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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 て 】

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[テー1]テアトル 劇場、映画館。フランス語。
  
「テアトル○○」というのは映画館の名称としてはありふれたものだが、ボクの知る限り、1970年前後の大阪にはピンク映画専門館である「テアトルA&P」しかなかった。
そのために医学部受験で上京した際、あこがれの「テアトル新宿」で『旅の重さ』『午前中の時間割り』『されどわれらが日々より・別れの詩』の3本立てを見たとき、これこそが東京だよと、悦に入っていた。これが受験前日の振る舞いなのだから、親に知られたら銃殺ものだ。
テアトル新宿には、大学生活を送ることになってから、数え切れないくらい通った。
邦画の名作も山ほど見た。
しかし、それもこれもヴィデオという方法がなければこそのアプローチであった。
ましてやDVDである。
今の時代は本当の映画ファンを生み出せる時代ではないように思う。
図書館の書棚に文学全集として叢書として、まったく同じ装丁で並んでいるようなもので、この状態にまったく想定されていないもの・・・、それは「時系列」への配慮である。
映画というものが映画館という空間を抜きにしては成立し得ないことを知っている観客には、それも杞憂であるだろうが。



[テー2]てい・おう【帝王】?君主国の元首。?ある分野、社会のなかで特にすぐれ、絶対的な権威、支配力をもつもの。 
 
「帝王」と名づけられた映画はゴマンとある。
『ギャングの帝王』暗黒街ものだね。
『北国の帝王』はアクション映画の第一人者であるロバート・アルドリッチがリー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナインら、醜男の俳優を起用して描いたホーボーもの。
ホーボーというのはアメリカ大恐慌の時代に列車にただ乗りして無銭旅行しながら移動する労働者で、このホーボーを描いた作品には『愛とさすらいの青春ジョー・ヒル』『ウディ・ガスリーわが心の旅立ち』など佳作が多い。
アーネスト・ボーグナインは絶対にただ乗りはさせないと豪語する鬼車掌に扮し、ただ乗りを見つけると金槌で殴り殺したりする。
A−ナンバー1という挑戦者がリー・マーヴィン。
骨太のアクションが面白かった。
日本ではいまや『ミナミの帝王』が有名だ。
ただ1970年ごろ「帝王」と言えば梅宮辰夫主演のシリーズがあった。
なかでも『ポルノの帝王』は艶笑喜劇の傑作としてなんとか再見したいと思い続けている。
東映東京作品で風俗ものとしてピカイチだった。



[テー3]ディメンション 次元。
  
今を去る36年前、70ミリ、シネラマに続く超大型映画として大いに喧伝されたD150は二つの特徴があった。
ひとつにはスクリーンの彎曲度がシネラマの142度に対してD150は147度。
そしてスクリーンが縫い目なしのリボンスクリーンの一枚ものだったことだ。
東京は新宿プラザ、大阪は阪急プラザの日本に2館だけ。
コケラ落しはセルジオ・レオーネの『ウエスタン』でこれは半年ロング・ランし、第2弾はジョシュア・ローガンの『ペンチャー・ワゴン』だった。
いまやD150どころか、70ミリさえ公開されることはなくなった。
35?でも音響も映像も、70ミリ様のクオリティを備えた時代となったため駆逐された。
撮影用のカメラも映写機もしっかり大型ならばこそ、クオリティがアップしていたのだが、ラスベガスにはいまだにシネラマの劇場が営業中だと聞いてから、是非体験したいと狙っている。



[テー4]ディレッタント 専門でなく趣味として文学や美術を愛好する人。好事家。いい意味でも悪い意味でも使われる。
 
これはなんといっても耳が痛い。
驚くべきことだが、この水路は自分で自分のために書いているものだが、映画を愛するということにかけて、それだけは人後におちないと自負していればこそ、厚かましくも他人様に読んで戴いているものだ。
しかし昨年末、プロの映画人である友人のHくんになにか特集上映のアイデアはないかと相談を受けたとき、ちょっと書いてよと言われた。
「それはいいけど、なんといってもド素人だからなぁ」と話したら、呆れたように「(・・・)素人って・・・」と独り言のように返された。
これで生計を立てるわけでもなく、一銭だって儲かっているわけじゃないのだから、素人というほかない。
あんまり歯がゆい映画ばかり見せられると素人でも、いや、素人ならばこそ怒りたくなるときがある。
そんなときには睨みつけ、凄みながら、こう叫ぶことにしている。
「タイガー、タイガー、ディレッタイガー!」
(この件、クドカンのドラマを見てないとなんのこっちゃということになるのが困りもの)

  

[テー5]て・うち【手打ち】?武士が家来や町人など目下の者を自ら斬り殺すこと。?うどんやそばなどを機械でなく手で打って作ること。?取引、契約、和解などで成立を祝して両手を打つこと。
  
