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日本キリスト会川崎教会コミュの「イエスとは誰か、という問い...バプテスマのヨハネの死」マルコ6:14ー

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「イエスとは誰か、という問い...バプテスマのヨハネの死」

*マルコによる福音書6章14〜29節

 するとヘロデ王が彼のことを耳にした。彼の名前があらわになったからである。そこで、ある人々は言っていた、「洗礼する者ヨハネが死人の中から起こされて現れたのだ、だからこそこれらの力が彼の中で働いているのだ」。ほかの者たちは「彼はエリヤだ」と言い、またほかの者たちは「かつての大預言者の一人のような預言者だ」と言っていた。ヘロデはこれを聞いて何度も言った、「わしが首を斬り落としたあのヨハネ、あいつが起こされたのだ」。
 というのも、ヘロデ自身が彼の兄弟フィリッポスの妻ヘロディアのゆえに、人を遣わし、ヨハネを逮捕し、彼を獄に縛りつないだのであった。それは、ヘロデが彼女を娶ったからである。なぜなら、ヨハネはヘロデにくり返し言ったためである、「お前が自分の兄弟の妻を娶るのは、許されることではない」。そこでヘロディアは彼を恨み、彼を殺したいと思ったが、できなかった。なぜならば、ヘロデの方が、ヨハネを義しい聖なる人であると見なして彼を恐れ、彼を保護したからである。ヘロデは、彼の言うことを聞いてどのようにしたらいいかまったくわからなくなりながらも、喜んでその言うことを聞いていた。
 すると都合の良い日がやって来た。ヘロデが自分の誕生日に宴会を催し、自分の高官たちや、千人隊長たちや、ガリラヤの名士たちを招いたのである。そこで彼の妻ヘロディアの娘が入ってきて、舞を舞ったが、それがヘロデとその同席の者たちの気に入った。王は少女に言った、「欲しい物は何でもわしに願い出よ。そうすればお前にやろう」。そして彼女に固く誓った、「お前がわしに願い出ることは、たとえそれがわしの王国の半分であっても、お前にやるぞ」。そこで彼女は出ていって、その母に言った、「わたしは何を願い出たらいいの」。すると母は言った、「洗礼者ヨハネの首よ」。そこで彼女はすぐに急いで中に入って王のもとに行き、願い出て言った、「いますぐに、洗礼者ヨハネの首をお盆にのせて、わたしにちょうだい」。そこで王は悲しみにとらわれたが、同席している者たちの前で誓った手前、彼女の願いを退けようという気にはなれなかった。そこで王はすぐに刑吏を遣わして、ヨハネの首を斬った。そして、その首を盆にのせて運んで来て少女に与え、少女はそれをその母に与えた。
 すると、ヨハネの弟子たちはこれを聞いてやって来て、彼の死体を引き取り、墓の中に横たえた。
並行箇所:マタイによる福音書14:1〜12、ルカによる福音書9:7〜9
  新約聖書翻訳委員会訳 佐藤 研訳
                                                                           
§「蛇のように賢く、ハトのように無垢に」

  先週は、鳩山総理大臣が辞任するというニュースがありました。わずか八ヶ月での降板でした。 彼は伊藤博文から数えて九十三人目の総理大臣でした。明治維新から百四十二年で九十四人ですから、平均すると一人あたりは全然二年に満たないので、内閣が短命なのは、今に始まったことではないことがわかります。
  よく、政治は理想主義だけではできないと言うことが言われますが、しっかりした長期的な、展望、必ず実現するべき理想を持ち、そこへ進んでいく意思と忍耐強さが必要です。短期的なことでは、妥協点を見つけて少しずつ進まなければばらないこともたくさんありますが、継続して課題を持ち続けて、少しずつ改善していくことが大切です。これは私たちの日々の生活の中でも同じですね。ニューオーリンズあたりの方言に、Hang tough.という表現があります。しっかりしろ、忍耐強くあれ、という意味で、You’ve got to hang tough; never give up.(おまえはタフにしっかりぶらさがっていろ;決してあきらめるんじゃない)というような使い方をします。
  主イエスは、マタイによる福音書でこのように語っています。

