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エスペラント ESPERANTOコミュのエスペラントは1000年後に生きているか?

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よくエスペラントの未来について考えています。
どうやったら広まるだろう?
広まるとすれば、その言語はどういう条件を備えているだろう?

結論から言うと、今、エスペラントの文化をしっかり作るべきだと思う。
もっと特化すれば、エスペラント音楽と古典を。

外国語を学びたいと思う動機は、
?仕事に有利
?大多数の外国人が共通語としてしゃべっている
?その民族の文化に触れたい
に大別されると思う。

このうち?、?は英語が席巻している。
残るは?。
しかし、エスペラントは特定の民族を持たない。
そこがいいところでもあるのだけれど、残念ながら大勢の人間を惹きつける要因には至っていない。
多大な労力を必要とする、言語習得に見合う恩恵は与えてくれないと考えられているからだ。

一方、
古池や 蛙とびこむ 水の音
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

と歌うとき、翻訳された作品から、どれほどこれらの歌を感じることができるだろうか?

青蛙 躍進古池 水的音 (鄭振鐸)
The silence; The voice of the cicadas soak into the rocks

などの外国語訳より、日本語で鑑賞した方がこれらの句を感じることができるだろう。
同じことは逆に、日本人がシェークスピアを読む時にも言えるかもしれない。
だから外国語を学ぶのだ。

百人一首も現代語訳は見るがやはり、原文で読む方が味がある。
万葉集も理想的には万葉仮名で読むべきだ。

古典の重要性。
古典には民族のルーツがあり、歴史がある。
それがその言語に厚みをもたらす。
エスペラントにはそれが乏しい。
もちろん各国の文学作品をエスペラント訳にすることは進めていかなければならないが、同時にエスペラントによるエスペラントの古典がもっと作られるべきだ。
エスペラントにしかできない表現。エスペラントで味わいたい作品。エスペラントならではの文化。

この音楽を聴くために!この小説を読むために!この詩を理解するために!エスペラントを学ぼう、となってほしい。

1000年後、(そもそも人類が生存しているのかということは置いといて)エスペラントが滅びていないにしても、今と同じような状況で細々と続けられているとすれば、あまりにもさみしい。

Esperanto cxu vi havas la estontecon?

---
Saturday, 2. October 2010, 04:34:07
http://my.opera.com/Akiumi/blog/1000
 

コメント(38)

私は、音楽にも文学にもあまり関心がないので、エスペラントによる人間交流が好きです。

 と言っても海外にエスペランチストの友人がいるわけでもありません。

 でも、2000年に開催された関西エスペラント大会の時に(現)大阪大学のタニヒロユキ先生がエスペラントと英語の比較を
 自転車を使った旅と飛行機を使った旅
に例えられました。

 エスペラントは効率よくというわけにはいかないけれど、味のある旅ができると。

 私は、とてもいい例えだと思いました。いつかパスポルタセルボを使った旅を、と思っていたのですが、なかなかできそうにもありません。

 これだけ海外旅行をする人が増えたのですから、パスポルタセルボを使った楽しい旅のPRがいいように思うのですが、いかがでしょうか?

 海外の方では、エスペラントを上手に使って、仕事にも役立てた、と言う方がおられるようですが、仕事には、なかなか役立ちませんね。
人間交流の旅。

確かに・・、いいですね!

 わーい(嬉しい顔)飛行機
エスペラントを広めようとすることも大切だと思いますが、楽しくエスペラントを使うことが
一番かなと思います。
楽しく使っていれば、周りの人も使ってみようかなという気になってくれる。

とりあえずぼくは "la espero" を歌ってみました。

http://flavaj.mitona.co.uk/magazeno/tosi@muzenzi06la-espero-take2.mp3
エスペラント語の曲、いずれ書いてみたいと思っています。

しかし詩が見つからないのが現実。

また詩を書ける人にも出逢えず。

ボーカル曲や合唱曲の新しいレパートリー、またイタリア語やラテン語が好まれるクラッシック音楽畑の声楽曲にも適した言語だと思います。

この分野が今後開拓できるといいなぁ。
>ラスプチンさん
一つエスペラントのショートフィルムを知っています。
http://vimeo.com/13356766

La filmon faris neesperantisto el Turkio, Tuğçe Madayanti Sen.
http://www.liberafolio.org/2010/senmova

こんな映画がたくさん出てきたらいいですね!
 
