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ミロクの世に生きる101の方法コミュの殺しもいじめも、神様的にゃ〜自由です。

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神との対話〈6〉宇宙的な真実について
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=5975583&id=127700


「神との対話普及版〈6〉宇宙的な真実について」を読んだ。
「神様の意思を伝える」っつ〜著者のフィルターとしての能力は、この巻じゃ〜かなり精度の高いもんになっとるな〜っつ〜気がする。記述に関して、おら的に異論を感じる箇所は見当たらなかった。
っつ〜か、ひふみ神示を何度か読み直したおらにとっても、この本は新たな気づきを与えてくれる有用なもんになっとるっつ〜気がするべ〜〜。



ってなわけで、今回は本の内容をおらなりに掘り下げて、少し詳しく書く事にするべ〜〜。
いや〜、最初はそんただつもりはなかったんだども、今回はそんただ形で皆さんに紹介すべきだっつ〜インスピレーションが不意に訪れたもんでよ〜〜。
っつ〜か、この神様は芸術家やら哲学者やら、これまで多くの人方の考え方や作品に、インスピレーションを送ってきたと言っとる。だからきっと、おらのこの心境も、神様から送られてきたもんなんだべな〜〜。
ってなこと言うと、「お前は何様になったつもりだ〜〜!身の程を知れ〜〜!」みたいだお叱りを受けそ〜だども、そんただ考え方自体が、神様を理解しとらん証拠。
おらだは全員、実は神様なんだべ〜〜。ただ、そこに人によって千差万別な障害があるだけで。
障害っつ〜のはたとえば、「自分は神だ」っつ〜事を信じられん人っつ〜のは、「自分は神だということを信じることができない人間」を経験中の神様だっつ〜こと。
んだ、おめはんっつ〜神様はよ〜〜、「自分は神だ」っつ〜実感をいつの日にか強烈に感得するために、「どこをど〜引っくり返して見ても神様の片鱗が全く伺えないよ〜な平凡な人間」として生まれることを、今生に関しては選択したっつ〜ことだべ〜〜。
「おらだは何のために生まれたのか?」っつ〜問に対するこの神様の答えは、「経験するため」なんだと。
んだ、おらだは、喜び、泣き、苦しみ、立ち向かい、克服するといった、ありとあらゆる経験をするために、この世界を作り、それぞれの課題に適した環境に生まれ落ちたんだべ〜〜。
つまりそれが、輪廻転生の正体。↓


晴れ輪廻転生は私の目的にぴったりだ。あなたがたのたび重なる生涯を通して、さらに私が宇宙に置いた何百万もの意識ある被造物を通して、本当の自分を創造し、経験するという目的に。
牡羊座それじゃ、別のところにも生命体がある・・・。
晴れもちろん、あるとも。この巨大な宇宙にいるのがあなたがただけだと、本当に思うか? 


まさにこの部分の対話は、おらがこれまでの人生で、「そ〜だろ〜、そ〜に違いない」と思い続けてきた考えと、バッチシ符合する。
つまり、輪廻転生の本質は、仏教なんかでナーバスに語られる「辛い人生を生きなければならないのは前世のペナルティである」みたいだ、ある種の生き恥みたいだもんじゃ〜決してなくて、「夢を実現するために永久に与えられたチャンス」っつ〜ことなんだべ〜〜。
しかも、宇宙人はみな魂の兄弟だし。



牡羊座生命というのは、本当にいつまでも続くんですね。そうなんでしょう?
晴れもちろん、そうだよ。終わりはない。
牡羊座輪廻転生は事実なんだ。
晴れそうだ。望めばいつでも、死すべきかたちに戻れるよ。「死ぬ」ことができる物質的なかたちに、「戻るかどうか」、「いつ戻るか」、それは自分で決める。



