さて、今日のテキストは、ローマの第五代ユダヤ総督、ピラトが職権によって、イエスを審理する場面です。2〜5節は、最高法院(サンヘドリン)によるイエスの裁判の場面、14書60節以下と非常によく似ています。イエスは基本的に、ピラトの問いに答えません。唯一、「それはあなたの言うことだ」と答えています。この答え方は、「答えないぞ」という意思表示ととらえることができます。しかし、「お前は讃(ほ)むべき者の子キリストか」という問いに対して「私だ」という、神顕現をあらわす言葉を14章61−62節で使った後としては、この意味を受けて、「その通りだ」と言っているとも捉えられます。 テモテ第一の手紙6章13節には、「ポンティオ・ピラトゥスの前で立派な告白をもって証ししたキリスト・イエス」という表現があるように、一世紀のクリスチャンたちは、主イエスが、キリストとして、十字架にかけられ、その後復活して今私たちと共にあることを強く意識していました。 さらに、この、「それはあなたの言うことだ」(That’s what you say.)には、相手に対しての皮肉とも捉えられます。ローマは、そしてピラトは、イエスが救い主であり、解放者であるからこそ、恐れて抹殺しようとしているのです。あなたたち自身が主イエスをキリストだと思い、キリストが民をローマの支配から解放することを恐れているからこそ、十字架につけようとしているのだから。 それほどまでに恐れたのは、イエスの教え、生き方が、軍事力、経済力、政治力によって占領地や属国を増やし、統治していくローマの価値観と正反対であるために、理解することができずに恐れを募らせたのだと思います。