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=
◆今週の目次◆
(1)甲府城(山梨県甲府市):県庁敷地から築城期のものとみられる石垣が出土
(2)金沢城(石川県金沢市):玉泉院丸庭園に階段状の滝があったことが判明
(3)府中御殿(東京都府中市):三葉葵紋入りの鬼瓦が出土
(4)二条城(京都市中京区):平成の大修理に向けて修理募金を募集
(5)岐阜城(岐阜県岐阜市):金華山と岐阜城を国指定史跡へ
(6)備中高松城(岡山県岡山市):水攻めをCGで再現

────────────────────────────────────
(1)甲府城(山梨県甲府市):県庁敷地から築城期のものとみられる石垣が出土
────────────────────────────────────

 山梨県庁防災新館の建設工事にともなう甲府城の発掘調査を行っている山梨県埋蔵文化財センターは、約400年前の築城当時のものとみられる内堀の石垣を確認した。出土したのは県庁本館南側で、東西に延びる長さ約27m×高さ2〜3mの規模であった。自然石を組み合わせた構造や矢穴の幅などから、豊臣時代の築城期(1590年代)に造られたものと推定された。保存状態も極めて良く、甲府城の姿を伝える貴重な遺構という。

 江戸時代の宝永年間(1704〜11)に当時の甲府城主となった柳沢吉保によって大規模な増改築が行われたが、それ以前の絵図には石垣が明瞭に描かれていないものが多かった。そのため、柳沢期以前の甲府城は土塁で、柳沢期に石垣が整備されたと考える研究者も多かった。今回の発見により、築城当初から石垣つくりであったことが確認され、甲府城が高い技術によって築城されたことが改めて分かった。

▼甲府城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kanko/history/0104.htm←甲府市のサイト
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kosin/koufu.html
 http://www.geocities.jp/qbpbd900/koufujo.html


────────────────────────────────────
(2)金沢城(石川県金沢市):玉泉院丸庭園に階段状の滝があったことが判明
────────────────────────────────────

 金沢城の発掘調査を行っている金沢城調査研究所は、玉泉院丸の庭園に階段状に水が流れ落ちる滝があったことを確認した。玉泉院丸北東部斜面に大型で平たい赤戸室石が階段状に置かれており、これは滝の水を受け止める「水受石」で斜面には小さな滝が連続していたと推定された。段数は3〜4段で、高低差は約4mとみられた。

 発掘調査の担当者によると、庭の一番の見どころと考えられる滝の概要が分かったので、今後は導水の経路を明らかにしたいとしている。玉泉院丸の庭園は前田家三代の利常が寛永11年(1634)に造成したが、明治に入って埋め立てられて、陸軍の施設や旧県体育館の敷地となっていた。

▼金沢城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/←石川県のサイト
 http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/gallery.htm
 http://kimassi.net/kanazawajou/index.html


────────────────────────────────────
(3)府中御殿(東京都府中市):三葉葵紋入りの鬼瓦が出土
────────────────────────────────────

 徳川家康が鷹狩りの際に休憩所として使用した「府中御殿」の遺構ではないかとみられるJR府中本町駅前遺跡で発掘調査を行っている府中市文化振興課は、徳川将軍家の家紋である三葉葵の一部が入った鬼瓦の破片が出土したと発表した。

 出土した鬼瓦の破片は縦17cm×横18cm×厚さ 6.5cmの大きさで、直径3mの井戸跡から出土した。この鬼瓦破片は焼けて赤く変色していたが、三葉葵紋の一部がはっきりと確認できた。府中御殿は正保3年(1646)に火災で焼失したとの記録があり、これとも一致していた。

 発掘現場からは江戸時代前期のものと考えられる出土品や大きな館を支えた柱穴が確認されており、文献に記載があるように府中御殿跡と推定されていた。今回の発見で遺構が府中御殿であることが裏付けられたこととなり、貴重な発掘成果といえる。なお、府中市では発掘現場一帯の保存・整備を計画中である。

▼府中御殿については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://members3.jcom.home.ne.jp/tokyo.fuchu/fuchu-siseki.htm#14
 http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinorekisi/edo/musasifutyuugotenn/musasifutyuugotenn1.htm
 http://www.t-map.co.jp/old/so-ma-8.htm


