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かいわれ新書コミュの第10回 K-ichiroの答え

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「コーヒー」

 後にヨーロッパ人によってエチオピアと名づけられるその地にはまだ、文明といえるほどの蓄積はまだなく、小規模の部族が限られた水源の近くにポツリポツリと肩を寄せ合って住んでいるばかりであった。その中でモカ族と呼ばれる部族は、山すそに集落を構え、鳥や猪などを獲ったり、山に入ってタロイモやバナナ等を採ったりして豊かとはいえないまでも比較的平穏に生活していた。また、頻繁ではなかったものの沿岸の部族と交易まがいのことをおこなうこともあった。沿岸の部族は貝殻を用いた装飾品や魚や海草を乾燥させたものを交易の品とした。モカ族は山で取れる動物の肉、毛皮、イモ等を交易の品とした。貨幣すらなく、物品を単純に交換する実に素朴な交易関係であった。
 雨季と乾季を定期的に繰り返すその気候にあって、乾季の食糧不足を乗り切るのは毎年の難事であったが、その年は悪いことに集落の裏山が大規模な山火事に見舞われた。山火事は集落のすぐ裏にまで迫り、日頃収穫に入る一帯もすべて焼きつくした。黒焦げになった山を見上げ、部族の人間達は途方に暮れた。彼らは特定の宗教を持っているわけではなかったが、アニミズムとも言うべき自然に対する信仰心を日々の暮らしの中で自然と共有していた。狩りの対象となる動物達も山火事のせいで逃げ出したのかぱったりと取れなくなった。
 そのせいで交易も成り立たなくなった。族長の屋敷には毎晩のように男達が集まってこの難事をいかにして乗り切るかが相談された。しかし、農耕の技術も持ち得ないままに、その恵まれた環境に支えられた彼らがその環境を突如として失った時、別の部族を襲うような考えが浮かぶはずも無かった。
 山火事から一月が経とうとしていた。食糧不足のせいで、病気になるものが現れ始めた。部族の精神的支柱であった長老も病に蝕まれた。人々は黒焦げになった山を恐れて、山に入ることも無くなった。
 そんな中、山火事が起きるまで山の泉に水を汲みに行くことを日課としていたカヒという名の子供が、家の水がめが空になったのを見て、一人で山へ入った。山へ入ることは部族の中では禁じられていたが、親は病に伏せていたし、水が必要なことだけは幼いカヒにも理解できた。泉には山火事のせいか真っ黒な水で満たされていた。カヒはそれまでの習慣で、その水の濁りを気に留める様子も無く、甕に水を入れるとまた頭に載せて集落へと戻った。そして、いつもするように薪で一度煮沸してから(殺菌のために煮沸する技術は経験的に身につけていたものと考えられる)、病床の母に飲ませた。不思議なことに、母の病は数日で回復した。これを聞いて、他の家の者たちも禁を破って山へ入り、泉から黒い水を汲んできて、煮立てて病人に飲ませた。次々に病人は快方へ向かった。(カフェインの作用によって一時的な興奮状態に陥って回復したかのように錯覚したという説もある)
 この黒い水はやがて最初に見つけた子供の名にちなんで「カヒ」と名づけられた。これが転じて後の「コーヒー」となる。部族はそれまで収穫の対象としては見向きもしなかったが、裏山に自生する木々の多くはコーヒーの木であった。乾季に実を付けたコーヒーの木が山火事に襲われた際、コーヒーの実は自然に燻され、そこに降った雨に溶けて、落ち葉で漉され、泉に流れ込んでいたのであった。山自体が天然のコーヒーメーカーとなったのである。
 部族はこれ以降、コーヒーを部族の主要な交易品として輸出するようになり、アフリカ一帯からアラブを経てやがてヨーロッパ全域にまで広まった。アラブでは王族にも珍重され、その様子は20世紀日本では「コーヒールンバ」という歌にまで取り上げられている。

 以上、でっち上げのコーヒーの起源でした。
 
 
 

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