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関嘉寛ゼミ 09’コミュの10月6日〜10日の佐用町の活動

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有山です。
10月6日〜10日、卒論の研究・チャコネットの活動のために佐用町に滞在してきました。

コメント(7)

10月6日(水)のフィールドノーツ

朝9時45分にJR大阪駅中央改札口に集合。阪大の成輪さん、勝山さんと合流した。10時発の新快速播州赤穂行きに乗車。車内で、今回の研究やこれから5日間の動きについて確認した。もっと準備してこればよかったと反省したが、とりあえず行くことで何か得られるかもしれない(得られないかもしれないが…)という思いで臨むことにした。
途中で、3人で真剣な話になり、チャコネットの方向性についてどうしていくのか、という議論をした。私自身の中にはわりと明確な意思があり、方向性についても考えてきていたが、みんなの意思が同じであるというわけではないといことを再確認した。9月に2回に分けて、チャコネットの設立の経緯や、今後の方向性について説明してきたつもりだが、まだまだみんなで話して考えていく必要があると感じた。また、自団体だけではなく、他団体に対しても、「何を目指して活動しているのか」をある程度明確にしないと、「何をやっている団体なのか」と思われる可能性があると感じた。これはチャコネットの今後の課題であり、考えていきたい点だと感じた。
そんな話しをしているうちに、11時半ごろには相生に到着した。お昼は久崎地区で食べようかとも話していたが、考えたらお店がないことに気づき、相生でひとまず下車して昼食が食べれそうなお店を探した。丁度駅前に、海鮮定食のお店があったので入ることにした。お昼を済ませゆっくりしたあと、また相生から上郡、上郡から久崎まで電車を乗り継いだ。
13時半ごろ久崎に到着し、その足で黒田さんに会いに行った。黒田さんはお元気そうで、あいさつをしたあと荷物だけ置かせてもらった。そして、三宅自治会長さんにあいさつに行った。一応研究のために来ていることと、5日間久崎をうろうろすることを伝えて、コミュニティカフェのビラ配りを了承していただいた。その後、勝山さんが1カ月泊まらせてもらう伊東さんのお宅にあいさつに行った。伊東さんの旦那さんは68歳で定年退職されており、今は家の近くでウコッケイを飼っておられる方だった。奥さんは笹ヶ丘荘の厨房で働いておられる方で、水墨画が大変上手な方だった。家に上がらせていただき、コーヒーをいただきながら旦那さんとお話をした。旦那さんは元SEであること、子どもが3人おり、今は結婚して家を出ていること、子どもを育てる時は、親が子どもの方向付けをある程度してあげる必要があること、子どもはかまう分だけ良い子に育つ、などなど教訓めいたことを「一概には言えないが…」という言葉を添えながらたくさん教えてもらった。なかでも印象的だったのは、竹炭の話しだった。旦那さんに言わせれば、「竹炭のブームはとうに過ぎた。もう落ちるばかりで上がることはない。第一竹炭の効能は実証されているのか、実証がないと今後生き残られない。ちょっと竹炭をやっても、勘で焼くだけではいけない。」などと話しておられた。おっしゃっていることは納得できる部分もあればそうでない部分もあり複雑だった。そんな話をしているうちに、3時30分ごろになったのでお礼を言って、一旦foodsくろだに戻った。今週末のカフェの案内ビラを持ち、再度久崎地区を回ることにした。二人で「ビラを配りながら、住民の方々のつぶやきを聞きたい」ということで一致していたので、ここから少し研究モードに入ることにした。
(印象に残った話を記載、それ以外のお宅は留守orビラ配布以外話さなかったお宅)
