A whole is a synthesis or unity of parts, so close that it affects the activities and interactions of these parts, impresses on them a special character and makes them different from what they would have been in a combination devoid of such unity or synthesis. (Smuts JC. [1926, republished 1999]. Holism and Evolution.p. 134. Sierra Sunrise Books, Sherman Oaks. Ca.)
全体は、部分の統合あるいは統一であり、部分と密接に結びついているので、部分の活動と相互作用に影響を与え、部分に特別な性質を刻印して、そのような統一や統合が全くないような部分的統合とは異なったものとする。 (JCスマッツ(石川光男他,訳):ホーリズムと進化:玉川大学出版部,2005 p. 121)
ばさけんさんに挙げていただいた9つの例を見てみましょう。
>Se ne pluvus, ni ne sidus en la cxambro.
>Mi bezonus interpretiston...
>Mi volus sendi cxi tiun paketon per aeroposxto...
>Tiun cxi jxurnalon mi volus sendi kiel presajxon...
>Mi preferus tablon apud la fenestro...
>Mi dezirus iri al la Nacia Teatro...
>Mi dezirus sxangxi cent dolarojn al euxroj...
>Mi volus sxangxi cxi tiun cxekon al kontantajxo...
>Mi volus lui tiun cxi auxton por tri tagoj.
ポイント【1】
英語で、if や what の用法は様々ありますが、エスペラントで仮定法を導く接続詞は"se"のみ。
前述の「A whole is a synthesis ・・・ and makes them different from what they would have been in a combination devoid of such unity or synthesis. 」という文章の"what"は関係代名詞であり、それ自体が仮定法を導くものではない。ここでの仮定法を決定付けているのは、その次の"would"です。
また、フランス語の
"Ces voiles gonflees par le vent permettent aux bateaux de remonter le courant du Nil sans que les marins aient besoin de ramer. "
という文章ですが、強引に英訳すると、
"These sails swollen by the wind allow boats to run against the current of the Nile without the sailors need to row."
(帆が風を受けることによって、水夫が漕がなくても、ボートはナイル川の流れに逆らって進むことができます。)
>次は佛蘭西語の接続法の例で説明しやすね。きのう出あつた文でがす。出典が不>明なのでがすが、佛蘭西の絵本でがす。
>
>Ces voiles gonflees par le vent permettent aux bateaux de remonter le courant du Nil sans que les marins aient besoin de ramer.
w.1.5
{
{
sentence_w.1.5_00: Se vi iros al Kamakura morgaux, mi ankaux iros kun vi.
君があした鎌倉へいくなら、ぼくも君といく。
sentence_w.1.5_01: Se mi estus sana, mi estus felicxa.
もしも丈夫だったら、しあわせなんだが。
sentence_w.1.5_02: Se mi havus monon, mi donus gxin al vi.
もしカネがあったら、君にあげるんだが。
sentence_w.1.5_03: Cxu vi donus ghin al mi?
それをいただけましょうか?
}
{
語尾-uは、願いや望みをあらわすものだから、ていねいにものを頼むばあいにもつかわれる。
sentence_w.1.5_04: Vole donu ghin al mi!
どうぞ、それをわたしにください。
sentence_w.1.5_05: Bonvole kantu por ni esperantan kanton!
どうぞ、わたしたちにエスペラントの歌をうたってください。
}
{
§20. 動詞(3)――条件法 文例3にでているように動詞の語尾-usは、その動詞のあらわす動作がある条件によっておこなわれるばあいの言い方をしめすもので、事実にあわないことをそうであるかのように言うばあいとか、そうなるかもしれない不確かなことを言うばあいにつかわれる。仮定法ともいわれる。
Se li sukcesos la ekzamenon, ...(かれがもし試験に成功すれば)は、ただ未来の形をしめすものだが、Se li sukcesus la ekzamenon, ...では、成功するだろうということではなく、実際は失敗したが、もし成功したとしたならば、という条件つきであることをしめす。これにたいして、まえにまなんだ現在・過去・未来をしめす語尾-as,-is,-osであらわされる言い方は、事実をば条件なしにそのまま説明するものだから、この三つの時による言い方を直説法とよぶ。
条件法は、事実にない、はっきりきまっていない言い方をあらわすので、あいまいなことをしめすばあいにもつかわれる。
sentence_w.1.5_06: Baldaux ili venus al ni.
