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エスペラント ESPERANTOコミュのエスペラント 仮定法

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ひとつ前のトピックで、仮定法についての投稿があり、トピックを新しく立てた方がよいと思ったので、誠に勝手ながら、移させていただきました。
今は時間がないので、帰宅したらコメントします。
参考URL: http://www39.atwiki.jp/kursodeesperanto/pages/38.html


トピック『エスペラントに期待する未来』のコメントより転記抜粋
--------------------------
>70 ばさけんさん
いま英語の仮定法のところをfield checkしてゐるのでがすが、エスペラントでは仮定法・接続法は十分に活用されてゐるのでがすか。

"Mi estus felicxa, se mi havus nur pli multajn da mono."

この文では、仮想世界のことを述べてゐるのであり、現実の世界の記述ではねえのでがす。でがすから、接続法を使ひやす。でも、東亜細亜の諸言語にはこの2種類の世界を区別する機能がねえのでがす。それで屡(しばしば)トラブルが於きやす。やあでがすねえ。

”英語は仮定法だ”つう本があるくれえ、英語では仮定法を多様しやすが、あつしらは苦手でがす。そんで、proofreadingに試訳を出すと、真つ赤になつて帰(けえ)つてきやす。常のことでがすねえ。

将来東亜細亜のエスペラント話者の影響が大きく出てきやすと、この言語の仮定法・接続法は使はれなくなつてゆくのでがすか。

なほ、この疑問を抱くのに至るのに材料として使つたsentencesを日英の対訳で残しておきやす。

A whole is a synthesis or unity of parts, so close that it affects the activities and interactions of these parts, impresses on them a special character and makes them different from what they would have been in a combination devoid of such unity or synthesis.
(Smuts JC. [1926, republished 1999]. Holism and Evolution.p. 134. Sierra Sunrise Books, Sherman Oaks. Ca.)

全体は、部分の統合あるいは統一であり、部分と密接に結びついているので、部分の活動と相互作用に影響を与え、部分に特別な性質を刻印して、そのような統一や統合が全くないような部分的統合とは異なったものとする。
(JCスマッツ(石川光男他,訳):ホーリズムと進化:玉川大学出版部,2005 p. 121)

この日本語訳本を原典と比較する作業をヂコヂコとあつしやしてをりやす。浅学のあつしには、訳文から原文を復元するこたあ、できやせん。先づ、仮定法を使はなきやなんねえ、つうところにまで考へは及びやせん。皆さんは原文を見ねえで、この訳文からエスペラントに重訳できやすか。あつしはできやせん。力不足でがす。

哲学関係の英文成書(科学を含みやす)で丸ごとエスペラント訳がネツト上で閲覧が可能ならば、一度、その対訳デエタベエスを構築して、仮定法についてだけでも比較を入れてみてえと願つてをりやす。

コメント(44)

ではまず、私が“仮定(?)法”の捉え方から。

?仮想世界のこと → (se) と -us を使う(仮定法)
?現実世界のこと →  se と -os (-as, -is)を使う(直説法未来)

基本的に、この2つのどちらか。

例を見てみましょう。
?Se ne pluvus, ni ne sidus en la cxambro.
?Se ne pluvos, ni ne sidos en la cxambro.

この2つの違いは何でしょうか?

?もし雨が降っていなかったら、部屋に閉じこもってなんかいないのに!
?もし雨が降らないようなら、部屋に閉じこもってはいないだろう。

?は現在のことについて話しています。
?は未来のことについて話しています。

?は、仮想として「もしそれが起こったら」→ つまり実際には起こっていないことを示す(反対のことが起こっている。)
?は、未来の現実世界で「もしそれが起こったら」→ つまり起こりうる可能性が十分ある。

時制を示す副詞をつけるとしたら、
?はhodiaux.
?はmorgaxu.

わざわざ「今日」とか「明日」と明示しなくても、-usと-os の使い分けだけで、いろいろな情報を提示できてしまうのが、エスペラントの凄いところですよね。だからこそ、この使い分けはなくならないと思います。

他の例も見てみましょう。
?Se li ne mortus, li nun havus 100 jarojn. (La Unua KrusoLibro, Leciono 31)
(もし彼が生きていたら、今100歳になっているね。)

この文の-us が-os に変わったら?
?Se li ne mortos, li havos 100 jarojn post tri jaroj.
(彼が死ななかったら、3年後には100歳になる。)

?では、彼は亡くなっている。
?では、彼は生きている。

-us を使うべきなのか -os などを使うべきなのか迷う場合がありますが、感覚として“慣れる”のが一番の近道で、実用的だと考えます。


それでは次に、エスペラント日本語辞典(2006年JEI発行)で"-us"を引いてみて下さい。
用法として載っているのは、次の4つです。
?-1: 事実に反する仮定や、その仮定のもとでの推論を表す [se と組み合わせて]
?-2: 事実に反する仮定や、その仮定のもとでの推論を表す [単独で devus, povus の場合]
?:  se と組み合わせて、かなわない望みを表す
?:  頼みごとをする場合のていねいな言い方

ここで、?の用法ですが、確かに来歴は仮定法から来ているかもしれませんが、私の頭の中ではこれを“仮定法”として捉えてはいません。“丁寧表現”としてのカテゴリーに組み込んで、“仮定する法”とは違うものと認識しています。
つまり?は異色の存在。
そして、「もし・たら・れば」を言いたい場合、ほとんどの場合se と組み合わせるということです。
裏を返せば、-us が出てきても、se がなければ、それは丁寧表現であることが分かります。(例外は?-2 。)
そう考えると、頭が整理されて楽になります。
動詞に-us がついていても、「もし〜したら、」などと考える必要はないからです。

ばさけんさんに挙げていただいた9つの例を見てみましょう。
>Se ne pluvus, ni ne sidus en la cxambro.
>Mi bezonus interpretiston...
>Mi volus sendi cxi tiun paketon per aeroposxto...
>Tiun cxi jxurnalon mi volus sendi kiel presajxon...
>Mi preferus tablon apud la fenestro...
>Mi dezirus iri al la Nacia Teatro...
>Mi dezirus sxangxi cent dolarojn al euxroj...
>Mi volus sxangxi cxi tiun cxekon al kontantajxo...
>Mi volus lui tiun cxi auxton por tri tagoj.

このうち1番目の文章以外は、すべて?の用法です。なるほど、voli, preferi, deziri などの動詞は全て自分の要求を表す表現です。注目すべきは、se が組み合わさっておらず、単独で動詞に-us がついているということ。
ポイント【1】
英語で、if や what の用法は様々ありますが、エスペラントで仮定法を導く接続詞は"se"のみ。

前述の「A whole is a synthesis ・・・ and makes them different from what they would have been in a combination devoid of such unity or synthesis. 」という文章の"what"は関係代名詞であり、それ自体が仮定法を導くものではない。ここでの仮定法を決定付けているのは、その次の"would"です。

日本語訳から、(原文を見ないで)このような用法の英訳・エス訳をするのは至難の技だけれど、私的には仮定法を使わなくても、意味が同じならそれでもよいと思う。日本人なんだから仕方ないじゃん!
また、英語の原文からだと、より原文の意味に近いエス訳ができるけれど、その際には英語とエスペラントの違いを考慮した上で訳さないと、ただ単に単語を入れ替えるだけでは、文法的に成り立たなくなってしまう。
おそらく、日本語で「そのような統一や統合が全くないような部分的統合とは異なった」と訳されているように、ここでは仮定法は使わず、sen を使った方がしっくりくるのではないだろうか。
良い訳を作るのは難しいですね☆

また、フランス語の
"Ces voiles gonflees par le vent permettent aux bateaux de remonter le courant du Nil sans que les marins aient besoin de ramer. "
という文章ですが、強引に英訳すると、

"These sails swollen by the wind allow boats to run against the current of the Nile without the sailors need to row."
(帆が風を受けることによって、水夫が漕がなくても、ボートはナイル川の流れに逆らって進むことができます。)

となり、"sans que" は、英語のwithout と同じような働きをしていると考えられます。

また、ここでの本質は、「漕がなくてもボートは進む」ということであり、
「もし漕がなかったら・・・」という仮定を含む文章ではありません。
したがって、sen を使って「漕がなくても」という表現を作るか、もしくは文を2つに分けて、「ボートは風によって進む。だから水夫は漕ぐ必要がない」とするのがよいと思います。

このように、フランス語ではなかなか理解しにくい仮定の使い方も、エスペラントではとてもシンプルなものになると言えるのではないでしょうか。
AKIUMIさん
ていねいで、分かり易い説明ありがとうございました。
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。
ども。

先ほど、記事をupしやうとしたら、原稿が消えてをりやした。
も一度思ひ出しながら、書きやすね。

先づ、訂正をさせて下せえやし。

あっしの接続法の例でがすが、

>Se mi havus multajn da mono, ..,

これを"Se mi havus multan da mono, ..,"に訂正いたしやす。

オアシは集合名詞なのでがす。渡辺克義センセの”まづはこれだけエスペラント語”で確認できやす。

誰だつ、エスペラントは易しい、つうたのはつ!
それは、忘れるのだけが易しいだけなのでがす。

一旦此処で筆ををきやすね。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

次のwarna warna(いろいろ)でがす。

あっしの記事:

>次は佛蘭西語の接続法の例で説明しやすね。きのう出あつた文でがす。出典が不>明なのでがすが、佛蘭西の絵本でがす。
>
>Ces voiles gonflees par le vent permettent aux bateaux de remonter le courant du Nil sans que les marins aient besoin de ramer.

