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ミロクの世に生きる101の方法コミュの交通ルールを破ろう。

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ミロクの世に生きる101の方法目次
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72041751&comm_id=4650196




今年の夏の話です。
カミさんが運転する車の、助手席に私の母が乗り、私は後ろ座席で高速道路の入口でETCのゲートをくぐったところで、待ち構えた白バイに止められました。後部座席のシートベルト着用違反だそうです。
私はそんな交通法規改正を全く知らず非常に不服でしたが、カミさんは平均的な思想の持ち主ですので、白バイに言われるままに免許を差し出し、違反切符を切られたのでした。
もしも、その時私が運転していたなら猛然と抗議していたところです。
あちらの都合で勝手に改変した法規を、知らないということが違反行為に当たるのか。
そして、車は高速道路の敷地内には確かに入りましたが、高速運転を開始したという状況では、その時点ではありませんでした。高速運転の状況下における違反行為であるはずなのに、高速道路の敷地内に入ったという時点で10mも移動していない矢先に、「警官はい一丁上がり!」みたいな止められ方をして。これではまるで罠にはまった獣のようではないですか。

というか、そもそもシートベルトを着用しないという行為を違反とする根拠がわかりません。

警官高速道路では後部座席も危険だからシートベルトをしましょう。

というのは忠告です。「警官あなたの身を思って言うのですよ」という立場のもとに出された提案です。
忠告や提案に耳を貸す・貸さないは、私たち個人の自由あるいは権利の範疇に属する選択ではないでしょうか。
このシートベルト着用違反は、

警官警察の忠告に従わないものは違反者である。

と言っているようなものです。
警察の忠告とはそのような絶対遵守的なものなのでしょうか。
私たちは、知らず知らずのうちに、

あせあせケーサツの命令は絶対服従なのさ

と、思い込まされてはいないでしょうか。
それは正しい判断でしょうか。
もしも、私たちが、

考えてる顔あそこの路地は、自動車の通行量がごくわずかで、混雑など一度もなかったところです。ところが、信号機を取り付けてからは、かえって車が渋滞しています。社会的利益のために、あの信号を撤去すべきです。

などといった忠告を警察に言ったとしたら、警察は「警官忠告アリガトー」といって従うでしょうか。
というか、市民が行政になにか要望するときには、議員にかけ合ったり、署名を集めたりと、何かと骨の折れるものです。
たとえ、複数の議員に賛同してもらい署名をたくさん集めたところで、その要望が受け入れられるとは限りません。
そんなにも通りにくい私たち市民の要望とは対照的に、交通法規がどんどんどんどん厳しくなっていくことに関しては、何故かすらすらすらすら進行していきます。

綾小路麗華それってなんかへん。

作業員オレらのための交通ルールのはずじゃね?

おじいさん国民全員に影響する交通ルールを、国民の同意もなしに勝手に変えていいのか?

ディーコンいったい誰が勝手にあれこれ変えてんだ?責任者出せ〜〜!

ってなふうに思いませんか。

あせあせだって、俺たちシガナイ庶民だもん。命令には絶対服従。

って、あなたは言うでしょうか。
それって、民主主義と言えますか。
もし、民主主義的手続きを踏むとするならば、

警官高速道路走行時の事故における人身の保護のため、後部座席のシートベルト着用を義務付けるかどうか、国民投票によって決定しましょう

などという前もっての提案がなされてしかるべきです。
私が思うに、シートベルト着用の義務化に賛成する国民はさほど多くないように感じます。例えば、このページ。↓

http://okwave.jp/qa/q3100356.html

私の知人の中でも、着用義務を必要だという意見の方はほとんど見つかりません。
つまり、交通法規の改正を民主主義手続きを踏んで議論するとしたら、シートベルト着用の義務化は反対多数で否決される可能性が非常に高いといえます。

なおかつ、シートベルト着用の取締は、警察の本来の役割を逸脱しています。
警察の本来の役割とはなんでしょう。

ピースケ悪い人や社会に迷惑をかける人を捕まえるんだよ。

ってなはずではなかったでしょうか?
私が後部座席でシートベルトをしなかったことによって、一体どのような社会的利益の損失があったでしょうか。
ましてや、ただ私を乗せて運転していただけのカミさんが、何か社会に迷惑をかけたのでしょうか。
私の行為に何かしら罪らしきものが存在するとしたら、それはある立場的な見方によってです。
それは、

人影私の決めたことを守らなかった罰だ。

という意見を持つ立場人影から見た場合にのみ、そしてその立場人影の決定は遵守する義務があるという国民的同意がある場合においてのみ、私に罪があるといえるでしょう。
この立場人影とは、一体何者?
それはあなたですか?それともあなたの知り合い?

