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日本キリスト会川崎教会コミュの「芥子種の譬え」マルコ4:30−32

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「芥子種の譬え」

*マルコによる福音書4章30〜32節
 また彼は言うのであった、「私たちは、神の王国を何と同じであると言おうか、あるいはそれを、どのような譬によって表そうか。それは次のような一粒の芥子種のようなものだ。すなわち、大地に蒔かれる時は大地の上のあらゆる種の中でも最も小さいが、しかしいったん蒔かれると、発育し、あらゆる野菜よりも大きくなり、巨大な枝を張る。そのため、その陰で、天の小鳥たちが巣を作りうるほどになる。                                           
新約聖書翻訳委員会訳 佐藤 研訳
                                                                           
§「矛盾した二つの譬えで語る理由」

  今年の春は、気温が低い日が多く、もう四月も下旬だというのに、朝方や夕方はダウンジャケットにマフラーに手袋と、まるで真冬のような服装が普通です。日照時間が短く、野菜の生育にも影響が出ているというのもよくわかります。
  今から二千年前の日本は、弥生時代で、それ以前の狩猟文化に、稲作文化が入ってきているころです。その時代のパレスチナは、メソポタミア文明やエジプト文明、そしてギリシャ・ローマ文化に挟まれて、古代の最先端の文化の交差点のような位置にありました。文明の発達や都市生活を可能にするのは、すぐれた作物を栽培する技術にあります。
  主イエスは、種蒔く人の譬え、成長する種の譬え、そして今日お読みした、芥子種の譬えなど、種に関係のある譬え話をいくつかしていますが、その締めくくりの部分に、このように書かれています。

*マルコによる福音書4章33〜34節
 彼は、このような譬えを多く用いながら、人々の聞くことができる程度に応じて、彼らに御言葉を語るのであった。譬えなしには彼らに語らなかった。しかし自分の弟子たちには、人のいない時に、すべてを解き明かしてやるのであった。

  前半の 「彼は、このような譬えを多く用いながら、人々の聞くことができる程度に応じて(引用者注:すべての人が理解できるように)、彼らに御言葉を語るのであった」と、後半の「 しかし自分の弟子たちには、人のいない時に、すべてを解き明かしてやるのであった」とは、どうもちぐはぐな印象を受けます。前半については、主イエスの性格をよくあらわしているようですが、この後半については、同じ4章の10〜12節の言葉を念頭にして書かれたものです。

*マルコによる福音書4章10〜12節
 さて、彼らだけになった時、十二人と一緒に彼のまわりにいた者たちはこれらの譬えについて彼にたずねた。すると彼は彼らに言った、「あなたたちには神の王国の奥義がすでに与えられている。しかし、外にいるあの者たちには、さまざまの譬えでそのすべてが示される。それは次のようになるためだ、
 12 彼らが眺めることは眺めるが見ず、聞くことは聞くが理解しないため、彼らが立ちもどってきて赦されることがないためである。注:12節は田川建三訳

  主イエスは、生き生きとした言葉、譬を用いて、神の国について語りました。しかし、数十年して、その譬えの意味がよくわからなくなり、様々な解釈がなされるようになります。そして、自分たちと、外の世界との対立が生まれます。中でも、ユダヤ人達の中で民族意識がたかまり、ユダヤ教のリヴァイヴァル運動が進んで、伝統的な戒律遵守に反対する者を排除するような社会の動きに対して自分たちを守ろうとするときに、内向きで閉鎖的な性格を帯びてきてしまいました。

・(4:10〜12は、)本当はイエス自身の発言ではなく最初期のエルサレムのキリスト教団の人たちが考えたせりふだろう。例によって自分たちだけが本物の宗教的真理を持っている、という宗教的閉鎖主義の独善的宣言である。田川建三

   このようなことにも、注意して読み進んでいきたいと思います。

§「芥子種の譬え」

*マルコによる福音書4章30〜32節
 また彼は言うのであった、「私たちは、神の王国を何と同じであると言おうか、あるいはそれを、どのような譬によって表そうか。それは次のような一粒の芥子種のようなものだ。すなわち、大地に蒔かれる時は大地の上のあらゆる種の中でも最も小さいが、しかしいったん蒔かれると、発育し、あらゆる野菜よりも大きくなり、巨大な枝を張る。そのため、その陰で、天の小鳥たちが巣を作りうるほどになる。

 ルカによる福音書のほうでは、より短く、また芥子種が成長して「一本の木になった」と書かれています。

*ルカによる福音書13章18ー19節
 そこで彼は言うのであった、「神の王国は、何と同じであろう。また、私はそれが何と同じであると言おうか。それは次のような一個の芥子種と同じである。一人の人がそれをとって、自分の園に投げ入れた。するとそれは成長し、一本の木になった。そのため、天の小鳥たちがその大枝の中に巣を作った」。

 マタイによる福音書のヴァージョンは、ルカによる福音書13章(Q資料)を元に、マルコによる福音書を見ながら修正を加えたものだ、と考えられています。

*マタイによる福音書 13章31−32節
 彼は彼らにほかの譬を示して言った、「天の王国は、(次のような)一粒の芥子種と同じである。一人の人がそれをとって、自分の畑に蒔いた。それはあらゆる種の中で最も小さいが、しかし成長すると、どの野菜よりも大きく、また一本の木になる。そのため、天の小鳥たちがやって来て、その大枝の中に巣を作るほどになる」。

