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日本キリスト会川崎教会コミュの「狐には穴があり、空の鳥には巣がある、しかし人の子には...」

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「狐には穴があり、空の鳥には巣がある、
                しかし人の子には...」

1.マタイによる福音書8章19−22節
 すると、一人の律法学者が近寄ってきて、彼に言った、「先生、どこに行かれようと、あなたに従ってまいります」。するとイエスは彼に言う、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭を横たえるところがない」。また彼の弟子の他に一人が彼に言った、「主よ、まず行き、私の父を葬ること許して下さい」。しかしイエスは彼に言う、「私に従え。そしてその死人どもに彼らの死人たちを葬らせよ」。

2.ルカによる福音書9章52節ー62節
 さて、イエスが点に取り上がげられる日々が満ちた時、彼は自らその面をエルサレムに向けて決然と進もうとした。そして自分の赴く先々に使者たちを遣わした。そこで彼らは先立って行き、彼のために備えようと、サマリア人たちのある村に入った。しかし彼らは彼を受け入れなかった。彼の面がエルサレムに向かっていたからである。これを見て、弟子たちのヤコブとヨハネは言った、「主よ、天から火が下り、彼らを焼き払うように私どもが命ずることをお望みですか」。彼はしかし、振り返って彼らを叱りつけた。そして彼らは、あるほかの村へと赴いた。
 すると、彼らが道を進んでいく時、ある者が彼に対して言った、「どこへ行かれようと、あなたに従ってまいります」。するとイエスは彼に言った、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭を横たえるところがない」。また彼は、他のある者に対して言った、「私に従ってきなさい」。しかし彼は彼に言った、「主よ、言ってまず私の父を葬ることを許して下さい」。しかし彼は彼に言った、「死人どもに彼らの死人たちを葬らせよ。しかしあなたは行って、神の王国を告げ知らせるのだ」。また、さらに他の者が言った、「あなたに従ってまいります、しかしまず、私の家の者たちに別れを告げさせることを許して下さい」。しかしイエスは彼に対して言った、「鋤に手をつけてから後ろを振り返る者は、一人たりとも神の王国に適する者ではない」。 
 新約聖書翻訳委員会訳

§「何のために学ぶのか...」

先日、久しぶりにカリフォルニアからマーク・カスレンさんが教会を訪ねて来られました。以前、Sanctuaryというとても美しいゴスペル・ソングを教えてくれました。今度は、People Get Readyをいう歌を持ってきてくれました。前回の川崎リトルライト・シンガーズのコンサートでも歌われていましたね。天国行きの列車がやってくるので、さあ、みんな準備しよう、という歌で、カーティス・メイフィールドという人が書いた歌です。

People get ready, there's a train a coming
You don't need no baggage, you just get on board
All you need is faith to hear the diesels humming
Don't need no ticket, you just thank the Lord

みなさん、準備をしましょう。列車が来ますよ。
荷物なんかいりません、ただ、乗ればいいんです
必要なのは信仰だけ、信仰があればその列車のディーゼルエンジンの歌声が聞こえます
切符なんかいりません、ただ、主に感謝すればいいのです

  神さまの前に、今立っても何も恥じることがない、そういう生活をしよう、ということを、天国のお迎えの列車になぞらえて歌っています。この歌に、ドキッとするような一節があります。

There ain't no room for the hopeless sinner
Who would hurt all mankind just to save his own
自分の命を救うために全ての人類を傷つけるような
どうしようもない罪人が乗る余地はありません、

  捕らえられている幻、実際は何でもない幻に捕らえられて、道を誤ってしまうと言うことは、人生にはよくあります。今現在問題になっている大阪地方検察の問題もそうですが、一体何が大切なのかということがわからなくなってしまうことがあります。正義のために、不正をただすために特別に大きな権限を与えられた組織が、その大きな権力に溺れ、自分たちのメンツを立てたり、功績を築くために、普通に働いている人々を陥れて犯罪人に仕立て上げるというようなことが行われ来たことが、今徐々に明らかになろうとしています。
  このような問題が起きたときに、特定の個人を叩くだけでは、この出来事から大切なことを学び取ったことにはなりません。これからの大切な教訓が、この歴史から得られるかということが大切です。
  
*マルコによる福音書8章34〜
 そして彼は、その弟子たちと一緒に群衆を呼び寄せ、彼らに言った、「もし人が私の後ろから従って来たいと望むならば、自分自身を否み、自分の十字架を担って私に従って来るがよい。実に、自分のいのちを救おうと欲する者はそれを滅ぼすだろう。しかし、自分のいのちを私と福音とのために滅ぼす者は、それを救うだろう。そもそも、人が全世界を儲けても、そのいのちが害をこうむっては何の益があろう。