まもなく、かれらが来るかもしれない。
また、条件法は事実にないことをいうので、とおまわしな、ていねいな言い方にもつかわれる。「そうしていただけますと、ありがたいのですが」というようなばあい。
sentence_w.1.5_07: Cxu vi bonvolus doni gxin al mi.
それをくださいますでしょうか?
sentence_w.1.5_08: Mi volus vin viziti morgaux matene.
あしたの朝、おたずねしたいのですが。
}
{
sentence_w.1.5_09: Se gxi estus mia, mi eltirus gxin.
――[その歯が]ぼくだったら、[その歯を]ぬいちゃうんだがな。
sentence_w.1.5_10: Mi ankaux, se gxi estus via.
――[その歯が]君の歯だったら、ぼくもそうするよ。
}
{
sentence_w.1.5_11: Patrino--Se vi volas ludi pianon, vi devas lavi viajn manojn.
母親――ピアノをひきたければ、手をあらわなくてはいけませんよ。
sentence_w.1.5_12: Filineto--Sed mi tusxas nigrajn klavojn.
小むすめ――でも黒いキーだけしかさわらないわ。
}
{
sentence_w.1.5_13: Se mi havus la monon, mi konstruus domon por mia familio.
もしおカネがあったら、家族のために家をたてるんだが。
sentence_w.1.5_14: Se la studentoj bone lernus, instruisto ne kolerus.
学生たちがよくまなんでいたら、教師は怒らなかっただろうに。
}
{
sentence_w.1.5_15: もしも、きのう、おじが来たのだったら、わたしは、かれといっしょに、あなたをおたずねしたでしょうに。
Se mia onklo venus min hieraux, mi vizitus vin kun li.
sentence_w.1.5_16_0: Se vi morgaux iros al Yokohama, mi volus iri kun vi.
sentence_w.1.5_16_1: Se vi morgaux iros al Yokohama, mi volus akompani vin.
あなたがあした横浜へ行くのなら、わたしも一緒に行きたい。
}
}
w.1.7
{
sentence_w.1.7_00: Nia instruisto donis al ni adresojn de germanaj kaj italaj esperantistoj por ke ni korespondu kun ili.
ぼくたちの先生は、ぼくたちが通信するようにと、ドイツとイタリアのエスペランティストの住所氏名をくださった。
por ke... ~u …するために(命令形をつかうのは「願い」の気持をあらわすため)。
}
{
sentence_w.1.7_01: Ni kore deziras ke la milito ne okazu denove.
わたしたちは、戦争がまたとおこらないように、心からのぞむ。
sentence_w.1.7_02: Mi esperas ke cxiuj nacioj vivu amike per komuna kaj neuxrala lingvo internacia.
すべての民族が共通の中立的な国際語でなかよく暮らすように希望する。
}
{
1) 品詞の語尾のつけかえ: 語尾のつけかえによる派生については、§22で説明したとおりである。
例: gxojo よろこび gxoja よろこばしい
gxoje よろこんで gxoji よろこぶこと
gxojas よろこぶ gxojis よろこんだ
gxojos よろこぶだろう gxojus よろこぶかもしれない
gxoju よろこべ
}
{
sentence_w.1.7_03: Ni esperas al vi ke vi laboru diligente en via nova laborejo.
あなたがあたらしい職場で勤勉にはたらくよう希望します。
}
{
w.2.1
{
sentence_w.2.1_00: Por ke la tero malsekigxu kaj la arboj povu kreski.