出典は、恐らく

http://www.eyrolles.com/Sciences/Collection/3276/imagia-decouverte-du-monde.php

Invention, Imagiaでがす。
その絵本の最初のペエヂに風車の説明が出てきやす。

因みに、あつしのお佛蘭西語のセンセはあまり接続法を駆使しやせん。

更に次のwarna warnaに続きやす。
一旦此処で筆ををきやすね。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

3番目のwarna warna(いろいろ)でがす。

接続法の例文を体系的に拾ひ上げるために、目下のところ、”エスペラント四週間”をスキヤンしてをりやす。次にこのテキストフアイルの校正をしながら、接続法(大島義夫、大学書林)とそれに関係するところを順に校正するのでがす。

この本をチラチラと診るに、内容があまりにもサヨク的過ぎやすし、今となつては差別語と認識される日本語の用語が散見されやすね。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/996107776/l50

>615 :何語で名無しますか?:2009/05/14(木) 02:52:00
>エスペラント四週間は時代背景もあって左翼例文満載なのはご存じと思いますが、朝鮮語四週間も同様だと聞いたことがあります(未見)。
>ほかにも左翼がかった内容の四週間はありますか?

どして、言語の中に自我とか特定の主義・主張をほおり込むのでやんしょねえ。
白いネコだらうが、黒いネコだらうが、ネズミを捕るのがいいネコぢやないんでがすかい。

そんで、このお座敷は日本エスペラント学会と何らかの関係があるのでがすかい。
かうお伺ひいたしやすのは、あっしゃ、そのやうな先生方とナシをするのは、苦手だからでがす。つひでに言ひやすと、あっしゃ、ユウスホステルも苦手なのでがす。エスペラントとユウスには類似点がいくつか見られやすね。押し付けがましいところとか、あまりはやらねえところとか、特定のユウザアが利用する、などでがす。おつ、さうだ、オフ会はユウスでやらねえかい。

http://www.geocities.jp/yh_faq/

でも、あっしゃ、最近サヨクのポリグロツトを偶然に釣り上げたのでがす。ショバは軍服を着るコスプレでやんした。赤軍将校のコスプレをしてゐるアニキがナチスの将校とラツパロ条約のナシをしてゐるところにあっしゃ割り込んだのでがす。

”おつ、勲章には、『万国の労働者よ、団結せよ』と書いてありやすね。
でも、いくら勲章を貰つても、スタアリンは数学の問題を解くやうな手軽さで、『これ、要らん』と判定したら、反逆罪で即、銃殺だつたんでがすぜい。”

で、そんから、話題はソ連とか露西亜の軍隊となつた。

このやうな会話を横で聴いてゐたおぢいさんも割り込んできて、しきりにあっしと喋りたさうにしてゐたので、調べてみたら、矢張りこのぢいさんもポリグロツトであつた。

”おぢいさんは、一体(いつてえ)何者?アナキスタ?官位・姓名を名乗れ”

と言つたら、ぢいさんはあっしを露西亜関係の公安職員だと思つて、警戒してゐたのでがす。このぢいさんは面白い(おもしれえ)ので、しばしば会つてみてえでがす。

つうわけで、いろいろと書いてゐる内に、4番目のwarna warnaが難だつたのか忘れちまつたことに気がつきやした。

でわ、ここいらへんで、

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

>4番目のwarna warnaが何(なん)だつたのか忘れちまつたことに

これを思ひ出したところで、大論文を書き始め、ほぼ完了つうところで、PCが固まり、しかもmixiの入力画面が異常終了しやした。その回復を試みやしたが、もとの原稿が消えてしまひやした。

browserがエスペラント仕様でやんしたら、かう言ふことがねえのかもしれやせん。

また、ボチボチ書き始めやす。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
おいらはバサケン
バッサ・バサバサ・バサケンケーン

AKIUMIの若旦那、かいちょのラツパ吹き、エフエフエフの姐御、
お元気でやんすか。

あっしが長文の論文を書いたにもかかはらず、送信の直前にそれをパアにしてから1週間が経ちやした。頭の中には原稿がPDF fileとしてはつきり残つてをりやすが、それをも一度入力する時間がありやせん。

まあ、ボチボチ再現しやすが、この1週間は”エスペラント四週間”のtext fileを校正してをりやす。何の為にそげな回り道をしてゐるのか、と言へば、それはこの本から仮定法の用例を体系的に吸い上げるところにありやす。吸い上げが完了しやしたら、改めてこのお座敷で資料として引用させていただきやす。

なにせ、本業の論文書きの方が忙しくて、このやうな趣味的な論文を書くことに時間つう資源を割くことはなかなか難しいのでがす。でも、英語で論文を書くときにでがすね、矢張り、接続法の活用つう問題が出てきやす。これを英語の先生方に確認するこたあ、憚るのでがす。何故かつて?それは先生がたも接続法ヲ知らねえからでがす。日本人が6年間英語を勉強しても、話せねえ理由は、教師の質が悪いからでがす。

皆さん、エスペラントを流暢に話す前(めえ)に、エスペラントだけで平滑に考へを進めることができやすか?このやうな実験用の小型言語の意義にはこのやうなところにもあると思ひやす。

で、頭の中で考へることでがすから、デエタとしての事実と頭の中だけの閉ぢた世界での一連の思考(可能世界での事象)とを厳密に分ける必要があるのか、どうかがあり、実際に論文を書くときにはこの2つのカテゴリイを厳密に区別せよ、と言はれてをりやす。これは、論文執筆のイロハなのでがす。残念ながら、現代の東亜細亜の諸言語には仮定法がごぜえやせん。中国語になりやすと、さらに時制すらありやせん。これは東南アジアの諸言語でも、またアイヌ語でもさうでがす。

あつ、さうだ、あっしゃ、言語学者ではごぜえやせん。単なるバナナの叩き売り師なのでがす。

で、仮定法・接続法に戻りやすが、英語で論文を書くバヤイ(表題例:劇場効果としてのバナナの叩き売りの検証−−口調のポソロヂイと売り上げ効果との相関を通して)、非常にコマカク仮定法の使ひ分けをしやす。これがなかなかできないので、もちろんそのニユアンスの差別化もできねえのでがすが、出来上がつた論文を診ると、誠に糠味噌くせえのでがす。でがすから、英語の仮定法をモデル言語であるエスペラントの側から照らして、いろいろと吟味してみてえのでがす。

それでいろんな例文を紹介したい、と考へ(かんげえ)てをりやす。皆さんは、いろんなシバリをものともせず、縦横無尽に、かつ串刺し式に議論をしてくだせえやし。

なほ、いろんな言語でいろんな例文の紹介つうのは、あっしの博物学的なstanceに由来しやす。博物学的なstanceに対峙するもしとつの方法は実験による検証でがす。このバヤイ、必ずnegative controlの実験区を設定する必要がありやす。言語のバヤイ、これが可能かどうかは、あっしゃ浅学のために存じやせん。また、同じデエタでありながら、背景となる哲学の違ひから、解釈が分かれる、つうこともままありやす。そのほかの攻略法といたしやしては、全く数学的に研究する方法とか、模擬実験(計算機実験、simulation)による方法もありやす。また、言語は発想や通信のためのsoftwareだ、とも看做してをりやす。

以上で、接続法の研究についてのあっしのstanceの説明を終はらせていただきやす。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

折角でやんすから、具体例を一寸紹介させていただきやすね。

日本郵政の”レタアパツク350”の封筒上の表示です。これが日英の2語対訳となつてをりやす。

デエタ:

品名
Contents Description

無記入の場合、航空機に搭載できないため、配達が遅れる場合があります。
Cannot be transported by air without a desciption, which could delay delivery.

現金を送ることはできません。
Cannot be used to send cash.


”場合があります”に対応する英文では接続法が用いられてをりやす。
このやうな鮮やかな適用は日本人の英語教師どもには不可能でがす。
すぐにIf clauseを使ふからでがす。
関係代名詞の非制限用法も難しいでがすねえ。
そんで、仮定法の助動詞のcouldをwouldやmightに替へると、適切なnuanceをどのやうに日本語で説明できやすか。その際、standpointをEsperantoに置いて説明してくだせえやし。なほ、必要ならば、Esperantoで翻訳をお願ひ(ねげえ)いたしやす。

あっしのこれまでの経験から言へば、bilingualの亜米利加人(具体的には加奈陀人、正確にはtrilingual)に確認をとりやすと、本人の頭脳が可也混乱してきやした。またnative speakersのproofreadersに有償でcheckを入れていただきやすと、couldと指定すりやwouldかmightに、また逆にwouldやmightと指定すりやcouldに直してきたのでがす。その是非を確認すると、逆ギレを起こさせやすから、しやせんでやんした。

つうことで、一旦筆を置きやす。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

皆さん

目下、あっしはエスペラント四週間(大島義夫,大学書林,1961)のtext化を試みてをりやす。

今回、その中で仮定法とその周辺についてのtext化が終了しました。
今後は、対訳の部分を抽出し、Excelにてcorpusを完成させる予定です。

さて、次回のコメよりその仮定法とその周辺のtextを学術研究用として公開させていただきやす。
ここにはsentence番号を付与してありやすので、引用にあたりやしては、この番号も明記してくだせえやし。
まづは叩き台を提供させていただきやすので、おほいに議論を尽くしやせう。
ただし、あっしの視座は、”一部の機能を制限した実験用言語Esperantoより英語の複雑怪奇さを論じる”に尽きやす。
でがすから、Esperantoをどうしやう、とか、何を期待する、とかにはごぜえやせん。