*マタイによる福音書10章16節
  見よ、この私が、狼どもの只中に羊らを遣わすようにあなたたちを遣わす。だから、蛇のように賢く、鳩のように無垢になれ。

   「蛇のように賢く、鳩のように無垢に」、というのはいいですね。理想を忘れないこと、失ってはいけないことをしっかり持ちながら、この世の中で潰されないために知識を培い、経験を積み、知恵を働かせることは大切なことですね。

§「新約聖書の時代のよみがえり、復活観」

   先日、十二人の使徒の選びについて学んだ際に、「おそらく、歴史上に生きたイエスなら、弟子の中から十二人を選んで、『使徒』として他の人たちと区別したりはしなかっただろう」、ということを申しました。(その十二人だけを使徒と呼んで区別しようとしたのは、ルカ/使徒行伝だけだったということを学びました。)何年か前に、負け組とか勝ち組とかいう言葉が流行りましたが、ほとんどの宗教は、自分たちを勝ち組の方に入れようとするのです。民族主義も同様です。キリスト教の歴史の中でも、同様で、これは、知らず知らずのうちに、例えば聖書を読みながらも、自分を選ばれる方、優越な方に身を置きながら読もうとするときに生ずる優越感と、それに付随して生まれる差別感とがあって、それに信じる聖書の正当性と自己の正当性とが重なり合うために、人種差別主義者のキリスト教徒という、本来なら考えられないような考え方をするグループが生まれたりするのです。
  しかし、洗礼者ヨハネと、イエスとは、こうした姿勢、当時のユダヤ教徒にあったこの宗教的、あるいは民族的優越感である選民主義を厳しく批判しています。しかし、これは当時のユダヤ教社会の問題として、私たちと切り離すことはできませんね。現代の民族主義国家であるイスラエルが持つのも同じ問題ですし、中華思想も、アメリカ中心の世界観も、また日本人の民族意識ももちろんそうです。
  自分たちだけを神に選ばれた民、選民と考え、他の人々を見下す人々に対して、洗礼者ヨハネは、こう言っています。

*マタイによる福音書3章9〜12節
 そして、『俺たちの父祖はアブラハムだ』などと心の中でうそぶこうとするな。なぜなら、私はお前たちに言う、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができるのだ。すでに斧が木々の根元に置かれている。だから、良い実を結ばぬ木はことごとく切り倒され、火の中に投げ込まれるのだ。
 私はお前たちに、回心に向け、水による洗礼を施している。しかし、私の後に来るべき者は私よりも強い。私はその者の皮ぞうりを脱がす値打ちすらない。彼こそ、お前たちに聖霊と火とによって洗礼を施すであろう。
 彼はその箕を手に持ち、その脱穀場を隅から隅まで掃除し、その麦を倉に集めるであろう。しかしもみ殻は、消えない火で焼き尽くすであろう」。

 ヨハネの問いかけは、本質を突くものです。イエスの弟子達が、ヨハネをイエスの先駆者と位置づけた理由が良く伝わってきます。

 「ヨハネの使信は、神の最後の裁きの到来を告知し、悔い改めと回心の比類なき機会を提供した。(彼の後に来るべき「より力あるもの」は本来神であった。後にキリスト教徒がこの言葉をイエスに言及するものと解釈した)ヘルムート・ケスター

 さて、今日のテキストを読んでいきましょう。

* マルコによる福音書6章14〜16節
 するとヘロデ王が彼のことを耳にした。彼の名前があらわになったからである。そこで、ある人々は言っていた、「洗礼する者ヨハネが死人の中から起こされて現れたのだ、だからこそこれらの力が彼の中で働いているのだ」。ほかの者たちは「彼はエリヤだ」と言い、またほかの者たちは「かつての大預言者の一人のような預言者だ」と言っていた。ヘロデはこれを聞いて何度も言った、「わしが首を斬り落としたあのヨハネ、あいつが起こされたのだ」。