人間国宝の桂米朝のマクラに言葉の違いを扱ったものがある。
長野あたりだと、蕎麦のことを“手打ち”、おはぎは小豆をつぶしてこしあんとつぶあんの中間にすることから“半殺し”と呼ぶ。
「おーい婆さんよぅ、客人のもてなしはどうすべぇか?やっぱ都会から来た者にゃ、手打ちがよかんべか。それとも半殺しにすべぇか」
これを聞いて客人は裏口から逃げた・・・という落ちだ。
言葉の持つキャッチ・ボールの面白さは落語の最大の魅力だ。好き放題やってくれるクドカンだが、「タイガー&ドラゴン」を見ていると、彼の落語への思いは付け焼刃でもなんでもなく、素養十分なことが分かる。
あとは彼の暴走を止めて、才能を開花する方向に誘導できるブレーンがあればいい。
しかし、これが最大の難関であることは言うまでもない。




[テー6]テーゼ ?[哲]論理展開のためはじめにたてられた命題。?政治活動の綱領。 

テーマがどうのこうの言う映画は星の数あれど、女優が理論武装して語りはじめると、ドン引きになる男は決して少なくないだろう。
素人ならではの夢や偶像崇拝を女優に対して抱いているからだ。
テーゼがどうのこうの言う前に、やさしくベーゼして欲しいと、少なくとも男子高校生の99%が答える。
(残りの1%は男が男に惚れるタイプの人々である)



[テー7]でか [俗]刑事、警官。明治時代の私服刑事巡査を意味する「角袖(かくそで)」を逆にして略して言った隠語から。 
 
この語源はまったく知らなかった。
しかし「○○デカ」とタイトルにある映画・テレビには限りがない。
「刑事」という題名の映画は有名なもので2本。ピエト・ジェルミが監督主演した「けいじ」は主題歌のアモーレ・ミオが映画より残った。
クラウディア・カルディナーレが強烈な印象を残すイタリア映画だ。
もう一本は「でか」であるフランク・シナトラの主演した凡作アメリカ映画。
この映画の不幸なところは、シナトラが立て続けに出演した「トニー・ローム殺しの追跡」と正式な続編「セメントの女」と混同されているところだ。
大スターでも凋落の日々がやってくること、それをこれほど思わせる例はない。



[テー8]てか・てか《副・形動・自サ》つやがあって光っているようす。

むかしの小学生は大抵ハナを垂らしていたものだ。
それをハンケチも持たずに外に出て行くから袖口で拭くことになり、テカテカで、パキパキになっていた。
しかしハンケチは持たなくても鼻紙は持たされた。
大便所に紙の備え付けがなかったからだ。
もちろん汲み取り便所であり、ときどきだが爆撃したあと着弾したあたりから純白な尻めがけて反対に高射砲攻撃の反撃を受けることもあり、鼻紙は必需品であった。
なぜ昔のこどもたちは青バナを垂らしていたのか?
これは栄養の偏りもあろうが(頬のハタケ、見たのはいつが最後です?)、昔の家屋というものが随分寒かったためであろう。
慢性的に冷気により鼻炎が起きるのである。



[テー9]テキ 「ビフテキ」の略。
  
受験の朝にトンカツとビフテキを食べて「テキにカツ」とゲンをかつぐことはいまも残っている。
しかし、庶民がビーフ・ステーキにありつけることが少なかった時代、悲しき呼称として「トン・テキ」がある。
あくまでも代用食なのであるが、洋食屋ではポーク・チャップと呼ばれていたものが、ビフでなくトンに置き換えた悲しい所作の産物だ。
しかしマグロをイメージ戦略として「シー・チキン」と名づけた商品はいまや、そういう原材料であるかのように闊歩して、まさに庇を貸して母屋を取られる勢いである。



[テー10]てきほん・しゅぎ【敵本主義】他のところに目的があるように見せかけて、途中で急に本来の目的を達するやりかた。
 
「北の国から」の純は東京に出てきてガソリン・スタンドに勤務する。
そこで知り合った裕木奈江扮する女の子とゆっくりとカラオケや映画を見ようとラブ・ホテルに行き、初体験を済ませる。
若い人間の含羞や決断の多くはこういった側面がある。
それが若さの表れであるし、責任の軽さでもある。
ボクはときどき若い人間に戻らせて欲しくなるのは、こういった部分である。



[テー11]てくシー【テクシー】自動車などに乗らず、てくてく歩いていくこと。 

今日はここまでバスで来たんですか?患者さんに質問して「テクシーで来たんですわ」と答える患者さんも少なくなった。
これはタクシーに対してテクシーという呼称を用いる、「トンテキ」に通じる用法だ。
何か、冷たい飲み物頂戴よ。
コップを渡されて「ほら、そこで、鉄管ビール飲みなはれ」・・・懐かしいなぁ。



[テー12]でっ・ち【丁稚】商家などに年季奉公し、雑役などに使われた小僧。 

劇団・大人計画の怪優・荒川良々。
この俳優は、実のところ藤山寛美以来の丁稚俳優だと踏んでいる。
まず、似合う。こまっしゃくれて、皮肉っぽいところも合う。
そしてなによりも上手い!
「タイガー&ドラゴン」でのジャンプ亭ジャンプというアマチュアから落語家になったキャラクターをいちど見てご覧。このことがわかるから。



[テー13]てん・らく【転落】転げ落ちること。落ちぶれること。身を持ち崩すこと。

身を持ち崩すことを、昔の映画の題名は上手くネーミングしたよねぇ。
『転落の詩集』がそれ。
それにしても、である。
いまや『転落の詩集』は『ビッグ・イッシュー』という名前の雑誌になっていることは、まだまだ知られていない。



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