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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 た 】

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[ター1]たいき・ばんせい【大器晩成】[名] 大きな器がそう簡単には完成しないように、優れた才能のある人は、たとえば若いときは目立たなくても年をとって大成するということ。老子から。

ボクは中川一政の書も絵画も大好きで、中川一政の存在を知ったのは学生時代、向田邦子の単行本の装丁からだった。そのためか、社会人になって資金に余裕ができたとき、中川一政展で北陸のある陶磁器メイカーが最新の技術で完成させたという陶画の素晴らしさに惹かれ、購入した。勿論、本物はとても手が出ないこともあるが、結婚したばかりで飾る絵画ひとつなかったからだ。その作品は鯛の絵に「大器晩成」の書が添えられているもので、購入以来20年にわたって我が家の壁に掛けられている。30歳のボクにはとてつもなく魅力的なモチーフだったが、現在なら、とても手を出さない。現実の重みが、希望の広さに影響を与えているからだ。『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』という2本の映画を撮った監督が25年間も隠遁生活をしているのは、いかにも残念だが、早すぎた天才の真価はもはや問えないのだろうか。


[ター2]たい・ご【隊伍】[名] 隊をなしてきちんと並んだ隊列。「隊」は二人以上の、「伍」は五人以上の兵士によって組織された組の意。

伍長とはそげな意味だったとですか。フリッツ・ラングの『捕らえられた伍長』は数少ない“伍長”の名称がタイトルに入った映画である。それにしても『死刑執行人もまた死す』とか、昔の題名はいいよねぇ。昨今の江国香織の小説の題名みたいなものは、昔は絶対になかった。そういえば、先日昭和の東京の写真集を見ていたら、吉原の旧トルコ街に『舞踏会の手帖』という店があった。ジュリアン・デュヴィヴィエ先生もビックラコンだろ。


[ター3]だいたん・ふてき【大胆不敵】[名・形動] 度胸があって敵を敵とも思わないこと。

ボクがこの言葉を覚えたのは中学二年の時に見た『カレードマン大胆不敵』というウォーレン・ビューティー主演の映画から。ビューティーはスペルから言ってもないだろうと思っていたが、いつの間にかベイティと表記が変わった。多分醜い中年になってからかもしれない。その頃は世界的なスパイ・ブームで、主人公がトランプ工場に忍び込み、カードの原版に自分しか分からないマークを入れて、カジノで大もうけする映画だが、ポスターはあたかもスパイ映画のようなムードで売った。イギリスで撮影されたアメリカ映画で、スザンナ・ヨークが彼を追い詰めていく探偵。そのキャスティングだけでも、懐かしい。


[ター4]たかはり・ちょうちん【高張り提灯】[名] 長い竿の先につけて高く揚げるようにした提灯。
 
このことはなんと言っても本所松坂町吉良上野介屋敷に赤穂浪士が討ち入ったときに隣家の土屋主税が高張り提灯を掲げて照明し、赤穂浪士の後押しをする名シーンである。「武士の風上にも置けぬ、逃げ出してくる者あらば構わぬ、槍でもって押し返してやれ!」という決めの台詞を言う映画もあった。戦前に長谷川一夫主演で『土屋主税』という映画もあったくらい。立花左近、脇坂淡路守、多門伝八郎と、忠臣蔵では主役級の役者が演じる儲け役には困らない。


[ター5]たち・しょうべん【立ち小便】[名] 立ったまま小用をすませること。

本来男は立ち姿で小用を足すものである。しかし、昨今の住宅事情から昔のように「あさがお」と「きんかくし」の両方を設置する家屋は少ない。ニッポン中がどんどんユニ・セックス化していく背景には、この家庭から小便器がなくなっていることにも一因があるように思えてならない。だが、いま書いたことにはすり替えがある。というのは立小便というのは便所で済ませるときを言うものではないからである。『男はつらいよ』の寅さんのタンカ・バイのなかにしばしば登場する「粋な姐さん立小便」というのは常々気になっていた。なんという猥褻な表現だろうと若いときは思ったものだが、宮武外骨の「滑稽新聞」のなかに女性の立小便を描いた挿画があることを知って、はたと膝を打った。野外での便所が普及していなかった頃、女性たちはしゃがんで裾をまくって排尿することは避けた。なにより局部や臀部を露出できなかったからである。そこで立小便をしたのだ。だが、これも公衆便所などの整備により、女性たちが安心して家庭内と同じようにしゃがんでする場所が確保されることで、言葉自体が急速に萎んでいったのだろう。いまや立小便は中川一郎氏ではないが、便所でもないところで小便をしたことを非難する意味を残すだけとなった。時代とともに滅んでいく言葉の最たるもののひとつと考えていい。


