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日本キリスト会川崎教会コミュの「預言者エリヤ」 1.

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「預言者エリヤ」 1.

① 列王記 上 16章29−33節
 オムリの息子アハブがイスラエルの王となったのは、ユダの王アサの治世第三十八年であった。オムリの息子アハブはサマリヤで二十二年間イスラエルを治めた。オムリの息子アハブは、彼以前の誰よりもヤハウェの目に悪いことを行った。
 彼にとって、ネバトの息子ヤロブアムの罪のうちを歩むことなどは些細なことであった。彼はシドン人の王エドバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルの神殿にバアルのために祭壇を築いた。
 アハブはまたアシュラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神ヤハウェを怒らせることを行った。

② 列王記 上 17章1−16節
 ギルアドの住人、ティシュベ人エリヤフはアハブに言った、「私が仕えるイスラエルの神ヤハウェは生きておられる。私の言葉がない限り、これからの数年間、露も雨も降らないであろう」。
 ヤハウェの言葉がエリヤフに臨んだ、「ここを去って、東へ向かい、ヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に身を隠し、その涸れ谷の水を飲め。私は烏(からす)に命じて、そこでお前を養わせる」。
 彼は去って、ヤハウェの言葉通りにした。彼はヨルダン河を見降ろすケリト涸れ谷に住んだ.烏が朝にパンと肉を、夕べにもパンと肉を彼のもとに運んで来た。彼は涸れ谷の水を飲んだ。
 いく日か経つと、涸れ谷は干上がってしまった。その地に雨が降らなかったからである。するとヤハウェの言葉が彼に臨んだ、「さあ、シドンのツァレファトに行き、そこに住め.私は一人の寡婦に命じて、そこでお前を養わせる」。
 彼は立ってツァレファトに行った。町の入り口まで来ると、ちょうどそこに一人の寡婦が薪を拾っていた.彼は彼女に声をかけて言った、「器に少々水を持って来て、私に飲ませて下さい」。彼女が水を取りに行こうとすると、彼は声をかけて言った、「どうかパンも一切れ持って来て下さい」。彼女は言った、「あなたの神ヤハウェは生きておられます。私には焼いたパンはありません。壷の中に一握りの小麦粉と瓶の中にわずかな油があるだけです。ご覧の通り、私は薪を二本ほど拾い集め、帰って私と私の息子のためにそれを調理して食べ、あとは死ぬだけなのです」。
 エリヤフは彼女に言った、「恐れてはならない。帰って、あなたの言った通りにしなさい。しかし、まずそれで私のために小さな菓子を造り、私に持って来なさい。その後であなたとあなたの息子のために造りなさい。なぜなら、イスラエルの神ヤハウェはこう言われるからだ、『ヤハウェが地の面に雨を降らせる日まで壷の粉は尽きることなく瓶の油はなくなることはない』」。
 寡婦は行って、エリヤフの言葉通りにした。彼女も彼も、彼女の家族も、日々、それを食べた。ヤハウェがエリヤフを通して告げられた言葉通り、壷の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。                                                                                                                 池田裕訳

