ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ミロクの世に生きる101の方法コミュの信仰なくして幸福はない。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
富士山我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても云ふこときいてやるぞ、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、と申してお願ひすれば、万里先に居ても、この世の荒れ、地震のがらせてやるぞ、神々様に届く行で申せよ。こんなよき世は今迄になかりたのぢゃ、膝元(ひざもと)に居ても言葉ばかりの願ひ聞こえんぞ、口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。時節来てゐるなれど、わからん人民多い故 物事遅くなりて気の毒なるぞ、
ひふみ神示 第14巻 風の巻   第五帖



テレビがね〜からのんびりしとったども、昨日はちまたじゃ〜暴風雨が来る〜〜!って結構騒いどったらし〜〜の〜〜。
昨日の明け方、雨の神様、風の神様が大暴れしとるの見とったら、なんだか無性に外を歩きたくなってよ〜〜、いつもの散歩コース回ってきたべ〜〜。
岩手公園登っていくと、木っつ〜木が全部わさわさっと大揺れしとる。さすがに枝やら幹やらが頭上に降ってきやしね〜べが?と心配になったども、おらは神様が守ってくださる!っつ〜心意気で、いつもの一番高い場所まで行くことにしたんだべ〜〜。

こんただ風雨が荒れ狂う日っつ〜のはよ〜、絶好のサニワ日よりなんだべ〜〜。
サニワっつ〜のは、おのれを突き動かしとる信念、つまりは神様の息が、正しい方向に導く善の息なのか、それともレベルの低いキツネ憑きの類なのか、冷静に検証する行為だべ〜〜。
ここ最近のおらを突き動かしとる神様が善でないならば、おらにはきっと風でめきめきっと折れた木の枝やらが覆いかぶさったりとかいったよくない出来事が降りかかるに違いない。
したども、それが正しいお導きの神様だったら、おらは何事もなく無事に今朝の散歩を終えるはず。
おらは自分の神様をサニワするんだべ〜〜。神様〜〜!おめの正体を見極めるど〜〜!
ってな意気込みで、一歩ずつ登っていったんだべ〜〜。

富士山たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。
五十黙示録 第04巻 竜音の巻 第五帖



したども、公園中の木がわっさわさ音を立てて揺れて幹がしなるのを見ると、さすがのおらも怖くなってくるんだべ〜〜。
普段なら、1〜2人は見かける人影も、今日はなし。
っつ〜か、神様をサニワしたつもりが、サニワが自分に向ってくることに気付いちまうんだべ〜〜。
日記やなんかじゃ〜偉そ〜に、自分は何でもわかっとって正しい道を歩いとる〜よ〜に見せとるども、それってただそんただふ〜に見せかけとるだけでね〜べが?
本当におらは十分の神様の御用を果たしとるっていえるんだべが?
胸に手を当てて考えてみると、あ〜あん時はわりといい加減だったな〜〜みて〜な、自分が必ずしも100%神様の道を歩いとらんよ〜に思えてくる。
こんただおらを神様は別に大切に思っとらんかもしれん。いい機会だから、お灸をすえてやれ〜〜っつ〜感じで、気の幹ががばっとおらの上に被さってきたりするかもしれん。
ってなこと考えると、そのまま登り続けることが、えれ〜無謀な行為に思えてくる。神様を試そ〜なんつ〜大それたことはやめにして、回れ右して家へ引き返そ〜かの〜〜。
でもよ〜〜。そんただことしたら、逆に、へたれ〜〜!おめみて〜〜な役員は用無しじゃ〜〜!って、それこそ電柱でも降って来たりしね〜べが?
こ〜なったらもは、神様を心から信じて、前に向って突き進むしかね〜んだべ〜〜。↓

富士山霊の発動をとめて、静かにする法は「国常立大神(くにとこたちのおおかみ) 守り給へ幸(さき)はへ給へ」と三回くり返すこと。又「素盞鳴大神(すさなるのおおかみ) 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと、又は「太日月地大神(おおひつきくにのおおかみ) 守り給へ幸はへ給へ」と三回くり返すこと。
五十黙示録 第04巻 竜音の巻第十九帖


半ばヤケクソっつ〜感じで、まもりたまえ〜!さきわえたまえ〜!って祈りながら、向かい風に足をとられながら、よ〜やく高台に到着。東の空の、いつもなら日が昇る方向に向かって、いつものあいさつをする。↓

