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ミロクの世に生きる101の方法コミュの輪廻転生は時空を越えた魂の飛躍である

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こないだの続き
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64913751&comm_id=4650196

前回のおらの「輪廻転生論」に関して、予定調和的希望的観測だっつ〜ご意見をいただいたんで、もう少しこの話題を掘り下げることにすべ〜〜。
さて、この「予定調和的希望的観測だ」っつ〜判断を、この人は何を基準にして行なったんだべが?
つまり、その人の判断力っつ〜もんがどこまで信頼に値すんのか?っつ〜問いかけを、おらはお返ししたいと思う。
大抵の場合、人類がこの手の判断の指標にすんのは「科学」だよな〜。
「科学はどれだけ信頼できるか?」っつ〜部分を、この際じっくり考察してみるのもおもしろいんでね?

「疑似科学」っつ〜思想哲学がある。「一見科学を装ってはいるども、科学と認めるに必要な要件を満たしとらんから、怪しい」と判断する基準をはっきりさせとこ〜っつ〜哲学だな〜。
おらはこの哲学の研究者と随分意見交換をさせていただいた。それが今、おらの大きな糧となっとる。相手をしてくれた人方には心から感謝するべ〜〜。
中でも、「疑似科学と科学の哲学」の著者である伊勢田哲司っつ〜人は、おらとのやりとりの内容公開を快く承諾してくれてよ〜、おらのコミュニティに保存してあるべ〜。↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31045045&comm_id=2055789
ちなみに、菊池誠っつ〜「ニセ科学キャンペーン」で名を売っとる大学教授ともやりとりしてみたども、こっちは親の七光りで世渡りしとるただのボケだべ〜〜。こいつとのやりとりも一応保存しとる。↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42445615&comm_id=2055789


細かい内容はそっちを読んでいただくこととして、おらがそ〜いったやりとりを通して理解したのは、科学っつ〜判断基準が適用できる範囲は非常に限られていて、全く適用不能な事柄もいっぺ〜存在するっつ〜こと。つまり「科学には限界がある」っつ〜ことを痛切に理解したわけ。
たとえば、「科学か否か?」っつ〜判断基準の一つとして、再現性っつ〜のがある。「疑似科学と科学の哲学」からの引用↓

『例えば,通常の科学においては,常温核融合など疑いがある時を除いては実際に再現することはあまり求められない。特に素粒子物理学など大規模な実験施設と大量の予算を必要とする分野ではとても単なる追試のために施設と予算を使う余裕はないので,ある実験結果が再現可能かどうか実際に確かめられることは少ない。また,実験の再現には言葉で書き切れない実験のノウハウが必要なので,公刊された論文の記述だけ見て実験が再現できると思ったら大間違いである。ただし,以上のような点は,再現性にまつわる実際的な問題であって,再現性が原理的には重要であること,疑いがあるものについては実際に再現の試みがなされることまで否定するものではない。』

ここで言わんとすることをおら的に解釈すると、
試験箱みたいな外部から完全に遮断した環境を作って、そん中で繰り返し同じ結果が得られるんなら、それは科学として認めましょうっつ〜言い方はできる。
したども、試験箱っつ〜仕切られた仮想空間がいつ何時も同じ状況を作ることが可能か?といえば、厳密にはありえない。なぜならば、試験材料を封入するために試験箱の蓋を開けるたびに、前回とは違った環境を取り込むことになるから。気温や湿度とかいった目視レベルでそろえることが可能な環境を同一化するのは比較的簡単だとしても、原子とか素粒子とか、そんただ部分まで逐一そろえようとしたら至難の業。だから、科学はどっかで切り捨て・四捨五入をすることになる。
切り捨て・四捨五入が実験結果に作用しない事柄であればいいども、中には四捨五入が大きな影響を及ぼすこともありうる。そんなとき「これは科学である」っつ〜判定を下すのが非常に困難になったりする。
だから、科学っつ〜判断基準には、判定不能エリアが厳然と存在することになる。
判定不能エリアに関して、科学は主張することができない。科学が主張することが可能な指標が存在しね〜わけだから。
したども、「判定不能です」っつ〜まんまで放置すんのは、科学っつ〜権威主義においてはある意味敗北を意味する。そんただ時に持ち出されんのが、先の「疑似科学」っつ〜言い回し。あるいは「非科学」っつ〜場合もあるかもしれん。
ところが、「疑似科学」とか「非科学」っつ〜判定は、科学の実力からして明らかにやり過ぎ。なぜなら、試験環境が作れないっつ〜自らの責任を棚に上げて、その研究または思考実験のほ〜に問題があるっつ〜「責任のなすりつけ」が入り込む余地を与えてしまうから。
「疑似」とか「非」とかっつ〜言い回しがもろにそ〜じゃん。いかにも「科学よりランクが下」みたいな偏見が見え隠れした言い回し。「ニセ科学」にいたっては論外。科学っつ〜権威主義のトラの衣に隠れて言いたい放題、したども中身は化け狐でしかない。

