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いきなり古墳です
写真は下侍塚(しもさむらいずか)古墳です

5世紀前半の前方後方墳です
大田原市湯津上にあります

この古墳は水戸黄門が、部下の介さん(佐々介三郎 宗淳)に
命令して発掘した古墳なんです

水戸黄門の時代に『那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)』が
発見されて、その碑に書かれている人物が古墳の主なのではないかと
いうことで調査がされたようです

発掘の結果、土器や装飾品は出土しましたが、
古墳の主に関わるものはでてきませんでした。

出土したものはスケッチをとって、埋め戻して古墳が崩れないように
松の木を植えています

そう、写真の松の木は『介さんの松』(勝手に命名)なのであります
介さんあんたはエライぴかぴか(新しい) 
ちょっといい話でしょ そのへんがおすすめポイントです

コメント(37)

はじめましてm(__)m

勝手に参加させていただきました(^-^)

私は清原台の住人ですが、職場は宇都宮の中心地です

私も歴史大好きですo(^o^)o

私は日本史より中国史の方が得意ですけどね♪

よろしくお願いしま〜す☆
>おーちんさん

参加ありがとうございます

清原台→宇都宮中心部ですか
ということは、朝夕の渋滞にはまってますね
ほんとにご苦労様です

こんど中国史の話も聞かせてください
なかなか休みがとれなかったのですが、久しぶりに歴史探索に行ってきました。

今日は、下野市(旧石橋町)にある『孝謙天皇神社』です。

神主さんもいない、小さな神社です。

孝謙(称徳)天皇は、奈良時代の聖武天皇の後を継いだ女帝です。

そこで、社伝によると…
女帝の寵愛を受けていた道鏡が、下野薬師寺に左遷されると、それを女帝が
追いかけてきて、この地で亡くなったと。
えっexclamation女帝は栃木で亡くなったのexclamation & question

通説では、女帝の後ろだてに太政大臣禅師にまでなった道鏡が薬師寺に左遷
されたのは、女帝が亡くなった後のことになっていますが、社伝のとうりなら
ロマンチックな話だなと思いました。

社殿の裏側に、孝謙天皇の分骨を埋葬したといわれるお墓がありました。
きちんと手を合わせてきましたよ

もし、女帝と道鏡が恋仲だったとしたら、道鏡も一緒にまつってあげて欲しい
なぁと、思いました。
今回は、下野市薬師寺にあります『下野薬師寺跡』です。

下野薬師寺は、藤原京を都とした7世紀末に下毛野朝臣古麻呂(しもつけぬのあそんこまろ)が創建したとされています。

舌をかみそうな名前ですが、この人は、藤原不比等などと「大宝律令」を作った人です。

この薬師寺には、戒壇(かいだん)が朝廷によって設けられていました。
戒壇とは、僧侶になることを認める儀式をする場所です。
当時は、国家仏教だったので勝手に僧侶になることはできず、ここで受戒したものだけが、僧侶として認められていたそうです。

この戒壇が設けられていたのは、奈良東大寺と筑紫観世音寺(ちくしかんぜおんじ)と下野薬師寺の3ヶ所だけでした。

そのため、東国における仏教の中心地として栄えました。

しかしその後、最澄の天台宗などの新興宗派が独自に戒壇を設け、薬師寺の戒壇の意義が弱くなり、9世紀中ごろに大火に遭って伽藍の中心部が焼失、10世紀後半以降に急速に衰退したようです。

現在は史跡公園として整備されており、薬師寺の回廊の一部分が復元されています。
一部分でも、この場所にいると天平時代にトリップ?できますよわーい(嬉しい顔)

さて、薬師寺から少し行ったところに龍興寺(りゅうこうじ)というお寺があります。お寺の境内に『道鏡塚』がありました。
実際には、6世紀代の埴輪をともなう円墳なので、道鏡の墓ではないようです。
大切に塚を守っている地元の人に乾杯ですワイングラス
今回は、那須塩原市にあります『旧青木家那須別邸』です。

道の駅「明治の森・黒磯」の敷地内にあります。

この建物は、青木周蔵(あおきしゅうぞう)が建てた別荘です。

青木周蔵は、長州藩(山口県)出身で、1868(明治元年)ドイツに留学、
以後ドイツ公使・外務大臣(3回)・アメリカ大使などを歴任しました。
1887(明治20)には、子爵(華族の一員)に列せられています。