まずは、カフェの前の家に行った。そのお宅の70代くらいのおばあちゃんは、いつも来てくれている方みたいで、「カフェの案内です」といっただけで、「ご苦労さん、いつもありがとね、また友だち誘って行くわ。お隣さんにも渡しといてあげてね」とおっしゃった。いつも来てくださっていること、誘って行くわ、と言ってくださったことが大変うれしかった。
2軒目は水害によって閉店したカフェに行った。普段は閉まっているのだが、今日行くと空いていたので覗いてみると50代くらいのお母さんが出てきてくださった。お話を聞くと水害前は35年くらいカフェを続けて来られたこと、カフェをもう一度やり直すのには7〜800万円のお金がかかることなどを聞いた。そして、途中から竹炭のにおいがすると思っていたら、中で竹酢液を蒸留しているところだそうだった。「よかったら見ていく?」と言ってくださったので、中に入れていただくことにした。そこには、竹炭を焼いた際の竹酢の原液がフラスコに入れてあり、コンロにかけてあたためて気化されたものを管を通す中で冷やし、また液体にするというものだった。原液は真っ黒だが、2回蒸留できれいなうすい黄色になるということだった。水虫にはばつぐんの効果があるそうで、喫茶店をやっておられる頃は、よく近くの工場のおじさんにわけたりしていたそうだ。旦那さんが元竹炭職人で、今は焼いておられないが、焼いていたころの竹酢液がまだ多くあるから、時々作りに来ているそうだった。また、竹酢はすごいにおいが強いので、家ではできないために使っていない喫茶店でやっているとおっしゃっていた。
私たちも月1回のカフェをやっていることを伝えると、「コーヒーはドリップ?」と聞かれたので、「全てインスタントなんです」と答えると、「いや、2回に使っていないサイフォンとかがあるから、よかったら使わないかと思って」と言ってくださった。そこで、一度カフェにお誘いしてカフェの様子を見ていただくことにした。最後はお母さんが「みなさんで(佐用町に)活力を与えてください」とおっしゃっていた。そのように言ってくださることがとてもうれしかったし、やっている意味があると思った。勝手な話だが、今後お母さんのような方がコミュニティカフェを主導していってくださればうれしいなと思った。
3件目は久崎ストアーに行った。久崎ストアーは今まで3回の水害にあっており、今ではいつ水害が来るかわからないので最小限の物しか置かないということだった。買いにくるのは主に高齢者だそうで、確かに久崎のように、車がないとスーパーに行けない地域では久崎ストアーは大変ありがたい存在だし、続けていってほしいと思った。カフェの宣伝ビラを渡すと、「行けるかわからないけど、(お店に)貼ってお客さんに宣伝するわ」と言ってくださった。その後foodsくろだに戻り、荷物を持ってまた伊東さんのお宅に向かった。笹ヶ丘荘で自炊をするつもりだったが、伊東さんが夕ご飯を食べていき、と言ってくださったので甘えることにした。伊東さん宅に着くと、もう夕食の準備が終わっており、今日のメニューは天ぷらだった。しかも、天ぷらはテーブルの真ん中で揚げて、揚がったらすぐに食べさせてくださったので、あつあつでとてもおいしかった。
途中で、お母さんが水害の話しをされていたが、お父さんが「もっとおもろい話をしようや」とおっしゃった。深い意味があるのかはわからないが、水害=思い出したくない、暗くなる等の理由があるのかな、と思った。ご飯のときにお酒もいただいた。なんでもお父さんはお酒が大好きだそうで、毎日晩酌は欠かせないようだった。私は今まで、佐用町でお宅にお邪魔してお酒を飲む関係が作れるのか、作れるとしたらどれくらいかかるか、ということをずっと考えてきた。しかし、早くもそれが実現したことに驚いた。伊東さん夫妻は「いつでも来て、お茶でも飲んで行って。泊まりにおいで」などと本当にうれしいことを言ってくださった。このことでまた少しずつ佐用の方々との関わりが変わっていくのかな、と感じた。おいしいご飯をいただいたあと、8時すぎに成輪さんと2人で笹ヶ丘荘に向かった。