話を元さ戻すべ〜。
誰かがある科学の及ばない事柄に関して、「予定調和的希望的観測だ」という場合、ど〜言い訳しよ〜とも、それはその人の主観でしかない。主観を批判するわけにゃ〜いかない。「おめ。あんな女が好きなのけ?ば〜がだな。」なんて、誰もいえないのと同じ。
科学的判断っつ〜のは、そんくれ〜のレベルで捉えるべきもん。万能からは程遠い。
そんじゃ〜、科学が及ばない事柄を、おらだはど〜やって判断するべきか?っつった時、おらが指標として考えるのは、「筋が通る」とか「辻褄が合う」とかっつ〜ことだべ〜。
だから、「輪廻転生論は予定調和的希望的観測だ」って言われた時、おら的には全く批判に当たらない。むしろ、この人は暗に「筋が通る」に同意しとる可能性もあることになる。将来予定的に調和すりゃ〜何の問題もないんだからして。
だから、おらの輪廻転生論を批判するつもりなら、「(輪廻転生が存在しては)筋が通らない」っつ〜事象を挙げ連ねるべきだべ〜。


話が長くなるんで、「科学と認められていながら全く筋が通らない」っつ〜事例を一つだけ揚げて、今日のところは終わりにするべ〜。
大昔、地球にゃ〜魚竜っつ〜生き物がいたよな〜。生物学の分類では爬虫類に属することになっとる。したども、魚竜は絶滅し、化石でしかその存在を確かめる術はない。
果たして、魚竜っつ〜生命活動は、一切地球から姿を消したのか?
科学は「然り」と答える。クジラっつ〜、魚竜にそっくりな生きもんはおるども、あれは哺乳類だから、地上のカバから適応進化を重ねて、長い長い遺伝子変化の旅を経て、海で生活できるよ〜になったんだと。
したども、「長い長い遺伝子変化の旅」を裏付ける証拠は一切ない。それでいながら、「魚竜はクジラに生まれ変わったのさ〜」なんつ〜ある意味非常に合理的な主張を、科学は採用しない。
その理由は、「機械論的世界観」っつ〜迷信的なオキテがあって、飛躍を一切認めないから。
したども、一旦「飛躍の可能性」を認めてしまえば、地球上の生物の多様化は一気に「筋が通る」。
翼竜っつ〜爬虫類に地球上で最も似ている生物は、鳥類と哺乳類のコウモリである。
両生類であるカエルが舌をびろ〜〜んと飛ばして虫を捕まえるのに一番似ているのは、爬虫類のカメレオンである。
こないだテレビでやっとったども、アフリカの原猿類が海を隔てたマダガスカルにたどり着いたのは、幸運にも流木に乗って荒波を乗り越えたからだそ〜である。
それは幸運にもつがいで子孫繁栄が可能であり、幸運にもさまざまな種属に分化が可能だったんだそ〜な。
だから、今ではマダガスカルの原猿類は80種類以上も分化してるんだそ〜な。
科学に言わせれば、そんたにまどろっこしいんである。
したども、おらに言わせれば、魂(霊的意思)は容易に飛躍する。だから、陸続きでないところでも住みやすい場所があれば、生き物は容易に生息できるんである。
この考えを時間枠を飛躍させて考えれば、かつて生きとった人の魂が未来に甦っても、何の不思議も無いんである。
誰も教えないのに、外国の古い民謡をそらで歌ったとか言葉をしゃべったとか、魂の飛躍を認めれば、容易に謎は解けるんである。


追記

もしかしたら、魚竜とか翼竜とかいう爬虫類の存在は、漸進的進化を信仰する科学の大間違いっつ〜可能性もあるかな?と。
実は、魚竜はもともとクジラの祖先で哺乳類、翼竜は鳥の祖先で最初っから鳥類。それは大いにありうると思う。科学の実力からして。

コメント(1)