  この箇所は、イエスが現れたことで、ヘロデ・アンティパスが動揺している様子です。ここで興味深いのは、イエスが誰なのか、という問いです。普通に考えたら、イエスはイエスなのですが、預言者エリヤであるとか、洗礼者ヨハネがよみがえったのだ、と彼らは言っています。これは、当時の復活観を反映しています。

*マルコによる福音書12章26〜27節
 死人たちが起こされることについては、あなたたちはモーセの書の『柴藪』のくだりで、神が彼にこう言われたのを読んだことがないのか、この私がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。神は死人たちの神などではなく、生ける者たちの神だ。あなたたちはひどく誤っている」。

  イエスにとって、アブラハムも、イサクも、ヤコブも生きているのです。肉体的な死だけでなく、その精神、魂が私たちの間だで生きているなら、彼らは生きているのです。ですから、ヘロデは、イエスに洗礼者ヨハネの精神を見ているのです。このことは、イエスの十字架の死からの復活を考え、理解する上でも、大切なことです。




§「洗礼者ヨハネの死」

 さて、今日の箇所でヨハネがヘロデ・アンティパスに投獄されている理由は、以下の通りです。ヘロデ・アンティパスはナバテア王国のアレタス王の娘と結婚していたにも係わらず、アンティパスの異母兄弟アリストブロスの娘で、やはり異母兄弟のヘロデ・ボエートス(マルコ・マタイにはフィリポスと書いてあるが)の妻であったヘロディアを好きになってしまい、彼女を兄弟から奪います。
 ヨハネは、これが近親相姦を禁じる律法(レビ18:16,20:21)に違反することを再三アンティパスに言ったために投獄されることになります。権力の前にも、言質を曲げない姿勢が見られます。さて、ヨセフスは、ユダヤ古代誌で、アグリッパは、ヨハネが持つ民衆への影響力とその危険を考えて投獄したと書いています。アンティパスはヘロディアと結婚するために、結婚していたナバテア王国のアレタス王の娘を離縁しようとしたのを感づかれて、妻は父アレタス王のもとに逃れます。怒ったアレタスは軍を率いて、アンティパスに戦いを挑み、ヘロデの軍隊は破れます。そして人々は、このヘロデの敗戦を、ヘロデが義しい人である、洗礼者ヨハネを殺したことに対する神の復讐であると捉えていたと伝えています。
 この処刑に関する、ヘロディアの娘サロメの挿話は、オスカー・ワイルドがこの話を脚色して1893年に発表した作品「サロメ」は広く読まれていますが、歴史的に事実かどうかはわかりません。
 そして処刑が行われたマカイロスの砦は、今のヨルダン、アンティパスが治めていたペレア地方、死海の北東の切り立った山の上、ナバテア王国との境界近くにありました。ナバテア王国の中心都市、ペトラへは、5〜60キロのところにあります。遺跡には、城壁、櫓や地下牢が残っているそうです。
 洗礼者ヨハネは、その死後も彼の心を受け継ぐ人たちに影響を遺しました。そしてイエスも、私たちがこの世の権力と結びついたり、利用されたりすることを避け、ただ、真っ直ぐ神に目を向けさせようと、今も日々、私たちを導いていて下さいます。

*マルコによる福音書12章28〜
 すると律法学者たちの一人が近寄って来て、彼らが議論しているのを聞き、イエスが彼らにみごとに答えたのを見て、イエスにたずねた、「すべての掟の中で、第一のものはどれでしょう」。イエスは答えた、「第一のものはこれだ、聞け、イスラエルよ。我らの神なる主は、一なる主である。そこでお前は、お前の神なる主を、お前の心を尽くし、お前のいのちを尽くし、お前の想いを尽くし、お前の力を尽くして愛するであろう。第二のものはこれだ、お前は、お前の隣人をお前自身として愛するであろう。これより大いなる他の掟は存在しない。    

*ヨハネによる福音書11:25
 私は甦りであり、生命である。私を信じている人は、たとえ死んでも生きることになる。
2010年 6月 6日  礼拝   高橋  誠 
日本キリスト会川崎教会牧師

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