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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース第224号】2010/05/31(Mon)

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 毎週月曜日に配信される『城郭ニュース第224号』を転載します。

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【城郭ニュース 第224号】2010/05/31(Mon)

====================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

 5月21日に開催された国の文化財審議会で、何ヵ所かについて新たに史跡などに指定するように答申がされました。今週号に書きましたように、城郭関係では白河小峰城と下関前田台場が答申されています。また堀越城も指定区域を拡大するように、答申されています。城郭ではないので以下には取り上げていませんが、熊本県熊本市川尻の米蔵跡と船着場も答申されました。このうち船着場は加藤清正の時代に築造され、船荷の積み降ろしに使われた石段が残っているようです。また米蔵は当時9棟あったとされているが、現在は幕末に作られた外城蔵2棟が残っているとのことです。江戸時代には軍港の役割も果たし、上流域からは年貢米が運び込まれて、大坂の蔵屋敷に送られたようです。こうした遺構も指定されるのは、喜ばしい限りです。ところで、一部の新聞などでは今回の答申を持って指定されたと書いていますが、明らかな誤りです。今後地権者の同意など地元との調整を済ませて官報に告示されて、初めて指定となります。ですので早くても3ヶ月程度要しますし、スムーズに行かない場合には年単位でかかる場合もあります。

 もう一つ、別な話題です。今月27日から29日まで、岡山市で第53回日本糖尿病学会が開催されました。開催地の岡山市では、糖尿病の予防・治療を啓発するシンボルカラーで、岡山城天守をライトアップしました。こうした催しは、是非ともほかのところでも積極的にやってもらいたいものです。


◆今週の目次◆
(1)白河小峰城(福島県白河市):国史跡に指定するように文化財審議会が答申
(2)下関前田台場(山口県下関市):国史跡に指定するように文化財審議会が答申
(3)堀越城(青森県弘前市):北郭などを国史跡に追加指定するように文化審が答申
(4)村中城(佐賀県佐賀市):これまで不明だった村中城の遺構を確認
(5)舘山城(山形県米沢市):伊達政宗米沢時代の本拠の可能性を調査


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(1)白河小峰城(福島県白河市):国史跡に指定するように文化財審議会が答申
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 5月21日に開催された文化審議会で、白河小峰城を国史跡に指定するように答申された。

 小峰城は天守が本格的な木造建築で復元されていることでよく知られているが、初めて築城されたのは南北朝期にまで遡る。14世紀中頃に結城親朝によって築城されたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による奥州仕置きによって、白河結城氏は改易される。江戸時代となった寛永6年(1629)に幕命によって、丹羽長重が城郭の大改築を行い、ほぼ現在残る形となった。城郭は本丸や二の丸などを総石垣で固めるなど、石垣を多用した平山城である。

 慶応4年(1868)に戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となったため、大半を焼失して落城している。

▼白河小峰城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.shirakawa.ne.jp/~kyokai/siro/←白河市の公式サイト
 http://homepage3.nifty.com/otakeya/ouu/sirakawasi.htm
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-2-2-siro-KOMINE.html


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(2)下関前田台場(山口県下関市):国史跡に指定するように文化財審議会が答申
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 下関市前田にある下関前田台場を国の史跡に指定するように、5月21日に開催された文化財審議会で答申された。前田台場は長州藩が外国の連合艦隊に破れた下関戦争の際に使われた砲台で、山口県や山口市が世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺跡群」の一つでもある。幕末期に攘夷を強行に唱えた長州藩が、諸外国の攻撃に備えて彦島から長府にかけて築いた約20カ所の台場の一つである。

 文久2年(1863)に築造された低台場(標高10m)とその翌年の高台場(同16m)からなり、当時の形状をほぼ残している点が評価された。長州藩はこれらの台場から関門海峡を通過する外国艦船を砲撃したが、英仏米欄四国の連合艦隊に攻撃され大敗している。この敗戦により攘夷から開国へ主張を大きく変え、その後の日本の近代化に大きな役割を果たしたとされる。

 県や市は近代化産業遺跡群として軍艦島(長崎県)や三池炭坑(福岡・熊本県)などとともに世界遺産登録を目指しており、山口市ではこの台場の大部分を所有する中国電力から買い上げて管理する方針である。

▼前田台場については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.hb.pei.jp/shiro/nagato/maeda-ochaya-daiba/
 http://www17.big.or.jp/~castles/20070107/maedaochaya.html
 http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/kanmon3.htm