新たな意見に対する回答だべ〜〜。


> ”理性あるいは科学以外の領域が存在する” と仮定すると、それが
”なぜいわゆる輪廻転生”とのテーゼが証明される十分条件になるのか?
と聞きたかったのです。

いや〜、おらはそんたら短絡的な主張したつもりはね〜べ〜。
前回の回答でまず最初に示したかったのは、輪廻転生説に対するおめはんの最初のコメント「予定調和的希望的観測だ」に対して、そんただ感想を持つ根本の部分をよくよく考えてみりゃ〜、非常に危ういもんがあるんでね?っつ〜こと。



>それに対して、詩人さんは疑似科学を否定するという議論を持ち出し、
結局のところ、要するに
理性以外の領域を認めると、すなわち輪廻転生が存在するとおっしゃっている
ように、わたしには理解できます。

違うべ〜。まだ、おらは輪廻転生に関しては、本論に到っとらんのよ〜。
輪廻転生を否定する心をまず点検しましょっつ〜こと。
して、点検する際のとりあえずとして、人間の社会思想の基盤ともいえる科学から手を付けてみましょ。ほ〜ら、科学ってこんなに危ういんですよ。っつ〜のが、おらのこれまでの主張のあらすじだべ〜。



>わたしは、世界には理性以外の領域は存在すると感じています。
だから、疑似科学云々の議論には興味はありません。なぜ、明らかなことに
対して、延々と議論しなければならないのかわかりません。

「世界には理性以外の領域は存在する」っつ〜心を多少持っとるぐらいじゃ〜、輪廻転生を肯定する心には到らんよ〜に思う。
少なくとも、「世界には理性以外の領域は存在する!ほれっ目の前に!!」ぐれ〜の、臨場感、リアルな実感を持ってくれんとよ〜。
そのためにまず、これまで科学(社会常識)が疑似科学の名で葬ってきた思想や研究に、正当な可能性を意識してもらうこと。言い換えれば、色眼鏡無しで素直に認めてもらうこと。これは結構重要な作業だとおらは考えるべ〜。
たとえば、因習科学者の認識じゃ〜、超心理学っつ〜分野、予知とかテレパシーとか念力とかいった人間の潜在能力に関する学究、これさえも擬似の部類に入るわけだかんな〜。
言ってみりゃ〜、因習科学とオセロゲームしとるよ〜なもんで、あっちが黒だ(擬似だ)って決め付けたコマを、「いや。白(真実)の可能性十分あるよ〜」ってひっくりなおす作業。
こっから始めるのが、遠近(遠回りのようで近道)かな〜っつ〜こと。




>それで、”世界には理性以外の領域は存在する”とした上で、
あるいは、”人間は脳内活動以外の知覚も可能である”とした上で、
それでなぜ輪廻転生の存在を保障するのか?

よ〜やく本論だな〜。
おらが考えるに、人間の常識では全く説明がつかないが、輪廻転生を前提とすればすんなり説明がつく、っつ〜事例をいくつか揚げることで、保障は可能だと思うべ〜。
つまりは、輪廻転生説によって「辻褄が合う」出来事の羅列っつ〜ことだな〜。



>詩人さんはわたしが、輪廻転生を否定していると考えておられるようですが、
わたしは否定も肯定もしていません。

したども、実感として信じることはできね〜べ?
「予定調和的希望的観測だ」なんつ〜感想を抱くぐれ〜だもんな〜。


ってな回答で満足していただけたかの〜〜?
それでは、輪廻転生説によって「辻褄が合う」出来事を、今思いつくのを一つだけ紹介して、今回の回答の締めくくりとするべ〜。
そんで、この回答も、ブログに転載させていただくんでよろしくね〜。


カッコウっつ〜鳥が托卵するっつ〜話は知っとるよな?
托卵っつ〜のはこれ。↓

えんぴつ 托卵(たくらん)とは、卵の世話を他の個体に托する動物の習性のことである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E5%8D%B5

それでいて、カッコウは渡り鳥でもある。↓

えんぴつ ユーラシア大陸とアフリカで広く繁殖する。日本には夏鳥として5月ごろ飛来する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B3%E3%82%A6

ホオジロだのモズだのヨシキリだのといった、習性がぜんぜん違う親達に育てられたカッコウの雛達が、成長してから示し合わせたよ〜に一斉に会して、一緒の時期に同じ場所に向かって渡りができるのはなぜか?
これを科学や人間の常識で説明すんのは不可能だべ〜。
したども、輪廻転生を当てはめればすんなり説明できる。
カッコウたちは何度も生まれては死んでを繰り返しとるから、生まれながらにしてすでに経験豊かだっつ〜こと。

さて、この解釈に対する明確な反証をできるもんは誰かおるけ?

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