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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 つ 】

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[ツー1]ツアー ?観光旅行。?小旅行。
  
遅配の続く「極私的ロケ地探訪ツアー」はこう見えてもなかなか大変。
はっきりと覚えているものはいいが、半分はウラを取らないといけない。
例えば、以前に言及した荒川方面「扇橋陸橋下」などは『WASABI』では映るのはほぼ4秒。
ジャン・レノと広末涼子が彼女の伯母の家から出て車に乗り込むまでのワン・ショットにしか過ぎない。
いまや誰も思い出さない映画だが、この映画、都内の繁華街でロケをした稀有な作品。
とくに新宿や秋葉原など立派にこなしていると感心するが、DVDの関係者の証言は東京でのロケーション・サービスの大変さしか出て来ない。
東京じゃ誰でもカメラを持っているから、ロケをやっていると分かるとシャッター音で撮影できないというコメントには、さもありなんと思う。
携帯もデジカメもどんどん軽く、薄くなってくるのはバッグにほりこんでも邪魔にならないようにする戦略からだ。
この軽量化は、おつむの中身に比例するようにしていると松下さんが言っていた。



[ツー2]つい《副》?しようとする意識を持たないままに、そのことをしてしまう様子。?何かをしようという意識を持ちながら、何もしないでそのままいる様子。?時間や距離などがあまり離れていないようす。
  
昔のキネマ旬報には映画ばかりでは売れないと考えたのか、ショー・ビジネスや寄席、テレビの特集ページまで毎号あった。
ときどき組まれたのが映画タイトルのギャグ化、パロディで、対象はやはり揶揄するに値する名作、良心作が選ばれた。
今井正監督の『越後つついし親不知』は水上勉原作のただただ暗い映画で、酒杜氏である夫・小沢昭一が出稼ぎ中に妻の佐久間良子が三国連太郎に犯される。
そのシーンのカットにおなじ書体で書かれたタイトルが『越後ついつい親不孝』、これには笑いました。



[ツー3]つい・おく【追憶】《名・自サ変》過ぎ去ったことを思い出して偲ぶこと。
  
あれは1974年2月、昔の日比谷スカラ座でちゃんとした70ミリでのリヴァイヴァルとしては最後になる『アラビアのロレンス』が公開された。
そのとき上映後、日本初のスニーク・プレビューが行われると告知があり、何かはわからないまま見に行った。
午後5時からの本編が終了したのが8時45分。
それから始まったのがシドニー・ポラックの『追憶』。
GWの上映が決まっていたから、2ヶ月も早く見られたわけだ。
映画の内容はさておき、いまそのことを思い出すとき、胸を熱くするのは、『アラビアのロレンス』に続いて124分の『追憶』を見たなんて、ケツの皮がなんと丈夫だったのかということだ。
スカラ座はロードショー館だから椅子がまだいい。
だが、昔はスクリーンの向こうから放たれるものに夢が詰まっていたから尻も耐えたのである。


  
[ツー4]つい・げき【追撃】《名・他サ変》逃げる敵のあとを追いかけて討つこと。
  
エドウィン・シーリン監督バート・ランカスター主演の『追撃のバラード』はウエスタンが作られなくなってきた1970年代前半、低予算だがなかなか見応えのある映画だった。あの頃のランカスターはまるで憑かれたようにウエスタンばかり出ていたなぁ。
マイケル・ウイナーの『追跡者』はロートルとはいえども名優たちの競演が忘れ難い。
ランカスターにロバート・ライアンにりー・J・コップ。
別に撃ちあいがなくてもウエスタンはできる。
あのイーストウッドが『許されざる者』で所謂ウエスタンに自分で引導を渡したのは、なんとなく分かるような気がする。