§「預言者」 

  一昨日の朝、ちょうど庭に出ていましたら、救急車が近所に停まりました。旧くからよく知っている方が運ばれて行きましたが、この救急車の音、昨年、父の病気で二回利用して以来、聞こえ方が全く変わってしまいました。実感といいますか、非常に具体的に、その運ばれて行く人の一人ひとりに人生があり、それぞれに人と人とのつながりがあり、家族や友人がいて、それぞれがその病気に向き合っている、という頭では当然わかっていたはずの事実がより身近に迫って来るようになりました。また、救命救急士や、看護師や、医師が重病や人生の終わりに際した人々にかかわるひとつひとつの場面や具体的な仕事についても、身近に触れることができました。
  昨年、私たちは多くの別れを経験しました。1年前、20年以上教会に通われて、私たちの教会の大切な存在だった古市美諸さんが天に召されました。8月のはじめに古市さんを記念する礼拝を持ちました。また、昨年のはじめには、宝田恵一さんを天に見送り、12月には高橋秀良牧師を見送りました。
  私たちは、このように身近な人々との関係や、またその人たちと過ごした時や、共通した経験を礎にして人生の歩みを進めて行きます。喜びや悲しみ、様々な経験や、知恵、そして何よりも、愛と希望と信仰と分かち合い、その分かち合い、受けたことを、さらに分かち合い、与えることで、私たちの人生は豊かにされ、喜びが与えられ、天に宝を持つようにされることを思います。
  そして、私たちは、実際に生きて知り合った兄弟姉妹たちだけでなく、この受け継ぐもの(heritage)を、主イエスから受け、その弟子たちから受け、そして、それ以前に書かれたヘブライ語聖書(旧約聖書)の預言者たちからも受けて生きることができることは、大変大きな恵みだと思います。
  今日、列王記上で読んだ、預言者エリヤ(エリヤフ)は、今から3000年近く前にいたとされる人です。その人が、聖書を通じて、私たちの前に、その時代の人々に語ったこと、分かち合った信仰と知恵と心とが活き活きと現れ、ここに甦ります。
  さて、ここで、預言者という言葉について、考えます。「よげんしゃ」には、二種類の漢字の書き方があります。預言者と予言者です。一般に、人々が予言という場合、後者の方を意味します。これは、これから起こることを予想して言うことです。カルトや何かでは、地震や天災の予知をして、人々の不安を煽る、というようなことがよく行われますね。
  これに対して、聖書に出て来るのは、預かるという字を書いて、預言者です。これは、神より言葉や知恵を預かって、それを人々に伝える人をいいます。語るのは、これから起こることの予知ではなく、神と共にあって私たちが知るべき真実です。これは、どのような道を取るべきか、という選択に際して必要な知恵です。
  イスラエルには、それぞれの時代に預言者たちが与えられていました。預言者の時代は、今日これから学ぶ、エリヤから、主イエスまでとしますと、約千年です。預言者は、神から受けた言葉を、民、そして王の時代には、王に対する助言者としての働きをします。王の側としては、様々な預言者といわれる人たちがいるなかで、どの人が本当に預言者なのかをを判断しなくてはなりませんでした。間違った道へ導く者は、預言者ではなく、偽預言者と呼ばれました。しかし、真実を語ることは、施政者の耳の痛いこと、聞きたくないことをもはっきり語るということでもあります。エリヤは、当時の王、アハブに「イスラエルを惑わす者」(列王記上18:17)、「わが敵よ」(上21:20)とまで言われてしまっています。真実を語るということは、こういうことでもあります。洗礼者ヨハネも、ヘロデ・アンティパスの行いが間違っていることを、はっきり言って糾弾しました。主イエスはさらに、当時の社会のありかたそのものを、エルサレムの神殿のあり方を、そしてローマの支配まで、糾弾しました。こうしてみると、真実を語り、人間のあるべき姿を語ることは、多くの場合、その時代の施政者や社会のあり方を批判することになります。
  私の新しい友人の一人が先日、「信仰の道を歩んだら、保守派でいるということはあり得ない」ということを言っていましたが、これは本当ですね。
  
§「エリヤ」

  さて、今日から数回にわたって、預言者エリヤについて学びます。預言者エリヤの前にも、列王記には、何人かの周辺の民の預言者が出て来ます。アヒヤ、シェマヤ、ハナ二の息子イエフなどです。しかし、イスラエルの最初の預言者として、聖書にでてくるのは、エリヤです。エリヤを、この訳ではエリヤフと表記していますが、元のヘブライ語の聖書でも彼をエリヤフと呼んだり、エリヤと呼んだりしていることを反映して、エリヤフと表記しています。どちらも、「わが神はヤハウェ」という意味です。(今もネタニヤをネタニアフと呼んだり、パレスチナ政策に大きな責任が問われるべき首相の名前もこのフがついたネタニアフですよね。)
  エリヤは紀元前9世紀半ばに活躍し、アハブ王とその妻イゼベルを批判しました。
  このアハブ王は、イスラエル北王国の王でした。父オムリは王国が南北に分裂した後、クーデターや反乱を平定して、安定した王朝を築きました。オムリ王朝は、息子のアハブ、そして孫のアハズヤ、ヨラムまで四代続きます。首都はサマリヤにあり、彼の宮廷遺跡が発掘されています。また、「大英博物館に展示されているアッシリアの王シャルマネセル三世の碑文は、シリアのオロンテス川中流のカルカルの戦いで、イスラエルの王アハブがダマスコやハマトの王たちと共に反アッシリア同盟軍の指導者として活躍したことを伝えてい」(池田裕)ます。当時、最大規模の戦車団を率いて、アッシリアが西に侵攻することを防いだのですから、当時は大変力のある、業績も大きかった王であったことでしょう。この北王国は紀元前722年にアッシリアに征服され、滅亡します。そして、聖書の民は、この滅亡は、アハブの罪に対する、エリヤの預言が成就したものと受けとりました。
  アハブは、フェニキア人の妻、イゼベルの影響で、バアルや、アシュラといった、異教の神を受け入れ、祭壇を建てたりします。今でも、ヨーロッパやアメリカでは、イゼベルという名前を聞くと、悪魔の名前を聞いたような反応をする人たちが多くいます。
   イスラエルの神はヤハウェですが、異教の影響をいろいろ受けていたようです。その影響のうち、大きな二つの神が、バアルとアシュラです。ちょっとながくなりますが、このバアルとアシュラについての解説を読んでみましょう。