こんにちは。

音楽や映画とは違う分野になりますが・・・。

エスペラントの思想を根底にした新しい運動があります。

スポーツや学校体育とは全く違う思想に基づいており、
名称や用語においてエスペラントが頻繁に使われております。

→http://diarogo.com

これを通じてエスペラントの
普及に一役買いたいとも思っています。
dialogo おもしろそうですね。
そのうち是非やってみたいです。
>とし兵衛/tosibee さま

ありがとうございます。

近い将来、エスペラント協会にも紹介するつもりです。

ディアローゴに限らず、エスペラントが様々な分野
で生かされ、そして根付いていけば良いですね。
昨日「F氏のエスペラントマジックわくわく訪問記」(福田俊弘著)を購入しました。こんな楽しいエスペラント活用もあるのだと感心しました。

危ないと思われているアフガニスタンにも何度も行っておられるので、驚きました。(まだ、しっかりと読んでいないのですが)

マスコミ報道を鵜呑みにしないで、自分の目で確かめることができるのですね。

こういう交流から平和な世界が生まれることを願っています。
福田さんの話は以前お聞きしたことありますが、面白かったです。
本が出ているのは知りませんでした。
http://www.jei.or.jp/libro/mazziku.htm これですね。
機会があれば読んでみたいです。
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

将来、エスペラントはどうなつてゐるかつて?

マヂに回答いたしやす。
この人工言語は滅びやす。
これに匹敵する言語も出ては来ない(こねえ)でやんしょ。

一寸、理由を説明いたしやすね。

(1)設計当初から、言語の中に変な自我を投入してをりやす。
   これが足かせとなつてをりやす。
   これに触れることもタブウになつてをりやす。
   そんで、変なフリイ・メエソンができやした。
   このギルドは外からは排他的に感じられやす。

(2)会話ができねえ。
   教科書的な会話の本はありやすが、起きてから寝るまでの間、実際の状況に即した文例が完備してねえのでがす。
   例へば、さつき調べやしたが、”これ、エスペラントで何つうの?”が直ぐにヒツトしねえのでがす。
   答へは、"Kiel oni diras en esperanto por cxi tio?"でがすが、かう言ふインフラが整つてゐねえのでがす。
   でがすから、謂はば漢文のやうなものなのでがす。
   書き言葉をいくら稽古しても、喋れやせん。
   危機言語では、日常の場面での表現がどんどんと抜けてゆくのでせう。
   Zamenhofは下手な戯(ざ)れ唄を書いてゐるよりは、分厚い会話集を一気に出版すべきだつたのでがす。

会話につきやしては、別にトピをたてる予定でがす。

本来はこのやうなショバではesperantoで会話すべきなのでがすが、やつぱ、日本語となるのでがす。
可笑(をか)しいと思ひやせんかい、皆の衆。
バッサ・バサバサ・バサケンケーン。
もしとつおまけにバサケンケーン。
   
   
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

tksekさん
bahasa indonesiaなら、話者数はとうの昔に日本語話者の数を凌駕してをりやすぜい。
インドネシアを統一してゐる仕組みのしとつがbahasa indonesiaでがす。

>それを踏まえて、エスペラントではずばり何が問題だと考えられますか?

それは、しとつは排他性ではねのでがすかい。
内輪の結束が固いほど、排他的になるのが、世の習ひなのでがす。
希望組合は、昔のセイガク運動の、例へば、革マル、中核、フロント、赤軍派とか、のやうな感じがいたしやす。
内輪で総括などが起こつてゐなけりやよいのですけど。

もしとつは、胡散臭さでがす。
これをオブラアトに包んで言へば、naiveさでがす。
大義名分を説けば説くほどに、その胡散臭さが目につきやす。
bahasa indonesiaはその大義名分を外側には発信しねえのでがす。
ヘブライ語につきやしては、知りやせん。

