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4000字の世界コミュの缶コーヒーと新人と

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 これで、よかったのだろうか……。

 夕暮れの街並みは、昼間と違って風が吹くたびに手がかじかんで、日中の暖かさにつられて、コートを着て来なかった自分を悔やんだ。
 
ビルの谷間に夕焼けが見えている。

 私はもうすぐ今日が終わってしまう事に、焦りを感じていた。
 
 こんなふうに思ったら、一日はまだまだこれからだと言う人もいるかもしれない。
 けれど、外回りの仕事をしている私には、もうすぐ仕事を納めなければならない時間が近づいていた。

 季節はもうすぐ春を迎える。
陽が沈むのも、真冬に比べれば一時間は遅くなっただろう。
 その分外を歩ける時間は多少なりとも増えたが、私の足取りは日に日に遅く、重たくなった。

 戦後最大と呼ばれる不況。その状況は好転する様子を微塵も見せてくれない。
 
 
 ……もう一年以上前。
私はごくまっとうな勤め人だったのだが、忙しい毎日に、自分の時間を忙殺されて全てに嫌気がさしてしまった。
 小さな会社を経営していた父が体調を崩した事も原因のひとつだったが、私は渡りに舟のつもりで勤めを辞めて父の小さな会社を継いだ。

 ゆっくりやれ、個人経営は、そこそこの仕事がこなせれば食うに困らない……。
 
 父は私を気負わせない為に、そう言ってくれたが、現実は想像を絶した。

 リーマンショック。
その余波は海外で起こった大地震を期にやって来る津波のように、日本という小さな国の企業と家庭を丸呑みにしてしまっている。



 今月はお薬な使用はないようですね。

私がそういうと、無駄足させてしまってごめんね、とお客様である老夫婦は申し訳なさそうに頭を下げる。

 だから私は、笑顔でこう答える。

 健康なことは良いことじゃないですか。それが一番ですものね。

 それから幾つか他愛のない話しをして、そのお客様の家を後にする。
 この最近、そんな事の繰り返しが深刻なほど増えていた。

 私の仕事は配置薬品業である。
 だから薬を使ってもらえなければ一円も利益はない。
 時には救急箱の中に、未使用の薬が期限切れ間近になっていて、そういった物は誤飲防止に新しい物と交換しなければならない。
 当然期限切れは廃棄しなければならず、それだけで赤字を生んだ。

 だがそんなことで私に頭を抱えている暇はなかった。 
 それを越える利益を上げなければ私の生活は事実上の破綻である。  
 売り上げに限界があるなら顧客を増やすしか方法はない。
 私は走りに走るしかなった。



 たくさんの企業がならぶオフィス街では、通り過ぎる人ゴミの中に、新社会人とすれ違うことがある。
 その中には大方夢や希望があるのか、どの表情も無垢でフレッシュに見える。
 まだ研修中なのか、社会の垢がみえないその顔は、羨ましくみえたり、いやらしい事かもしれないが嘲笑したい気持ちにもなる。

 お前たちには何がみえるんだ……。
会社から給料という形で金銭を得ているお前たちに、お客様の手から直接受け取る五百円玉や千円札の重みと有り難みが解るのか……。

 わかるはずはないさ。

どんなに会社からそれを教えられても、頭で物分かり良く理解したつもりになっているだけだ……。
 私とて十年以上の勤め人時代に理解していた、つもり、だったんだ。
 それも本当に理解したのは目に見えて景気が落ち込んでいると実感した最近だ。

 それでさえ、一軒で大きな利益を得た後は、次のお客様から出る利益が低いければ、また戴いたお金の有り難みを忘れてしまい兼ねない。

 だから社会人になったくらいで一人前のような顔で街を歩かないでくれ、不愉快だ……。

 街に木枯らしが吹くたび、私自身なんとなく荒んだようにも感じる。
けれど、これが世の中に揉まれた大人の感情なんだと私はそんなふうに考えていた。

身体の熱を奪う冷たい風を浴びながら歩いていた私は、居並ぶショップの窓に映った自分を通り過ぎにみた。

 それは全く意外な姿で、眉間には深い皺を刻み、何より目尻の吊り上がりが異様で、私はひどく醜い顔をして立っていた。思わず立ち止まって見なければ分からぬほど、これが自分なのかと思わずにはいられなかった。