人影シートベルトをしない奴は悪人だ

と考える立場人影って、いったい具体的に誰?
そして、いつ私たち国民は、決定違反者は罰してもいいなどという特権を、誰か特定の存在に与えたのでしょうか?少なくとも、私には全く身に覚えはありません。
ということはつまり、「決定違反者は罰してもいいという特権を保持していると勘違いした者人影」が、警察に命令し、私たち国民を罪人扱いしているということになります。
いったい誰よ?
政治家?
警視ソーカンとかいう人?



さらにもう一言付け加えるならば、警察のやり方は卑劣です。
陰に隠れて私たちの不意を突くとは、まるでゲリラです。

スッパマン武士なら武士らしく、正々堂々と勝負しろ。

ってなことを、時代劇やらではしょっちゅう言ってるくせに、私たち国民を守る立場の警察が、そんな卑劣な手口で権力を行使して、それで国民の模範となれるのですか?
警察の皆さんにとって私たち国民は敵ですか?
そんな奇襲をかけてまで捕まえるような憎き存在なのですか?
道徳的にあなたがたは汚い。
あなたがたは恥を知っているのですか?
恥を知るならば、ネズミ捕り検挙は金輪際やめるべきです。




さて。そんな警察の横暴ともいえる交通取り締まりですが、罰金の支払いをとことん拒否したら一体どのようになるのでしょうか。
そういったことはとんと無知な私ですが、理不尽な罰金に応じるつもりはありません。
というのも、もう半年も前のことですが、うちの前に車を停めて、部屋で用事を済ませて戻ってみると、駐車違反の紙が貼ってありました。
私が停めていた間に道路が混雑したなどということはありませんでした。
自分の家の前に車を停める自由もままならないなんて、そこまで潤いのない社会にしてしまっていいのでしょうか。
紙には、罰金支払いに応じなければ車検を受けられないと書いてありました。
この罰金を払わないでいたらどうなるだろう?
私にはわかりません。
でも、もし車検の時期が来て、車検を拒否されるようなことがあったら、裁判に打って出ようかなと思っています。
不服申し立てがど〜たらこ〜たらという文言もありました。
とにかく私は、

ダンサーあんたらさ〜〜、自分らの勝手な取り決めで世の中全て治まると思ってるようだけど、国民がいつも黙って従うと思ったら大間違いだ〜〜!

という思いを、態度で表明する覚悟です。
しかも、私のもとへはまだ罰金の振込用紙がまだ届いていません。
車は母親の所有なので、警察は母のもとへ送り、そのまま母はどっかへなくしちゃった。
そんな不手際な手続き、わざわざ付き合うつもりはありません。



私はみなさんも、そんな機会に出会ったら、罰金拒否するべきだと思います。

あせあせ法を破るなんて、そんな大それたことヨ〜シマセン。

ってあなたは言うかもしれません。
でも、だったら、世の中の不都合はどうやって修正したらいいんでしょう?

男性そのための政治、そのための政治家じゃないか。

という正論はあるでしょう。
しかし、実際、それで世の中変わりますか?
政治家は毎年毎年あれこれ議論しているのに、何一つ世の中良くなっていません。そこに何の期待が持てるのですか?
私は全く政治に期待していません。
世の中は政治などでは変わりません。
世の中は、私たち一人ひとりの意思によって変わるんです。
意思は、言葉にすること、態度で示すことによって、力を持ちます。
ガンジーやキング牧師は、身勝手な政治決定を非暴力な行動によって改めさせました。非暴力直接行動といいます。
不当な罰金には応じない。これは立派な非暴力直接行動だと、私は考えます。
同時にこれが私が選挙で投票してはいけないと考える最大の理由です。
投票に参加しないことによって、現行の政治制度を支持しないという明確な意思表示をするわけです。
仮に今回の選挙が投票率10%程度だったら、国民のわずか一割しか政治に賛成していないということと同等の意味を持つということです。
国民の9割が賛同しない政治が決めた交通法規など、私たちに強制する正当性を持ちません。
いつか必ず、そんな政治的あぶれ者の意見がまかり通る時代が来ると、私は考えます。
現行政治家たちの決めた交通ルールに不満があるのなら、ぜひ投票所へは行かないでください。
目指せ!投票率0%!