なほ、自我につきやしては、
”コンピュータのソフトウェアシステム開発に際して、システム内に自我を入れてはならんぜよ”
つう、たしかWeingarten先生のご忠告でがす。

第3番目は、最適性の問題でがす。
システム工学の仮説にあるのでがすが、
”最適の部分のみを組み合わせて、システムを構築すると、そのシステムはロクなものでもねえものになる”
つうのがありやす。
アインシュタインがマリリン・モンロオに言つたか、言はなかつたのかは、未確認なのでがすが、
”をいら二人が結婚すりや、できた子供はきつと美貌持ちで、天才ぜよ”
つうのがありやすが、世間一般の智慧では、効果はまつたくその逆になるものでがす。

第4番目はroad mapの不在でがす。
何を何時までにどのやうにして完遂してをくか、つうことでがす。
関係者はどうもこの計画表を策定してをらんのではないでがすかい。
でがすから、dilettantesのアクセサリーにエスペラントはなるのでがす。
stereotype的に言へば、{ベレエ帽、パイプ、エスペラント}が3種の神器になるのでがすなあ、ニセ・インテリになるための。

以上、いろいろと、耳に痛いことを書き散らかしやした。
「良薬は口に苦し」つうことで、お許しくだせえやし。
”真実は[別の]真実の敵だ」つうのを、ドン・キホテをしてセルバンテスが語らしめてをりやす。
どしても許せねえ、つうのでやんしたら、外部監査・内部監査つう経営学上の手法をお使ひになつて、一寸違ふ立場から検討してくだせえやし。

そんで、戦略のしつとでがすが、akiumiの若旦那はcontentsの充実を説いてをられる訳でごぜえやす。

でも、あっしゃ、危機言語としてエスペラントを捉へやすと、寧ろこの言語を子供が自由に喋れるやうにならなきやならん、と感じてをるのでごぜえやす。
合衆国・カナダ・ロシア・中国などの危機言語では、子供たちがmajor languagesにコオドを転換してゐるのでがす。
言語学はあっしゃトオシロオでがすが、表面上はそのやうに見えやす。
でがすから、エスペラントを大人の机上の遊戯道具にしちゃ、益々好事家だけのなかよし組合内の符牒になるわけでがす。

”これをエスペラントではなんつうの?”は、サバイバル・エスペラントの一環として取り上げやした。
サバイバル用の表現でがすから、これはGoogle上では何件もヒツトしなけりやなりやせん。
でがすから、”イタリヤ語ではなんつうの?”があるから、”そこから敷衍すりやいいでねえの”つうstanceは、ちと困るのでがす。
希望組合には排他性がある、敷居が高い(たけえ)とあっしゃ屡(しばしば)指摘してきやしたが、それはこのやうなところからも伺はれるのでがす。

会話用の英語のDB (database)につきやしては、あっしゃ、実は20年間ほどかけて延々と構築中なのでがす。
その効果がねえために、ここ数年間は休んでをりやす。
だから、なかなかDBは完成しねえのでがす。
最近気がつきやしたが、大人が英会話を覚える際でも、矢張り、乳児用の会話>幼児用の会話>子供用の会話>セイガク用の会話>大人用の会話>林住期用の会話、つうやうに、段階を踏まねえと、しつかりと身に付かねえなあ、と感じてをりやす。(さうしなきや、会話を聴き取れねえ、つうボロがまづ露呈するのでがす。)
会話のトピはこの視点から運営しやうかなあ、と考へ(かんげえ)てをりやす。

とても長い文になりやした。

でわ、最後のシメでがす。
バッサ・バサバサ・バサケンケーン。
もしとつおまけにバサケンケーン。
ばさけんさん、
> ”これをエスペラントではなんつうの?”は、サバイバル・エスペラントの一環として取り上げやした。

検索の仕方もいろいろとあると思いますが、"esperanza spanish english" とgoogleでやると "esperanza"の英語の意味が調べられたりするのですが、"espero esperanto english" ではうまくいきません。

