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日本キリスト会川崎教会コミュの子ろばに乗って MK11:1-11

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「子ろばに乗って」 

*マルコによる福音書11章1〜11節

 さて、彼らがエルサレムに、つまりオリーブ山のふもとのベトファゲとベタニアに近づく時、イエスはその弟子たちの中の二人を遣わし、彼らに言う、「あなたたちの見ている、あの向こうの村に行くのだ。すると、その中に入るとすぐに、つながれている一頭の子ろばを見つけるだろう。その背にまだ誰も乗ったことのない子ろばである。それをほどき、連れて来るがよい。そしてもし誰かがあなたたちに、『なぜお前らはこんなことをするのだ』と言うならば、『主がこれを必要とされているのです。またすぐにこれをここに渡し戻されます』と言うのだ」。こうして彼らは出ていき、通りに面した入り口の外につながれている一頭の子ろばを見つけた。そしてそれをほどく。するとそこに立っている者のうち幾人かが彼らに言いだした、「お前らはその子ろばをほどいてどうしようというのだ」。そこで彼らは、イエスが語ったように彼らに言った。すると彼らは二人のするままにさせた。そこで彼らは、子ろばをイエスのもとに連れてきて、その上に彼らの衣服をかける。すると彼はその上に乗った。
 また多くの人が自分たちの衣服を路上に敷き、また他の人々は、畑から切ってきた枝葉を敷いた。そして先頭を行く者たちもそれに従う者たちも叫び続けた。
 「ホサンナ、主の名によりて来たる者に祝福あれ。
やがて来たらんとする、我らの父ダビデの王国に祝福あれ。
いと高きところにホサンナ」。
 そして彼はエルサレムに入り、神殿境内に至った。そしてすべてを見まわしてから、すでに夕方になっていたので、十二人と共にベタニアに出ていった。

並行箇所:マタイ21:1−11,ルカ19:28−40
     cf.ヨハネ12:12−19
                                                                                                                      佐藤研訳

§「クロード・ジーター牧師」

  93年に1年、アメリカに留学しましたが、その時に様々な人々に出会いました。その中で、特に親しく交わりを持ったのは、ニューヨークのハーレムに住むゴスペル・シンガー、クロード・ジーター牧師でした。私はこの人の50年代、60年代の歌が大好きで、よく聞いておりました。16年の生まれですし、完全に過去の人だと思っていましたら、72才の時、突然すばらしいレコードを発表したので、是非会いたいと思っておりました。だいたい住んでいる場所のあたりをつけ、ひなたぼっこをしている人々に「こんにちは、クロード・ジーター牧師を探しているんですが、」と問いかけると、そこにいたおばさんの一人が、「ジーターに会いたいの?来なさい!」といきなり手を引かれて次の瞬間には、ジーター牧師のアパートのリビングで自己紹介をしていました。それから、一緒に讃美をしたり、話したりという交流がはじまり、97年まで、アメリカに行くたびにニューヨークに寄り、会いに行っていました。 その後、98年に老人ホームに入り、それ以来連絡が取れなくなっておりましたら、先日、ニューヨークタイムズに、追悼記事が載りました。今年の1月6日に、94才で天に召されたそうです。
   歴史的なことから、個人的なことまで、座り込んで話し合うのが楽しみでした。人種や国籍、年齢などを超えて、お互いに心を開いて交流する楽しみを教えてくれたのは、このジーター牧師をはじめ、この頃に出会った人々だったなあ、とつくづく感じます。私も学校に勤め、忙しく、慌ただしく働き、そして動き回る生活を送っておりましたが、それを反省して、ゆっくりと人々と向き合う、子供たちともたくさん時間を共にする、ということの大切さや喜びを教えられました。そして、そうした交流の場には、神さまも共にいて下さるのです。
 