果たして、

ダンサー捕まえられたって、金は払わね〜〜よ!

↑こういう人を警察はどう扱うんでしょう。
いつまでも逮捕拘留しておくんでしょうか。
世の中、↑こういう人ばっかりだったら、警察もこれまでの態度ではいられなくなるでしょう。
別に守るべき地位も名誉もない、金もない職もない、そんな人が警察に逮捕されたって、なにも失うものはありません。
むしろ、警察の方が取り扱いに困るはずです。

警官お前にタダメシ食わせるために、警察はあるんじゃないんだよ。

こう言われたらしめたものです。
失業者の皆さん。定年退職者の皆さん。警察の罰金は踏み倒しましょう。




とはいえ、自分の車でひどい交通渋滞を招いたという状況が起こったのであれば、社会に謝罪する必要はあるかもしれません。
でも、引越会社の大きなトラックが30分停っても、渋滞が起きることがないような場所で、私の普通車が社会に迷惑をかけることなどほとんどありえません。

警官ほんの少しでも可能性があるなら、取締の対象となる。

ってなことを警察は言うかもしれません。
でも、そんな小さな確率が、不便を強いられ、ともすればガソリンと駐車代をかけて車を移動しなければならなくなるという社会的損失を正当化する理由となるでしょうか。
というか、自分の家でちょっとした用事を済ませることに、何でそんなにあせってそわそわしなければならないのでしょうか。
そんなに固苦しい社会を私たちは望んでいたのでしょうか。
私たちはもっと融通の効く、無駄のない、知恵のあるまちづくりを望んでいたのではないでしょうか。
一般大衆はお上のお達しに従うのが当たり前という認識に、もっと疑問を感じてもいいのではないでしょうか。

行政の祭りで大通りが出し物で通行制限されていた時、私は自転車に乗って帰宅の途中でした。

警官そこの自転車、降りて通行しなさい。

高飛車なオマワリの態度に私はかち〜〜んときました。
市民の共有財産である大通りを行政の都合で専有して、私は遠回りを強いられた上に自転車を押して歩けというのです。

ダンサーやかましい!そっちの都合を押し付けるんじゃね〜〜!

と言ってやりました。
言うべきことは言ってやったほうがいいんじゃないかと、私は考えます。




交通ルールにはあまりにも不合理な法規が多すぎます。
たとえば、緩やかな降り車線で遠くまで見晴らしのきくような道路は、黙っててもスピードが速くなり、それによるリスクも少ない場所です。
そんな場所に速度制限があるのは、化石燃料の枯渇が危惧され、排ガスの環境問題が叫ばれる現代において、合理的とは言えません。
何のために自動車は最高速度が100キロ以上あるのでしょうか?目的地に早く到着するためじゃないのでしょうか?安全な高スピードは道徳的に全く悪ではない。むしろ利便性のいい性能を存分に使わせない法規にこそ悪があると考えます。
それとか、他に車が一台もないのに、赤信号で停められている時。信号守っている自分があほらし。ケースに応じて赤信号の発車は認めるべきです。
そんな不合理を忍従する風潮こそが、社会を不合理なまま存続させる元凶なのです。
そこをまず、皆さん一人ひとりが気づき、変えていく意志を持つことが必要です。



そしてもう一つ、みなさん自身の心の問題、生き方の問題として、警察権力に徹頭徹尾服従するのは決していいことではないと思います。
「ミロクの世に生きる101の方法」シリーズではもう何度も書いていますが、社会規則や常識観のの押しつけやにあまりにも従順すぎると、自分の意思というものを活用できない人々、つまり、ご長寿ロボットランナーになってしまいます。
ご長寿ロボットランナーにならないために、今この時から、間違ったことは間違っている、おかしいことはおかしいと言える、そしてそれを行動で示せる度胸をつけていかないといけません。
幽界おばけから逃れ、ミロク橋を渡るには、そんな決意は欠かせないのです。
喜びに生きるミロク日の出人の生き方は、幽界おばけにつながれたご長寿ロボットランナーの方々にとって、忌々しさを感じさせるものです。そんな態度に臆してはいけません。
強く清らかな意志をしっかりと心の中心に据え、あなたをご長寿ロボットランナー化する全ての事々と決別しましょう。
さあ、その手始めとして、みなさんに課題を。


赤信号で車の通行がないときは、待ってないでさっさと渡りましょう。

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