 なんて醜悪な顔をしているんだ……。

 通り過ぎる人たちの顔を見た。
 誰も私のような顔をしていない。

 ……違う、きっとそう見えるだけだ。
もしも、本当にみんな私のような顔ではないのなら、私の苦労が人一倍なけだ。
苦労してる人間の顔は、こんなものさ。
いちいち気にすることじゃない。くだらないことに気を取られている暇はない。先を急がなければ。


 自分を現実に戻し、一軒のビルに入って、駆け足で階段を昇った。

 頼むぞ、今度こそ勢いのつく仕事になってくれ。もう苦笑いはしたくない。

 雑居ビル内の吹き抜けになった階段は、上にあがるほど下から冷たい風が噴き上がって、錆び付いた手摺りも氷のように冷たかった。

 三階まで昇ったところで、私は息切れして思わず躓いてしまった。
 段差に足のすねを打ち付けてしまい、寒さのせいか骨が折れたような激痛が走った。


 なぜか、いい年をして打ち身程度で泣きたくなった。

 なぜ、私はこんな思いをしているのか……。

 勤めた会社を辞めた自分が悪い?
 辞めなければ、不況に悩まず、ただ労働するだけでよかったのか?
いや、違うさ、会社を辞めた判断の誤りじゃない。
 景気が悪いからと、使い渋りをする客のほうが……。
 などとお客様を無慈悲に思いたくなる時がある。
 全く勝手な話しなのだけれど、自分以外の誰かを恨みたくなっている……。
 新規の顧客を掴むために営業をする時、無下に断られると特にそんなふうに思ってしまう。

 駄目だ……、気を沈めてはいけない。
笑顔だ、忘れるな、私に躊躇ったり、気落ちしている暇はない。

 他人が冷たいのは当たり前だ。私だって金がない状況の今、何を削っても出費は抑えているだろう。
私の仕事はそこにどう食い込むかだ。
新卒社会人の坊やとは、くぐり抜けた経験が違う。甘えず前に進むんだ……。

 私は乱れた服装とネクタイを整え、ドアノブを握った。また辛い現実を見るかもしれない。一瞬そんな事を考えたが、きっと希望があるはずだと不安な気持ちを塗り潰すように強く心に言い聞かせて、扉を開いた。

 しかし、反応は鈍かった。
 笑顔でいつもの挨拶をしたが、この会社もみんなデスクワークをしていて、誰も目を合わせてくれなかった。
その中で事務員が面倒臭そうに立ち上がり、ロッカーの上に置かれた救急箱を持ってきた。

 お忙しいところ、申し訳ございません。

 邪魔にならないように小声で言い、箱を受け取る。
開いてみると、幾つかの使用があったが、前月に比べると利益は二割少なかった。

 それでも表情を崩さない事を心掛け、深々と頭を下げ事務員に箱を戻した。

 その時、私は頭を下げたままだったが事務員の溜め息が耳に入った。


 感情が凍るように冷えようとしていた。
最後のありがとうございましたが、上手く言えなかった。

 動揺するな……、当たり前の事なんだ。
何度も何度も心の中でそう言った。

 扉を閉めて出ようとした時、一人の男性が、薬屋さん、ちょっと待ってと声をかけてきた。


 その声の主が、この会社の社長の声だと私は知っていた。
 背中越しにひやりとした。
そんな人間が声をかけてくる場合、新しい注文か、或はもう薬箱はいらないと引き上げを言い渡される。

 私は覚悟も定まらないまま、作り笑顔で振り返った。


「今日は寒いね。さっき買ったコーヒーなんだけど、まだ温かいんだ。あげるよ」

 まだ四十を過ぎたばかりの若い社長はわざわざ席を立ち、私の手に人肌になった缶コーヒーを握らせてくれた。

 茫然としている私の肩を社長はぽんぽんと優しく叩いた。
その最後にまたね、と社長が言った言葉には、どんなに重く有り難い五百円玉や千円札の金額よりも、心が揺さぶられた。


 自分の口から、今までの社会に出て言ってきたどんなありがとうございますよりも、違う感情のありがとうございますが出ていた。

 雑居ビルを出た私は、何気なくさっきと同じショップの窓で自分を見た。

 あまり、違いはなかったけれど、少し若返ったように見えたのは、気のせいだったろうか……。

 帰宅するサラリーマンやOLたちの中に、また新社会人の姿が見えた。


 不意に、さっきのありがとうございましたの言葉が初めての感情ではなかった事に気付いた。


 そう、新社会人の頃、お客様が満足気で喜ぶ姿に、ありがとうございました。と言った時は、今と同じ感情だったかもしれない。


 あぁ、そうか、もしかしたら仕事に喜びを感じる気持ちは、彼等が一番知っているのかも知れないな……。






コメント(3)