こないだの日記でおらは、自らを老人だ終わった人間だと、枯れていくことを容認した人方は、無理に助力する必要はね〜から、さっさとあの世へ行ってもらえ〜〜!ってなことを書いたども、それもこれもこの「神との対話」の神様が、おらの心にかすかに残る迷いを、キレ〜にとっ払っちまってくれたからなんだべ〜〜。
輪廻転生の法則によって人の魂は永遠に生き続けるならば、そして物質世界の生命体として度々生まれ落ちてくる目的が「経験する」ことにあるとしたならば、世間一般の常識に応じた老いを迎え、枯れ果てて死んでいくのも、そりゃ〜ひとつの経験なんだべ〜〜。病気で死ぬのも経験なら、薬で死ぬのも経験。だからきっと、殺されたり災害や不慮の事故で死ぬのも、それはそれで一つの経験。傍から見てどんたにつまらん人生、厭わしい人生に思えよ〜と、そん人の人生を最終的に決定する権利は、ほかの誰のもんでもね〜わけ。
だから、おらは、おせっかいで助力することは、金輪際やめるかな〜と思っとる。おらの助力を必要としとる人は、自ら進んで縁をつなぐ動きをするはずなんである。加えて、その人によかれと思うどんたな助力も助言も、おら自身が光り輝くっつ〜事以上の説得力を持たね〜んである。
つまりおらが言いたいのは、「人は必ず老いて死ぬ」っつ〜常識の鎖からひとりでも多く自由にしたいんなら、そんただ常識に全く当てはまらね〜「おら」を全身全霊で輝かせる事こそが最も効果的なんだっつ〜こと。ひふみの神様も、人の気持ちを無理に引っ張るなって言っとるし。


牡羊座いつ去るかも自分で決めるんですか?いつ死ぬかを自分で決めるんですか?
晴れどんな魂でも、意思に反した経験が訪れることはない。そもそも不可能なのだ。魂がすべての経験を創造しているのだから。魂に欠けているものはない。すべてを持っている。すべての知恵、すべての知識、すべての力、すべての栄光。魂は、あなたの中で決して眠らず、決して忘れない部分だ。
魂は身体が死ぬことを望むか?いや。魂はあなたが決して死なないことを願っている。だが、身体を離れることはある。身体の形を変えて、物質的な身体のほとんどを残していく。その身体にとどまる目的はもうないと悟った瞬間に。


幼い頃から心に引っかかって、なかなか抜けない空想がある。それは拷問。
悪い奴らが力ずくでおらを支配しよ〜とした時、耐え難い苦痛を与えられた時、おらは笑って命を差し出して、自分の意志を全うできるべが?それとも、口ほどにもなく泣いて命乞いをして、愛する人々を裏切ったりするんだべが?
この空想がいつも心に刺さっとって、映画のシーンなんかで拷問に耐え抜くヒーローなんか見ると、ついつい感情移入しちまう。
ことに、大麻に原発、9条にダム、ことごとく体制に楯突く日々を送るおらにとっちゃ〜、邪悪で見えない大きな力に立ち向かう想像の中でのシミュレーションは、より実感を持って、よりリアルに想像追求してしまいがちなんである。
想像するっつ〜ことが、すなわち、その想像の実現に息吹を吹き込むことになるんだとしたら、そのどちらの経験も、おらが進みゆく人生において実現の可能性が存在するよ〜に思う。
ま〜幸いにもおらの場合、神様の書と出会うことができたわけで、その教えに従って生きる限り、過酷でうんざりするよ〜な経験をするわけがないと信じとる。ミロクの生き方を選んだおらに悲惨な運命は似合わないんである。だから、そんただ経験は起こりえない。

したども、神様の力を信じきれん人にとっちゃ〜ど〜なんだべ?そもそも神様の存在すら考えたことのね〜人にとって。
そんただ人が、テレビのサスペンスやらの殺人シーンを見て震え上がるとする。「殺される」っつ〜経験を強迫観念として抱いた場合、どんどんどんどんその経験を引き寄せちまうっつ〜ことはないもんだべが?
拷問っつ〜空想に対するおらの答えが出せね〜のと同様に、「殺される」っつ〜行為に対するそん人の答えは、宙に浮いたまま、そん人の心を捉えてはなさね〜のかもしれん。



