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世田谷観音と散歩みちコミュの阿弥陀堂 五百羅漢

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毎月8日は阿弥陀経読誦
ということで初めて伺ってみました。
写真の撮影の許可を頂いたので気になる角度の写真を撮らせて頂きました。
敷居の辺りで右側の阿羅漢の視線に見すくめられると言いますか
来たな,という感覚があるのです。
左の方はそれぞれですが(笑)

ご本尊は恐れ多くて今回は辞めておきました。
ストロボは使いたくないのでということもあります。

雰囲気伝われば幸いです。
阿弥陀堂に関する書き込みはこちらに

コメント(4)

ようやく阿弥陀如来を撮らせて頂いてみました。
思った通りとは行きませんでしたが
少しは雰囲気が伝わるかもしれません。
毎月8日,そして時に週末も拝観出来るそうです。
阿弥陀如来の左右にも様々な仏像が並んでいます。
私的な感覚としてですが,お堂に入ると言うよりも座敷に案内されたような妙な親近感があるように思えます。
阿弥陀堂左手奥に立ちすくんでらっしゃるのがこちら
鬼念仏,“おにねんぶつ”と読みます。
なんで鬼がと思いましたら,これは法隆寺の玉虫厨子に描かれる「施身聞偈圖」の説話からとのことです。Wikipediaに依りますと

「釈迦の前世ジャータカはヒマラヤ(雪山)でバラモンの童子でありながら菩薩の行を修していた。ある時どこからか「諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)」と聞こえた。それを羅刹が唱えているのを知り、その後を教えてくれと頼んだが羅刹は「長い間、食事せず疲れて出任せを言った」というと、「ではどうするば良いのか」と童子が聞くと、「人間の生身と生血がほしい」といった。雪山童子はこれを了解したと言い、その後の「生滅滅巳(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)」を羅刹から聞き、後世の者のために聞いた偈を木々や岩に書き写してから、羅刹の餌食になるため高台に登りそこから飛び降りた。すると羅刹は帝釈天に姿を変え、落下する雪山童子を両手を広げて受け止めた。帝釈天は当時雪山童子だった釈迦の修行の真剣さをためし、後に仏となった暁には自身を救ってくれるかどうか確かめたという話である。」
この帝釈天が姿を変えた羅刹(鬼)が鬼念仏として描かれたのだそうです。

髑髏の数珠と言いおどろおどろしくも在りますが,確かな技術が繊細な描写と何故かやや粗っぽい目の造形の違和感を埋めて有り余るものがあるように思えます。

伝説の名匠 左甚五郎の作と伝わります。
初代が日光から見付けてきたそうです。
現在日光神橋と呼ばれる橋は明治以前には山菅蛇橋と呼ばれていたそうですが
その橋を掛け直した際に余った(?)木材で作ったと伝わるそうです。
日光は奈良時代に勝道上人が開基と伝わり
補陀洛(ふだらく:観音様の居られるところ)→二荒(ふたら)→二荒(にこう:空海の命名)→日光と変遷したと言うことです。
伝説に赤城山がムカデに変化して攻めて来た際に男体山が蛇に変化して戦場ヶ原で迎え撃ち,奥州熱借山の弓の名人猿麻呂の加勢により撃退したといいます。
男体山はご神体ですが,蛇橋という名称もその辺りからのものだったようです。
恐らくは開基以前の伝承
火山が信仰の対象だったことは縄文の頃からの名残でもありますが,火伏せ(噴火)祈願もあって火山は修験道でも信仰対象となっています。赤城も男体山も火山,想像すると色々拡がりそうですが,ここの話としては脱線でした(笑)。 
秘仏という訳ではないようですが,阿弥陀堂の一室に別途鎮座されている羅漢さんを撮らせて頂きました。
和尚さんもお気にいられての別扱いのようです。
確かに肖像彫刻のような趣も感じられます。

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