Sさん、ご無沙汰しています。4000字コミュに初投稿します。いろいろと頑張ってみたのですが、今の僕の表現する力は、悔しいけれどこれが精一杯でした(:_;)
次のステップに登りたいです。
評価がありましたらバッサリやっちまって下さい。
 十二鳥さん、こんにちは。
 投稿ありがとうございました。

 むかしから配置薬業で有名な県に住んでいるため、興味を持って読みすすめました。
 おきぐすり、売薬さんとして昔から親しまれ、先用後利という特殊な販売形式が移動して生活するモンゴルの遊牧民族に合っているという話があり、向こうから勉強をしに来るかたがたもいるらしいですね。医薬品販売の規制緩和がすすむ昨今、新たに起業される方も少なくないと聞いたことがあります。
 私も以前転職した際、選択肢のひとつとして考えていたのですが、営業の過酷さを考えて断念しました。

 世間の荒波に打ちのめされ、世のなかのすべてが呪わしく思えるような時、一本の缶コーヒーに救われるということはあり得る話です。私の「甘い柿」にも似たようなテーマがありますね。
 主人公の独白が愚痴っぽく感じられてしまう点は、一人称という形式上の問題をあぶり出します。ひとり言めいて聞こえるうえに、何の関係もない他人を妬み、嫉む、というマイナスの感情が、読者の「愚痴につき合わされている」というマイナスの感情をも誘発するかもしれません。逆に、似たような境遇にいる方は共感を抱くかもしれません。いずれにしても、話を書こうとする時に必ずついてまわる人称の問題は、私も最後の最後まで悩みます。

 ラスト、見下していた新卒社会人にたいする評価が改まり、理解を得るところに、作者の優しさ、人柄の良さがにじみ出ているようです。これは武器として有効だと私は考えます。もっと、どんどん、この路線で書いていってほしいなと思いました。もっともっと俯瞰した目線でこの優しさが描かれれば、人情劇としての奥行きが深まれば、それは人間を描く文学になると思います。
 私も負けじと、書きます。
 おたがい、まだまだ素人ですけど、いつかを夢見て一緒に頑張りましょう。

 あ、それと、4000字以内ではあるのですが、400字詰め原稿用紙10枚をオーバーしているようですので、そこは次回からひとつ、よろしくお願いしますm(_ _;)m
> Sさん
コメントありがとうございます。
書くネタをみつけられず、今回はほぼ私の実体験をネタにしました。
ご指摘のマイナス感情の誘発というのは、自分で書いておきながら、すごく頷いてしまいました。やはりこれ愚痴っぽ過ぎになってますよね。
自分で書いていても、少し暗くて、読み返しても、書いた本人が気落ちするような、愚痴聞かされてる感がすごくて、途中で、なんだこの内容、止めようか……と考えてしまうほどでした。
なので文章表現的にも粗くて、内容的にも読みにくい作品なのに、いつも最後まで読んでいただけて感謝してます。
周りにアドバイスもらえる人がいなくて、ついいつもSさん頼りなんですが、的確なご指摘とご指導をもらえるのが嬉しくて、頼もしく思ってます。
なんとか読者に嫌悪感をもたれず良い気分で読み切って欲しい思いが尽きず、それを求めて書いているのに、反してこういう作品内容になるのは、自分の中に根暗な部分が強いのかと最近悩んでいます。
で、それだけに最近僕は益々どんな作品もラストだけは、絶対に爽快感、または感動を出したい!を身上にしてるのですが……、これは中盤の負の感情が強すぎて、あのラストでは拭い切れなかったのが、悔しいです。

でもSさんのアドバイスで、やっぱりこれ(人情劇)で、やっていこうと改めて思えました。

もっともっと深く、色濃く自分のスタイルを掘り下げ構築して頑張ります。
今回も本当にありがとうございました。
あ、Sさんの新作も勉強に読ませていただきます。
追伸:このコミュの定義ともいえる原稿用紙十枚の規定を破ってしまった事を深くお詫び申し上げます。
言い訳にしかならないのですが、携帯からのアップなもので十枚の換算が出来ず、ついはみ出しました。
次はそこのところをきっちり守ります。こだわりを破ったら意味ないですものね。
本当に反省してます。
m(__)m

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