これは google 側のチューニングの問題もあるのでしょうが、エスペラントを気軽に使うには、残念ながら今ひとつな一例です。

なお、エスペラントは少数派の言語としていろいろな可能性を持つ面白いものだと思っています。
(たぶん多数派にならないだろうし、多数派にならないところに意味がある、と考えています)
先日、エスペランティストの木村護郎さんが、ドイツ語の雑誌で読んだという印象的な文について紹介しておられました。
私自身、「未来とか大きなことばかり考えていないで、もっと現在(いま)のことを考えてみたら?」と言われてハッとさせられたことを思い出しました。
以下引用です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
エスペラントを学んで何がいいの?
−しあさっての夢想ではなく、きょうの現実として
「エスペラントではほかのどんな言語でもできないことができます。数十の国で、自由に話すことができるさまざまな生活背景をもつ現地の人々をたいして苦労せずにみつけたいと思う人にはエスペラントがいちばんおすすめです。」
 
バッサ・バサバサ
エスペラント界のドン・キホテ、
今日も鈍器でバッサ・バサ。
おお、怖つ。
バサケンでがす。
マイド。

tksekさん。
>kaj

これは、確かに日本人にとつてはいい音でがすね。
はつきりと聞き取れるし、適度の長さがありやす。
redundancyを考へて選んだのかもしれやせん。

>ならばそこにケチを付けても、どうしようもないのではないですか?

言語つうsoftware systemにはあまりケチをつけてはをりやせんが、
運営にもう一寸工夫がいるやうな気がいたしやす。
なにせ、進化にブレエキを自(みづか)らかけてゐるわけでして、ガラパゴス現象を起こしてゐるわけでがす。
”各国政府がこの言語を認める迄はうんぬん”つうドクトリンにつきやしては、現実としてはそのやうな夢のやうなことが起きるのでがすかい。
こんなことをしてゐる間に、コムピユウタア言語なら、雨後の筍(たけのこ)のやうに、いろいろと出てきやしたぜい。
経営学的に言や、エスペラントはそのうちに「茹でガエル現象」を起こすのではねえのでがすかい。

とし兵衛さん
>たぶん多数派にならないだろうし、多数派にならないところに意味がある、と考えています

あっしも、さう思ひやす。
一隅を照らすだけでよいのかもしれやせん。
でも、なんだか勿体ねえでがすねえ。
孤高を守る、つうよりも、他の少数派の自然言語と組みやどうでがすかい。

Googleの中にesperantistasを潜入させやせう。

AKIUMIさん
意思疎通のためのscreeningの一環としてこれを使ふのでがすか?
現実には、英語が巾をきかせてをるのでがすぜい。
channelは、畢竟、英語となるのぢやないでがすかい。
英語では提供されねえcontentsを、時間をかけてでも、充実させる、つうのはありやす。
参考までに言ひやすと、満州語は中国語のパラ言語として、これをやつてきやした。
でがすから、contentsは豊富だつたのでがす。
光緒帝は、漢民族に聴かれたくねえナシは満州語でしたらしい。
それで、宮廷で出世してえお役人どもは、満州語を習つたらしいのでがす。
大ひに、脱線いたしやした。

バッサ・バサケン
脱線大好き。
をいらの人生、脱線の続き。
脱線の中に意味がある。
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン


今日は、関西にいる古いJUNULOJと会っていました。新田さんと世古さんという方で、お話していてとても勉強になりました。

そこで浮き彫りになったのは、エスペラント界には閉鎖的な側面があるということです。建て前ではPONTO(架け橋)となる言語と標榜していたりするけれど、実はものすごく内輪だけで盛り上がってる。

それとは別に、本当にエスペラントを支えてらっしゃるのは、実は表立って出てくる人ではなく、個人個人でそれぞれにエスペラントの楽しみを見いだして、楽しんでいる方々なんじゃないかということです。
とし兵衛さんなんかが、それに当てはまるんじゃないかと勝手ながら思いました。

新田さんは、話者や会員の人数でエスペラントの浮沈を評価するのはナンセンスで、インターネットが発達してきている今、全く悲観すべき状況ではなく、むしろエスペラントがやりたいと思っていたことができる時代に突入しているとおっしゃっていました。