お風呂に入ったりしてまったりしながら今日のことについて少し話をした。2人ともが思ったのは「胸がいっぱい」ということだった。以前はここまで思うことはなかったが、関係ができてきているからなのか、みなさんがすごくいい反応(今までは、ビラを渡しても「はいはい」だけだったのが、「あぁ、黒田さんとこのね。また行くわ」「いつも御苦労さま」「水害の時はね…」などという反応に変わってきた)をしてくださることで得ることも多かった。内心は感動で涙が出そうにもなったことも多かった。着実に関係づくりができており、佐用町の方々に浸透していっていると感じた1日だった。以上
10月7日(木)フィールドノーツ

8時起床、身支度をしてから散歩に出た。天気は快晴だが、まだ空気は冷たかった。笹ヶ丘荘の上にある、窯焼き場まで行って引き返してきた。戻って朝食の準備をした。今日は、昨日の夜ご飯を食べさせてくださった、伊東さんの奥さんが作ってくださったおにぎりと天ぷらをいただくことにした。お母さんの愛情たっぷりでおいしく頂いた。そのあと、カフェのビラの日程修正(間違いがあったため)をした。10時半ごろには、foodsくろだに向かった。今日の昼からは交野市の民生委員の方々(渥美先生のお母様等20名)が佐用町久崎地区の視察のために来られるそうで、そのための準備を開始した。まずは、小寺商店でお茶や紙コップを購入した。そしてfoodsくろだでテーブルやいすの準備をした。準備が終了したところで、お昼御飯を食べた。そしてまたビラの修正をはじめた。12時半には交野市の方々が来られるため、途中からは、お茶の準備等をした。時間通りに来られて、まずはお弁当とお茶を飲んでいただいた。その後、寺本さんによる水害後の救援ボランティアの説明やチャコネットの紹介をした。みなさんは、朝から役場に行かれて水害当時の映像を見られたそうなので、より寺本さんの話がイメージしながら聞くことができたのではないか、と思った。そして、30分くらいのお話のあと、みんなで久崎地区を視察した。久崎小学校前で水害時の水位の話しや災害ボラセンの話しをしていただき、次に佐用川まで行って、川を見ながら水位が上がって氾濫した話しがあった。みなさん口ぐちに「こんな川が氾濫するんや」とおっしゃっていた。その後、歩きながらfoodsくろだに向かった。その途中で、交野市の方々から「ボランティアえらいねぇ」「こんなに佐用町来て、好きになったんちゃう?」「交野市も竹炭あるんやで」などなどいろんなお話をすることができた。交野市は私の住む生駒市の隣で、私の家から徒歩5分で交野市だということもあり、共通の話題があり大変盛り上がった。しかし残念ながらすぐに帰られる時間が来てしまった。最後に、場所を貸してくださった、黒田さんのお話を聞いた。お母さんは涙ぐみながら、「みなさんのおかげです」とおっしゃっていた。私もお母さんの話しに涙が出てきた。お母さんは、この話をするといつも涙が出る、とおっしゃっていた。心からボランティアに感謝されているのだと感じた。その後交野市の方々が帰られてから、寺本さん、成輪さん、私、勝山さんの4人で、西播磨天文台に向かった。それは、佐用町を上から見るためで、実際見てみると、大量の雨が降ってその雨が川に集まって氾濫した様子が浮かぶような気がした。見学をした後、寺本さんに笹ヶ丘荘まで送っていただいた。今日の活動はこれで終了した。今日は、卒論とは直接関係しないかもしれないが、様々な方と出会い、お話ができて良かったと感じた。また、水害当時の話など、知らなかった話もあって勉強になった。
明日は、朝から笹ヶ丘荘にある窯から竹炭の取り出しをし、昼からはまたビラ配りの傍ら、つぶやきの聞き取りを行いたいと思う。以上。
10月8日(金)フィールドノーツ

