② マルコによる福音書4章10〜12節 さて、彼だけになった時、十二人と一緒に彼のまわりにいた者たちはこれらの譬えについて彼にたずねた。すると彼は彼らに言った、「あなたたちには神の王国の奥義がすでに与えられている。しかし、外にいるあの者たちには、さまざまの譬えでそのすべてが示される。それは次のようになるためだ、彼らは見ることは見るが、認めない。また、聞くことは聞くが、悟らない。にもかかわらず彼らは立ち帰って、赦されることになるかも知れない」。 新約聖書翻訳委員会訳 佐藤 研訳
§「継続と積み重ね」
最近、高田英語学園に通っている子供たちが、英語の歌を以前にも増してよく覚えて、楽しそうに歌ってくれます。私自身、小さい頃から英語の歌が大好きでしたので、教室でみんなで歌うことは、昔から心がけていましたが、こんなに子供たちが楽しそうに歌って覚えてくれるようになったのは、最近のことです。Deep and wideのような短い歌ばかりでなく、かなり早口で難しいSkip to my Louなども、歌いながら楽しそうに踊ってくれると、私も幸せな気持ちになります。 中学・高校や、専門学校で授業をしていたときも、時々ギターを持って行っていましたが、ギターやCDプレイヤーが常に教室にあって、いつでも歌えるというのはいいですね。今度もし、また学校で授業をするような機会があったら、必ずギターも常備します。 歌を覚える時も、みんながそれぞれ自分の歌集やプリントを見るよりも、頭をくっつき合わせながら、みんなで一冊の歌集を見ながら歌った方が覚えやすかったり、細かい様々な工夫やワザがありますが、何よりも楽しいことと、みんなが仲良しなことが一番大切ですね。 こういった楽しみや学びも、そして環境作りも、継続と積み重ねによって培われるものです。そして、そういう積み重ねは、とても大切ですし、また、何かをはじめるときには、その途方もない先達の遺したもの、到達したところを見上げるとたじろぎますが、皆最初は第一歩から、進んでいく他はないわけです。どんな動植物の成長にも、一足跳びや近道の成長はなく、しかし、ひとつひとつの小さな成長の発見に、おおきな喜びが与えられるのと同じように、これからの未来に向けての教会の歩みも、そして英語学校の歩みも、こうした一歩一歩を積み重ねていくことでさらに成長が与えられることを祈ります。 今は、冬のオリンピックの最中ですが、スポーツも、そして芸術や学問も同様です。様々な困難は、あるものですが、それらはいつか乗り越えられるものであること、そして、その歩みの一歩一歩に喜びが隠れていることを知ります。ヨーロッパの教会の多くや、また日本のお寺の多くが、山の上にあって、そこまでたどり着くことに苦労するようにできているのは、もしかしたら、こうした人生の知恵を、追体験させようとしているのかもしれません。 聖書の学びもそうです。神さまから、主イエスがこの世に与えられて、そして、聖書が与えられて以来、懸命に人々が読み、理解しようとしてきました。そして、それぞれの信仰を、その解釈に反映してきました。今、数々の信仰の先達たちが遺していった研究の成果を、私たちが理解するために参照することができることは、良き信仰の友と会話をしているような素晴らしい瞬間の数々をもつのと同じようです。わからないことは、わからない。むずかしいことは、むずかしい、にもかかわらず、掘り下げていくと、新しい発見が与えられるのです。