奥さんは、ドイツ貴族出身のエリザベートさん
(館内に写真あったけど、きれいな人だったなぁあせあせ

その青木さんが、那須の土地を国から借り受けて原野を開拓して、農場を作り
ました。まぁ、農場のオーナーさんですよね。

この建物は、1909(明治42)に大規模な増築がされて現在の姿になって
います。
館内には、青木周蔵や松ヶ崎萬長(まつがさきつむなが・設計者)に関する資料
が展示されています。

建物の前には、杉並木が続いています。そこを当時は、馬車で走っていたわけ
です。

こんな家に住んでみた〜いです目がハート

ちなみに、奥さんのエリザベートさんは周蔵の死後にドイツに帰国し、青木家は
養子が継いでいます。
ちなみに×2、ペルーの大使公邸占拠事件があった時の、大使の青木さんは、青木周蔵の曾孫にあたる人だそうです。
 参加したての[ぽろおそま]と申します。

 寺野東遺跡を紹介します。
 小山市の東側にあります。
 寺野東遺跡は、環状盛土遺構がある、旧石器から歴史時代までが重なり合う遺跡だそうです。
 国指定の遺跡なので、資料館も立派なものがあり、展示もまとまりがあって、きれいでなかなかのものです。
 で、遺跡自体もきれいに復元整備されており、公園化されています。
 現在、この遺跡の南側でも広い面積で発掘作業がされており、いろいろ遺物が出てきているようです。
 公園としてもきれいなところなのでお勧めです。
下野国庁跡
 ここ、かなり大事な遺跡のはずなんですよね?
 当時は、ここが下野国の中心だったわけだし、当時の周囲の様子もかなり発掘されているし…。
 ま、人が常駐(近所の奥さんらしき人がいて説明もあり)している資料館はあるし、復元もそこそこされている(建物はかなり本格的な復元がなされています)し、時々は手入れもされているみたいで、実は結構気に入っている遺跡だったりします。
ぽろおそまさん
こんにちわわーい(嬉しい顔)

どちらの遺跡もいいですね
資料館も併設されているのは、たまりませんね(笑)

下野国府は、平将門が襲撃した初めての場所だったような
ちょっと記憶があやしいですあせあせ(飛び散る汗)
矢板市にあります『山縣有朋記念館』です

山縣有朋(やまがたありとも)は、長州出身で高杉晋作の奇兵隊に所属していました。
その後、内相・首相を歴任しています。

建物は、明治42年に小田原に建てられたもので、大正12年の関東大震災で倒壊したものを、修築したものだそうです。

館内には、有朋の遺品などが展示してあります。なかでも、勲章がすごい!
日本で最高位の勲章が見れます目がハート

2枚目の写真のドアをよく見ると、「Y・A」そう!イニシャルになってるんです。アール・ヌーヴォー風というのだそうで、おしゃれですよね

3枚目の写真の狛犬さんは、もう片方は皇居にあるそうで、皇居の狛犬さんと向き合っているのだそうです。

記念館のホームページ貼っておきます
http://www.general-yamagata-foundation.or.jp/

それにしても、那須周辺には長州・薩摩出身者で明治維新に貢献した勝ち組さん達が、広大な土地を所有していたことを初めて知りました

あらためて、歴史はおもしろいなぁと、思いましたあせあせ
 明日から仕事。
 で、その前に近場の遺跡・史跡に行って来ました。
 ・足利公園古墳群:日本で初めて科学的発掘が行われた古墳。
 ・足利市郷土資料室:足利の考古遺物の中心地。
 ・樺崎寺跡:足利氏ゆかりの古寺跡。
の3カ所。
 よろしければ、以下のページもご覧くだされ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1044687341&owner_id=5741236
 栃木県ではないんですが、縄文好きなら一度は行くべきではないかというところを紹介させてください。
 群馬県渋川市の「赤城歴史資料館」「北橘歴史資料館」の2箇所です。
 どちらも展示スペースの1/3程を縄文に割いていて、すばらしい土器群が見られます。
樺崎寺といえば木造大日如来坐像がクリスティーズで競売にかけられたので話題になりましたが、盗んだヤツもさることながら、国に鑑定させて価値を確定させてから競売にかけた北関東の好事家とやらも最低ですよね。
ちなみに前方後円墳の命名は県庁北側に奉られている蒲生君平先生ですね。
 すいません。
 県外版があるのに、こちらに11を上げちゃいました。
 失礼しました。
 県内の資料館をご紹介。
 「粟野歴史民俗資料館」と「大平町立歴史資料館」
です。
 「粟野…」は、図書館内の一角にあるこぢんまりした展示室ですが、土地柄をちゃんと説明しようとした(深読みかな)展示になっており、好感が持てました。
 「大平…」は、職員の応対はちょっとアレですが、展示物はなかなか。
 古墳からの出土品が主で、なかでも檜の木棺と鉄剣は一見の価値有りです。
 拙者の日記にもうちっと詳しく書いてます。
 興味のある方はいかが?
今回は、宇都宮市西川田にある『塚山古墳群』です。

5〜6世紀にかけて築造された古墳群で、かつては多数の古墳が存在したとみられていますが、現在は3基を残すのみとなっています。

写真は、主墳の塚山古墳です。全長98mの前方後円墳で、墳丘は3段になっています。

古墳が花で覆われていて、とてもキレイなのですが、この古墳は所有者の方が、篠竹や雑木で覆われている塚を訪ねて来る子供たちに、「何とか分かりやすく綺麗な姿で見せてあげたい」との思いから、個人が主体となって整備された古墳なんですよ。

いい話ですよね〜目がハート
今回は、宇都宮市長岡町にある『栃木県平和仏舎利塔』です。

この仏舎利塔は、世界平和と人類の幸福を祈念し、あわせて第二次世界大戦による戦没者の霊を弔うために建立されたそうです。
日本国内の38ヶ所に建立されたものの1つだそうです。

仏舎利塔は、昭和39年(1964)に完成しました。
基底部の直径は30.3m、高さは29.6mの大きさがあります。

山の上に建っているので、昔は下からもよく見えたのですが、周囲の木々が大きくなった為か、近づかないと見えなくなってしまいました。

それで、他の仏舎利塔を知っている方は、教えてください。
同じ形状なのか、それとも違うのか
ぜひ見てみたいです。
今回は、宇都宮市上欠町にあります『根古屋台遺跡』(ねごやだいいせき)です。

「聖山公園」という霊園の隅にあります。

この遺跡は、縄文時代前期の大規模集落跡で、竪穴住居や長方形大型建物が復元されています。

中央の広場には、320基あまりのお墓(土壙)があって、大型建物は、祖霊などを祀る儀式を行う目的で建てられたのではないかと、推測されています。

また、資料館(無料)もあって、出土した耳飾り、小玉、丸玉、管玉などの副葬品を見ることができます。

この遺跡は、何回行っても目がハート目がハート目がハートこんな感じです。

見学に訪れた時は、遺跡内に自生しているニッコウキスゲがとてもキレイでした
今回は、栃木市星野町にあります『星野遺跡』を見てきました。

遺跡は、公園として整備されています。

遺跡に隣接して民営の『星野遺跡記念館』があって、出土品などを見ることができるのですが、「暫くの間、休館します」の貼り紙がげっそり
再開して欲しいなぁ。とても残念でした。

自分は、この星野遺跡と先日の根古屋台遺跡、以前ぽろおそまさんに紹介していただいた寺野東遺跡を合わせて、『栃木の3大遺跡』と勝手に呼んでいますあせあせ

星野遺跡では、石器が1000点以上出土しているそうです。
古いものは、旧石器時代までさかのぼるそうですが、これには異論も出されているそうです。

http://mixi.jp/view_album.pl?id=33387496&owner_id=20435831

宇都宮にも大仏あります。
ということで、宇都宮市南大通りにあります『善願寺』(ぜんがんじ)の『大豆三粒の金仏』です。

享保20年(1735)に鋳造され、像高は3.6mです。

善願寺の和尚が、大仏建立の資金がなかなか集まらなかった時に、旅の僧からもらった三粒の大豆を増やしてそれを元手に大仏を建立したという伝説が残っています。

小さな大仏さんですが、戊辰戦争と第二次世界大戦の空襲と二度の難を逃れた大仏さんはスゴイし、ずっと歴史を見てきたんだなって思います。
今回は、栃木市惣社町にあります『室の八嶋』(むろのやしま)です。

