§「兄弟愛=友愛」 この一週間は、国連での鳩山首相の演説の内容が頻繁に報道されていました。彼が掲げる「友愛」の政治、この言葉を、fraternity(兄弟愛、友愛、同胞の愛)と表現していました。これが社会に定着し、文字通りの意味で広がれば、素晴らしいと思います。 先日、ボブ・ディランのTheme Time Radio Hourというラジオ番組の録音を聞いていましたら、彼がニーチェが友について語った言葉を、引用していました。「行って、あなたの友に近づきなさい。しかし、友にのしかかるようなことはするな。私たちは、友の中にいる敵を敬うべきなのだ。(Go up close to your friend, but do not go over to him. We should respect the enemy that is in our friend.)」(フレデリック・ニーチェ)この敵は、意見が食い違い、議論をする敵であり、また、自分の至らないところを諭したり、過ちを指摘したりする者を言っているのだと思いますが、なかなかユーモアのある、味わい深い表現ですね。 さて、このfraternityは、言い換えれば、love between brothers and sisters(兄弟姉妹の間の愛)で、愛情や友情を表す言葉です。なぜ、兄弟愛か、といえば、見返りを求めない、変わらない深い友情、愛情を指します。新約聖書でも使われているギリシャ語で、フィリア(名詞:愛)、 フィレオー(動詞:愛する)というのが、この言葉の語源です。フィラデルフィア(今はアメリカに、そして主イエスの時代には、小アジアとヨルダンにこの地名がありました。)は、兄弟愛の町(the city of brotherly love)という意味です。 また、フィレモンへの手紙のフィレモンは、「愛情に満ちた者」、そしてキスは、フィレーマといいます。とすると、イスカリオテのユダが、主イエスを裏切って、ユダヤ教神殿勢力の祭司長らに引き渡すときの、「接吻による裏切り/引き渡し」は、大変皮肉な表現ですよね。 余談ですが、アメリカの大学で、greek(ギリシャ人)というと、fraternityという、友愛クラブに入っている学生を指します。なぜかと言えば、どういうわけか、この友愛クラブの名前は、ギリシャ語のアルファベットを三つ並べて作ることになっているからです。(例:ΑΓΔ) 「愛」を表すギリシャ語は、 あと二つあります。エロース(名詞:自然の愛)という、自然にわき上がる愛、親子の愛や、家族の愛、恋人の愛、芸術や学問に対する愛、そして、アガペー(名詞:神の愛)という、神の愛、無差別な、条件を持たない愛です。普通、ギリシャ語では、愛情を表すのに、先ほどのフィリアを使っていました。しかし、新約聖書のギリシャ語、コイネーでは、次第にアガペーが使われるようになったそうです。 私見ですが、これは、主イエスが愛の定義を根本的に変えてしまわれたこと、神の愛の大きさを語り、愛する対象としての隣人を、同胞、同じ民族、そして同じ宗教を持つ者に限定せず、すべての人に広げられたことにあると思います。そして、その神の愛を言い表すには、フィリアでも足りなかったのだと思います。