地面がしめって、木がそだつようによ。
}
w2.3
{
sentence_w.2.1_03: Se tio estas vera, oni estas justa.
それがほんとなら、ひとびとは正しい。
}
w.2.4
{
sentence_w.2.4_00: Estas tre gxoje dum la lecionoj, ni multe parolas kaj ridas; ni sentas, kvazaux ni konus unu la alian jam de longe.
講義のあいだ、とてもたのしく、わたしたちは、たくさん話したり突ったりします。わたしたちは、もうながいこと、おたがいに知りあっているように威じます。
9) koni 知りあっている、見知っている、-us は事実に反対な仮定をあらわす。
}
w.3.1
{
{
sentence_w.3.1_00: Laux mia opinio, diris unu, la plej bona rimedo estas pendigi tintilon cxe gxia kolo, cxar tiam ni tuj ekscios gxian alproksimigxon, kaj povos eviti surprizan atakon.
わたしの意見では、と一ピキが言いました、いちばんよい対策は、ネコの首にスズをさげることです。というのは、そうすれば、わたしたちは、すぐに、ネコが近ずいてくることがわかり、だしぬけにおそわれることが避けられるからです。
sentence_w.3.1_01: Sxajnis al cxiu, ke tio estas brila ideo.
それはスバラしい考えだと、だれにも思われました。
sentence_w.3.1_02: Nu, tamen, diris alia, kiu pendigos la tintilon al la kato?
ところで、だが、だれがそのスズをネコの首にかけるのかと、ほかのネズミが言いました。
}
{
2) 願望文:
sentence_w.3.1_03: Se li estus sana!
3) ひとつの文が、ほかの文に従属している複文:
sentence_w.3.1_04: Mi deziras ke vi bone legu la libron.
}
{
sentence_w.3.1_05: Faru tion, kio placxas al vi.
君の気にいることをしたまえ。
(placxi al ... に気にいる)
sentence_w.3.1_06: La demando estas, cxu sxi vivas aux ne.
問題は、かの女が生きているか、どうかである。
}
}
w.3.2
{
sentence_w.3.2_00: Mi ja povus sciigxi, kiu ne tauxgas por ofico.
だれがつとめに適当しないか、知ることができるだろう!
pov'us できるかもしれない(-us 仮定)
sentence_w.3.2_01: Mi povus diferencigi la sagxajn de la malsagxaj!
おろかものと、かしこいものとを区別することができるわけだ!
sentence_w.3.2_02: Kaj li donis al la du trompantoj grandan sumon da mono antauxe, por ke ill komencu sian laboron.
そして、かれはその二人のサギ師に、すぐ仕事をはじめるように、たくさんのおカネを前払いでやりました。
}
{
sentence_w.3.2_03: Via korespondado estas senfine cxarma kaj mi bedauxregus, se vi finus gxin iam.
あなたのお便りは、はてしなく心をひきつけるものであり、いつかそれをやめるとしたら、わたしは、とても心残りにおもうでしょう。
}
}
w.3.3
{
{
sentence_w.3.3_00: Neniu volis lasi rimarki ke li nenion vidas, cxar alie li ja ne tauxgus por sia ofico aux estus terure malsagxa.
だれも、自分にすこしも見えないと、ひとに気づかせたくなかったのです。それは、さもないと、自分の仕事にやくにたたないか、おそろしくバカということになりかねないからでした。
}
{
sentence_w.3.3_01: Ho, se mi povus priskribi al vi la svedan printempon kun gxia delikata cxarmo!
アア、やさしい魅力にあふれたスエーデンの本のことを、あなたに書いてあげられたら!
sentence_w.3.3_02: Longe mi ankoraux volus babili, sed estas malfrue, kaj jam frumatene mi devas eklabori.
長いこと、もっとおシャベリしたいのですが、もう時間がおそいです。それに、朝はやくに仕事をはじめなければなりません。
}
{
w.3.5
{
sentence_w.3.5_00: Se mi havus okazon vojagxi, migri de lando al lando, rigardi, esplori, admiri!