牡羊座自殺は悪いことじゃないんですか。
晴れあなたを満足させるような答えはできないな。なぜなら、問い自体に間違った概念が二つ、含まれているからだ。二つの間違った前提のもとに、二つの誤りがあるからだよ。
第一の間違いは、「正邪」があるという考えだ。第二の間違いは、殺害が可能だということだ。だから、あなたの質問はばらばらになってしまう。
「正邪」というのは、人間の価値システムの哲学的両極であって、究極の真実とは何の関係もない。しかも、あなたがたは、自分にあうように価値観を変化させる。(進化していく存在として、それは当然のことだ)。それなのに、その段階の一歩一歩で、変化なんてさせていない。自分たちの社会が信頼できるのは、中核に変化しない価値観があるからだと主張する。だから、あなたがたの社会は、パラドックスの上に築かれているわけだ。価値観は常に変化しているのに、変化しない価値観、そこにこそ―― 価値があると主張しているわけだから!
現在のあなたの栄光をたたえなさい。だが、昨日のあなたを非難しないこと。明日のあなたを排除しないこと。



人間心によって分け隔てられた「正」と「邪」。そんただもん、宇宙の摂理の前にゃ〜、なんの決定力も行使力も持ってね〜んだと。
だから、たとえ一般社会的な常識に照らして、「喜んで自殺する」あるいは「殺したい」「殺されたい」なんつ〜、適者生存の法則やら道徳やらに反するよ〜な願望は断じてあるわけがないと、科学者やら哲学者やらが息巻いたところで、そこにゃ〜なんの根拠も保証もない。
ある意味、人を殺すっつ〜願望は、殺されるっつ〜願望と諸刃の剣なのかもしれん。
「殺す」「殺される」っつ〜経験を、想像によってどんどんどんどん手繰り寄せちまう人は、たとえ人間心でいくら考えても理解不能であっても、そこに願望、つまり、人間心を超えた魂の欲求が存在するのかもしれん。
「願望」を「好奇心」っつ〜言葉に置き換えたなら、一般常識でモノを考える人にも、多少は頷いていただけるかもしれん。つまり、「殺されるって、どういう気持ち?」って好奇心を刺激する感情には、既に願望の萌芽があるっつ〜こと。



晴れ神の意志に反することは何も起こらない、と言っている。
生命は、そして生命に関する出来事は全て、神の意志(あなたの意思と読み替えてもいい)が現れたのだ。この対話で、あなたの意思は私の意志だといった。「ひとつの私たち」があるだけだからだ。
生命は神の意志が完璧に表現されたものだ。何かが神の意志に反しているとしたら、神の定義からして、それは起こりえない。
ある魂が別の魂について何かを決めることができると思うか?ここの存在としてのあなたがたが、相手の意思に反する方法で影響を及ぼし合うことができると思うか?そんなことを考えるのは、お互いが別々だと思っているからだ。
神が好まないやり方で、生命に影響を及ぼせると思うか?そんなことを考えるのは、私から離れていると思っているからだ。
だが、どちらの考え方も間違っている。宇宙が同意しないやり方で宇宙に影響を及ぼせると考えるのは、計り知れない傲慢だ。



他者に「殺される」っつ〜経験を与えた人っつ〜のは、殺すっつ〜願望を果たす瞬間に、殺される人間の経験をはからずも共有しちまうのかもしれん。「殺す人」と「殺される人」の、魂レベルでの共有関係。それが因果応報の正体なんでね〜べが。
「人生は一度限り」だっつ〜考えを信仰する現代社会においちゃ〜、「殺す」方は一方的なやり得だと思いがちだども、実は人生は何度もあって、野球みたく攻守ところを変えて、「前世じゃ〜あなた殺す役だったから、来世は殺される役ね〜」みたいだサイクルの中に同居しとるのかもしれん。ま〜、これは極端な話。分かりやすく言っとるだけ。
そ〜考えると、「殺す方」も「殺される方」も、ある意味、好きでやっとるっつ〜ことにもなる。「憎しみ」っつ〜裏の喜びに支配されて、強烈な感情をぶつけ合う魂の共有関係に、自ら進んで囚われとるんだから、外野は口出し無用っつ〜こと。世の殺人やら傷害やらいじめやらって、なんかそんただくだらなさを感じちまう。



晴れあなたがたがここで相手にしようとしているのは強い力だ。ところが、最高に強い力よりも自分のほうがさらに強いと思っている者がいる。しかし、それはありえない。しかし、最高に強い力よりも弱いわけでもない。あなたがたは最高に強い力だ。それ以上でも、それ以下でもない。だから、その力とともにありなさい!
牡羊座すると、当人の許しなしには誰も殺せないとおっしゃるんですか?最高のレベルでは、殺された者は皆、殺されることに同意していると、そうおっしゃるんですか?
晴れあなたは地上の見方で見て、地上の考え方で考えている。話しても、ちんぷんかんぷんだろう。