朝8時起床。身支度をすませ、朝食の準備をする。今日は10時に笹ヶ丘荘のロビーに勝山さんと待ち合わせをしていたため、9時45分くらいまでに荷物をまとめてチェックアウトをすませた。一旦荷物は笹ヶ丘荘の事務所に置かせてもらって、3人で窯に向かった。9月にチャコネットで焼いた竹炭を取り出したところ、うまい具合に焼けており、焼き方をマスターしており今回の竹炭焼きを指導してくれた勝山さんに感謝したいと思った。是非焼いたみんなにもみてもらいたいと思った。竹炭の取り出しが終わってから、着替えをして伊東さんのお宅に向かった。はじめは笹ヶ丘荘でご飯を食べる予定だったが、伊東さんのお母さんがお仕事が休みだったため、「うちで食べて」と言ってくださった。お言葉にあまえて家に上がらせていただくと、「今日はラーメンやで」と言われた。行きに成輪・勝山さんと「ラーメンが食べたい!」と言っていたのでとてもうれしかった。お母さんは、笹ヶ丘荘の厨房で働いているだけあって料理がとてもうまく、今回のラーメンもインスタントではあるが、油ぬきをしたり、玉ねぎ・チンゲン菜・ホタテ・エビ・豚肉が入っており、とてもおいしかった。お昼御飯の最中に、ご近所さんが来ており、伊東さん家の浄水器からお水をもらっていた。なんでもとても体にいいようで毎日飲むとアトピーにすごくいいとおっしゃっていた。後で聞くと、そのご近所さんは親戚で、いつも水がいいからともらいに来るとおっしゃっていた。勝山さんはご飯後は伊東さんのお父さんに佐用の図書館まで連れて行ってもらう予定だったが、その親戚の方が図書館に用事があるから一緒に連れていくよ、と言ってくれていた。その光景を見て、とても温かいなと思った。私と成輪はお礼を言ってお家を後にし、黒田さんの所へ向かった。すると、いつもカフェに来てくださる裁縫好きのおばあちゃんが来ておられ、黒田さんとお話をしていた。なんでも、カフェの裏口のドアに暖簾がないため、黒田さんが裁縫好きのおばあちゃんに暖簾を作って、と頼んでおられた。そのようにして、得意な人が得意なことをやってカフェに関わる形ができたら最高だと感じた。おばあちゃんと学生生活の話しなどをした。おばあちゃんが帰る時間になったので、カフェのビラを渡すと「若い子に会えるのが楽しみやわ、若い子に会って若さもらってるのよ」と言ってくださり、とてもうれしかった。そして、その言葉を胸に早速ビラ配りにうつった。はじめは、いつもホルモン焼きうどんを食べさせてくれるおばあちゃんのところに行った。カフェのビラを渡すと、「いつもお店に貼ってるよ。また貼っとくね」と言ってくださった。おばあちゃんはいつも1人でお店をやっているため、カフェには来にくいと思うが、いつも時間を空けてきてくださっていた。おばあちゃんがコーヒーを入れてくださったので、座らせていただいた。おばあちゃんとはあまり深い話をしたことはなかったが、今回はいろいろとお話をしてくださった。印象に残った話で、水害で家のものが泥まみれになって、片付けをしているときに着物が出てきた。その着物をCODEの村井さんが借りて、新潟の長岡の清野さんという方が着物をコースターやかばんにして、おばあちゃんに送っていた。大事ないろんな思い出のつまった着物を、形を変えて残そうという発想がすてきだと感じた。村井さんにもその話を聞いてみたいと思った。
印象に残った話の2つ目は、水害で亡くなられた旦那さんの写真が泥まみれになったという話だった。おばあちゃんは、50年ぐらい前に旦那さんを亡くしており、女手一つでお子さん3人を育てられていた。その時にお子さんに写真を見せながら、「これがお父さんやで」と説明していたそうだった。お子さんもお父さんの顔は覚えていないが、毎年の命日には、どんなに帰りが遅くてもお墓参りは欠かさずに行っているそうだった。「写真が泥まみれになってしまった、洗ったが下はぼやけてる」と語ったお母さんの目には涙があった。私たちも、その辛さを考えると涙が出てきた。その話のあと、お店の前を小学生が通った。おばあちゃんが「お帰り!!」と言うと、子どもは大きな声で「ただいま!!」と言うそうだ。これは毎日恒例だそうで、しかしなかなか都会では見られなくなっている光景だと感じた。この関係を続けていくことが一番防災に役立つのではないかと感じた。大変長居したあとに、ビラ配りを再開した。今までは地図を見ながらビラ配りをしていたが、なかなか網羅することができていなかった。しかし今回は成輪さんと2人で時間をかけた甲斐があって、現時点で半分ぐらい網羅することができた。