 先日、ちょっと驚くようなことがありました。NHKで「ハーバード白熱教室」という題で、マイケル・サンデル教授のJustice(正義、義)を考える哲学授業授業放送され、この教授が来日し、東京大学で特別授業をし、それがまた放送されたということ、同じテーマの本、「これからの『正義』の話をしよう――いまを生き延びるための哲学」(マイケル・サンデル)がベスト・セラーとなり本屋さんに山積みになっていることです。
  ひとつひとつの身近な問題について、どのように考えるか、その考えにはどのような問題点があるのか、ということを考察し、吟味するという知的な作業の方法を実践で身につけさせる素晴らしい授業です。早道も、コツも、インチキも、打算もない、まっすぐな議論、まっすぐな哲学がこれほどに求められているということには希望を感じます。(インターネットでは、いつでも授業の様子が見られるようになっています。字幕はありません。http://www.justiceharvard.org/
   彼の問いかけの中に、「前の世代が犯した犯罪、過ちについて、あなたはその被害を受けた人に謝罪すべきか」、というものがありました。中国や朝鮮半島、また東南アジアで日本政府や民間人、そして日本軍が行った侵略に対して、あなたは謝罪すべきか、というのは大変複雑な問題です。
  この謝罪の要求や謝罪も、今現在の自分たちの立場をよくするために利用するのでは意味がありません。起きたことを検証し、非がある方は謝罪しますが、そこで浮かび上がった、してはならないことをお互いに歴史から学び、それを生かすものでなければなりません。例えば、中国がアジア・太平洋戦争で日本がした侵略に謝罪を求めるのにもかかわらず、チベットなどの侵略を続けるなら、それは歴史を利用しただけで、歴史から学んだことにはなりません。

§「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭を横たえるところがない」

  さて、今日の箇所も、読んでいくとなかなか納得しにくいところです。

*マタイによる福音書8章19−22節
 すると、一人の律法学者が近寄ってきて、彼に言った、「先生、どこに行かれようと、あなたに従ってまいります」。するとイエスは彼に言う、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭を横たえるところがない」。また彼の弟子の他に一人が彼に言った、「主よ、まず行き、私の父を葬ること許して下さい」。しかしイエスは彼に言う、「私に従え。そしてその死人どもに彼らの死人たちを葬らせよ」。

  「先生、どこに行かれようと、あなたに従ってまいります」という申し出では、大変よく聞こえます。しかし、これに対しての主イエスの答えは、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭を横たえるところがない」、です。これはどういうことなのでしょう。
  問題は、二つ考えられます。第一には、イエスを理解しているのではなく、自分の勝手に描いたメシア像を持って、イエスに従おうとしているのかもしれません。また、「 どこに行かれようと、あなたに従ってまいります」、という言葉に自己過信を読み取る聖書学者もいます。これはマタイによる福音書に限ったことですが、懸命に、無我夢中で(disparatelyに)イエスにすがりついて救いを求める者たちは、「主よ」と呼び、イエスを試そうとするような律法学者たちが「先生」と呼びかけています。
  「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭を横たえるところがない」、という言葉は、主イエスの孤独を指しています。人間社会の階級や武力、暴力の支配する人間社会で、神さまの直接支配する、天国がそのままこの地に実現した愛と平和に満ちたコミュニティーをつくり、そしてこの社会全体を代えていこうという試みは壁にぶつかり、この後は捕らえられて十字架につけられるという人生の結末を迎えます。そして、その後の歴史でも、主イエスの示した理想からは、かなり離れた形で原始キリスト教会も進んでいき、ついには男性だけが司祭となる(カトリック)教会ができあがっていきます。男も女も神の目からは同じように大切だと言うことを、その差別はいけないということを示されたイエスご自身の意志からはかけ離れています。また、権力者が教会や福音を利用する歴史も、戦争に利用される歴史をも思うとき、この主イエスの言葉、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭を横たえるところがない」は、私たちの心に突き刺さります。

  また、「主よ、まず行き、私の父を葬ること許して下さい」、も心に引っかかります。いったい、これのどこに問題があるのでしょう。当時も、親を葬ることは、大変大切な行いとされていました。
  主イエスが取っ払われたのは、男と女の壁、ユダヤ教徒と異教徒との壁、あらゆる差別のもととなる壁です。その延長で、自分の家族、親族という感覚を越え、すべての人たちが兄弟姉妹とする、意識改革を求めておられたのだと思います。ルカによる福音書でも、迎えてくれないサマリヤの人々に対して、報復をしようと弟子達が言いますが、それを否定されたのも、大切なことです。イエスのほうからは、拒絶したりしないのです。彼らもまた、兄弟姉妹なのです。
  「死人どもに彼らの死人たちを葬らせよ」は、主イエスが話されていたアラム語では、「ためらう者(メティーニン)に彼らの死者(ミティーフーン)を葬らせよ」と語呂合わせになっていて、この、「メティーニン(ためらう者)」を「ミティー(死んだ者たち)と誤って伝えられた(Mブラック)という説もあります。

・讃美歌124番
きつねにも穴はあり、鳥に巣はあれど、人の子は地の上にねむりたまいけり
住みたまえ、きみよ、ここに、この胸に

 この讃美歌にありますように、主イエスに、いつも、「 住みたまえ、きみよ、ここに、この胸に」と言える者でありたいと思います。

*ルカによる福音書6:36
「あなたたちは慈しみ深くなれ、あなたたちの父が同じく慈しみ深くあるように」

2010年 10月 3日  礼拝  高橋  誠  日本キリスト会川崎教会牧師

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