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(3)堀越城(青森県弘前市):北郭などを国史跡に追加指定するように文化審が答申
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 現在国史跡に指定されている「史跡津軽氏城跡」のうち、堀越城北側一帯を国史跡に追加指定するように文化財審議会が答申した。昭和27年(1952)に弘前城が国史跡に指定されたあと、昭和60年(1985)に堀越城が追加指定されると史跡名称が「津軽氏城跡」に変更された。さらに平成14年(2002)には、鰺ヶ沢町の種里城も追加指定となっている。

 今回追加指定するように答申された部分はすでに指定されている堀越城の北側で、北郭と堀跡の一部があったとされている。約9割が民有地であるが、地権者の了解が得られたとして今回追加指定の答申が出された。

 堀越城は津軽為信が津軽地方統一の過程で、周辺の城を攻略する拠点にしたとされている。文禄3年(1594)にそれまでの大浦城から津軽氏の本拠となったが、慶長16年(1611)に弘前城完成とともにその役割を終えている。平成10年(1998)から行われた史跡整備に向けた発掘調査で、地下遺構が良好な状態で残っていることが確認された。弘前藩確立期の城館構造をとどめている点からも、重要な城跡となっている。

▼堀越城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/tohoku/aomori/horikosi.html
 http://www.geocities.jp/shiro20051212/Horikoshi-Jo.html
 http://joukan-tamashy.web.infoseek.co.jp/joukan/aomori/horikoshi/horikoshi.html


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(4)村中城(佐賀県佐賀市):これまで不明だった村中城の遺構を確認
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 戦国時代に肥前東部の国人から九州北西部を支配する戦国大名にまで成長した龍造寺氏の居城であった村中城のものとみられる遺構が佐賀城西の御門橋の東側で見つかったと、佐賀市教育委員会が発表するとともに公開した。

 同教育委員会では今年2月から発掘調査を行い、柱穴とみられる直径約55cmの穴25個を確認した。同時に16世紀後半のものとみられる備前焼のすり鉢や高麗青磁の破片、祭司に用いられたとみられる器も見つかった。穴の感覚が約2mと等間隔なので、それなりの地位の人の建物があったと同市教育委員会では考えている。

 現在の佐賀城は鍋島氏によって村中城を基礎に強化したものであることと、遺物の年代から龍造寺氏の村中城の遺構と推測された。村中城についてはこれまで遺構が確認されておらず、今後村中城の研究を進めていく上で貴重な発見という。

▼村中城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.ne.jp/asahi/kokura/mcqueen/new_page_346.htm

▼佐賀城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage2.nifty.com/yogo1394/kyushu/sagasi.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/saga.htm
 http://www.geocities.jp/ikomai4koku9syu/saga/saga.html


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(5)舘山城(山形県米沢市):伊達政宗米沢時代の本拠の可能性を調査
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 伊達政宗が天正19年(1591)まで支配していた米沢時代に本拠にしていた可能性がある舘山城について、その真偽を確認するために米沢市教育委員会は6月から現地調査を行うこととなった。舘山城の城域は約28万平米あり、今後3年間で約5千万円をかけて調査する予定である。初年度の今年は二の丸および三の丸に相当すると考えられる周へ地域の調査から始めることとし、まず城跡南側の9万平米について測量と発掘を行う。

 一般的には現在上杉神社のある米沢城が上杉家と同様に伊達氏の本拠だったと考えられているが、同市教育委員会は平成13年(2001)の調査で、舘山城北側に伊達氏時代のものと思われる16世紀の大きな武家屋敷群の遺構を確認している。米沢城と舘山城との使い分けを決定的に示す史料はないが、屋敷群が共存する大規模な山城は全国的にも珍しく、同市教育委員会では舘山城が本拠だった可能性が高いとみている。

 江戸時代を通じて米沢は上杉氏によって治められていたため、今でも上杉氏のご当地という意識が強い。天正19年(1591)の葛西大崎一揆の後始末によって岩出山城に居城を移すまで伊達氏は米沢を本拠としていたが、市内には関連の史跡が乏しく、あまり脚光を浴びることもない。安部市長は「米沢は上杉一色ではなく、伊達家のことも頭にある。政宗を押し出した街づくりをしない理由はない」と意欲を見せている。将来は舘山城を歴史公園として整備し、上杉神社に並ぶ観光名所にしたい考えもあるようである。

▼舘山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www3.omn.ne.jp/~imanari/tateyama.html
 http://atenzasports23z.blog.so-net.ne.jp/2009-07-03
 http://sengoku.oki-tama.jp/m/?p=log&l=102667&c=943


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