大神神社(おおみわ)の境内にあります。

室の八嶋は下野国で唯一の歌枕の地なんです。
煙の名所として歌に詠まれて、平安期には「恋に身を焼く煙」として詠まれたようです。

いかにせむ 室のやしまに 宿もかな
恋のけふりを 空にまかせて (藤原俊成)

松尾芭蕉もこの地を訪れているようで、奥の細道に記述があるそうです。インスピレーションがわかなかったのか、奥の細道には句をのせていないようです。

でも、境内には芭蕉の句碑があります。

糸遊(いとゆう)に 結びつきたる けぶりかな

いつ、詠まれたものなのでしょうか

僕には、恋の煙は見えませんでしたが、歌枕の伝説の地として、芭蕉の歩いた道を追って訪ねてみてよかったです。

大神神社の「お鉾祭」「神楽」は、栃木市の無形文化財に指定されています。
  
今回は、宇都宮市松が峰にあります『カトリック松が峰教会』です。

教会の聖堂は、スイス人建築家マックス・ヒンデルによって設計され、1932(昭和7)年に完成したものです。
ヒンデルは、トラピスチヌ修道院(北海道函館市)などの設計を手掛けたことで知られています。

聖堂は、鉄筋コンクリート造り2階建てのロマネスク様式で、正面に2つの塔を持ち、外壁などに大谷石を多用しています。1階は幼稚園になっています。

この教会で結婚式を挙げて、東武グランデホテルで披露宴なんてプランもいいみたいですよるんるん
今さらだけど、結婚式ここで挙げたかったなぁ、いや、何でもないですあせあせ(飛び散る汗)
今回は真岡市田町にあります『海潮寺』(かいちょうじ)です。

海潮寺は、室町時代の創建で、真岡を中心に周辺を支配した芳賀氏の菩提寺として知られています。

それで、このお寺の山門なのですが、屋根瓦が大谷石で葺かれています。
他に類型の少ないものとして、栃木県の指定重要文化財に指定されています。
山門は、文化3年(1806)に建立されたものです。

他にも海潮寺には、海潮寺御霊屋(みたまや・文化年間)、芳賀禅可入道高名像(室町時代)、竹垣君徳政碑(江戸時代)などの文化財があります。

御霊屋と芳賀禅可入道高名像の画像はここで見れます
真岡市観光協会のページ
http://www.city.moka.tochigi.jp/kakuka/kankou/sightseeing02_04.php
> カサピーさん

松が峰教会は

第二次世界大戦で

外側の大谷石部分を残し

米軍の攻撃で

焼け落ちたようですね
>しあわせさん

そうだったんですかexclamation & question

空襲でも焼け残るとは、さすが大谷石と言いたいところですが…

戦争は、よくないですよね涙
> カサピーさん
ご紹介したい方がいます
昭和ヒトケタ生まれで
今市地震の話しをしてくれたり、大東亜戦争時の宇都宮市内の空襲の話しや、栃木県北東部の街道筋の六地蔵様は戌辰戦争時に街道筋で亡くなられていた方の供養の為に置かれています等
教えて頂きました。
> しあわせさん

書き込みが遅くなってしまって申し訳ないですあせあせ(飛び散る汗)

昔を知る方の話、いろいろ貴重なお話が聞けそうですねうまい!

直接お話を伺いたいのですが、今通常の休みがなかなか取れない状況でして泣き顔

新たなトピックを立てますので、ぜひそちらでお話を聞かせてくださいわーい(嬉しい顔)
 今ちょうどお勧めのスポットをご紹介。
 佐野〜田沼にある唐沢山城趾です。
 築城は平安時代らしいです。
 かなり古い城跡なので、それだけでも城好きには行く価値大と思われます。