そんから、

”をつと、そんなのEsperanto設計のphaseより議論が尽くされてをりやすぜい。
でもつて、これ以上の議論を重ねるこたあナンセンス”

つう野次はお控へ(けー)くだせえやし。これは、不勉強をコクるのと五十歩百歩でがす。そんな野暮天スキイなごとを發してをりやすと、論文のイントロなぞ執筆できやせん。どんな分野の論文であれ、まあ国粋主義の論文を読んだ経験はごぜえやせんけど、イントロでは諸学説の簡潔明瞭な紹介とそこから”当然”出てくる”べき”問題点の紹介が記述されやす。それに、これ以上の議論を重ねることがナンセンスでやんしたら、聖書とか四書五経などの古典など読む必要など、初めからねえのでがす。古典は環境が変はれば、いろんな解釈ができるからこそ、読み継がれてきたものだからです。言語学のお座敷では、”黙れ、トオシロオ”つうことで、このやうな野次がよく飛ばされてをりやすね。

さて、簡単な凡例を示させていただきやす。

(1) 記法w.x.y
    これはx週のy日めつうことでがす。
(2) 記法{ 
       }
    これは括弧でくくつてあるところが原文でのしとつの括(くく)りつうことでがす。
    最上位の括弧はこのエスペラント四週間全体つうことでがす。

そんから、これ以外の凡例は以心伝心でお願ひ(ねげー)いたしやす。

他言語の接続法とその周辺につきやしては、corpusが整ひ次第、つうことは見かけ上は突発的に、紹介させていただきやす。

では、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

直前のコメにて予告したcorpusdでがす。
文字数の定量制限がありやすので、分割しやすね。
まづは第1部:

Esperanto_en_kvar_Semainoj_Excerpta_conjunctivum.txt

w.1.5
{
{
sentence_w.1.5_00: Se vi iros al Kamakura morgaux, mi ankaux iros kun vi.
君があした鎌倉へいくなら、ぼくも君といく。
sentence_w.1.5_01: Se mi estus sana, mi estus felicxa.
もしも丈夫だったら、しあわせなんだが。
sentence_w.1.5_02: Se mi havus monon, mi donus gxin al vi.
もしカネがあったら、君にあげるんだが。
sentence_w.1.5_03: Cxu vi donus ghin al mi?
それをいただけましょうか?
}
{
語尾-uは、願いや望みをあらわすものだから、ていねいにものを頼むばあいにもつかわれる。
sentence_w.1.5_04: Vole donu ghin al mi!
どうぞ、それをわたしにください。
sentence_w.1.5_05: Bonvole kantu por ni esperantan kanton!
どうぞ、わたしたちにエスペラントの歌をうたってください。
}
{
§20. 動詞(3)――条件法 文例3にでているように動詞の語尾-usは、その動詞のあらわす動作がある条件によっておこなわれるばあいの言い方をしめすもので、事実にあわないことをそうであるかのように言うばあいとか、そうなるかもしれない不確かなことを言うばあいにつかわれる。仮定法ともいわれる。
Se li sukcesos la ekzamenon, ...(かれがもし試験に成功すれば)は、ただ未来の形をしめすものだが、Se li sukcesus la ekzamenon, ...では、成功するだろうということではなく、実際は失敗したが、もし成功したとしたならば、という条件つきであることをしめす。これにたいして、まえにまなんだ現在・過去・未来をしめす語尾-as,-is,-osであらわされる言い方は、事実をば条件なしにそのまま説明するものだから、この三つの時による言い方を直説法とよぶ。
条件法は、事実にない、はっきりきまっていない言い方をあらわすので、あいまいなことをしめすばあいにもつかわれる。
sentence_w.1.5_06: Baldaux ili venus al ni.
まもなく、かれらが来るかもしれない。
また、条件法は事実にないことをいうので、とおまわしな、ていねいな言い方にもつかわれる。「そうしていただけますと、ありがたいのですが」というようなばあい。
sentence_w.1.5_07: Cxu vi bonvolus doni gxin al mi.
それをくださいますでしょうか?
sentence_w.1.5_08: Mi volus vin viziti morgaux matene.
あしたの朝、おたずねしたいのですが。
}
{
sentence_w.1.5_09: Se gxi estus mia, mi eltirus gxin.
――[その歯が]ぼくだったら、[その歯を]ぬいちゃうんだがな。
sentence_w.1.5_10: Mi ankaux, se gxi estus via.
――[その歯が]君の歯だったら、ぼくもそうするよ。
}
{
sentence_w.1.5_11: Patrino--Se vi volas ludi pianon, vi devas lavi viajn manojn.
母親――ピアノをひきたければ、手をあらわなくてはいけませんよ。
sentence_w.1.5_12: Filineto--Sed mi tusxas nigrajn klavojn.
小むすめ――でも黒いキーだけしかさわらないわ。
}
{
sentence_w.1.5_13: Se mi havus la monon, mi konstruus domon por mia familio.
もしおカネがあったら、家族のために家をたてるんだが。
sentence_w.1.5_14: Se la studentoj bone lernus, instruisto ne kolerus.
学生たちがよくまなんでいたら、教師は怒らなかっただろうに。
}
{
sentence_w.1.5_15: もしも、きのう、おじが来たのだったら、わたしは、かれといっしょに、あなたをおたずねしたでしょうに。
Se mia onklo venus min hieraux, mi vizitus vin kun li.
sentence_w.1.5_16_0: Se vi morgaux iros al Yokohama, mi volus iri kun vi.
sentence_w.1.5_16_1: Se vi morgaux iros al Yokohama, mi volus akompani vin.
あなたがあした横浜へ行くのなら、わたしも一緒に行きたい。
}
}

しとまづここでバサケンケーン
バッサ・バサバサ

corpusの第2部でがす。

w.1.7
{
sentence_w.1.7_00: Nia instruisto donis al ni adresojn de germanaj kaj italaj esperantistoj por ke ni korespondu kun ili.
ぼくたちの先生は、ぼくたちが通信するようにと、ドイツとイタリアのエスペランティストの住所氏名をくださった。
por ke... ~u …するために(命令形をつかうのは「願い」の気持をあらわすため)。
}
{
sentence_w.1.7_01: Ni kore deziras ke la milito ne okazu denove.
わたしたちは、戦争がまたとおこらないように、心からのぞむ。
sentence_w.1.7_02: Mi esperas ke cxiuj nacioj vivu amike per komuna kaj neuxrala lingvo internacia.
すべての民族が共通の中立的な国際語でなかよく暮らすように希望する。
}
{
1) 品詞の語尾のつけかえ: 語尾のつけかえによる派生については、§22で説明したとおりである。
例: gxojo よろこび gxoja よろこばしい
gxoje よろこんで gxoji よろこぶこと
gxojas よろこぶ gxojis よろこんだ
gxojos よろこぶだろう gxojus よろこぶかもしれない
gxoju よろこべ
}
{
sentence_w.1.7_03: Ni esperas al vi ke vi laboru diligente en via nova laborejo.
あなたがあたらしい職場で勤勉にはたらくよう希望します。
}
{
w.2.1
{
sentence_w.2.1_00: Por ke la tero malsekigxu kaj la arboj povu kreski.
地面がしめって、木がそだつようによ。
}
w2.3
{
sentence_w.2.1_03: Se tio estas vera, oni estas justa.
それがほんとなら、ひとびとは正しい。
}
w.2.4
{
sentence_w.2.4_00: Estas tre gxoje dum la lecionoj, ni multe parolas kaj ridas; ni sentas, kvazaux ni konus unu la alian jam de longe.
講義のあいだ、とてもたのしく、わたしたちは、たくさん話したり突ったりします。わたしたちは、もうながいこと、おたがいに知りあっているように威じます。
9) koni 知りあっている、見知っている、-us は事実に反対な仮定をあらわす。
}

バッサ・バサバサ
これで第2週分は終はりでがす。
バサバサ

次は第3週分でがす。
どさくさにまぎれて第4週分もいへえりやすか、やつてみなきや、わかんねえ。

w.3.1
{
{
sentence_w.3.1_00: Laux mia opinio, diris unu, la plej bona rimedo estas pendigi tintilon cxe gxia kolo, cxar tiam ni tuj ekscios gxian alproksimigxon, kaj povos eviti surprizan atakon.
わたしの意見では、と一ピキが言いました、いちばんよい対策は、ネコの首にスズをさげることです。というのは、そうすれば、わたしたちは、すぐに、ネコが近ずいてくることがわかり、だしぬけにおそわれることが避けられるからです。
sentence_w.3.1_01: Sxajnis al cxiu, ke tio estas brila ideo.
それはスバラしい考えだと、だれにも思われました。
sentence_w.3.1_02: Nu, tamen, diris alia, kiu pendigos la tintilon al la kato?
ところで、だが、だれがそのスズをネコの首にかけるのかと、ほかのネズミが言いました。
}
{
2) 願望文:
sentence_w.3.1_03: Se li estus sana!