────────────────────────────────────
(4)二条城(京都市中京区):平成の大修理に向けて修理募金を募集
────────────────────────────────────

 世界文化遺産に登録されている二条城では、来年度から大規模な修理が始まる。この大修理では文化財となっている建造物28棟すべてが対象で、約100億円の費用と20年の歳月を要するとされている。

 二条城を管理する京都市では半額を国からの補助を見込んでいるが、残りの50億円は「一口城主」として平成30年度(2018)までに市民や観光客から募ることとしている。ただ集まらなかった場合は税金で賄うこととなるため、財政難の折から慶長8年(1603)の築城以来となる大プロジェクトの実現が危ぶまれている。

 江戸に幕府を開いた徳川家康は、京都御所の警備拠点と将軍上洛時の宿舎という二つの目的で二条城を築城した。元和9年(1623)には3代将軍家光が伏見城の遺構を移築するなどして、ほぼ現在の形となった。城郭の御殿建築としては唯一国宝に指定されている二の丸御殿を始め、多くの文化財がある。

 昭和25年(1950)頃に行われた大規模修理から半世紀を経過して、全体的に老朽化が進んでいるためにまとめて修理を行うこととなった。またこれを機会に、二の丸御殿と本丸御殿の間にある堀の上にかかっていた二階廊下を、保管している当時の部材で復元することも検討している。

▼二条城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/←公式サイト、募金の詳細も出ています。
 http://www.pref.kyoto.jp/isan/nijyoujo.html←京都府のサイト
 http://www.nijoujou.com/←二条城指南所


────────────────────────────────────
(5)岐阜城(岐阜県岐阜市):金華山と岐阜城を国指定史跡へ
────────────────────────────────────

 岐阜市は今年1月に岐阜城を「中世から近世への転換期に当たる日本史上重要な城」として、国指定史跡とするように申請した。既に国の文化審議会での協議を経ており、早ければ今月中旬にも指定を受ける見通しとなった。国史跡となる見込みなのは岐阜城と金華山を含めた「岐阜城跡」で、城だけではなく急峻な地形を含めて山全体が城としての機能を果たしているとしている。

 岐阜市では国史跡指定を契機にさらなる観光客の誘客などを目指し、観光資源としての魅力アップに期待している。岐阜県内では岐阜市内の加納城が既に国史跡に指定されており、城郭としては2つ目となる。

 岐阜城は標高329mの金華山頂を中心に山全体が城郭となっており、織田信長の天下統一の出発点となったとされる。斎藤道三が築城した稲葉山城を永禄10年(1567)に織田信長が攻略し、新たに造営して岐阜城と改めた。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは信長の孫に当たる織田秀信が城主として西軍に加わったために落城し、その後徳川家康によって廃城となった。

▼岐阜城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.gifu.lg.jp/c/40121142/40121142.html←岐阜市のサイト
 http://www.geocities.jp/qbpbd900/gifu.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/gifu.htm


────────────────────────────────────
(6)備中高松城(岡山県岡山市):水攻めをCGで再現
────────────────────────────────────

 天正10年(1582)に羽柴秀吉が水攻めを行ったことで知られる備中高松城一帯の当時の様子をCGで再現した観光パンフレットを、岡山市とおかやま観光コンベンション協会(旧岡山市観光協会)が作成した。

 このパンフレットは「高松城水攻め 驚天動地の奇策」と題したA4三つ折りのもので、中面に高松城周辺が水につかった状態を描いたCG鳥瞰図が2枚ある。一枚は高松城を秀吉方の加藤清正や宇喜多秀家らが取り囲んでいる様子が描かれ、もう一枚には孤島と化した高松城全体の拡大図である。昭和60年(1985)6月に洪水で高松城を残して周辺が水没したときの写真も載っている。

 このパンフレットは3万枚作られ、高松城址公園内の資料館やももたろう観光センターに置かれているほか、首都圏の旅行代理店などでも配る。

▼備中松山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.bitchu.jp/muneharu/oshiro/frame_shiro.html←清水宗治Web
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Chuugoku/Okayama/Takamatsu/index.htm
 http://www2.oninet.ne.jp/tn1201/b-takamatu1.html

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

関西城郭同好会 更新情報

関西城郭同好会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング