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栃木歴史倶楽部コミュの路傍の石仏・石神を追う

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先日、鞍掛峠の道祖神を見てから、道端のお地蔵さん、庚申塔、月待塔、馬頭観音などなどが気になるようになりましてあせあせ(飛び散る汗)

みなさんの住んでいるところにも、ありますか?

気になりだすと、あるんですよねわーい(嬉しい顔)

死者を悼むためだったり、安産、豊作の祈願だったり、村や家々に災いが降りかかるのを防ぐためだったり、昔の人の信仰のかたちなんですよね。大事にしていきたいですよね。

このような石仏は、江戸時代に盛んに造られたようで、講(こう)の発達が大きいようです。でも、江戸時代になぜ、このような信仰が盛んになったのか興味深いですよね。

今回は、粟野町にあります『双体道祖神』です。

この地区には、8体の道祖神が確認されているそうでその1体です。

握手型というそうです。

雑学ページに各石仏の説明を載せていこうと思います。

コメント(24)

 道祖神、お地蔵様、庚申塚、私も好きですねぇ。
 ただ、私は全く詳しくないですが。
 地方の郷土資料館などでは、歴史のある道祖神をきちんと記録しているところもあり、そういうのを拝見するのもなかなかですよ。

 写真は、ほんとに名も無き近所の道祖神です。
 古い道の、村の入り口や辻などに、疫病よけや魔除けのためにたてられていたそうですね。
 何気なくたってらっしゃいますが、たぶん100年・200年、ずっと見張り番をしててくださったんでしょうね。
 安全を祈る、思いのこもった神様や仏様、たくさんお会いしたいものです。

 ちょっと古い集落の近くには、よくいらっしゃるので、散歩写真なんかで撮らせていただいてます。

 こういうトピ、すこし盛り上がるといいなあ。
> ぽろおそまさん

歴史を感じさせる石仏さんをありがとうございます

このコミュを見てくれた人が、道端の石仏さんに目を向けるきっかけになったら、うれしいですよねわーい(嬉しい顔)
鶴田の高龗神社にある庚申塔と道祖神

他にも写真ライブラリ探すとあるはずなので見つけたら載せます
>くぅさん

ありがとうございます

鶴田にこんな立派あせあせ(飛び散る汗)な道祖神があったなんて知りませんでした。

お供え物があるということは、地域で大切にされているんですねぴかぴか(新しい)
清住町通り、松原のあたりにある勝善神
馬頭観音と同じようなものらしい

この辺は旧日光街道のはずだから、何か関係があるのかな?
 またまた、名もない庚申塚です。
 歴史があったり、珍しいタイプのものの方が受けが良いのかもしれませんが、こういう普通の石仏様も紹介させてくださいね。

 前回のが、南に開けた谷間の東側から村にはいるところにある庚申塚で、こんどのは西から入る所にある庚申塚です。
 土台や本体も修理の後があるので、何回も壊れたのかもしれません。

 次の写真は、昔の街道沿いのお地蔵様達。
 馬頭観音様もいらっしゃるのですが、お姿はなく、文字だけです。
 こちらは、民家が近いせいか、時々お供えが見られます。
>くぅさん

勝善神、僕も調べてみました
なるほどぴかぴか(新しい)

仏教系で言うと、『馬頭観音』
神道系で言うと、『勝善神』になるわけですかわーい(嬉しい顔)

調べてみると、僕の実家のほうにもあるみたいなので、今度見に行ってきます

>ぽろおそまさん

石仏さんが可愛く見えてしょうがないのは、僕だけですねm:206]

大切にされているみたいで、よかったわーい(嬉しい顔)

庚申講は、庚申の日にみんなで集まって、寝ずに過ごすんですよね

庚申信仰は、道教系ですよね。仏教系・神道系いろいろな神様を祀ってしまう、今にも続いている日本人の伝統なのかなあっかんべー
>カサピーさん
 私は、石仏様達が健気というか一生懸命というか、優しげな風貌からもそんなふうに感じてます。
 「可愛く見える」、これもわかるなあ。
宇都宮市六道の六道閻魔堂の片隅にある稲荷神の社
その隣にあるのは道祖神と思われます
 本日撮りたての石仏です。

1枚目
 一本松地蔵尊とありました。
 旧例幣使街道沿いの塚(一里塚のようなものだと思う)の上にいらっしゃいます。
 お地蔵様の上には屋根がかけられていて、お地蔵様の真ん前に椅子まで用意してあって、手入れ・掃除もされています。
 まだまだ現役のお地蔵様のようです。

2枚目
 「道祖神」ならぬ「土祖神」と彫られています。
 由来等はわかりませんが、幣があげられているところを見ると、こちらも現役?

3枚目
 村の入り口にある神社の鳥居の脇にいらっしゃる石仏様達。
 痛みがひどい(もしかすると馬頭観音様かも)のですが、土台が補修されているようなので、まだ現役なのかな。

 田舎なので、まだまだたくさん見つかります。
くぅさん、ぽろおそまさん、写真ありがとうございますわーい(嬉しい顔)

僕も路傍の石仏さん、見つけたんですけど、天気が悪くてなかなか撮影に行けませんです泣き顔

それで、これら信仰がもともとは平安時代あたりに貴族によって始められたいう歴史があるにせよ、どうして江戸時代に特に民衆の間で盛んになったのだろうって考えていたのですが

1つは、いくさが無くなって世の中が平和になって、民衆の中にも余裕が生まれたということでしょうか。

もう1つ、これは全く根拠が無くて、僕の想像なんですけど、この信仰ブームを起こしたのは、幕府・各藩だったのではないでしょうか。

庚申塔、月待塔(二十三夜塔など)、道祖神などは、特定の日にみんなが集まって、お祈りをしましたという記念碑ですよね。でも、その中身は信仰も確かにあったでしょうが、集落の交流の場であり、飲み会であり、楽しい時間だったのではないでしょうか。楽しくなければ、続くわけがないですよね。

ローマの皇帝が、民衆の不満をそらす為や人気を得る為に、闘技場や劇場を造って娯楽を与えたのと同じなのではないかと。

民衆が独自に始めたものだとしても、幕府や藩は取り締まったりはしていないようですね。

これが、明治時代になると、国家神道を目指す新政府は、これらの信仰を淫祠邪
神であると言って、石仏の撤去廃棄を進めています。

長々と書いてしまってすいませんあせあせ(飛び散る汗)

そんなわけで、昔からあった信仰を利用して幕府なり藩が、民衆に娯楽を与えたのではないかと思うのですが、どうでしょう?
『善願寺』の境内に石仏さんがあったので、写真撮ってきました。

境内にあったのは、十九夜塔で如意輪観音が彫ってありました。

多分、観音さまも彫ってあるということは、当時でも高級な部類なんだろうなって思いました。

お墓の入り口に六地蔵さんがいたので、撮影させてもらいました。
 調子に乗って、近所の石仏探し散歩(by自転車)に行ってきました。
 結構あるもんです。(古い土地なので)
 写真が3枚しかあげられないので、もっとご覧になりたい方は、ご面倒でも拙者の日記(以下のアドレス)をご覧ください。
  http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1223751586&owner_id=5741236

1枚目
 民家の敷地内にあった石仏。
 屋根付きですが、物置にもなってました。

2枚目
 辻の真ん中にある石仏群。
 庚申塚ではないようです。

3枚目
 共同墓地内にある金剛像。
 市の重要文化財になっているそうな。
宇都宮市簗瀬の高龗神社内にある馬力神
>くぅさん

馬力神の碑、僕も見たことあります。写真なくてごめんなさいふらふら

馬頭観音、勝善神と同じ、馬の神様ですね

こういう碑が多いということは、昔の人の馬への愛着の気持ちが伝わってきますねうまい!
昨日、以前から気になっていた真岡市内の石仏さんを撮ってきました。
十九夜塔でした。高さは170cm程です。

いつも、仕事で通っているのですが、改めて近くで見てみると道標にもなってました。

車で走って見てるのと、全然違いました。スローライフで見ないとダメですねあせあせ

しかし、『左 日光山』exclamation & question。真岡から日光まで歩くことを考えたら気が遠くなりますね。昔の人には、ホント頭下がります。
 またまた、近隣の石仏様を掲載させていただきます。

1枚目
 家の菩提寺の境内に庚申塔がたくさん祀ってありました。
 これだけ並ぶと、なかなか壮観。

2枚目
 近くの古い集落の入り口にあった仏様。
 ここは例幣使街道沿いの村でもあり、結構古い村であります。
 台座には、「至佐野、至足利、至館林」と彫ってあります。

3枚目
 こちらも例幣使街道沿いの村ですが、その村のはずれにいらしたお地蔵様です。
 みちらも台座に「至大沼田」と彫ってありました。(よりローカルな地名ですが)
> ぽろおそまさん

1枚目の写真、見事に並んでますねわーい(嬉しい顔)

どこかにあったものを集めたものなのでしょうか。

道標になっているお地蔵さんもいい味出してますね指でOK

舘林ですかexclamation & questionこれまた歩いて行ったら、距離ありそうあせあせ(飛び散る汗)
路傍の石仏さんではないのですが、真岡市海潮寺(かいちょうじ)の境内にある、「へび姫さま」と呼ばれる観音菩薩像です。
蛇の子供を産んだと言われている悲劇の物語の主人公・おマスの石像です。

「へび姫さま」の像だからなのか、今まで見てきた観音像とはどこか違うような…うまく説明できなくてごめんなさいたらーっ(汗)
益子の西明寺近くの石仏です。
通称「指差し観音」と言われており、石仏では珍しく「線」で彫ったモノです。
ふと思い出して写真を撮ったのですが、ご覧のとおり完全に風化していますあせあせ
十数年前に見たときはもっとハッキリしていたのですが、これじゃぁねぇあせあせ(飛び散る汗)

何かの資料で模写してあったのを思い出し、それを写してみました。
(下手な絵で申し訳ありませんたらーっ(汗)こんな雰囲気です。はい)

ちなみに、
京(享)和三年今月今日
右ハ あまびき(桜川市の雨引)
左ハ くりう(栗生、益子町上大羽)

と、彫られています。
> ほーやんさん

ホントだ指差してる目がハートスケッチナイス指でOK

確かに風化が激しいですね。顔の部分だけ微かにみえるのかな
う〜ん、こういったものが消えていってしまうのはさみしいですね涙

真岡の大内廃寺跡のそばにいらっしゃた如意輪観音さん?です。

この観音さんもあと少しで砂になってしまうのかなぁ
先日、別のトピックでほーやんさんが紹介してくれた狛犬さんを見に雷神社へ行ってきました。

小さな神社ですが、創建は室町時代とか。なかなか由緒ありますね
子持ち狛犬さんも見ることができました。

その神社の境内の奥に自分とっては、うれしい発見がありました。
『ミカヅキサマ』を発見!

以前月待塔を調べたときに、このように『つき』を祀るのは栃木と群馬にしかみられないとのことだったので、どのようなものなか見てみたいと思っていたのですが、こんな近所にあったとは目がハート

訪れるきっかけをいただいた、ほーやんさんには、この場をお借りしましてお礼を申し上げますm(__)m

他の『ミカヅキサマ』も見てみたくなってきました(^^)
見たことあるぞーという方はぜひぜひ♪
益子参考館を見学していた時、ふと庭を見ると…こんなところに「青面金剛像」が目がハート

大きなものでは、ありませんが頭上には日と月、足元には三猿が彫られています。とても良く出来ているなと思いましてあせあせ

参考館の入り口には、ちょっと異国風な石像が、どんな神様なんでしょう。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださいm(__)m

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