§「子ろばに乗って」 

   さて、イスラエル、そしてエルサレムは今日、大変混乱を複雑な問題を抱えたところになってしまいました。国際紛争、民族紛争の中心地の様相を呈しています。先日は、強硬派として知られるネタニアフ元首相がまたイスラエルの首相となってしまいました。パレスチナの独立や、和平はどのような道をたどるのでしょう。
   では、イエスが入っていこうとしていた当時のエルサレムは、どのような場所だったのでしょう。ダビデが町を造り、ソロモンが神殿を建てたユダヤ人の宗教的民族的中心地エルサレムは、バビロン捕囚や、バビロン捕囚からの帰還などの紆余曲折を経て、紀元前63年、ローマのポンペイウスによって占領され、ローマの支配下に入ってしまいます。その後、ローマによってユダヤの王に任命されたヘロデが神殿を大改築し、多くのユダヤ人が、過越祭、刈入れの祭り、仮庵祭に集まるようになります。ローマの占領下にあるので、ユダヤ人達は民族的なアイデンティティーを求める傾向が強かったようです。また、神殿税や、祭りからの収益によって、特権階級が生まれ、こうした人々の腐敗が進む中、貧しい人々は生活に苦しんでいる、といった社会的な矛盾や問題点が吹き出していたと考えると、エルサレムに対する人々の思いはかなり複雑なものだったのではないかと思われます。「聖地」には、リアリズムのまた、イエスがエルサレムに入ったのは、過越祭の時期ですが、この時期をJDクロッサンは次のように説明しています。

・「過越祭は、(先祖たちの)エジプトでの奴隷状態からの解放と約束の地への出発を祝った、ユダヤ人の祭である。エジプトならぬローマ帝国の重圧下に置かれた植民地ユダヤにおいて、過越祭は、とりわけ町の中心部におびただしい群衆が集中したことから、明らかに危険な祭であった」。

   新たな解放、救世主メシアが、強大なローマの支配から解放してくれる望みに酔いしれるのですから、危険だったことは、わかるような気がしますね。
    11章で、マルコによる福音書の描くイエスは、エルサレムに到着し、王、メシアとしてエルサレムに入城します。

*マルコによる福音書11:1−2
   さて、彼らがエルサレムに、つまりオリーブ山のふもとのベトファゲとベタニアに近づく時、イエスはその弟子たちの中の二人を遣わし、彼らに言う、「あなたたちの見ている、あの向こうの村に行くのだ。すると、その中に入るとすぐに、つながれている一頭の子ろばを見つけるだろう。その背にまだ誰も乗ったことのない子ろばである。それをほどき、連れて来るがよい。

 「ベトファゲは『いちじくの家』の意。エルサレムの東。オリーブ山の上にある村エットールと同定されている。ベタニアは、オリーブ山東側斜面にある、今日の村エルアザーリーエと同定されている。」(旧約新約聖書大事典)ということで、エリコの方から登ってくるなら、まずベタニアを通ってオリーブ山を登り、山頂のベトファゲを通ってオリーブ山を下り、エルサレムへ入っていくことになります。オリーブ山には、今でも昔ながらの生活をしているパレスチナ人が多く住んでいます。山の斜面にある家の奥は洞窟ですし、ろばを飼っている人たちも見受けられます。
   このエピソードは、「史実を離れて、強い神学的メッセージを内包している」(大貫隆)と指摘されるように、注意深く構成されています。
    この部分の下地になっているのは、紀元前4−3世紀に書かれたゼカリア書9章です。この箇所は、「征服した町に入るアレクサンドロス大王と鮮烈に対照させる形で、神の民を救うためにやがて現れるメシア的解放者の入城を描いている」(クロッサン) 侵略者、あるいは、政治的、軍事的な民族の解放者としてのメシアは普通「馬」に乗っているところを描写されますが、ここでイエスは子ろばにのって入城するのは、これと正反対の平和な、柔和なメシア像を表現しています。

