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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第228号】2010/07/12(Mon)

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【城郭ニュース 第228号】                  

====================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=


 成り行きを注目していた鳥取城三の丸にある鳥取西高校の改築問題ですが、どうやら断念となったようです。詳細は下記記事をご覧になって頂きたいのですが、要は文化庁が許可しなかったということです。
 この問題で疑問に思っていたのは、本来文化財を保護する立場にある教育委員会がなぜ遺構破壊をしようとしたのかということです。もちろん教育委員会には多くの役割があり、その大きなものが学校教育に関わるものですので、今回の校舎改築を積極的に進めるというのはよく分かります。しかしながら国の史跡にも指定されている場所ですし、鳥取城全体の景観を考えたら鉄筋コンクリート4階建ての校舎新築はないと思うのですが、如何でしょうか。


◆今週の目次◆
(1)鳥取城(鳥取県鳥取市):鳥取西高の現在地改築を見直し、来年度着工断念
(2)箕輪城(群馬県高崎市):来年度から10年かけて整備を進める
(3)村中城(佐賀県佐賀市):内堀とみられる遺構が出土
(4)姫路城(兵庫県姫路市):市立動物園は今後10年間は現行どおり運営
(5)中津城(大分県中津市):市の買い取り不調で再度一般向けに売り出しへ
(6)本の紹介:村人の城・戦国大名の城 北条氏照の領国支配と城郭


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(1)鳥取城(鳥取県鳥取市):鳥取西高の現在地改築を見直し、来年度着工断念
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 国の史跡に指定されている鳥取城三の丸に建つ鳥取県立鳥取西高の改築に対して同県文化財保護審議会が中止を要請していた問題で、同県教育委員会は文化庁の許可が得られないとして、鉄筋コンクリート4階建ての改築計画を断念することとした。

 県教育委員会では改築を目指して文化庁と協議していたが、城跡の景観を著しく損なう、史跡の上に後者があるにもかかわらず将来的な移転が保証されていない、同県文化財保護審議会の理解が得られていないなどの理由で、文化庁は現状変更の許可申請を認めないとした。

 当初は盛り土で遺構を保護した上に校舎を建てる予定であったが、昨年7月に体育館建設予定地の発掘調査で江戸末期の籾倉跡が発見されるなど史跡が広範囲に及んでいることで、同審議会は校舎の全面移転を教育委員会に要望していた。7月にも「学校整備の在り方検討会」を設置して、現在地に低い建物を建てる方法や移転も視野に入れて検討することとなった。

▼鳥取城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/tottori/tottorisi.htm
 http://www.burari2161.fc2.com/tottorijyou.htm
 http://www.eonet.ne.jp/~yorisan/newpage222.htm


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(2)箕輪城(群馬県高崎市):来年度から10年かけて整備を進める
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 高崎市箕輪町にある国指定史跡箕輪城は遺構がよく残っていることで知られるが、高崎市は来年度から10年間をかけてガイダンス施設を建設するなどの整備を行うこととした。約9億円をかけて行う。ガイダンス施設は発掘調査で出土した品々を展示するとともに、パネルなどで箕輪城をめぐる攻防をわかりやすく解説する予定である。また、城跡を案内するガイドたちの拠点としても活用する。

 箕輪城は永正9年(1512)に西上野を支配した戦国武将長野業尚によって築城されたといわれ、大規模な空堀をめぐらせた平山城である。しかしながら永禄9年(1566)には甲斐の武田信玄に攻められ、落城している。天正10年(1582)にその武田氏が織田信長によって滅ぼされ、続いて本能寺で信長が倒れると、相模の北条氏が奪った。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐で開城し、徳川家康の関東移封にともなって井伊直政が城主となった。しかしながら慶長3年(1598)に直政が高崎城に移るとともに廃城となった。

▼箕輪城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www65.tok2.com/home2/yogokun/minowams.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Gunma/Minowa/index.htm
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-4-4-siro-MINOWA.html


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(3)村中城(佐賀県佐賀市):内堀とみられる遺構が出土
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 戦国大名龍造寺隆信の居城だった村中城の発掘調査を行っている佐賀市教育委員会は、村中城の関連大型建物遺構近くから、同時代の堀跡が出土したと発表した。堀跡は幅7m×深さ4mの規模で、内堀と考えられている。

 5月に確認された大型掘立柱建物遺構とともに、村中城の内郭を形成しているものとみられる。城の中枢機能を担った堀の内側には館群が広がっていたと推定され、今回の出土でその可能性が高まったと同市教育委員会ではみている。

 龍造寺隆信は戦国末期に薩摩の島津氏や豊後の大友氏とともに九州を代表する戦国大名で、耳川の戦いで大友氏が島津氏に敗れると筑前、筑後、肥後や豊前にまで勢力を伸ばした。天正12年(1578)に有馬晴信が離反すると、有馬・島津連合軍との沖田畷の戦いで討ち死にする。領国は重臣の鍋島直茂が引き継ぎ、直茂・勝茂親子によって村中城を拡張して佐賀城としている。