3) ひとつの文が、ほかの文に従属している複文:
sentence_w.3.1_04: Mi deziras ke vi bone legu la libron.
}
{
sentence_w.3.1_05: Faru tion, kio placxas al vi.
君の気にいることをしたまえ。
(placxi al ... に気にいる)
sentence_w.3.1_06: La demando estas, cxu sxi vivas aux ne.
問題は、かの女が生きているか、どうかである。
}
}
w.3.2
{
sentence_w.3.2_00: Mi ja povus sciigxi, kiu ne tauxgas por ofico.
だれがつとめに適当しないか、知ることができるだろう!
pov'us できるかもしれない(-us 仮定)
sentence_w.3.2_01: Mi povus diferencigi la sagxajn de la malsagxaj!
おろかものと、かしこいものとを区別することができるわけだ!
sentence_w.3.2_02: Kaj li donis al la du trompantoj grandan sumon da mono antauxe, por ke ill komencu sian laboron.
そして、かれはその二人のサギ師に、すぐ仕事をはじめるように、たくさんのおカネを前払いでやりました。
}
{
sentence_w.3.2_03: Via korespondado estas senfine cxarma kaj mi bedauxregus, se vi finus gxin iam.
あなたのお便りは、はてしなく心をひきつけるものであり、いつかそれをやめるとしたら、わたしは、とても心残りにおもうでしょう。
}
}
w.3.3
{
{
sentence_w.3.3_00: Neniu volis lasi rimarki ke li nenion vidas, cxar alie li ja ne tauxgus por sia ofico aux estus terure malsagxa.
だれも、自分にすこしも見えないと、ひとに気づかせたくなかったのです。それは、さもないと、自分の仕事にやくにたたないか、おそろしくバカということになりかねないからでした。
}
{
sentence_w.3.3_01: Ho, se mi povus priskribi al vi la svedan printempon kun gxia delikata cxarmo!
アア、やさしい魅力にあふれたスエーデンの本のことを、あなたに書いてあげられたら!

sentence_w.3.3_02: Longe mi ankoraux volus babili, sed estas malfrue, kaj jam frumatene mi devas eklabori.
長いこと、もっとおシャベリしたいのですが、もう時間がおそいです。それに、朝はやくに仕事をはじめなければなりません。
}
{
w.3.5
{
sentence_w.3.5_00: Se mi havus okazon vojagxi, migri de lando al lando, rigardi, esplori, admiri!
国から国へ旅をし、めぐり歩き、ながめたり、しらべたり感心ぶしたりする機会が、もしあったら!
}
{
sentence_w.3.5_01: Se vi tiam estus kun mi!
そのとき、あなたがいっしょにいたらばね!
sentence_w.3.5_02: Mi tre gxojus, se mi povus vidi vin iam en nia dometo.
いつか、わたしたちの小さな家であなたにお会いできたら、ずいぶんうれしいことでしょう。
}
}
w.3.7
{
{
sentence_w.3.7_00: Mi revante auxskultas, mi volus kompreni,
うっとりと耳をたて わたしは知りたい
vol'us(仮定) …したいのだが。
}
{
sentence_w.3.7_01: Kvazaux la sopir' en la vocxo kasxigxas
Kaj auxdigxas en gxi rememoro...
その声に といきのようなものがひそみ
思い出がきこえるようだ。
}
{
sentence_w.3.7_02: Se venus ankoraux ventegoj, batal' ni estas jam bone harditaj,
まだまだ、大風や戦いがこようとも、わたしたちは、もうきたえあげられている
}
}
w.4.1
{
sentence_w.4.1_00: Tie, laux la informo de amiko, li povus ricevi duoble tiom, kiom li nun akiras per la hakado kaj segado.
友だちの話では、そこでは、木をきったり、ひいたりして今かせいでいる2倍はもらえるかもしれなかった。
}

これでどうだのバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

かうやつて、文脈を無視したcorpusを眺めてみやすと、いろんなところが見えてきやすね。

仮定法とは関係ごぜえやせんが、憚りながら一寸紹介させていただきやす。

sentence_w.1.7_00: Nia instruisto donis al ni adresojn de germanaj kaj italaj esperantistoj por ke ni korespondu kun ili.
ぼくたちの先生は、ぼくたちが通信するようにと、ドイツとイタリアのエスペランティストの住所氏名をくださった。

しつかかりはkajの用法でがす。
英語のセンスでいはさせていただきやすと、germanaj kaj italiaj esperantistojつうと、

”その世界語者は独逸と伊太利亜の二重国籍者か!”

となりやす。
Esperanto論理学では、これはこれで宜しいのでがすか。
あっしゃ、kajをauxにする方がよいと思ひやす。

まあ、このあたりは言語によつて違ひの目立つところでがす。

そんから、仮定法とその周辺と書きやしたが、この例を使つて周辺の部分を説明させていただきやすね。

ここでは次の説明がありやす:

por ke... ~u …するために(命令形をつかうのは「願い」の気持をあらわすため)。


このやう命令形がEsperantoでは目立つのでがす。
自然言語を勉強してをりやすと、この命令法の用法には違和感を感じやす。
これがZamenhofの発想によるのでしたら、”でかした”と思ひやす。
普通は、ここでは接続法を使ふことがありやす。
独逸語ではum ... zu ...の用法もありやすね。
英語ではfor ... to不定詞を使ひやすね。

Esperantoの中でも、屹度いろんな表現方法があるのだと思ひやす。
どんな言語であれ、
”試験をして、テメエらの脳味噌に順位をつけてやるぜい”
つうことになりやしたら、途端に勉強するのが”や”になつちめいやすねえ。
ホントのところはどうなんですかい。
”四週間”をタテ・ヨコ・ナナメに読みつくしても、あっしには理解できやせん。
そもそもこの本の評価はどうなんでがすか。
あっしゃ、四週間シリイズのある言語でやんしたら、一応bench markとして使ってをりやす。
でも、”モンゴル語四週間”のやうに、初日分から拒否反応を示したのもあったのでがす。

では、バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

AKIUMIの若旦那

>【1】エスペラントで“仮定の意味”「もし・たら・れば」を導く接続詞は"se"のみ。

英語のバヤイ、when clauseで条件節を設定できやす。

大山 泰生:ネイティブスピーカーになれる唯一の勉強法:民事法研究会,2010から例文を引かせていただきやすね。(p. 74)

When you try to use this computer 5 times, you will be able to use it perfectly.
あなたがこのコンピュータを5回使ったら、完全にこれを使えるようになります。

このやうな条件設定はEsperantoにはねえのでがすか。
kiam clausesを”四週間”すくひ取りやしたが、どうもさうのやうでがす。
Esperantoの設計思想から言つても、さうすべきでがすね。

例:

w.2.6
Natura demando
Onklino--Kiam mi havis vian agxon, mi neniam mensogis.
Neveto--Kiam do vi komencis?
[訳]1. 当然の質問
おばさん――わたしが、あんたの年には、けっしてうそをつきませんでしたよ。
小さなおい――じゃ、いつうそをつきはじめたの!


さう言へば、中学生の頃以来、if clouseと類用の働きをするwhen clauseのnuanceを適切に理解してをりやせん。
これを知つてゐて、条件節をどのやうにして表現するか、につきやしては、翻訳会社のtrial問題には使へやすね。

http://cosmos.nobody.jp/grammar/conditional.html

”Esperantoの側から英語を照らす”つうのは、かういふやうに、いろいろとしつかかりながら英語の語法の点検をすることでがす。

でも、条件節を使はねえで英文を書くほうが、より自然でがすね。

ex.
Perfect use of this computer will be obtained after its five-times trial use.

ここでは助動詞をmayにする方がより自然でがすね。

mayに相当する助動詞がEsperantoにはねえこともしつかかりやすね。
この点につきやしては、いつかトピを立てやせう。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

暫く自己レスが続いてをりやす。
自己レスのbedaurenでがす。

さて、直前のコメでは条件を示すのに英語ではif clauseとwhen clauseでは微妙なnuanceの違ひがあることを書きやした。(この文の可笑しいところ、判りやすか?)
specifically, それらのclausesにて実現する可能性が小のばやいにif clauseを、大のばやいにwhen clauseを使ふのでがす。
でがすらから、いずれのclausesであれ、実際にはその事象がまだ生起してをりやせん。
学校の英文法では、未来に関する副詞節では時制として現在形を使ふとなつてをりやす。特に仮定法の適用はごぜえやせん。

sentence_w.1.5_00: Se vi iros al Kamakura morgaux, mi ankaux iros kun vi.
君があした鎌倉へいくなら、ぼくも君といく。

Esperantoは英語ではねえので、上述の文法規則は適用されやせん。上の例文では未来形が適用されてをりやす。
このあたりは、”四週間”では触れてをくべきでやんした。

sentence_w.1.5を機械翻訳により英文に変へるならば、当然ながら、条件節ではifかwhenのどちらを選ぶかを決めなければなりやすめえ。
その決め手は文脈でがす。
でも、defaultとしては、特に指定がなけりや、どちらを選ぶのかの指定がなけりや(例えば、”仮に万が一”に相当する副詞が着くとか、つかねえとか)、どのうやうになるのでがすか?