 エゼキエル書の17章と少し似ています。鳥たちが来るイメージも似通っていますよ。

*エゼキエル書17章22ー24節(新共同訳)
 主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移して植える。イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし、実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。」主であるわたしがこれを語り、実行する。

   しかし、レバノン杉とカラシナでは、大分イメージが異なりますね。この芥子種は、カラシナという、ガリラヤ湖周辺に生える野生の一年草の野菜を示しているそうです。種は1ミリほど。Mustard Seed。黒い種と白い種と2種類あるのだそうです。マスタードに入っている時もありますね。菜の花に似て、黄色いかわいらしい花が咲きます。小さいものの比喩として使われていました。これが成長して大きくなると1〜3メートルにも成長します。そして、一度蒔くと、成長したときにその小さい種をたくさん飛ばすので、畑に植えてしまうと、他の作物を植えるときに、困るほどなのだそうです。オイルを取ったり、薬として使われてきました。
 これについて、一世紀のローマの著述家大プリニウス(79年に科学的好奇心から噴火中のベスビウス火山に近づきすぎて56才で死亡)は以下のように書いています。

・大プリニウス「自然誌」(JDクロッサンの引用による)
 ...そして、その刺激性の風味と火のような作用によって健康にたいへんよいカラシナである。カラシナは手入れをしなくても育つが、移植すると質がよくなる。しかし他方、一度植えると、その場所から絶やすことはほとんど不可能となる。種がこぼれると直ちに発芽するからである。

  神の王国が、この役に立つけれども、手に負えない野生の作物の種と同じだなんて、どういうことなのでしょうね。エドワルド・シュヴァイツァーは、イエスの譬えの特徴を、次のように記しています。「イエスの譬えは、予期しない、驚くべき事柄について語る。(中略)どこのからし種が、大木まで成長するというのだろうか?とても大きな植物となって、それを『木』と呼べるくらいにはなるかもしれないが、いずれにせよ。極端な誇張ということになろう。(中略)決定的に重要なのは、聴く者に奇異な感じを抱かせ、注意を向けさせるように持っていく、非日常なるものなのである」。イエスの譬え話を聞いた者は、驚き、その意味を繰り返し考え、神の国の姿を、素晴らしいもの、自分たちの想像を超えるものとして記憶します。しかも、非常に身近な、種蒔きや、芥子種の話しで。
  ここでは、小さいものが、大きいものとなるという対比がなされています。イエスと、そして漁師であった弟子たちからはじまった小さな活動が、大きく実を結んで神の国の到来をもたらすことを示唆しています。
 マルコによる福音書4章21−22節で言われていたように、この芥子種のように小さく、そして隠された(よい)もの、福音であっても、それは必ずあらわになる、ということでしょうか。

*マルコによる福音書4章21〜23節
 また彼は彼らに言うのであった、「ともし火は、升の下や寝台の下に置かれるためにやって来るだろうか。燭台の上に置かれるためではないか。たしかに、隠されているもので、あらわにされずにすむものはなく、また秘められて生じたもので、あらわなものに至らずにすむものはない。もし誰かが聞くべき耳を持つならば、聞け」。並行箇所:ルカ8:16−17、マタイ5:15

 では、はびこりやすく、絶やしにくい性質については、どのような解釈ができるでしょうか。

・要するに、からし菜には野生種と栽培種とがあるが、たとえ医療用や料理用に後者を注意深く育てたとしても、畑が荒らされる危険が常につきまとう。からし菜は、庭で栽培する場合でさえ危険であり、穀物畑にはびこった場合は壊滅的な被害をもたらす。一方、われわれが可愛らしいと感じる、巣を作る鳥たちは、古代の農夫にとっては種と穀物を狙う不断に危険な存在であった。(中略)その要点は、からし菜はそれが望まれていない場所を乗っ取るおそれがあること、始末におえなくなること、そして耕作地に招かれざる鳥たちを引きつけやすいこと、これらにある。そしてこれこそ、イエスが言おうとした神の国の姿なのである。(JDクロッサン)

  当時のユダヤ教の枠内で求められていたメシア像と、主イエスとの違い、当時の人々が求めていたイスラエル国の復興とイエスの説いた神の国の到来との違い、またユダヤ人社会に限定した救いと、民族や人種や性別の壁を越えてしまった救いの姿との違い...数え上げていくと、社会がまだ求めていない、根源的な変革をもたらしてしまった主イエスの福音の性質がこの譬の中に、込められているのでしょう。すべての人が、神の前で等しく大切であること、この福音(いいニュース)は、特定の誰かが独占するような者ではないこと。その大きな愛のメッセージと生き方に触れたなら、良さを知ったなら、その様に生きざるを得ないことが伝わってきますね。愛や希望は、どんなに分かち合っても減ることはなく、喜びは広がっていくはずのものなのです。

*マタイによる福音書 13章33節
 彼は彼らにほかの譬を語った、「天の王国は、(次のような)パン種と同じである。一人の女がそれをとって、三サトン(40リットル!)の粉の中に埋めた。すると全体が発酵した」。

2010年 4月25日  礼拝
高橋  誠 日本キリスト会川崎教会牧師

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