▼村中城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.ne.jp/asahi/kokura/mcqueen/new_page_346.htm

▼佐賀城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage2.nifty.com/yogo1394/kyushu/sagasi.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/saga.htm
 http://www.geocities.jp/ikomai4koku9syu/saga/saga.html


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(4)姫路城(兵庫県姫路市):市立動物園は今後10年間は現行どおり運営
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 特別史跡・姫路城内にあって「お城の中の動物園」として親しまれている姫路市立動物園について、姫路市では今後10年間は現在の場所で運営を続ける方針を明らかにした。ただし姫路城跡整備のためには今後約20年以内に移転しなくてはならず、平成33年(2021)以降の移転に向けて方針を来年度中に作成する。

 姫路市では特別史跡姫路城跡の保存と活用を図る基となる「特別史跡姫路城跡整備基本計画」を本年度中に策定する予定で、動物園を含む城の内曲輪は近世城郭の保存を基調に城郭の姿の保存や復元を図る方針である。大正末期から昭和初期に旧陸軍によって埋められた内堀や職人が作業した作事場出丸の復元などを目指して、調査研究を行う。

 しかしながら、このための調査や試掘などには時間を要することと、動物園の移転候補地の検討や市民の合意形成が必要となるため、計画の対象期間である平成23年(2011)から平成32年(2020)までは現行どおりに運営することとした。

▼姫路城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/←姫路市の公式サイト
 http://www.himeji-castle.gr.jp/
 http://www.himeji.jp/


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(5)中津城(大分県中津市):市の買い取り不調で再度一般向けに売り出しへ
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 中津城は平成19年(2007)に一般に売りに出され、中津市が買い取ることとなっていた。しかしながら金銭面での折り合いがつかず、再度一般に売り出されることとなった。中津市が1億3900万円を提示したのに対し、中津城を所有する中津勧業は当初1億9600万円を示していた。その後1億5000万円まで歩み寄ったが、中津市は議会の同意が得られないとして購入を断念した。

 中津城は豊臣秀吉に仕えた黒田如水が天正15年(1587)に築城を開始し、元和7年(1621)に細川氏によって完成した。九州ではもっとも古い近世城郭と言われている。細川氏の熊本転封により小笠原氏が入ったが、享保2年(1717)に奥平昌成が10万石で入り明治維新まで奥平家の居城となった。

 廃藩置県後に福沢諭吉の建言で御殿を残して建造物は破却され、明治10年(1877)の西南戦争で御殿も焼失している。昭和39年(1964)に旧藩主奥平家が中心となり、市民らの寄付をあわせて模擬天守が建造された。実際に天守が建てられていたかどうかは不明だが、建てられなかったという説が有力である。

▼中津城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city-nakatsu.jp/modules/kankou/index.php?id=67
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/nakatu.htm
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/kyushu/nakatu/nakatu.htm


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(6)本の紹介:村人の城・戦国大名の城 北条氏照の領国支配と城郭
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 城というと戦国大名に代表される地域領主のもの、とどうしても考えがちです。確かにそうした大名たちの合戦舞台ともなり、その争奪戦には多くのドラマがあります。しかし地域住民あっての城であり、城の周囲には多くの農民などが住んでいたことを忘れてはなりません。いざ攻城戦となったときに、そうした人たちはどうしたのでしょうか。そのような疑問に一つの回答を与えてくれるのが本書であり、城というのは領主や武士たちだけのものではないとも教えてくれます。
 関東の城巡りをしていると、「天正18年に落城(あるいは廃城)」という説明を多く見かけます。もちろん天正18年というのは、豊臣秀吉による小田原攻めです。滝山城や八王子城といった小田原北条氏を代表する城郭を例に、こうした城には地域住民を避難させる場所があるとともに、そのような役割も持っていたと解説しています。本書を読むと、これまでの戦国の城とは違った側面を知ることとなります。そのような意味で、本書をお薦めいたします。

 書 名:村人の城・戦国大名の城 北条氏照の領国支配と城郭
 著 者:中田 正光
 出版社:洋泉社
 価 格:882(税込み)
 ISBN :978-4-86248-545-8
 内 容:はじめに
     1 北条氏の領国支配と氏照の「地域国家」支配
     2 聖なる城・氏照の拠点滝山城
     3 境目の番城・「滝の城」と郷村支配
     4 年貢米の保管場所・沢山城と江ノ島
     5 甲武国境を守る檜原村の武装集団
     6 甲武国境の逃亡者の「たまり場」
     7 境目の城・津久井城と三増峠合戦
     8 氏照はなぜ八王子城へ移転したのか
     9 城と避難場所、そして疫病への恐怖
     10 地域国家建設の夢破れる
     参考文献
     おわりに

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