実際、英語はおほらかではなく、特に書きバコトではコマゴマと状況を指定してをりやす。
このあたりは、大多数の日本語話者は認識してをりやせん。
でがすから、契約書とか特許とか裁判などで、失敗しやす。
esperantistasどもも”友愛”などと言つてゐるテンネンが多いので、このあたりが心配でやんす。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン

バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

接続法のcorpusに追加をさせていただきやす。
”四週間”をさらに校正してゐたら、kvazaux関係で2件めつけやした。
まだwarna warnaと出てきたら、その都度、sentence idをつけて公表させていただきやす。

ここから

w.3.5
{
sentence_w.3.5_03: S-ro Inoue tute ne parolis pri la afero kvazaux li ne scias tion.
まるで知らなかったように、井上さんはそのことをまったく話さなかった。
}

w.4.5
{
sentence_w.4.5_00_0: Kvazaux li koleras, li estis silenta.
sentence_w.4.5_00_1: Kvazaux li koleras, li restadis silenta.
まるで怒っている(koleri)かのように、かれはだまっていた(silenti)。
}

ここまで

バッサ・バサバサのバサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

kvazauxの使用につきやしては、modusに混乱があるのでがすか?

そもそも、このkvazauxは羅典語のqua siに由来いたしやす。
ラザ坊はgymnasiumでこれをしらつたのでがせう。
英語ではqua siをつづめてquasiと書きやすと、これは”準”つう意味の接頭語になりやす。
例へば、"quasidimentia"などでがす。
quasiのあとにhyphenとかspaceの続くことがありやす。
雑誌投稿するバヤイ、注意いたしやせう。

さて、このqua siでがすが、これをそのまま英語と独逸語に逐語訳いたしやすと、それぞれas ifとals obとなり、この配下の節ではそれぞれ仮定法と接続法が適用されやす。

{
Sit down in this chair as if you were I.
君が私であるかのやうに(あたいになつたつもりで)、この椅子に掛けなさい。

Die Sonne schien so warm, als ob es Fruehling waere.
日差しが暖かくて、恰も春のやうであつた。
}

ところが、仮定法のcorpusを眺めやすと、エペスラントでは直説法も適用されてゐるのでがす。

仮定法適用の総まくり:1件

sentence_w.2.4_00: Estas tre gxoje dum la lecionoj, ni multe parolas kaj ridas; ni sentas, kvazaux ni konus unu la alian jam de longe.


直説法適用の総まくり:3件

sentence_w.3.5_03: S-ro Inoue tute ne parolis pri la afero kvazaux li ne scias tion.

sentence_w.3.7_01: Kvazaux la sopir' en la vocxo kasxigxas kaj auxdigxas en gxi rememoro...

sentence_w.4.5_00_0: Kvazaux li koleras, li estis silenta.


なにか”揺らぎ”が用法にあるやうに思はれやす。
既に何か規則でも決まつてゐるのでがすか?

トオシロオ的に申しやすと、エスペラントの仮定法は適用対象が現在だけではないのでやんしょか。
そんから、kvazauxについてのみ言や、仮定法の適用はoptionになる。

英語や独逸語では仮定法・接続法でも時制がありやす。
英語のバヤイ、”これは仮定法であつて、文の間違ひではねえのだ”つうのに気付くまでに、些か時間がかかりやしたね。

ほかにもwarna warnaとcorpusの中を探検してみやすね。

みなさんも羅典語とか古典希臘語などの例をあげてくだせえやし。
西班牙語では否定の命令文では接続法を使ひやすよん。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
コメント20 で、ばさけんさんがおっしゃるように、

>>【1】エスペラントで“仮定の意味”「もし・たら・れば」を導く接続詞は"se"のみ。

というのは間違いですね。失礼しました。
Se の他に、Kiam もありますね。

>When you try to use this computer 5 times, you will be able to use it perfectly.
>あなたがこのコンピュータを5回使ったら、完全にこれを使えるようになります。

という文章は、Kiam を使って
Kiam vi uzos cxi tiun komputilon 5 fojojn, vi povos uzi gxin perfekte.
とできます。
もちろん、Kiam の代わりにSe を使っても大丈夫です。

バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

AKIUMIの若旦那、ご機嫌やう。

やつぱ、条件節ではkiomも使へやすのでがすね。
”四週間”ではこれが確認できねえのでがす。
まあ、text fileの校正が殆ど終はつてねえのでがすから、断定はできやせんが、
不確実な情報を基にして考へても、どうもさうらしいのでがす。
この本は癖が多いので困りやす。
安保条約がどうの、とか、労働者・セイガク・兵士どもが街中でデモを盛大にやつたとか、何処そこの相撲部屋の賭場ではインチキが目に余るとか、そんなどうでもよいこたあばかり書いて、肝心要(かなめ)のエスペラントの設計思想には触れてをりやせん。
ええ、あのアントカ条でがすよん、Fundamento de Esperantoの。
例へば、二重否定は使用しねえ、などでがす。
あっしも、別にこのバコトに思ひ入れがある訳ではごぜえやせんので、上述のFEはまだ精読いたしてをりやせんが、
ここは行きがかり上、矢張り一回は目を通してをくべきでがす。

http://www.akademio-de-esperanto.org/fundamento/index.html

(いま読んだけど、てえしたこたあ、なささうでがす。
 二重否定禁止の条文は何処にありやすか。)

こんなペエヂ、めつけ。

http://espabc.blog.so-net.ne.jp/archive/c186773-1

で、まあ、エスペラントではseとkiomにニユアンス上の差がねえことを願つてをりやす。
本当に差がねえのか、それともあるのか、につきやしては、検証の必要がありやす。
”べし・まほし”と”なり”とは違ふからでがす。
この検証では、”四週間”を無視して、”星の王子様”を使ふ心算(つもり)でがす。
エスペラントの”王子様”(La eta princo)はここで眺められやす。

http://i-espero.info/files/elibroj/eo%20-%20saint-exupery,%20antoine%20de%20-%20la%20eta%20princo.pdf

各言語での翻訳物が蜘蛛の巣上で利用できやすから、down loadして、1文づつを対訳表にしてExel table上に貼り付けやすと、corpusができあがりやす。

問題は、la demando estas ke mi havas あっしにやそのやうなシマがあるかどうか、でがす。

つうことで、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
いつかソルチョの組座敷、
皆の衆で殴り込み。
ドスを1本帯に指し、
出入りだ、出入りだ、
まかせとけ。
伊達に彫物入れてねえ。
あつ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

どでもいい”拘(こだは)り”でがすが、直前のコメにてetaがでてきやす。

小せえ、ならmalgrandaが正則のエペスラントではねえのですかい。
ぢやあ、でけえ、なら、maletaなのでがすかい。

責任者、出てこおい。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

どうも、責任者は出てこねえ模様でがす。
けつ、勝手にしやがれい。

つうことで、人工言語から英語の機能を眺める試みを続けやす。
英語の条件文であるif句とwhen句の比較でがす。

以下は論理学の記述を含みやすので、非論理的な奴(やつ)がれはpassして下せえやし。

こんなラジオがあつたとしやす。

命題:

ラジオの上に手を翳(かざ)すと、
そのシトは頭痛がする。


現実の世界では、この命題は再現性が保障されてゐるこたあ、ごぜえやせん。
これが心理学などの論文を閲(けみ)するときには注意せねばなんねえことでがす。
特に、風が吹けば桶屋が儲かる、式の論文があるわけでして、再試験をされると、本当に実験をしたのかどうかが疑はれることがあるわけでがす。
英語で論文を書きやすと、このあたりは上手く収まることも、ありやす。

条件文でwhenを接続詞として適用いたしやすと、それは確実に再現性がある場合も含め、50%以上の確率で再現性が保障されるぐれえのnuanceがありやす。まあ、このpercentageをどこに設定するか、は研究者や投稿雑誌によつて異なりやす。その条件として、研究室の掃除が何時も行き届いてゐる、過去にscanalがない、白衣はいつも汚れてゐねえ、試験系の精度管理が保障されてゐる、実験ノオトには疑義がねえ、棄却検定のP値がいつも0.01以下である、100回ぐれえ繰り返して試験をした、飛び値が出たばやい、その説明ができる、実験室で飲み食ひをしてゐねえ、などがありやすねえ。esperantistaであつた江上先生のバヤイはどうだつたのでせうか。実験ノオトはauf Esperanto schreiben sollenでやしたか?で、万が一のバヤイを考へて、断定を回避するにや、助動詞としてmayを適用いたしやす。ただ、あっしゃ、浅学のためにいつもこの手が使へるかは存知やせん。whenとmayの二重適用は、”馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑はれた”ぐれへのしつこさが出るかもしれねえのでがす。

ご参考迄にmayだけの使用例を挙げてをきやす。
出典はダイソーの着火ライタアの表示物でがす。

ご使用場所の温度が低い時(10℃以下)は、着火しにくい”場合”があります。
This lighter may be difficult to light under 10*C (50*F).