世古さんには、IJKを日本でやりたいのなら、今がやり時なんじゃないかと言っていただいたので、少し前に進めてみたいと思います。

#20 t k s e kさん、
「エスペラント」で馴染んでしまっているので「エスペラント語」には違和感があるのですが、
esperanto だけ特別なのもヘンだと思っていて、esperanta lingvo のほうがいいですね。

ともあれ、「これが正しい」的おしつけは、ちょっと勘弁してほしかったりもします。
(エスペラントの世界に限りませんけど……)

#21 AKIUMIさん、
エスペラントを、ほんの少しだけどやってきて良かったなと思える言葉を
ありがとう!
koran dankegon!!
バッサ・バサバサ
バサケンでがす。
マイド。

tksekさん
マイド。

>わたしとしては、各国がこの言語を認めても、改変しないでほしいと思います。

改変しねえ、つうのを極力守つてゐる言語の中には古典羅典語がありやす。
これで、時代が移り変はるとしても、contentsを正確に読み取ることができやす。
実証はできねえでやんしょが、Zamenhofの発想のなかにこの方針が紛(まぎ)れてゐると思ひやす。
古典羅典語はハンパなバコトではごぜえやせんぜい。
凄い造語力があるのでがす。
そんで、その単語が出現した時間的な経過を考慮せずに使つてもよい、つう暗黙の了解がありやす。
単語の登録は、先者勝ちでがす。
reactioつう単語はNewtonが造語したのでがすが、本当はredactioが正しいのださうでがす。
でも清濁併呑主義なのでやんすねえ。
この間違った造語がその後の各言語に継承されやした。

computer用の言語と自然言語とは本来異なるものだ、つうことはうつすらと存じてをりやす。
でも、あっしの経験から言へば、COBOLは自然言語でがす。つうか、脳に優しいcomputer用の言語でがす。
その昔、あっしゃ、COBOLで糊口をしのいでゐた頃がありやして、朝から晩まで、この言語でcodeをしてをりやした。
さうすると、COBOLの範囲内でがすけど、英語の回路が頭の中にできたのでがす。

まあ、思考とか意思疎通のためのinterfaceとして言語を捉へるなら、語順につきやしては、日本語のやうに制約の緩い条件が望まれやす。
そんから、どこででも、文を終了できる、とか、途中での推敲が自由だとか、発想を阻害しねえ、とか、いろいろと考へられやす。
で、その考へをこの実験用小型言語で実証・確認してえでがす。
さうすると、そのための条件として、エスペラント『語』を自由に喋れる、があり、当初、文章語の性格のあつたこの言語でどれだけ自由度の高い(たけえ)会話ができるか、が問題になるわけでごぜえやして、さうすると、我田引水つうか、いやそれよりも、卵が先が、ニハトリが先が、の問題になるのでがす。
なほ、ナシはそれやすが、先ほどの古典羅典語でも会話ができるのでがす。
有川貫太郎,他,訳:現代ラテン語会話:大学書林,1993
上述の成書をご覧くだせえやし。

エスペラント『語』につきやしては、あっしもエスペラント語に換へさせていただきやす。
実は、遠慮があつて、「エスペラント」にしてゐたのです。
小文字のesperantoが希望で、大文字のEsperantoが言語の名前(なめえ)かしらん、と例の「四週間」を電磁的にscanしやしたが、結論は出やせんでした。
「エス語」だけは絶対に使ひやせん。
日本の小市民的な感覚からいたしやすと、その響きになんだか小馬鹿にしたやうな感じがするからでがす。
それに詩的ではねえでがす。
この国では、まこと、バコトの中に魂が宿つてゐるのでごぜえやす。
をいら、詩人になりてえのさ。
なほ、中国語ではla lingvo esperantoのことを「世界語」(shijiewu)と言ひやす。
これは発案者の意思とは異なりやすが、大目に見ることにいたしやせう。
なぜならのcxar、日本語のカタカナ・バコトに相当する部分を中国語ではほぼ翻訳してゐるからでがす。