国から国へ旅をし、めぐり歩き、ながめたり、しらべたり感心ぶしたりする機会が、もしあったら!
}
{
sentence_w.3.5_01: Se vi tiam estus kun mi!
そのとき、あなたがいっしょにいたらばね!
sentence_w.3.5_02: Mi tre gxojus, se mi povus vidi vin iam en nia dometo.
いつか、わたしたちの小さな家であなたにお会いできたら、ずいぶんうれしいことでしょう。
}
}
w.3.7
{
{
sentence_w.3.7_00: Mi revante auxskultas, mi volus kompreni,
うっとりと耳をたて わたしは知りたい
vol'us(仮定) …したいのだが。
}
{
sentence_w.3.7_01: Kvazaux la sopir' en la vocxo kasxigxas
Kaj auxdigxas en gxi rememoro...
その声に といきのようなものがひそみ
思い出がきこえるようだ。
}
{
sentence_w.3.7_02: Se venus ankoraux ventegoj, batal' ni estas jam bone harditaj,
まだまだ、大風や戦いがこようとも、わたしたちは、もうきたえあげられている
}
}
w.4.1
{
sentence_w.4.1_00: Tie, laux la informo de amiko, li povus ricevi duoble tiom, kiom li nun akiras per la hakado kaj segado.
友だちの話では、そこでは、木をきったり、ひいたりして今かせいでいる2倍はもらえるかもしれなかった。
}
sentence_w.1.7_00: Nia instruisto donis al ni adresojn de germanaj kaj italaj esperantistoj por ke ni korespondu kun ili.
ぼくたちの先生は、ぼくたちが通信するようにと、ドイツとイタリアのエスペランティストの住所氏名をくださった。
しつかかりはkajの用法でがす。
英語のセンスでいはさせていただきやすと、germanaj kaj italiaj esperantistojつうと、
When you try to use this computer 5 times, you will be able to use it perfectly.
あなたがこのコンピュータを5回使ったら、完全にこれを使えるようになります。
このやうな条件設定はEsperantoにはねえのでがすか。
kiam clausesを”四週間”すくひ取りやしたが、どうもさうのやうでがす。
Esperantoの設計思想から言つても、さうすべきでがすね。
例:
{
w.2.6
Natura demando
Onklino--Kiam mi havis vian agxon, mi neniam mensogis.
Neveto--Kiam do vi komencis?
[訳]1. 当然の質問
おばさん――わたしが、あんたの年には、けっしてうそをつきませんでしたよ。
小さなおい――じゃ、いつうそをつきはじめたの!
}
ここから
{
w.3.5
{
sentence_w.3.5_03: S-ro Inoue tute ne parolis pri la afero kvazaux li ne scias tion.
まるで知らなかったように、井上さんはそのことをまったく話さなかった。
}
w.4.5
{
sentence_w.4.5_00_0: Kvazaux li koleras, li estis silenta.
sentence_w.4.5_00_1: Kvazaux li koleras, li restadis silenta.
まるで怒っている(koleri)かのように、かれはだまっていた(silenti)。
}
}
ここまで
{
Sit down in this chair as if you were I.
君が私であるかのやうに(あたいになつたつもりで)、この椅子に掛けなさい。
Die Sonne schien so warm, als ob es Fruehling waere.
日差しが暖かくて、恰も春のやうであつた。
}
ところが、仮定法のcorpusを眺めやすと、エペスラントでは直説法も適用されてゐるのでがす。
仮定法適用の総まくり:1件
{
sentence_w.2.4_00: Estas tre gxoje dum la lecionoj, ni multe parolas kaj ridas; ni sentas, kvazaux ni konus unu la alian jam de longe.