このラジオのばやい、”頭痛のする場合がある”と記述するわけです。さうすると、論文のばやいでは、”頭痛がするための他の条件を研究してをり、それはてえげえすでに判つてをり、後ほど報告する”のnuanceが出てくるのでがす。

さらに助動詞として仮定法のmightを適用しやすと、一連の実験にてそのやうな事例を経験したことになりやす。但し、このバヤイは接続詞としてifを適用すべきでやんしょ。そして、助動詞は適用しやせん。nuanceとしやしては、”まれにそのやうな経験をしたことがある。その成立のための条件はまだ解明されてゐねえ。”となりやす。

ね、皆の衆、このやうにして学術論文の行間を深読みすると、研究は面白くなりやすね。

では、Esperantoで書いた論文での事例はどうなるのでやんすか。
あっしが持つてゐる論文はたつたの1本だけでがす。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110001714551/en/

これは蜘蛛の巣上で偶然にしろつたのでがす。
皆さんもこのやうな論文の収集にご協力くだせえやし。
表題だけがEsperantoだ、つう物理学の論文なら、日本語の論文でまま偶然以上にしろへやす。

では、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

ここで直前のコメにてえして業務連絡をいたしやす。

(1) ”ラジオ”は”ラヂオ”に替える方がよいでせう。
  これをさらに”ラヂヲ”にするのは、遣り過ぎでがす。

(2) エスペラントで書かれた論文を効率よく検索するには、検索語として"materialoj kaj metodoj"を適用すると宜しいかと存じやす。

(3) Internet Explorerで”王子様”のペエヂをbrowseしても、文字が小さいために、読めやせん。

http://i-espero.info/files/elibroj/eo%20-%20saint-exupery,%20antoine%20de%20-%20la%20eta%20princo.pdf

どうすりや、いいのでがすか。

因みに、このペエヂを保存しやしたが、画面いつぱにおつぴろげるこたあ、さうは烏賊の生殖器でやんした。

このobjectumをWord/Excel/PowerPointに貼り付けて、そんから改めてobjectuを拡大する以外(いげー)に方法はありやすかい。
ご教示の程、お頼み申しやす。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

ALIUMIの若旦那

en vuestro comiento [24]
>Se の他に、Kiam もありやすね。

もしかしたら、whetherに相当すると思はれるcxuも該当するかもしれやせん。

vgl.
sentence_w.3.1_06: La demando estas, cxu sxi vivas aux ne.
(この文では接続法が適用されてをりやせん。)

この疑問は大阪大学医学部医学部への編入試験の問題に由来いたしやす。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8699/kakomon/Osaka2001.html

ここで、関係のあるところだけを引用いたしやすね。

{
Myocarnal infaction leads to loss of tissue and impairment of cardiac performance.
The remaining myocytes are unable to reconstitute the necrotic tissue, and the post-infarcted heart deteriorates with time.
Injury to a target organ is sensed by distant stem cells, which migrate to the site of damage and undergo alternate stem cell differentiation; these events promote structural and functional repair.
This high degree of stem cell plasticity prompted us to test whether dead myocardium could be restored by transplanting bone marrow cells in infarcted mice.
}
この最後の文の中に仮定法の適用がごぜえやす。
couldがさうでありやす。
これは医学部への編入試験の問題なので、難しさとしやしては修士の入学試験に相当いたしやす。
それで、リトマス試験紙としやして、この仮定法をどのやうに上手く訳出できるか、を用ひてゐるのでごぜえやす。
しらてえバコトで言や、”しつかけ”でごぜえやす。
括弧内の訳を引用させていただきやす。
出典:竹内 薫:『ネイチャー』を英語で読みこなす;ほんものの科学英語を身につける:講談社,2003

心筋梗塞が起こると心筋組織が失われ、心臓の機能が損なわれる。
残った筋繊維では壊死した組織の再生はできず、心筋梗塞後は心臓は次第に弱っていく。
ある組織に損傷が起こると、離れた場所にある幹細胞がこれを感知し、損傷部位に移動して本来と異なる分化を遂げ、それによって構造や機能の修復が促される。
幹細胞の持つこの高度な可塑性に触発されて、死んだ心筋層が骨髄移植細胞によって回復するかどうかを心筋梗塞マウスを使って検証しようと考えた。


何故、仮定法が適用されるのか、につきやしては、イチイチ検討しなけりやなりやせん。
その理由(わけ)は、日本語には仮定法・接続法がねえからでごぜえやす。
例文では、研究計画書を執筆した時点では、検証対象の真偽が不明であつたからでごぜえやす。
動詞として裸のbeを適用しなかつた理由は、その可能性が文献的にも高い(たけえ)ところにあると推測されやす。
それに裸のbeの適用は文語的でがす。
また、命令法とも誤解されやすね。
絶倫亭精液豊富氏はこの点を誤解したか、または逆に英語の命令法を敷衍したか、が伺はれやす。

vgl.
sentence_w.1.7_00: Nia instruisto donis al ni adresojn de germanaj kaj italaj esperantistoj por ke ni korespondu kun ili.

どうでがすか。
この問題が解けさうなら、Esperantoのやうなeine minoren Zungeなぞ止(よ)して、お医者様にならうではねえの。
その方がゼニになる。
バヤイによつては、シト助けもできるかもしれやせん。
Es ist nicht zu spaet, medizinstudieren zu anfangen.

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサのバサケンだよ。
マイド。

corpusへの追加がありやす。
只今、”四週間”の校正をしてをりやしたら、1件をめつけやした。
これでがす。

w.2.7
{
分詞形容詞は不定法・条件法・命令法esti, estus, estuと組合せてもつかわれる。
sentence_w.2.7_00: Mi estus dirinta tion al sxi.
かの女にそのことを言っておくのだった。
}

仮定法の過去と未来につきやしては、それぞれ次の形をエスペラントでは適用するのでがす。

estus ~inta
estus ~onta

仮定法現在では-usを使ひやす。
仮定法現在進行形としてestus ~antaがあるのかどうかにつきやしては、存知やせん。

尚、欧羅巴の印欧現代語で-inta, -ontaに相当する動詞の形を使ふのはスラブ諸語でがす。
この形の適用にはスラブ諸語の話者以外には一寸違和感があるかもしれやせん。
このあたりは甲論乙駁されてきたことだらうと察しやす。
あっしにやかかはりのねえことでごぜえやす。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
マリネラ公国官報
エ・234797号

マリネラ公国臣民バッサ・バサケン氏による直前のコメントにつき公告を發す。

内容に瑕疵が多いため、コメントを自粛されたし。
尚、当該コメントは保存することに決定せり。

以上

マリネラ公国
皇室官房長官
兼 大公 バタリロ
マリネラ公国官報
エ・234798号

官報エ・234797号を無効とす。

以上

マリネラ公国
皇室官房長官
兼 大公 バタリロ
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

”四週間”だけでは、採集した例文量が少なすぎるので、別の入門書からも例文をしろひ上げやした。
引用:川崎直一:基礎エスペラント:大学書林,1979
第37講の3ペエヂ文をほぼすべて学術研究の目的にてここに引用させていただきやす。
川崎先生および・または版権所有者の太つ腹に感謝いたしやせう。
なほ、内容の一部は編集してありやす。


第37講
もしかれがきたら,はらうんだが
(仮定法)

動詞の変化語尾で,まだ説明していないのが1つあります。それはusで,仮定法の話尾なのです。

Sentence_EE_37_00: Se li venos, mi pagos.

‘もしかれがきたら,わたしはしはらうでしょう。’
osは未来の語尾です。Seは‘もし’で条件をあらわします。上の文は,例えば,集金人がきょうの年後3時にくる予定になっています。だから,そのときわたしはしはらいをする, というようなばあいです。
‘かれがくるようなことがあったら,わたしはしはらうのだが’
(かれがこないのだから,わたしはしはらわない)。
というような仮定のばあいには,仮定法を使うのです。

Sentence_EE_37_01: Se li venus, mi pagus.

仮定(事実の反対)は未来にかぎりません。現在でも,過去にもありえます。usという語尾は,仮定をあらわすだけで,時はあらわれていません。 しかしusだけでも,前後の関係で,だいたい時はわかるのです。 しかし時をはっきり示そうとすれば,つぎのようにすればよろしい。

Sentence_EE_37_02: Mi estus gxustatempe ricevinta ilian leteron, se ili ne estus skribintaj al mi tiel malfrue.

‘もしかれらがそのようにおそくわたしに書かなかったら,わたしはちょうどのときに(間にあうように)かれらの手紙とうけとっておったであろうに。)(間にあわなかった。)
つまり分詞形容詞を使うのです。gxust|a‘ちょうどの‘,temp|o ’時’,gxusta tempo‘ちょうどの時‘,これを1語にしたものなのですが,gxusttempeでは発音がしにくいのでaを保存して,gxustatempeにしたのです。
仮定文は,Se ...usという仮定の文と, その結果とやはりusであらわす文とから成りたつのですが,Se ...usのない文があります。

Sentence_EE_37_03: Mi gxojus iri.
‘わたしはいくことをよろこぶのだが‘
です。これは‘もし招待してくれるならば’というような仮定の文が省略されているのです。
したがって,つぎのような表現がでてきます。

Sentence_EE_37_04: Mi dezirus gxin havi.
‘わたしはそれがほしいんだが。’
これは‘もしくださるのならば…’が略されています。

Sentence_EE_37_05: Mi deziras gxin havi.
‘わたしはそれがほしい。’
のように,はっきりいうよりも,usを使うとおだやかな表現になります。

練習

つぎの文の意味を考えてください。

1. Sentence_EE_37_06: Ekzistas neniu homo sen cxagreno, kaj se ekzisitus tia, li ne estus homo.

単語 ekzlstlas‘存在する’. neniu‘どんなのも…ない’(否定形容詞)。sen‘…なしの’(前置詞).cxagren|as‘なやます’

解答
1.なやみのない人は存在しない;そしてもしそんなのが存在するとしたら(存在しないが),かれは人間ではないだろう。


ジグゾオ・パズルのピイスの再配置をとおして、問題点の発見に努力いたしやせう。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