富士山旧九月八日からの当分の礼拝の仕方 書き知らすぞ、大神様には、先づ神前に向って静座し、しばし目つむり、気しづめ、一揖、一拝二拝八拍手、数歌(かずうた)三回、終りて「ひふみ」三回のり あげ、天(あめ)の日月の大神様、弥栄ましませ、弥栄ましませ、地(くに)の日月の大神様、弥栄ましませ、弥栄ましませとのりあげ、終って「誓の言葉」ち かへよ。終りて神のキ頂けよ、三回でよいぞ、終りて八拍手、一拝、二拝、一揖せよ、
ひふみ神示 第19巻 マツリの巻 第十五帖



ってな感じで、何とか試練(らしきもの?)を乗り越えて、帰路をたどると、どっかのトタン屋根が飛ばされて、狭い住宅街の路地を塞いどった。電線らしきもんがぶらぶらしとる。
確率とかはわからんども、こいつがおらの頭の上に降って来る可能性はあったんである。



ってなことを書くと、「あ〜〜あ。名もなき詩人で地球も、すっかりカルト信者なのね〜〜」ってな感じで思われるかもしれん。
したども、おらに言わせれば、なしておめはんら、祈りもなしに平気で街中歩いたり車運転したりできんのけ?って、逆に思う。
おめはんらが、「私には不幸は降りかからない」って安心できるよりどころって何よ?
生命保険?自動車保険?
っつ〜ことは、おめはんらは保険信者っつ〜ことかの〜〜。
仮に、「たった今、世界中の保険会社が軒並み倒産しました」ってなことになったら、今までど〜り平静な心持で、運転したり、ジェットコースターに乗ったりできるかの〜〜?
おそらく、大抵の人はできんと思う。そんくれ〜〜保険はおめはんらの安心に一役買ってるんである。
だから、そんただ人方は保険信者。
したども、その保険、震災や原発放射能の時、どんくれ〜〜効力を発揮したべ?ほとんど期待はずれだったんでね?信仰を裏切られた人って、今や日本中にわんさかおるんでね?
そればかりか、おめはんらってよくコンビニの弁当とか自販機のジュースとか、そこに商品として並ぶ前にどんたな経過を経てきたのか全くわからんもん、よく平気で口にできるの〜〜。
神様信じね〜〜っつ〜人って、神様以外のもんはいくらでも安易に信じちゃうんである。


宗教っていうとパッと浮かぶのが、麻原ショ〜コウだったりする人は結構多いかもしれん。でねば、先祖代々の寺の住職かの〜〜。
つまりは、かなりヤバイ狂信集団か、全く御利益の見込めん葬式仏教かのどっちか。
それこそが、現代文明とか科学とかっつ〜教義によって、日本人が延々とプロパガンダされてきた結果だっつ〜こと、も〜そろそろ気がついたほ〜がいいんでね?
っつ〜か、今や天皇さんすら、日本古来の神様信頼しね〜で、西洋医学信じちゃう世の中だかんな〜。ま〜致し方ないっていや〜仕方ね〜か。
そんただ感じで、日本人の心を宗教迷子にしておいて、ちゃっかりその間隙に居座っとるのが、医療とか健康保険とか、そんただ類。神様がおらんでも、医者が側におれば安心してられる。
医者が専門知識持ってるっつ〜ことは認めるよ〜〜。おらだって。
したども、その専門知識をおめはんにただしく適用するか否か?は別問題だと、おらは思う。
っつ〜か、その専門知識が正しく機能するもんなら、医者は病気知らずはなず。
したども、おらから見りゃ〜、健康そ〜な医者ってあんまし見当たらん。
医者なんてよ〜、肩書き持っとるだけで、中身は一般人と変わりね〜〜病気持ちだべ〜〜。つまり、医者は自分の病気さえも治せん、無力な存在だっつ〜ことを暴露しとるんである。患者はそんただ側面は全く目を向けずに、肩書き見て安心しとるだけに過ぎん。肩書き信者だな〜〜。
そんな心もとないもん、よくもま〜心からの拠りどころにできるな〜〜、っておらは思う。




チベットなんかにゃ〜、聖なる山に向って延々五体投地でお参りする人がおるども、あれはおらの嵐の散歩の延長なんである。
自分の神様がいつ何時も守り導いてくれる。そんただ確信が過酷な旅を可能にするんである。
端から見りゃ〜、苦しいばっかしにしか見えんども、自分の神様をとことんまで信頼できるっつ〜ことが、巡礼者にとって嬉しくて嬉しくてしょ〜がね〜んである。
ブータンは国民総幸福量が世界NO.1の国だそ〜だども、それは日本人が学問頭でいくら研究したって理解できね〜〜んである。なぜならば、幸福感は信仰が作るからである。
現代文明っつ〜のは、信仰を教育やらで抹殺して、その代用品としてカネのかかる安心を売りつけることによって成り立っとる社会である。別名、幽界という。映画「マトリックス」の世界である。
今や、そのマトリックス社会が急速に消滅しつつある。
将来の年金っつ〜安心も、安定収入が見込める職業っつ〜安心も、就職が固い高学歴っつ〜安心も、ことごとく不透明化しとる。だから人々は不安である。不幸である。
幽界っつ〜重箱の隅をいくら突っついたって、逆さにして振ってみたって、萎え萎みつつある亡者の世界ん中にゃ〜、どこにも安心は見当たらんのである。
安心したけりゃ〜、幸せを感じたけりゃ〜、幽界から決別するしかないんである。


