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ミロクの世に生きる101の方法コミュの岩戸開き

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ミロクの世に生きる101の方法目次
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72041751&comm_id=4650196



ひふみ神示には、これまで世界は五度の岩戸閉めを経験したとあります。
それら五度の岩戸閉めには、それそれなにか象徴するものがあるのではないか、私にはそのように思えます。
そんな私の勝手で大胆な解釈を述べてみましょう。

富士山岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。


イザナギ・イザナミの夫婦神が別れ別れになったことが第一の岩戸閉めなのだそうです。
これが象徴するものは、やはり男女関係の歪みではないでしょうか。
そもそも、男と女の関係には優劣はなく、とことん対等なものであったはずです。
それが、女神が黄泉国に入り、男系社会が始まった。これが、人類の霊的成長に多大な障害をもたらしたということでしょうか。
「十の卵を八つ生んで二つ残して行かれた」とは、現代文明の不調和を象徴した表現なのでしょう。ミロクの世には、これまでの時間や計算の目盛が一新されるといったことが、どこに書かれていました。夫神と妻神が再開することで、調和のとれた完成された世界が実現するということかもしれません。


富士山次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

天照大神とは太陽神です。太陽の神が岩戸に隠れたというのは、霊的・宇宙的な精神・法則・摂理といったものが、正しく扱われなくなったことを示すのではないでしょうか。
ダマシタ神とは、偽の太陽神、つまり人類が独自に作り上げた法則学である科学を示します。中でも象徴的なのが原子力です。
人間が宇宙の法則を軽視し、自分たちの力だけで新たな摂理を生み出すことができると、おごり高ぶったことを、この逸話は象徴しているのではないかと思います。
原子力が人類最大の重荷となった現代、真の法則が息を吹き返す。この件は、それを象徴しているものと思われます。
南米のマチュピチュのあたりでは、古来からの太陽信仰が今も息づいています。
朝日とともに目覚め、夜明けの太陽を拝み、夕日に一日の感謝を捧げる、そんな生活習慣が復活することでしょう。


富士山次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。


素盞鳴命、スサノオノミコトは土なのだと、ひふみ神示の別の箇所に書かれています。つまり、素盞鳴命が象徴するものは大地、地球、自然、そういったものです。
人類は自然環境を遠ざけ人工のもので周囲を固めることをもって、文明化だと称します。
ところが、それによって知らず知らずに健康を害し、寿命を縮め、中身のない外見社会の中で苦しみを周囲から隠しながら、人々は生活しています。
3・11震災は、そんな人類の無力を骨身にしみて感じさせる霊的・神的なイベントでした。
自然を軽視し、ぞんざいに扱ってきた人類は、今後土にうもれて生きることを余儀なくされます。
素盞鳴命の復活は、人類によって汚されてしまった自然環境の復活です。それは人間の目からすれば、非常に強引に思えるものかもしれません。大地は人々に自然への回帰を呼びかけています。





富士山神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。

これは、人類の心に霊性を否定する気持ちが宿ったことを示すのかもしれません。
目に見えるものしか信じなくなった人類を統治するために、現神人として姿を現した神武天皇ですが、天皇家の系譜は時代とともに汚され、神としての威光は今や全く感じられません。天皇が現代医療にかかるようでは、世も末だということでしょう。
ミロクの世では、人が神となるといいます。
私は、神の定理を、「心から願うことを実現させることができる存在」だと考えます。
ジョン・レノンは、歌謡の世界で初めて神性を開いてみせた人です。
「あなたは僕を空想家だというけれど、それは僕ひとりじゃないんだ。いつかみんながそう思うようになる」
これは、人類に対する偉大な予言であり、世界はその方向に日々進んでいます。





富士山仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。

これは、人間独自の信仰が広まったことを示します。
人類は、お釈迦様やイエス・キリストが信じていたものにはフォーカスせず、お釈迦様自身、キリスト本人を神として崇めるようになりました。
これにより、それぞれの勝手な解釈で人々を手懐けることが可能となり、声の大きい者・目立つ者が正しいという時代が訪れました。


私が思うに、日本だけの大きな岩戸閉めがもうひとつあったと感じます。
それは、明治天皇による、西洋文化の受け入れです。
これを機に、日本は亡者のようにアジア大陸に進出し、残忍な罪を犯すようになっていきました。
ミロクの世には、日本古来の文化が復活するものと考えます。
その代表的なものが大麻文化でしょう。
大麻の覚醒成分は主に雌花に含まれます。これは妻神の復権を表します。そして大地の恩恵でもあり、西洋に押し付けられた法の撤回でもあります。
大麻は、素盞鳴命そのものではないかとさえ思います。
社会がどんどん拘束力を失っていく今、一人ひとりが強い気持ちで世界を刷新していく大きなチャンスです。
ミロクの世を笑って迎えられるように、みなさんもみなさんなりの努力をしていただきたいと思います。

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