*ゼカリヤ書9:9ー10
 「娘シオンよ、大いに歓べ、娘エルサレムよ、喜びの声を上げよ。
見よ、あなたの王があなたのところにやって来る。
彼こそ義しく、勝利を得る者(注:七十人訳では「救いをもたらす者」)。
柔和な人で、ろばに、雌ろばの子である子ろばに乗る方。

わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を断つ。
戦いの弓は断たれ、彼は諸国民に平和を告げる。
その支配は海から海にまで至り、
大河から地の果てにまで至る。                             鈴木佳秀訳

   ここまで考えると、マルコによる福音書の6章で、普通、子供は父の名前で、ヨセフの息子イエス、と呼ばれるところ、「マリヤの息子」と母親の名前で呼ばれている理由も、この平和の君としてのメシア像と結びついているのかもしれません。マタイによる福音書の最初の系図でも、主イエスのところだけ、「〜ヤコブはマリヤの夫ヨセフを呼んだ。この彼女から、キリストと呼ばれているイエスが生まれた」とある理由も、ここにあるのかもしれません。

*マルコによる福音書11:6ー11
 そこで彼らは、子ろばをイエスのもとに連れてきて、その上に彼らの衣服をかける。すると彼はその上に乗った。
 また多くの人が自分たちの衣服を路上に敷き、また他の人々は、畑から切ってきた枝葉を敷いた。そして先頭を行く者たちもそれに従う者たちも叫び続けた。
「ホサンナ、主の名によりて来たる者に祝福あれ。
やがて来たらんとする、我らの父ダビデの王国に祝福あれ。
いと高きところにホサンナ」。
 そして彼はエルサレムに入り、神殿境内に至った。そしてすべてを見まわしてから、すでに夕方になっていたので、十二人と共にベタニアに出ていった。

 イエスが通るところに人々衣服を敷くのは、王を迎えることを意味しています。(列王記下9:13 彼らはおのおの急いで上着を脱ぎ、階段の上にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹いて「イエフが王になった」と宣言した。)
 ホサンナは「ああ、救いたまえ」という意味ですが、「祝福あれ」という意味合いでも使われます。この「主の名によりて来たる者に祝福あれ」は詩篇118篇26節からの引用、「巡礼祝祭などで読まれるハレル歌集(詩篇113−118)の結語にあたる」。(佐藤研)そして、「いと高きところにホサンナ」は詩篇148篇1節からの引用です。
    最後に神殿境内を見てから、ベタニアに帰ります。過越の祭りの時は、市内に泊まるのが一般的だった時に、わざわざベタニアに戻っていたことにも、神殿に対するプロテスト精神を感じます。「私は手で作られたこの神殿を壊し、三日のうちに手で作られたのではない別の神殿を建ててみせよう」(マルコ14:58)という発言も、神殿や、神殿中心のユダヤ教に対するプロテスト精神ですし、この次の箇所では、この平和の君のイメージと一見かけ離れたような、非常に激しいイエスの「宮清め」と呼ばれる抗議行動のエピソードが、大変不思議な「いちじくの木への呪い」の話しに挟まれて提示されます。主イエスは、見やすい外の敵とともに、内側にも敵といえるほどの、大きな問題があること、たとえ革命、あるいはクーデターや国の奪還が成功しても、滅びの道がそこにあることをご存知でした。ですから、人々が望むのと全く違う価値観のメシアが必要なのです。

*マルコによる福音書10章45節
 なぜならば、人の子も仕えられるためではなく、仕えるために来たのだ。そしてまた、自分のいのちを多くの人のための身代金として与えるために来たのだ」。

*マタイによる福音書7章13節
  あなたたちは狭い門を通って入れ。なぜならば、滅びへと導く門は広く、その道は広大である。そして、そこを通って入って行く者は多い。しかし、生命へと導く門はなんと狭く、その道はなんと細いことか。そしてそれを見いだす者はわずかである。

 2009年 4月 5日
棕櫚の聖日礼拝
日本キリスト会川崎教会牧師
高橋  誠

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