ヤハウェへの信仰によって、「せっかく奴隷生活から解放される社会を作ったにもかかわらず、また元の奴隷生活へと戻ってしまう。いや、そればかりか、イスラエルは強大な国家となって、奴隷を生み出す国と化してしまう。これが今や、主流となった王国の実態でした」(荒井章三)。 ここに、預言者が登場して、この状況を批判し、進むべき道を指し示すのです。 主イエスの与えられた時代、そして、現代にも通じる知恵を、預言者たちは語ります。 エリヤは、ギレアドの住民、ティシュベ人だということです。ギレアドは、’There is a balm in Gilead.’というニグロ・スピリチュアルにも歌われていますが、イスラエル王国の中心サマリヤからほど遠い、また南のユダ王国の中心エルサレムからもほど遠い、ヨルダン川の東岸にあり、そこにある村はさらに小さな、ティシュベ村の出身なのです。 これは、主イエスが、ガリラヤの田舎町、ナザレの出身であることや、キリスト教国として、大国、強国になってしまった国に、同じようなおごりが起こって、信仰の躓きを生むこと、また、小さな弱い平和を求める声が、響き渡る希望を生むことにもなります。