仮定法の話題から逸脱いたしやすが、お許しくだせえやし。
これは、言語によるdefaultのバラツキの問題でがす。

Sentence_EE_37_00の表現は、英語の世界では不可解です。
Se li venos, mi pagos.
なぜなら、”いつてえ、きやつは何処に来るんでい”つうのがわかんねえのでがす。
それに、あっしはいってえ何に対して支払ひをするのでがすか。

仮に小学生に対して英語の導入用にEsperantoをおせえるとしたら、小学生どもはこのやうな不十分な情報を伝達するEsperantoを喋るやうになるでやんしょ。
まあ、これは杞憂でがすが、実際に英語をおせえても、同様の状況が発生し、亜米利加などでは、

”どうも日本人の喋る英語は意味が不明だ。発音はいいのだけど。”

と評価されるでがんしょ。

まあ、どーでもよいことでがす。
あっしにや、かかはりはごぜえやせん。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

>”どうも日本人の喋る英語は意味が不明だ。発音はいいのだけど。”

思ひ出した。
こんなことがあつた。
個人的な体験でがす。

”どうもバサケン先生の喋る中国語は意味が不明でがす。
発音は王府井(ワンフウチン)産まれの北京つ子と変はらねえのだけど。
それに、書き言葉で話をしてゐるやうでがす。”

と、このやうに中国人から指摘を受けたのでがす。

自分なりに原因を一所懸命に分析いたしやしたら、次のやうなことが判りやした。


(1) 日本語で書かれた中国語の教科書には、補語の説明が少ねえ。
(2) 現地で体を動かしてバコトの習得に励まねえ。


まことに頭の痛えことでがす。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

AKIUMIの若旦那、
それに皆の衆

Herr AKIUMI, der junge Gemahl, hat auf Plattdeutsch gesagt, dass
{
>やうやく手前(てめえ)の考へがまとまりやした。
>間違ひなどありや、ご指摘くだせえやし。
>長くなつちまつたので、先に結論を書いてをきやす。
}

あっしも、やうやく仮説(hypotheses)らしいものが湧いてきやした。

hypothesis_0:
仮定法・条件法・接続法の説明としては、中学校の英語で習ふやうな、”現実とは反対の事象(eventus)を説明する”だけでは扱ひ切れねえ諸機能(functiones)がある。

hypothesis_1:
hypothesis_0にて焦点を当てた諸機能は、言語によつて異なる。

hypothesis_2:
命題(thesis)を”その真偽は判定可能である”と”その真偽は[未だ]判定不可能である”に分類すると、その述語部にはそれぞれ”直説法”と”仮定法・条件法・接続法”を適用することができる。

hypothesis_3:
hypothesis_2にて”仮定法・条件法・接続法”を適用する場合、判定不可能性の度合ひより、演算子(operatores)の適用を変へることができる。

/* 演算子とは、はて奇異な感じがいたしやすが、意図的に使つてをりやす。勿論、数学でいふところのlaplacianやhamiltonianなどを意味しやせん。動詞句や助動詞のほか、判定不可能性の度合ひを示すこのほかのmarkers(副詞句を含む)を意図してをりやす。*/

hypothesis_4:
hypothesis_3にて動詞句や助動詞を適用する場合、更にそれらの”仮定法・条件法・接続法”を適用することができる。

hypothesis_5:
”仮定法・条件法・接続法”の適用に際して、その時制の適用を考慮するが、この考慮の厳密性は言語によつて異なる。

hypothesis_6:
条件節が欠落し、かつ主節のみに”仮定法・条件法・接続法”の適用がある場合、その条件節はdefaultとして"si opus sit"(若しも適切なる任意の諸条件の実行が満足されるならば)が充てられる。

つうことで、これらの仮説を証明するためにや、人工言語・計画言語(Esperantoなど)を含めた各言語の対訳textを串刺し検索により解析してゆくことが必要となりやす。
そのための材料といたしやしては、source languagesとして仮定法・条件法・接続法の使用頻度の高い(たけえ)ものが望ましいのでがす。
さらに、そのsource languagesから他言語への翻訳の多いことも条件でがす。
さうすると、source languagesの候補といたしやしては、羅典語や古典希臘語であり、これらによる著作にtextを求めることが必要となりやす。
さうすると、そのやうなtextとしやしては、聖書となりやす。
しかし、聖書はdefaultの思考部分が多いやうに感じられやす。
その当時はdefaultとしても、ほぼ万人に理解されたのかもしれない部分(羅馬法など)が、今となつては注釈が必要となり、そのために分析結果に偏りが出る可能性が危惧されるのでがす。
さうしやすと、分析の対象は現代ものになりやす。
例へば、ハリポタ・シリイズとか”星の王子様”でがす。
(蛇足でがすが、defaultとしてそれぞれのsource languageはそれぞれ英語とお佛蘭西語となりやす。)
text量の少なさから言へば、”星の王子様”の解析の方が適切かもしれやせん。
”しれやせん”つう理由は、王子様は現実世界と可能世界との区別ができねえからでがす。
この区別をしてゐるのは飛行士のほうなのでがす。
それで、飛行士は王子様の思考にかき乱されて、イライラ・イラリと砂漠の真ん中でしてゐたのでがす。
兎に角、対訳data baseの構築には、まず”星の王子様”の原文と日本語訳とEsperanto訳を供することに致しやせう。
そして、このprototypusがまづ完成したら、逐次、その他の言語訳も追加してゆくことに致しやす。

若しもこのやうな試みがすでに完成してをり、論文すら出版されてゐるならば、二重研究の防止の目的からも、その旨のご一報をいただけやすやう、お願ひ(ねげえ)いたしやす。

夜も更けてきやした。
明日の生業(なりはひ)に影響が出やすので、ここで心と体を休めやす。

でわ、ご免やして。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

何番のコメなのか一寸みあたらねのでがすが、英語のwhetherに相当するcxuの可能性について書きやした。
かういふ疑問には、辞書で当たればよいのでがすが、生憎あっしは戦前の豆辞典しか持ち合はせがねえのでがす。
それも、書斎の何処かを漂つてをりやす。

次の本(p. 163)にその例が載つてをりやすので、転載いたしやすね。
川崎直一:基礎エスペラント:大学書林,1979

{
Mi ne scias, cxu sxi diris la veron aux ne.
/* I do not know whether she said the truth or not. */
/* Je ne sais pas s'elle a dit la verite. */
}

論理的に考え(かんげえ)やすと、知らねえつうこたあ、その内容が判定不可能なのでがすから、hypothesis_2に従や、従属節中では仮定法・条件法・接続法を適用しなけりやなりやせん。
串刺し検索の結果や、如何に。
まあ、ボチボチとやりやせう。

つうことで、本業に戻りやす。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
それにつけてもバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

皆さんのヨロブン、
お元気でがすか。

あっしゃ、目下、充電中でがす。
この本を読んでをりやす:
西田 透:英語は仮定法だ:石風社,1995

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
まいど。

いま、あっしが読んでゐる本は、これでがす。

竹内薫:『ネイチャー』を英語で読みこなす;ほんものの科学英語を身につける:講談社,2003

その狙ひは仮定法についての訳しかたを拾ひ上げることであつたのでがす。
でも、どうも当てが外れてゐるやうでがす。
”やうで”つう接続法的な表現をさせていただいてゐる理由は、次の2点でがす。
(1)最後までまだ読み通してをらん
(2)skimmingしてゐるので、読み逃しはあり得る

さて、あっしが、なぜこれほど、仮定法・条件法・接続法に拘るのか、つう理由でがすが、学校文法ではカバアできねえ部分が多いことにありやす。
学校文法では、
If I were a bird, ...
Wenn er nicht gewesen waere, ...
などの形で、特に英語では、”現実とは異なる状況に対して用ひる”とあり、そこに後悔とか願望とか憤懣などの心象が入(へえ)つてゐる、となつてゐるのでがす。
で、この付帯条件がどうも嘘つぽいのでがす。
そんで、英語の先生方は不勉強なシトが多くて、英語以外の第二言語は勉強してをらねえものだから、答へられねえのでがす。
明治のご維新よりこのかた150年が経ちやしたが、英語についてはまだこんな状況なのでがす。
で、英語の先生方に根ほり、葉ほり問ひただしやすと、きやつらはキレるのでがす。
”チミねえ、いくら羅典語ではかう言ふ、古典希臘語ではかう言ふ、と比較の材料をいくら提示してくれたところで、をいらは興味ねえのつ。
そのやうに横に広く守備範囲を広げるよりも、先づは英語だけを狭く、深く掘り下げなせえ。
なぬう、エスペラント?
そんなの、大杉栄とかの無政府主義者どもの趣味であつて、そんなのをしてる、つうのを就職試験のときに言つたら、採用なんかされねえよ。
一生、おまんまの食ひ上げでい。
隠しなせえ。”
つうことで、てめえの不勉強を合理化し、それでもしつこく食い下がりやすと、こんどは大英帝国とかアメリカ合衆国のご威光を笠にして、えばりやがるのでがす。
まあ、お役人みてえなものでがすので、逆らつては不可(いけ)やせん。