・バアル
  古くからシリアおよびパレスチナで広く礼拝されていた天候と豊穣の男神。アシュタロト女神の配偶神。バアルの原意は「主人」または「所有者」。嵐や雷をもって雨をもたらす(中略)。片手に稲妻を象徴する矛を持ったバアルの神像がシリアやパレスチナの各地で出土している。サムエル記では、同じ雷がひるがえってヤハウェの威光の象徴としてたびたび言及される。アハブとフェニキア出身の妃イザベルはバアル宗教を熱心に信奉し、エリヤフを指導者とするヤハウェの預言者たちと対立した。(池田裕)

・アシュラ
  カナンの豊穣女神。ウガリト文書(前14−13世紀)では、最高神エルの配偶神で、エラト(女神)とも呼ばれる。イスラエルのカナン定着後、バアルと並んで盛んに礼拝された。列王記では
ヤロブアム、レハブアム、アサの母、アハブ、イェホアハズ、崩壊前の北王国、さらにマナセ時代の人々によるアシュラ崇拝が批判され、他方それを否定したアサ、ヒゼキヤフ、ヨシアフの行為が評価されている。フェニキア出身のイゼベルがサマリアに建てさせたバアル神殿の横には、アシュラの象徴が置かれていた。アシュラはもともと生命の象徴としての常緑の聖木崇拝と結びついていて、人々は女神の象徴である樹木の陰で礼拝するのを喜びとした。シナイ半島北部のクンティレト・アジュルドで出土した前八世紀のヘブライ語碑文では、「サマリアのヤハウエと彼のアシュラによって祝福する」という表現が見られ、アシュラが一部の民の間でヤハウェの配偶女神として崇拝されていたことを示している。(池田裕)

  詩篇68篇に、「神は立ち上がり、敵を散らされる」という表現があります。ヤハウェがバアルのような軍神になってしまっています。また、「雲を駆って進む方」という表現も見られますが、これは、バアルを示す表現でした。これは、ヤハウェ宗教が、イスラエル王国成立とともに、カナン(先住民族の一つ)化していったのです。そして、人間社会の常である、力の支配の信奉に、人々がまた傾いて行ってしまうのです。
  
*サムエル記上8:17−18
  こうしてあなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分で選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」

   ヤハウェへの信仰によって、「せっかく奴隷生活から解放される社会を作ったにもかかわらず、また元の奴隷生活へと戻ってしまう。いや、そればかりか、イスラエルは強大な国家となって、奴隷を生み出す国と化してしまう。これが今や、主流となった王国の実態でした」(荒井章三)。
   ここに、預言者が登場して、この状況を批判し、進むべき道を指し示すのです。
   主イエスの与えられた時代、そして、現代にも通じる知恵を、預言者たちは語ります。
   エリヤは、ギレアドの住民、ティシュベ人だということです。ギレアドは、’There is a balm in Gilead.’というニグロ・スピリチュアルにも歌われていますが、イスラエル王国の中心サマリヤからほど遠い、また南のユダ王国の中心エルサレムからもほど遠い、ヨルダン川の東岸にあり、そこにある村はさらに小さな、ティシュベ村の出身なのです。
   これは、主イエスが、ガリラヤの田舎町、ナザレの出身であることや、キリスト教国として、大国、強国になってしまった国に、同じようなおごりが起こって、信仰の躓きを生むこと、また、小さな弱い平和を求める声が、響き渡る希望を生むことにもなります。

「幸いだ、平和を造り出す者たち、その彼らこそ、神の子らと呼ばれるであろう」。マタイによる福音書5章9節

2009年 7月 26日  礼拝
高橋  誠
日本キリスト会川崎教会牧師

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