[ター6]タッチ・ネット[名] テニス・卓球・バレーボールで競技中に体の一部やラケットがネットに触れること。失点となる。

ボクたち昭和っ子は、誰よりもタッチ・ネットには詳しい。何故なら、東京オリンピックにて大松博文監督率いるニチボー・貝塚を中心とした女子バレー・ボールチームが悲願の金メダルに輝いたのは、ソ連チームのタッチ・ネットによる結末であったからだ。「俺についてこい」という大松監督の言葉は流行語になり、堀川弘通監督で映画にもなった。大松役はハナ肇。顔がどことなく似ていたのである。河西昌枝キャプテンは白川由美。国民的英雄になると美化してもらえる恰好の例となっている。


[ター7]だっち・わいふ【ダッチ・ワイフ】[名] ?竹または籐製の長い枕。竹夫人。?模造性器を備えた等身大の代理女性人形。

大和屋竺の『荒野のダッチ・ワイフ』という映画のタイトルを初めて見たとき、ボクはなにを指すものかを知らなかった。とき、空前のマカロニ・ウエスタンブームの後であり、健さんの『荒野の渡世人』のような和製ウエスタンかと思ったのである。竹夫人は古くから俳句の夏の季語として出てくる。熱い南洋では夏の夜、汗で布団がまとわりつかないように、竹で編んだ抱き枕を使用するのである。生活の知恵としての産物だが、昭和から平成にかけてのダッチ・ワイフはハイ・テクが駆使されて大変らしい。世をあげてのフィギュア・ブームも追い風となっている。下世話な話で恐縮だが、よく引き合いに出される「南極越冬隊」が持っていった云々という代物はどうせガセネタと思ったけれど、これは事実であった。しかし、これはとてつもなく煩雑で厄介な代物で、その改良型が昭和30年代後期に開発された。それが「南極2号」であったらしい。この「2号」というのがネーミングの上手さだ。


[ター8]だって《接続》 ?相手の言った言葉に反論する場合に用いる語。そうはいっても。でも。?前の事項に理由を補う場合に用いる語。なぜかというと。

♪〜だって、しょうがないじゃない〜♪これで片付けられるひとはいいなぁ。志ん生の「火焔太鼓」のなかの会話。「おめぇ、なんで所帯を持ったんだい」「だって、寒かったんだもの」というのは素晴らしい!


[ター9]だべん【駄弁】[名・形動] くだらないおしゃべり。無駄話。これを動詞化した「だべる」という語もある。

1960年代のイギリス映画界に二人のナイジェルありき。ともに戦争映画やサスペンスものに重用されたが、対照的な二人であった。一人は狐型で奸智に長けた役を得意にしていたナイジェル・グリーン。もう一人は、偉丈夫で狸型なれど知性を感じさせたナイジェル・駄弁ポートである。(昔はこういう風に役者の名前を覚えていったのね)代表作はマイケル・ケイン主演の『大侵略』である。DVDも出ているのでチェックしてみてください。


[ター10]たま・じゃり【玉砂利】[名] 粒の大きいじゃり。

ジャン=ピエール・ジュネとオドレイ・トトゥ。『アメり』のコンビが再び組んだ新作『ロング・エンゲージメント』。この中で、トトゥの住む家に郵便配達が毎日配達にくる。自転車に乗って庭に駆け込んできて、玉砂利を散らせて停車する。この郵便配達のムード、明らかにジャック・タチの『のんき大将・脱線の巻』へのオマージュである。手法としては『アメり』と同じものが多用されるが、信じられないくらい金をかけている。金のかけ方もアメリカとはえらい違いである。実用的な部分にこそカネがかかっているのだ。かますところはかますのだけれど、見ていて心の余裕を思わせる。ハリウッド映画人はまたまた敗北感にうちひしがれただろう。


[ター11]たみ・くさ【民草】[文] 人民。人民を繁茂する青草に例えた言葉。

長らく今井正、山本薩夫と並んで赤旗の宣伝塔的な位置にあった山田洋次。その山田洋次が喜劇作家として勇を鼓し、ついに庶民的な社会派作家として認められることになる『家族』『故郷』など一連の映画において、倍賞千恵子が演じたヒロインの名前は民子。実はこういうあたりからの命名であると睨んでいる。全監督作品を見ているボクが言うのである。(多分)マチガイナイ!


[ター12]だらい・らま[名] チベットのラマ教の教主の呼称。

なんの予備知識もなく、入って見た記録映画の傑作『ダライ・ラマばあちゃん』。これは見事な映画ですよ!みんなに褒めちぎっていたら、『タイマグラばあちゃん』の誤りだった。横文字からきっちりと、やばいことになっとるとです。


[ター13]たらち・ね【垂乳根】 ?(乳を垂らす女の意で)母親。

そのむかし、フジ・テレビ系で放送されていた『アーラ、わが君』は三田佳子がテレビの連ドラに出演し始めた頃の番組だった。この原作は古典落語の「垂乳根」だ。やんごとない女性と庶民が結婚しておこるドタバタ。「垂乳根」は上方落語では「延陽伯」と名前が変わる。男やもめの職人のところに公家の女性が嫁しづく。その最初の挨拶で「あーら、わが君」と呼びかける。そして「父はもと京都の産にして、姓はアンドウ名はケイゾウ、あだ名をゴコウと申せしが・・・」と自分の出自を父親の説明から入り、最後に自分の名前が「延陽伯と申すなりぃ」と締めるのだが、職人は全部名前だと思い込む。結局「寿限無」と同じクスグリとなっている。もはや、こんな他愛ない噺ですら、テレビで聞けなくなって落語は限られたファンのものだけになっている。


[ター14]だらに【陀羅尼】 真言密教の梵文で、一字一句に無限の意味と功徳をもつと言われ、翻訳せずに唱えると神秘的な力を発揮するといわれる文句。呪(じゅ)。
    
古くから関西の置き薬として服用されている「陀羅尼助」は確か奈良の会社ではなかったか。仏教に関係あるとは思ったが、これほど奥深い意味があったとは予想もしていなかった。


[ター15]ダンク・シュート[名] バスケット・ボールで高く跳躍し、ボールをバスケットの真上から叩き込むようにシュートすること。

キューブリックの『現金に体を張れ!』などがそうだが、古いアメリカ映画を見ていて、どうしても解らなかったのは、出前などでドーナツを頼み、ドーナツをコーヒーに浸けて食べるシーンだ。そのころの日本にはドーナツといえば油で揚げてグラニュー糖まぶれのアレしかなかった。なんという下品な食い方だと呆れていたら、1970年代中頃にアメリカン・ドーナツショップが続々と開店して、ようやく理解した。いまじゃ「オールド・ファッション」をさっとアメリカン・コーヒーに潜らせて食べるのは大好きなおっさんとなった。そのアメリカのドーナツ屋でいちばん有名なのはダスキン・ドーナツ、ではない。ダスキンがやってるのはミスター・ドーナツだもん。ダンキン・ドーナツがUSAっぽい。だがこのダンキンはダスキンの親戚ではない。どっぷりと浸ける=ダンク・インのことなのだ。


[ター16]たん・ざ【端座】[名・自サ] 畳の上などに姿勢を正してきちんと座ること。

近頃の日本映画の現代劇で、端座している場面を思い出せる作品があるだろうか?われわれの日常生活において畳の上のそういった生活が絶滅しかかっている以上、そういうシーン自体がないのは当然じゃないか。古い日本映画を見て、座り姿のあまりの美しさにため息をもらすことがある。座る生活が当たり前であったればこそ、原節子でも三宅邦子でも起き上がりこぼしのように立派なお尻をしているのである。戦後60年、立派なお尻を失って我々が得たものはなにか?座り胼胝(ダコ)のないつるんときれいな膝小僧と狭骨盤による胎児のスモール・サイズ化である。


[ター17]だん・だん【段段】[名] ?階段。?行ったり,言ったりしたことへのひとつひとつ。条々。(古風な言い方で)「−のご親切ありがとう。」

この英語で言うなら“Thank you very much”のveryのところが使われるのが、関西弁における「おおきに」である。「大いに、ありがとう」の「大いに」が「おおきに」になったのである。松竹青春映画の第一人者・山根成之監督の最高傑作である『パーマネント・ブルー真夏の恋』は、かの秋吉久美子の最高に光り輝く作品でもあり、今はもう髪の毛がないのだろう佐藤佑介の作品としても、日本映画の青春=エバー・グリーンのトップに位置付けてもいい映画だ。この四国の寂れた港町を舞台とした映画で、とくに印象が強いのは、田舎のひとびとが口にする「だんだん」という響きである。「だんだん」=「ありがとう」のことだが、「おおきに」と同じ派生であると分る。

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