[ツー5]ツイスト 4分の2のリズムに合せて、相手と離れ、腰をひねって踊る踊り。
  
韓国映画の傑作『大統領の理髪師』のなかに若者の使用人がアメリカに憧れ、ロックやツイストに体をひねらせるシーンがある。
およそ世界中でアメリカに憧れなかった国があるだろうか?同じアジアで、韓国は日本と同じようにアメリカとは縁が深い国である。
イ・ビョンホンが出た1999年の映画『わが心のオルガン』は師範学校をでて初めて教師として赴任してきた新米をビョンホンが演じている。
赴任した田舎の小学校にはいろいろな生徒がおり、なかでもチョン・ドヨン扮するヒロインは学校に通えなかったために17歳でありながら小学校に通学している。
都会からやってきた優しい先生にドヨンは心ときめかす。
先生のことなら何でも知りたいと思っている。
そんなとき彼女はビョンホンと同
じくして赴任してきた女性教師の会話を盗み聞いてしまう。「エルプ?エルプってなに?」
ああ、エルビスのことかとボクは思ったが、それは「LP」のことだった。
この映画のドヨンは他の傑作にもまして素晴らしいのだが、なかでも好きな好きな先生が悪戯で腕をつねってくれたとわかったあとのドヨンが山なみに向かって歓喜に叫ぶシーンの清冽な高まりは忘れられない。
「先生が私をつねってくれた。でも、なぜ?なぜ先生は私をつねったの?」
彼女はそれが気になって眠れなくなる。
アメリカにあこがれてツイストを踊って眠らない青春があっただろうが、いなかではつね(ツイスト)られて眠らない少女がいたわけである。
ドヨン、ドヨン、ドヨン。あなたは凄い。



[ツー6]つい・そう【追想】《名・自サ》過去の出来事や亡き人のことなどを思い出し偲ぶこと。

フィリップ・ノワレが演技の見本みたいな実例を演じてみせるロベール・アンリコの『追想』。
フランスの古城で、ナチス・ドイツの軍人たちに愛する妻を凌辱され火炎放射器で焼き殺されたことを知ったノワレが、古城の隠し扉・通路を利用してドイツ軍を皆殺しにする話。ロミー・シュナイダーは余りにも美しかったなぁ。
だが映画は、あまりにも単純な復讐談で、いまなぜ映画化するのか・・・、俄かには理解できなかった。
憎しみはたしかに生きるパワーを生み出すが、恒久的なものにはなるはずがない。
アンリコにはもっと長生きしてもらって、同じ題材をどう捌くかを見せてもらいたかった。



[ツー7]つう・じん【通人】?あることについて非常によく通じていること。?人情の機微に通じてものわかりのいいひと。
  
洋泉社新書の新刊で佐藤忠男著『映画から見えてくるアジア』を読んでいると、小津安二郎の『彼岸花』がマニラで上映されたときに、爆笑につぐ爆笑で受け入れられたと記載されている。
暴君タイプの父親が、娘が勝手に結婚相手を決めたとむくれる映画だが、こういう親子の感情のもつれ方は自分たちの社会と同じだと彼らは共感したのだろうと佐藤は言う。
その『彼岸花』に東野英治郎扮する恩師を招いて同窓会をするシーンがある。
あの有名な「これはなんですかな?ハモっ!魚へんに豊と書いてハモですな」「あいつ、字だけ知って食ったことなかったんだな」というシーンだ。
この同窓生に一人で出演している菅原通済は名前に通の字が入っているからではなく、ボクが通人といって最初にイメージするひとである。
どんな人物かは知らないが、これだけは感覚としか言いようがない。



[ツー8]つつみ【堤】?湖・池・川などで水があふれ出ないように、岸に土や石を積み上げて高くしたところ。?水を貯めた池。貯水池。
  
この映画水路のよきライヴァルであるメール・マガジン「2005年映画の旅」の作者Tくんは住んでいる根岸にちなんだのか「侘助」というニック・ネームを持っている。
よく「侘び」「寂び」というが、このふたつを極めて茶道を大成させたのは、かの千利休である。
この「侘び」と「寂び」には大きな相違はなく、非常にわずかなニュアンスの違いであるとしか言えないらしい。
そういう観点に立てば、「侘び」とは質素な中に統一や秩序の美のあることが上げられる。
たとえば、かの山口瞳が愛した「侘助」は古木に花をつけるひねこびた小さな椿で、古色の落ち着いた茶入れに「侘助」という銘を入れたりする。
和服においてもつぎやつくろいが醜くなく、新品ではないけれど、それなりの調和の美をなしているのが「侘び」だという。
それに比べ、「寂び」とは寂しいなかに醸し出される孤独感の美意識をいうものである。
例を挙げるなら、落ち葉の積むにまかせた苔むした庭を「寂庭」といったり、信楽焼の古いツボのように昔は農具として遣われたものを花入れにしたときに「大寂物」と呼んだりすることからもニュアンスは伝わってこよう。
そうなると、何度も思うことをうまく表現できず無力感に苦しむボクなどは孤独な助○ェということで「寂助」と名乗るべきじゃないのかと思う、今日この頃である。



[ツー9]つも・る【自模る】《自五》マージャンで牌を自分の陣地に持ってくること。
  
さる業界のひとびとのなかでは、他人に先駆けて企画を立てるけれど、同じアイデアを考えていた同業者にすでに手配されていたとき「先ヅモされちゃってたよ」と表現する。(例:映画界、テレビ界)これはボクのようなカタギの最たる職業にあるものには、ちょっぴり羨ましいのね。
「ですからね、あなたのようにデスク・ワーク中心で運動不足。そこに40本のタバコを考えると、それだけで合併症に二翻(りゃんはん)ついてるようなもんなんですよ」と言いたくなる時があることを白状しておこう。



[ツー10]つり・てんじょう【釣り天井】つるしておいて、落とせば、下にいる人を押し殺すようにしかけてある天井。  
こうなると、真っ先に思い出すのは「宇都宮釣天井」である。
将軍家の視察に合わせて圧死させようと計画されたものである。
旗本退屈男である。
あの落ちた釣天井の上で繰り広げられる大立ち回り・・・、これはCGじゃダメよね。
だから二度と扱われることがなくなった。



[ツー11]つるべ【釣瓶】井戸の水を汲むために縄や竿などにつけておろすおけ。
  
ボクが映画を一生見ていきたいと思ったのは7歳のときに内田吐夢監督の『妖刀物語・花の吉原百人斬り』を見たときである。
この映画は歌舞伎の『籠釣瓶色街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』を映画化したものだが、その後20年以上片岡千恵蔵をいたぶり破滅に導いた水谷良重(現・八重子)を憎んでいた。
ボクは、子どもにはどんどん大人のドラマでも本物なら見せるべきだと思っている人間だが、こんな一生を送ることにさせるかもしれないなら・・・、持論は色を失ってしまう。



[ツー12]つれ・びき【連れ弾き】邦楽で琴・三味線などを二人以上で弾き合わせること。
  
この言葉を聞いてすぐに思い出すのは、実は邦画ではない。ジョン・ブアマン監督の早すぎた傑作『脱出』の冒頭シーンである。
この映画はカヌーで渓流くだりをしようとやってきた4人の男たちが事件に巻き込まれて、一生拭い去れない悪夢を背負い込む。
その一人が村の明らかに知的障害者と思われる少年とギターとバンジョーで連れ弾きするのである。
「デュエリング・バンジョー」という主題曲は、当時ヒットしてLP(エルプ)が売れた。
これは見事な演奏であった。



[ツー13]つんぼ・さじき【聾桟敷】?芝居で舞台から遠く離れて役者の台詞がよく聞き取れない席。[類]天井桟敷。?関係者でありながら、重要な物事の事情を直接知らされない、阻害された立場。 
 
マルセル・カルネの『天井桟敷の人々』を先月見たら、思わぬ感想が湧いた。
それは画面から3時間10分のあいだ発信され続ける、命がけとしか言いようのない迫力、むしろ溢れかえる熱気から生じる狂乱と言えばいいのではないかと思う息苦しさであった。
そういう感情がなければ、あのような映画が生み出されるはずがないじゃないか。
ナチス・ドイツに占領されたフランスの映画人がニースの撮影所で何千人というエキストラを動員し、あのセットを建て、犯罪大通りに踊り狂うシーンを撮っている図・・・人間としての誇りを賭けた映画。そんな映画に軟弱な人間が敵うはずがない。
で、この映画には文字通り天井桟敷にて芝居を見る庶民がでてくる。
むかしの劇場は隙間だらけで、マイクもない。
それだけに「つんぼ桟敷」という言葉がやはり生きてくる。いまの芝居は冷暖房完備で音響抜群。
望遠鏡さえあれば、決して観劇に問題はない。
いい席から売れていくのだから、飛び込みで鑑賞するなら、値段も安い3階席がいい。




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