}
直説法適用の総まくり:3件
{
sentence_w.3.5_03: S-ro Inoue tute ne parolis pri la afero kvazaux li ne scias tion.
sentence_w.3.7_01: Kvazaux la sopir' en la vocxo kasxigxas kaj auxdigxas en gxi rememoro...
sentence_w.4.5_00_0: Kvazaux li koleras, li estis silenta.
}
条件文でwhenを接続詞として適用いたしやすと、それは確実に再現性がある場合も含め、50%以上の確率で再現性が保障されるぐれえのnuanceがありやす。まあ、このpercentageをどこに設定するか、は研究者や投稿雑誌によつて異なりやす。その条件として、研究室の掃除が何時も行き届いてゐる、過去にscanalがない、白衣はいつも汚れてゐねえ、試験系の精度管理が保障されてゐる、実験ノオトには疑義がねえ、棄却検定のP値がいつも0.01以下である、100回ぐれえ繰り返して試験をした、飛び値が出たばやい、その説明ができる、実験室で飲み食ひをしてゐねえ、などがありやすねえ。esperantistaであつた江上先生のバヤイはどうだつたのでせうか。実験ノオトはauf Esperanto schreiben sollenでやしたか?で、万が一のバヤイを考へて、断定を回避するにや、助動詞としてmayを適用いたしやす。ただ、あっしゃ、浅学のためにいつもこの手が使へるかは存知やせん。whenとmayの二重適用は、”馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑はれた”ぐれへのしつこさが出るかもしれねえのでがす。
ご参考迄にmayだけの使用例を挙げてをきやす。
出典はダイソーの着火ライタアの表示物でがす。
{
ご使用場所の温度が低い時(10℃以下)は、着火しにくい”場合”があります。
This lighter may be difficult to light under 10*C (50*F).
}
{
Myocarnal infaction leads to loss of tissue and impairment of cardiac performance.
The remaining myocytes are unable to reconstitute the necrotic tissue, and the post-infarcted heart deteriorates with time.
Injury to a target organ is sensed by distant stem cells, which migrate to the site of damage and undergo alternate stem cell differentiation; these events promote structural and functional repair.
This high degree of stem cell plasticity prompted us to test whether dead myocardium could be restored by transplanting bone marrow cells in infarcted mice.
}
この最後の文の中に仮定法の適用がごぜえやす。
couldがさうでありやす。
これは医学部への編入試験の問題なので、難しさとしやしては修士の入学試験に相当いたしやす。
それで、リトマス試験紙としやして、この仮定法をどのやうに上手く訳出できるか、を用ひてゐるのでごぜえやす。
しらてえバコトで言や、”しつかけ”でごぜえやす。
括弧内の訳を引用させていただきやす。
出典:竹内 薫:『ネイチャー』を英語で読みこなす;ほんものの科学英語を身につける:講談社,2003
{
心筋梗塞が起こると心筋組織が失われ、心臓の機能が損なわれる。
残った筋繊維では壊死した組織の再生はできず、心筋梗塞後は心臓は次第に弱っていく。
ある組織に損傷が起こると、離れた場所にある幹細胞がこれを感知し、損傷部位に移動して本来と異なる分化を遂げ、それによって構造や機能の修復が促される。
幹細胞の持つこの高度な可塑性に触発されて、死んだ心筋層が骨髄移植細胞によって回復するかどうかを心筋梗塞マウスを使って検証しようと考えた。
}
vgl.
sentence_w.1.7_00: Nia instruisto donis al ni adresojn de germanaj kaj italaj esperantistoj por ke ni korespondu kun ili.
どうでがすか。
この問題が解けさうなら、Esperantoのやうなeine minoren Zungeなぞ止(よ)して、お医者様にならうではねえの。
その方がゼニになる。
バヤイによつては、シト助けもできるかもしれやせん。
Es ist nicht zu spaet, medizinstudieren zu anfangen.
さて、あっしが、なぜこれほど、仮定法・条件法・接続法に拘るのか、つう理由でがすが、学校文法ではカバアできねえ部分が多いことにありやす。
学校文法では、
If I were a bird, ...
