時々、大変不思議な思いに駆られることがあります。それは人と人との出会い、とか巡り合わせとか、人生の中のほんのちょっとした選択や偶然によって、私たちの人生の中での大切な出会いがあることが多いものです。こういうことに、私たちは神さまの働きを感じるわけですが、それはまた、大きな奇跡でもあると思います。考えてみれば、私たち一人一人がここに存在していること、命が与えられていることも大変なことですね。 子供の頃に見た、セサミストリートのクリスマス・プログラムの中に、思いやりを交わしあい、愛情を分かち合うことができる友人たちがいることを、「それこそが、本当の奇跡、正真正銘の奇跡」(It’s a true blue miracle)であるということがテーマの番組がありました。神さまから私たちひとりひとりに与えられている、小さな光、愛情や、ほほえみや、様々な才能や適正や、ただ、その人がその人であることも。 そして、主イエスがされた、数多くのことも、大変大きな奇跡ですが、その中で、理解しやすい奇跡は、私たちを、人間社会の力の論理(強い者が勝つ)や、そういう価値観の中で生まれる差別にどっぷりと漬かって、まったく出口が見えないような人間達に向かって、神の国の福音を伝え、その愛に生きる生き方を示し、私たちを解放して下さったことにあります。 パウロも、このように言っています。
私たちは、発想を大きく変え、生き方を変え、主イエスの示された道を歩むことができる、これも大きな奇跡です。ジェイムズ・クリーヴランドというゴスペル・シンガーの歌に、Where is your faith in God?(あなたの神に対する信仰は、どこにあるの?)という歌があります。あるクリスチャンが、信仰に躓いたクリスチャンの数々の悩みを聞いているのですが、「ずっと病気なんだ」、といっても、「お金がなくなってしまったんだ」、と言っても、それに対する返答はいつも、 「あなたの神さまに対する信仰は、どこにあるの?」なのです。 先日学んだ、神の王国の譬えの一つは、マルコによる福音書の4章26節以下です。