今回感じたのは、本当に認知度があがってきたということだった。「大学生」「カフェ」というキーワードを出すだけで、「あぁ」という言葉が多く聞かれた。知っておられる多くの方が、「御苦労さま」「遠いのに大変やね」「ありがとね」などと声をかけてくださった。なかには深々と頭を下げてくださるおじさんもおられた。確かに、ビラを自治会長さんに頼んで回覧板にはさんで全戸に読んでもらうことは可能だが、あえてそうしない理由(顔の見える関係を作る、反応が目に見えるから)が再確認できた。一区切りついたところで今日は終えることにした。もう一人の前日入りする学生と合流し、車で夕食を食べに行った。そのあと佐用の湯(温泉)にお風呂に入りに行って、久崎に戻って今日宿泊させていただくお母さんの家に向かった。第一印象は、少し怖そうなお母さんといった感じだが、話してみるととても気さくで上品なお母さんだった。お母さんと話していると「水害から…」「水害より前は…」などと水害というキーワードが何度も出てきていると感じた。水害はお母さんにとって、なにか一つの区切り(時間的?心理的?)だったのではないかと感じた。お母さんは1人暮らしなので、話し相手がいてうれしいのかよくしゃべられた。途中でお母さんの趣味の切り絵の話しになった。作品を見せていただくと、どれも本当に素敵で楽しそうに作品の説明をされる顔が輝いていた。佐用のお母さんは本当に様々な趣味をお持ちで、普段からゆっくりとした時間が流れているような気がした。以上。
10月9日 フィールドノーツ

朝7時起床。大雨が降っており、今日の竹切りを心配。身支度をすませ、8時〜朝食。泊めて下さったお母さんが朝食の準備をしてくだった。パンにアーモンドバターを塗ったものや、ヨーグルト、サラダ、デザートなどたくさん用意して下さった。それらをいただき、またおみやげのデザートまで頂いてしまった。そしてお母さんは9時に用事のために家を出られたが、「ゆっくりしていきなさい」というお言葉に甘えて30分ほどゆっくりしたあと家をあとにした。そして、黒田さんの所に向かった。黒田さんのお宅で、購入しておいたのこぎりや鉈に「チャコネット」の名前を書く作業を行った。伊東さんのお宅に宿泊している勝山さんも合流したため、本日のメインイベント会場である竹やぶに向かって出発した。今日の予定は、午前から15時まで竹切り、15時〜買い出し、18時〜夕食だった。車で向かっている途中で頼政くんから連絡があり、雨のため一旦笹ヶ丘荘に集合することになった。笹ヶ丘荘に着くと、すでに足湯隊やCODEの人々が集まっていた。みんなが終了するまで待ち、11時15分くらいには全員集合した。今回は総勢30名ということで、大所帯だった。そして、頼政君より本日の流れの説明があった。まずは、11時半〜窯から竹炭の取り出し、昼食、昼食後〜竹切りor竹細工の二手に分かれて活動を行うというものだった。まずはみんなで窯に向かった。窯の中の竹炭の取り出しをみんなで行った。そして30分くらいですべて取り出し終わった。私たち(チャコネット)は焼けた炭をよく見ているが、今日竹炭をはじめて見た人も多くいてびっくりしていた。その後、笹ケ丘荘のログハウス内にある木工室に向かった。そこで昼食を食べた。その後、鳥越さんと吉椿さんによる竹細工のレクチャーがあった。まず、今晩の竹ご飯用の竹の切り出しと、晩御飯で使用する竹箸を作成することになり、私は竹箸を作ることにした。竹を同じ長さに切り、細く鉈で割って、そのあとカッターを入れて箸の形に裂いていった。最後にやすりをかけて表面をバーナーであぶった。