もしも、因果応報から自由でいる、つまり、自分の行為による報復を一切受けずにいられる人がおるとするならば、それは、何を行為しても感情の波がさざめくことがなく、全く無感動に後悔も憐れみもなく、やってしまうことができる人なんだと思う。
でもそれって、「生きた」あるいは「経験した」っつ〜ことになるんだべが?
まさにこれが、ドフトエフスキーが小説「罪と罰」で追求したテーマなんだども、「経験する」、つまり「行為の報復を感情に刻み付ける」のが命の目的だとすれば、因果応報を回避できる命(体験していながら全く感情に刻まない人)にゃ〜、存在する意義がないっつ〜ことになる。
存在する意義を持たない命は、わざわざ重力に従って苦労せねばならん現世に、生まれ出る理由を持たない。だから、そんな命は現世にゃ〜存在しね〜んだと、おらは思う。
むしろ、人は因果応報や輪廻転生を体験するために、わざわざこの世にやってくるんでね〜べが。
そんただ経験を超越した状態が、御釈迦さんが言うニルヴァーナなんだと。それは、魂の意識段階の最も高いレベルなんだそ〜な。この世を卒業した状態っつ〜感じかの〜〜。
だども、まだ人類の大半はそんただ境地には至っとらん。っつ〜か、至っとらんから、この世におるのかもしれん。
して。神様が言うにゃ〜、地球人類は文明の最低ランクなんだと。っつ〜ことは、むしろ地球っつ〜のは、そんただ最低ランクの感情を比較的強烈に「経験する」ためにこそ存在する星なのかもしれん。



牡羊座「地上の考え方」で考えるほかないじゃありませんか。私は今ここに、地上にいるんです!
晴れいいかな。あなたは「この世界にいるが、この世界のものではない」。
牡羊座それじゃ、地上の現実はぜんぜん現実ではないんですか?
晴れ本当に現実だと思うか?
牡羊座わかりません。
晴れ「何かもっと大きなことが起こっている」と感じたことはないかな?それを、説明しているのだよ。



大麻やら瞑想やらで覚醒体験をしたことがある人なら、「何かもっと大きなことが起こっている」っつ〜言葉の意味を、なんとなく理解できるかもしれん。
もしもそこに、「あいつを殺してやりたい!」とかって怒りまくっとる人がおって、「まあまあ落ち着いて、一服しれ〜〜」と大麻を吸わせたりすると、す〜〜っと怒りの感情から自由になれたりする。怒りを客観的に見つめることができるよ〜になるんである。さっきまで、それだけが現実だと思い込んどった事柄が、全然くだらんちっぽけな心の想像空間だっつ〜ことにはたと気づく瞬間。
「殺す」「殺される」みたいだ感情の渦中で右往左往するのも自分の感情の一部なら、右往左往する自分を見下ろして、「ばかだな〜〜」とか「かわいい奴だの〜〜」とかって、人ごとみたいに評価するのも、また自分の一部。そんただ全く世界の捉え方の違う自分が心ん中で同居しとったりすんのが、魂の本質なんだべ〜。大麻はそのことを明確に感じさせてくれるべ〜〜。
神様がここで言お〜としとることって、そんただ魂の仕組みのことなんでね〜かって、おらは思う。
神様が言うにゃ〜、魂はすべて上昇を目指しとるんだと。「殺したい」とかっつ〜ちっぽけな感情から脱皮して、もっと大きな高みの意識を目指して日々を生きる。それが魂の本来の姿。
したども、自分が高い意識におるのか低い意識におるのかを推し量るためにゃ〜、比較検討できる「高い意識」と「低い意識」が同居してねばならん。だから、「高い意識」が善なわけでも、「低い意識」が悪なわけでもない。どっちの神さまの御心のうち。予定内。


ってな感じで考えると、もはこんただ日記をわざわざ人に見せる努力すら、ある意味無意味だっつ〜事にもなる。
したども、これがおらなりの神の御用だって思えるうちは、書き続けることにすべ〜〜。
長くなったから、今回はこのへんで。続きはそのうち。



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