では、前置きはこの程度にしてをき、先ほどの竹内センセの著書より例文を引(し)かさせていただきやすね。

文字数の定量制限から、ここでいったん筆をおきやす。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

直前の記事の続きでがす。

pp. 187-191
{
Shaking light from the void
瓢箪から駒、じゃなくて、光
The ghostly atics of virtual particles are not merely a theoretical curiosity: they can produce real effects.
仮想粒子の幽霊のような奇妙なふるまいは単に理論的な興味にとどまらない。目に見える効果があるのだ。
A famous exampleis the Casimir effect.
有名な例がカシミール効果だろう。
Place two mirrors parallel to each other, and a measurable attractive force arises between them.
2枚の鏡を向かい合わせにしてみたまえ。すると鏡の間に測定可能な引力が発生する。
It is caused by the disturbance of the quantum vacuum by the reflecting boundaries.
境界による反射が真空を乱すのが原因だ。
In effect, the mirrors constrain the virtual photons of the vacuum in the cavity between them, and this creates a negative pressure, or tension, which tries to draw the mirrors together.
ようするに、鏡と鏡の間の空洞に真空の仮想光子が束縛されて、それが不の圧力、いいかえると張力を生み、その張力が鏡どうしを引き寄せようとするのだ。
The authors suggest using small, superconducting cavities oscillating through a distance of a few nanometers at GHz frequencies.
著者たちは、小さな超伝導の空洞が数ナノメートルの距離にわたってギガヘルツの周波数で振動しているものを使うことを提案している。
They estimate that the amplification factor could be as high as one billion, which translates into a production rate of 10 photons per second.
著茶たちは、増幅因子が10億に届くかもしれないと見積もっている。これは、いいかえると、毎秒当たり講師が10個生まれるということだ。
}

この最後の文で仮定法が現れやす。couldでがすね。
これに対応する日本語は”かもしれねえ”でやんして、どこにも希望・願望・後悔などのモヤモヤした心象はごぜえやせん。
これが学校文法とは異なるとこででやんして、でわ、エスペラントではどのやうに処理するのか、つう興味があるわけでごぜえやす。
日本語から逆に英語に翻訳するバヤイ、このcouldを適用できるかどうか、が問題になる次第でがす。
素朴に考へ(かんげー)やすと、mightあたりを使ふか、一寸古い表現だけど、動詞をbeにしたくなりやすね。
エスペラントはcanとmayの区別をしねえから、エスペラントの世界での訳例を参考にできない可能性もごぜえやす。
まあ、ここでは実験的に照明をしたわけではなく、グラフ上の曲線を外装すると、そのやうに予想される、つうことでがす。

次は和文英訳の問題と答へでがす。
{
Somewhat to our surprise, we found that a uniformly accerelating mirror would have no effect.
いささか驚いたことに、われわれは、一様に加速される鏡には、効果がみられないことをみつけた。
If the mirror were to change its rate of accerelation, then electromagnetic radiation (real photons) would be produced.
しかしながら、鏡が加速率を変えるならば、電磁放射(実の光子)が生まれるのだ。
}

ここでは仮定法が2文ともに適用されてをりやす。
we found thatの文では、that clauseの内容は現実の発見であり、予想ではねえのでがすから、直説法を適用すべきではねえのでがすか。
その直後の文も、事実を記述してゐるのにもかかはらず、何故、仮定法が適用されるのでがすか。

Natureの編集部はacceptanceへのhigh qualityを求めやすので、あっしゃ、このあたりが不可解でたまりやせん。
でも、この本では仮定法の立場からは何も記述がねえのでがす。

つうことで、問題意識の一端を紹介させていただきやした。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

かいちょさま

>むかし古文の「反実仮想」で「〜ましかば、〜まし」といういい方がありましたので、仮定法の考え方は日本に全くなかった訳ではないと思いますが、いつのまにか(言文一致運動の流れの中で?)あまり使用されなくなってしまったみたいですね。

筑波大学の岡田教授がこの点につきやして研究をされてをりやすので、ご一読くだせえやし。

4.江戸時代の反実仮想の和譯法
http://homepage3.nifty.com/okadazu/German%20course/contents/7-5-4.htm

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

長い間、お茶を引いてをりやす。
”お茶引き”?
そんなバコト、知らねえなあ。
そりゃ、さうですとも。
昔の業界用語でがす。

で、”四週間”のテキスト・ファイル化への進捗でがすが、p. 233まで完了致しやした。
進捗度は63%でがす。
すなはち、第3週の4日目を通過中なのでがす。
公共図書館にて借り出しの更新をする直前にバタバタとテキスト・ファイルの校正をやつてゐる次第でがす。

百里を行く者は九十九里を以つて半ばとす。(戦国策)

耳が痛えなあ。
誰か、この名言を世界語に翻訳してごらん。

怠惰冬日何其長也。
勉強の夏日何其短也。
長短我不在日。

これも世界語に翻訳してごらん。

つうわけで、世界語への翻訳につきやして、不思議に思ふところを、別トピで綴らせていただく予定でがす。
一寸待つてておくれやせい。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン。
もしとつおまけにバサケンケーン。
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

>で、”四週間”のテキスト・ファイル化への進捗でがすが、p. 233まで完了致しやした。
>進捗度は63%でがす。

この度、遂にテキスト化を完了いたしやした。
これには、7か月を費やしやしたぜい。
訂正は2回やりやした。
ただし、最初の發音とか、表のところは端折つてありやす。
最後の訂正に要した期間は3日でやした。

次は、このテキストの対訳部分をExcel fileに移して、これをDB化することでがす。

テキスト化の作業を通して気がついたことを書いてをきやす。

(1) 語彙の選択に当たつては、(部品も含めて)細かい処に至るまで、同音異義の可能性を排除してゐる。
  でがすから、pordo, cigaredo, posxtoなどの、一寸奇異な音がありやす。
  でも、低級な人工知能で構文解析をしたり、またこのやうなシステムを搭載した機械システム間とか、そのやうな機械システムと人間システムとの間での音声通信を行ふにや、この言語は有効かもしれやせん。
  そのためにや、実証実験が必要でがす。

(2) 語彙の中には語源が不明なものが多すぎやす。
  これがEsperantoの普及を妨げてゐる可能性がありやす。
  その不明な語源を持つ単語や部品の音感は、確かな語源を持つ単語や部品の音感と比べやすと、違和感を感じるのでがす。

(3) 相関詞の表(la tablo)が出てきて、ここで一気に大量の相関詞が出てきやすが、あっしの頭脳がこれについて行けやせんでがした。
  実は、わっちの餓鬼の頃もさうだつだのでがす。
  その後、いろんな自然言語を試みやしたが、この相関詞に相当する語で頭脳がパニくるこたあ、なかつたのでがす。
  現状では、殆どの初心者・トオシロオがここでエスペラントのdrop outをするのではねえのでがすかい。
  言語の設計と教授法とは別物でがすぜい。
  ここんとこ、わかつておくれやし。

(4) 日常会話の例文が乏しい。
  文章語にしたつて、それを綴る時にや、頭の中で、その言語の口語、特に方言で考へ(かんげえ)てをりやす。
  文章を綴る時にや、雑念でさへ、その言語の口語・方言で浮かばなくてはなりやせん。
  かう言ふことができねえと、前置詞・後置詞、単数・複数、冠詞、関係代名詞・関係副詞などの、言語に魂を入れる機能のあるところが平滑に動かねえのでがす。
  ”四週間”シリイズでは、他の言語ではどうなつてゐるのでがすかい。
  古典希臘語とか羅典語では、会話文は乏しいでがすねえ。
  これから佛蘭西語を点検するところでがすので、この点検が終はると、この点について、報告するかもしれやせん。
  なほ、会話につきやしては、別にトピを建てる予定でがす。

(x) 全体に誤字が多すぎやす。
  大学(でえがく)書林ともあらう者が、一体(いつてえ)何をしてゐたのでがすかい。
  出版社の品位に関はりやすぜい。
  そんから、「エスペラント」は途中から「エス語」に替わつてゐるところが眼につきやす。
  jargonの使用をお控へ(ひけえ)なされやし。
  コムピユウタアやPCの世界では、jargonの多用により、新参者を排除しやうとする傾向があり、SEの世界などはギルド化してをりやす。
  エスペラントもそのやうなことをして来たのでがすね。
  contentsの偏りからも、そのやうな事情が忖度(そんたく)されやすぜい。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

知らんなあ、そんなシト。
さうです。このトピでは8か月ほど投稿してゐないからでがす。
Tempus fugit.
実は、あっしは病気をしてゐたのです。
昨年の10月15日に海に入(へえ)つて泳いでから、体調が悪くなり、2月には湿疹だらけとなり、そんから動けなくなり、その結果、頭が回らなくなつて、要は免疫機能が低下してゐるものと推測してゐるのでがすが、人間ドツクではまつたく正常、つう誠に不可解な体調でやんした。
この体験を通して、長期療養中の患者の方々の辛さが一寸は(ちつたあ)判るやうになりやした。
でも、またそろそろ海に入(へえ)るつもりでがす。そんから、瀧に打たれて修行をしてきやす。
心と体の健康には、皆の衆も充分に気を配つてくだせえやし。

Mens sana in corpore sano sit.

ここで、最後の"sit"が羅典語の"est"(直説法現在形)に対する接続法現在形でがす。
有名な格言でがすので、訳はつけやせん。

で、何を言ひたいのか、つうと、そのこと自体を忘れてしまつたのでがす。
思ひ出しやすので、暫くお待ちくだせえやし。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン。

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