 「今ちょうど」と書いたのは、紅葉が絶好調だからなんですよ。
 1枚目の写真のように、きれいな紅葉が今真っ盛りでござる。

 2枚目の写真は、築城当時の石垣らしいです。
 本丸跡に建っている神社のそばに残っております。

 3枚目は二の丸跡から本丸の土台の石垣を観てます。

 古い城跡としても、なかなかきれいに残っていて、山城の風情を楽しめるのでは?と思います。
ぽろおそまさん、紅葉がみごとですね

関東の七名城の一つと言われた唐沢山城、見てみたいです

あと6名城って、どこだろうあせあせ知ってますか?
関東七名城は確か…

宇都宮城、唐沢山城、忍城、太田金山城、前橋城、常陸太田城だったと思います。

大日本史の関東6名城は、宇都宮城、西明寺城(益子城)、唐沢山城、常陸太田城、前橋城、
太田金山城だったと思います。

間違ってたらごめんなさい(;^ω^)
>唐沢山城、忍城、太田金山城
 行ったことがあるのはこの3つですが、たしかにいい感じの城跡です。(すいません。城は全然詳しくなくて…)
 金山城は、資料館も出来、城跡の復元ももともとの石材を組み上げてあってかなり立派です。
 忍城は行田の博物館になっていて、展示もなかなかのものです。
 お勧めですよ。
ほーやんさん、ぽろおそまさん、とても勉強になりました(^^)

栃木のお城が、言わばベストに2、3つ入っているのは、スゴイですね目がハート
大郷戸廃寺跡五輪塔群(通称大郷戸の五輪の塔)

益子町大郷戸地区にあります。
山裾にあり、戦後の畑地開墾時に大量の五輪の塔が出土し、昭和35年代の大雨による土砂崩れでさらに多くの五輪の塔や瓶子(骨壺)が出土しました。一部盗難にあったりしましたが、平成に入り五輪の塔を整備し町の文化財として指定しました。
益子氏の墓石と言われていますが確証はありません。益子氏の領地だったのでそう言われているようです。確かに、これだけの五輪の塔を作れる権力者は益子氏ぐらいしか周辺にいません。
一山越えれば富谷城があるので益子氏の強い勢力下にあった場所だと思われます。
ちなみに鎌倉時代〜室町時代に作られたと推測されています。

昭和35年に出土した五輪の塔を田畑の土留めとして使っていましたが、度重なる不幸が集落全体を襲い慌てて掘り返して供養したら治まったとのいわく付きです(; ・`д・´)
>ほーやんさん

さすが地元、貴重な情報をありがとうございます(^^)
宇都宮家の墓所の五輪の塔と形式が良く似ていますね

同じ益子町の『西明寺』に行って来ました
室町時代に建立された、楼門、三重塔は良いですよ(^^♪

1枚目は、楼門を正面から。屋根は茅葺きです。これが良い味出してます
2枚目は、三重塔。今は屋根に銅が葺かれていますが、本来の屋根は板葺きになっています
3枚目は、境内にある閻魔堂の閻魔さんです。笑っているように見えるので、『笑いエンマ』と呼ばれています




今回は真岡市荒町にあります『岡部記念館 金鈴荘』(きんれいそう)です。

地元の豪商岡部家の別荘として、明治初期に建設されました。
入り口は、防火の為土蔵造りになっています。とても重厚な造りの建物です。

内部の写真は無いのですが、床の間部分はすべて紫檀、黒檀などの唐木が使われ、贅沢なつくりになっています。
写真では、わかりずらいと思うのですが、ガラスは、手すきガラスが入っています。これが、味わいがあってとても良いので是非見にきてくださいわーい(嬉しい顔)
庭も綺麗な庭園になっています。

岡部家は、呉服屋として「真岡木綿」の商いで成功したそうです。
江戸期には、鬼怒川の海運を利用して江戸に32万反もの木綿が出荷されていたそうです。明治期以降、安価な輸入品や全国的な綿製品の製造の普及によって、姿を消してしまっていましたが、現在地場産業として復興が図られています。
隣接する『真岡木綿会館』では、機織の見学や体験ができます。
今回は岩舟町にあります岩船山高勝寺(こうしょうじ)です。

江戸時代中期以降、病気平癒・子育て祈願で各地から崇敬を集めたそうで、関東の高野山または善光寺などとも言われているそうです。

このお寺には、1751年(寛延4)建立の三重塔があります。西明寺の三重塔と比べると、こちらは弁柄塗装でとても華やかな造りです。
同じく1742年(寛保2)再建の楼門は、棟高12.95mで県内一の大きさなのだそうです。こちらには、石の舟に乗ったお地蔵さんがいるということだったのですが、今回はお会いすることが出来ず、ちと残念涙

これで、県内の古い三重塔は残すところ日光四本龍寺(輪王寺)の三重塔になりました。いよいよ日光かウッシッシ
久し振りの投稿です。

栃木市にある下野国府跡です。
律令時代の下野国国府庁跡です。
敷地内にある宮野神社が正殿跡であり、南側に前殿が復元されています。

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