Wenn er nicht gewesen waere, ...
などの形で、特に英語では、”現実とは異なる状況に対して用ひる”とあり、そこに後悔とか願望とか憤懣などの心象が入(へえ)つてゐる、となつてゐるのでがす。
で、この付帯条件がどうも嘘つぽいのでがす。
そんで、英語の先生方は不勉強なシトが多くて、英語以外の第二言語は勉強してをらねえものだから、答へられねえのでがす。
明治のご維新よりこのかた150年が経ちやしたが、英語についてはまだこんな状況なのでがす。
で、英語の先生方に根ほり、葉ほり問ひただしやすと、きやつらはキレるのでがす。
”チミねえ、いくら羅典語ではかう言ふ、古典希臘語ではかう言ふ、と比較の材料をいくら提示してくれたところで、をいらは興味ねえのつ。
そのやうに横に広く守備範囲を広げるよりも、先づは英語だけを狭く、深く掘り下げなせえ。
なぬう、エスペラント?
そんなの、大杉栄とかの無政府主義者どもの趣味であつて、そんなのをしてる、つうのを就職試験のときに言つたら、採用なんかされねえよ。
一生、おまんまの食ひ上げでい。
隠しなせえ。”
つうことで、てめえの不勉強を合理化し、それでもしつこく食い下がりやすと、こんどは大英帝国とかアメリカ合衆国のご威光を笠にして、えばりやがるのでがす。
まあ、お役人みてえなものでがすので、逆らつては不可(いけ)やせん。
pp. 187-191
{
Shaking light from the void
瓢箪から駒、じゃなくて、光
The ghostly atics of virtual particles are not merely a theoretical curiosity: they can produce real effects.
仮想粒子の幽霊のような奇妙なふるまいは単に理論的な興味にとどまらない。目に見える効果があるのだ。
A famous exampleis the Casimir effect.
有名な例がカシミール効果だろう。
Place two mirrors parallel to each other, and a measurable attractive force arises between them.
2枚の鏡を向かい合わせにしてみたまえ。すると鏡の間に測定可能な引力が発生する。
It is caused by the disturbance of the quantum vacuum by the reflecting boundaries.
境界による反射が真空を乱すのが原因だ。
In effect, the mirrors constrain the virtual photons of the vacuum in the cavity between them, and this creates a negative pressure, or tension, which tries to draw the mirrors together.
ようするに、鏡と鏡の間の空洞に真空の仮想光子が束縛されて、それが不の圧力、いいかえると張力を生み、その張力が鏡どうしを引き寄せようとするのだ。
The authors suggest using small, superconducting cavities oscillating through a distance of a few nanometers at GHz frequencies.
著者たちは、小さな超伝導の空洞が数ナノメートルの距離にわたってギガヘルツの周波数で振動しているものを使うことを提案している。
They estimate that the amplification factor could be as high as one billion, which translates into a production rate of 10 photons per second.
著茶たちは、増幅因子が10億に届くかもしれないと見積もっている。これは、いいかえると、毎秒当たり講師が10個生まれるということだ。
}
次は和文英訳の問題と答へでがす。
{
Somewhat to our surprise, we found that a uniformly accerelating mirror would have no effect.
いささか驚いたことに、われわれは、一様に加速される鏡には、効果がみられないことをみつけた。
If the mirror were to change its rate of accerelation, then electromagnetic radiation (real photons) would be produced.
しかしながら、鏡が加速率を変えるならば、電磁放射(実の光子)が生まれるのだ。
}
ここでは仮定法が2文ともに適用されてをりやす。
we found thatの文では、that clauseの内容は現実の発見であり、予想ではねえのでがすから、直説法を適用すべきではねえのでがすか。
その直後の文も、事実を記述してゐるのにもかかはらず、何故、仮定法が適用されるのでがすか。