AKIUMIの若旦那
まいど。

>実は表立って出てくる人ではなく

こういふ人たちが、それぞれの一隅を照らしてをられるのでやんしょねえ。
そして、お子さんやお孫さんたちに垂直伝達すべく、会話をエスペラント語で続けておくれやし。

>インターネットが発達してきている今、

INつうworld wideなmediaのせいで、少数言語は益々滅びてゆく、つう論が昔ありやしたが、ネツトとハサミも使ひやうでやんして、環境に適応して語彙や表現方法などを増やして、いろいろと情報を発信すりや、元気が回復すると考へ(かんげえ)てをりやす。
その際、できるだけ音声も併用されるやう、望んでをりやすぜい。
Skypeはやつてをりやすかい。
あっしゃ、まだでがす。

「あつ、あの葡萄は酸つぱい。」
(
Kiel oni diras pro tie en esperanto?
Wie man sagt das auf Latein?
)

>閉鎖的な側面

やつぱ、さうでがすかい。
あっしのやうなKYなナニガシがそのやうに感じるのでがすから、実体は余程しどいシトもゐるものでやんしょねえ。

つうことで、また長い(なげえ)長文になりやした。
こんなことを続けてゐると、馬から落ちて落馬して、女の夫人にきつと笑はれるでやんしょ。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン
>> 25 S-ro t k s e k

エスペラント「語」といわないのは、エスペラントがどこの国の言語でもないことに由来すると説明されています。

各民族語は、「フランス語」「ドイツ語」「イタリア語」などのように特定の民族の母語です。

# 「中国語」とはいうけれど、あれは中国では「普通話」といいます。そうしたら、日本の
# 「標準語」ってのはどうなるんだ?「〜弁」というのが、日本の民族(民俗)語ですかね。

エスペラントを完全に母語とする国はないと思います。そういった訳で、エスペラント「語」と呼ぶのは適切ではない、ということでしょうね。
語という言葉の頭には民族名や国名だけがつくって決まっているんでしょうかね。

C言語のことをCと読んだり、Perlには言語とつけないけど、つけてもいいんじゃないかと思いますね。


「語」をつけないと、言語に詳しくない人にはそれが何か分からないでしょう。
なぜ例外を作りたがるのでしょうね。サンスクリットとか。
プログラミングに詳しい人と話すときはCとだけいいますね。Java言語もあまり聞かずにJavaとか、他にもC#とだけいいます。
おっしゃるとおりPerl言語と読んでもいいはずですし、Java言語というのも正しいですよね。

詳しくない人と話すときには、Perlっていうスクリプト言語があるんだけど、みたいな感じではなしますね。

ちょっとずれるかも知れませんが、慣れた言葉はアクセントが平板になるそうです。ミュージシャン同士で音楽のことを平板なアクセントでオンガクと言ったりするようです。 若者言葉、ある組織でしか使わない隠語を使用することである種の仲間意識を形成するという話も聞いたことがあります。
これに近いかなと。
だからエスペラントに語をつけている人は素人だと決め付けることで、自分は一段高いところにいるという意識があるのではないかと思いました。

私は個人的には「エスペラント」の方が聞きなれていますが、「エスペラント語」言ったほうが、エスペラントを知らない人にも言葉だとわかるのでいいと
思っています。

「チゲ鍋」には「チゲ」に鍋という意味が含まれているそうですが、日本語での会話において突然韓国語を言われても意味が通じないので合理性はあると思います。

「わたしたちは歴史というものを自分とはほとんど関係のない遠く離れたものように思っている。あるいは、図書館に並んだ古びた書物の中にあるもののように感じている。
 しかし、わたしたちひとりひとりにも確かな歴史があるのだ。それは日々の歴史だ。今のこの一日に、自分が何をどのように行うかがこの日々の歴史の一頁になるのだ。」ニーチェ(悦ばしき日々)

 エスペラントが華々しい文化や歴史を持とうが持ちまいが、世界の片隅のどこかで、この言葉を使い、人々が交流している。エスペラントの歴史は個々の人々に流れている。日本のエスペラント界も社会の縮図で少子高齢化だけれども、おそらくそんなささやかな文化と歴史は使う人がいる限り永劫に「もう一度!」と繰り返されると思う。
1000年前に書かれた源氏物語を21世紀に原文で読む現代人がいるように、エスペラントで書かれた名作も読みつがれて欲しい。

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