それをみんなで協力して、30人分のお箸を作成した。その作業が終わりかけたころ、私は食事班に合流した。今日のメニューは竹ご飯(中身は炊き込みご飯)とトン汁、さんまの塩焼きだった。部屋でトン汁を作り、外で竹ご飯、さんまの塩焼きを作ることになり、まずは下準備を行った。30人分を作成するため、大量の具材をとりあえず切っていった。そして、3部屋のコンロをフル活用してトン汁の煮込みをした。女の子ばかりのため、手際よく作業を進めることができた。そして17時半ごろには下準備は終わり、外で竹ご飯を火にかける作業を行っていた。鳥越さんははじめ20分ぐらいでできるとおっしゃっていたが、なかなか火が通らず1時間半は火にかけていた。ようやく8時ごろにできあがり、乾杯をして夕食を開始した。竹ご飯を食べるとふわっと竹の良い香りがした。みんな夢中で食べたり、また様々な団体の人と交流を行っていた。そして、ある程度のところでお開きになった。今日は、雨のために当初予定していた通りには進まなかったが、竹細工をしたり佐用町を支援する他団体の方との交流ができてよかった。以上。
10月10日のフィールドノーツ

朝6時半に起床。夜はお風呂が閉まってしまったため、朝からお風呂へ。お風呂からあがって身支度をすませ、朝食の準備を行った。朝ごはんは昨日のトン汁、おにぎり、ゆでたまご、パンだった。みんな朝からよく食べた。食べ終わり片づけをして9時半には笹ヶ丘荘を後にした。足湯隊の方と一緒にカフェに向かった。カフェに到着し、開店準備をはじめた。途中から、11月に実施する企画の打ち合わせ班とビラ配り班に分かれた。私は後輩に企画のアドバイスなどを行った。12時すぎには、ホルモン焼きうどんを食べに行った。今日はホルモン焼きうどんのおばちゃんが、赤飯やゴーヤの漬物などを出してくださった。どれもとてもおいしく、ホルモン焼きうどんを食べる前にけっこうおなかがいっぱいになってしまった。ホルモン焼きはおいしく、みんなぺロリと平らげていた。12時45分ぐらいにカフェに戻った。今日は研究の続きで席に着きたかったが、私たちに助成金を出してくださっているJR西日本あんしん社会財団の方々3名が来られるということで、その対応をすることになった。団体設立についてやカフェについて、また水害について様々な質問を受けた。そして、実際に久崎地区を案内しながら説明も行った。みなさん真剣な顔で聞いておられ、しきりに「想像ができない」とおっしゃっていた。当時泥まみれの状態を見た私でも、水位があがった久崎を想像できないのに、いまのきれいな久崎を見ても想像できないだろうと思った。しかし、爪痕はおおきくのこっている場所がたくさんあり、ただただそれを眺めておられた。私も改めて人に話したり、見ることで、自分の考えや想いについて振り返ることができたように思う。JRの人を連れてカフェに帰ると、大勢のお客さんが来られていた。足湯コーナーもおおにぎわいで順番待ちになっていた。そして、2時すぎには獅子舞がやってきた。なんでもこの地域は土日でお祭りをやっており、厄除けのためにさまざまな場所で獅子舞をまわしていた。カフェの前だったので、カフェな内から見ることができた。獅子舞は1時間弱も踊り続けた。ちょうど獅子舞が終わったころ。3時になったのでカフェも閉店することにした。今回もカフェの雰囲気はすごくよかった。回を追うごとに雰囲気はよくなっているのではないかな?と思った。それは住民の方々も学生と馴染むことができたというのもあるし、学生もだんだん顔見知りが増えたり、カフェの運営に余裕がでてきたからだと感じた。今回改めて、カフェの重要性を感じた。
また、今回の滞在は、やはり学生の関わりが何かしらの影響を及ぼしていると感じた。そこで次回の訪問ではインタビューを行えるように準備を進めたいと感じた。そして卒論の研究につなげていきたい。以上。

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