「今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ」って神示にあるども、幽界とてとりあえずは神様の世界なんである。
この世界に住む人方は、世のもとからの大神様でねぐ、保険の神様とか、年金の神様とか、そんただ神様にかかられてるんである。人類全員がカミカカリである。したども、レベルは千差万別なんである。
「原子力は日本に必要だ」と主張するセイジカどもは原子力の神様にかかられとるんである。原子力の神様の正体はブタかもしれん。のだっちの容姿からして。
誰もが、自分は宗教なんつ〜迷信には引っかからんほど賢明だと信じとる。したども、もっとくだらんもんにやすやすと引っかかっとるんである。
美容と健康の神様に引っかかって、均整のとれたスタイルが最高だと思い込んどるカミカカリもおる。
歌手やダンサーがステキだと思い込んで、それらとそっくりの身なりや髪型になりきろ〜とするカミカカリもおる。
政治家もカミカカリなら、銀行員もカミカカリ。安定収入や老後安泰が神様なんである。
したども、それらの神様はお先が知れとるんである。
均整のとれたスタイルも美貌も身なりも、月日とともに退屈を積み重ねていく。退屈=老化である。


だから、そんただお先の知れた神様とは早いとこさよならすんのが賢明なんである。
さよならした時、拠りどころとなるのは、正真正銘の神様だけである。
「俺は自分しか信じない」っつ〜人は、実は自分っつ〜もんの限界を知りすぎるほど知っとるんである。だから、見た目の平静さに反して心は不安である。
だから、神様は、人々が右往左往の末、結局は自分のもとに帰ってくることが判っているんである。↓

富士山やって見なされ、人民のそろばんでは木の葉一枚でも割出せないであらうが、この方の申す様にやって見なされ、お上は幸でうもれるのぢゃ、余る程与へて見なされ、お上も余るのぢゃ、此の道理判りたか。仕事させて呉れと申して、人民 喜んで働くぞ、遊ぶ者なくなるぞ、皆々神の子ぢゃ、神の魂うゑつけてあるのぢゃ、長い目で見てやれ、おしみなく与へるうちに人民 元の姿あらはれるぞ。むさぶると悪になって来るのぢゃ、今のさま見て改心結構ぞ、そろばん捨てよ、人民 神とあがめよ、神となるぞ、泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、元の元のキの臣民 地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろがな。
ひふみ神示 第18巻 光の巻  第三帖



さて。
6月10日に、六ヶ所村の泉田神社では、毎年核燃反対運動のゆかりの人方が集まるんだども、今年は許しを得て、音楽も少し催すつもり。おらが言いだしっぺだども。
そこに、1週間後(17日)の大間のあさこはうすでやる大マグロックの人方も参加してくれるっつ〜話がある。
ならばおらもお返しといっちゃ〜なんだども、大マグロックさ行ってみるべ〜と思っとる。
そんで、ど〜せなら、最近やっとらんからピースウォークでいってみるかな〜と思っとる。
それも、ど〜せ今度は坊さんとかとは全然関係無しで歩くんだから、おらなりの歩きを極めたいと思っとる。とはいえ、実利は求める。チラシ撒きは当然やる。
神示にゃ〜人間食わんでも死にゃ〜せんって書いとるから、この際食べ物とカネは持たんで歩いてみっかな〜とかって思っとる。神様の御守護を最大限の頼みとするんである。
とはいえ、差し入れ大歓迎だべ〜〜。そんただもんも内心すんげ〜〜当てにしとるべ〜〜。
もちろん、そんただおらと一緒に歩きたいっつ〜人がおれば、それも大歓迎。
ま〜おらの巡礼の行く手に何が待ち受けよ〜と、甘んじて受け入れる。そんただ歩きをやってみたいべ〜。



今日の神示。↓


富士山御神示通りにすれば、神の云ふ事聞けば、神が守るから人民の目からは危ない様に見へるなれど、やがては結構になるのざぞ、疑ふから途中からガラリと変るのざぞ。
ひふみ神示 第22巻 青葉の巻  第十二帖

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ミロクの世に生きる101の方法 更新情報

ミロクの世に生きる101の方法のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング