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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 し 】

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[しー1]しおしお[副]落胆して元気のないさま。 

内舘牧子が初めて時代劇の脚本に挑んだのは大河ドラマの『毛利元就』であった。中村橋之助が元就を演じた。内舘といえば『ひらり』『私の青空』『年上の女』などで知られるが、今風に言うなら“負け犬”や“お局”などの屈折した心情を描くのを得意とした。結局「サポートしますから・・・」といった勧めに従って時代劇に手を染めたのだと思われる。
だが、このドラマを見ていて「!」と思ったのは、時代劇に対する意欲は感じられたものの、例えば時代劇独特の言い回しなどを登録しておいて,たびたび登場させたのだなと思われるところ。まだまだ余裕のない出来だったのだ。
まあ、内舘らしいところは、加賀まりこ扮する侍女に天然パーマのくせ毛と設定し、彼女が醜女だと悩み、それゆえに気が強く他人に挑戦的としたところ。富田靖子扮する元就の正室がなにかと言うと「シオシオなさいますな」と慰めるのが印象的であった。
これは『武田信玄』で語りを担当した母堂役の若尾文子が言う「今宵はここまでにしとぅございます」という言い回しのように流行語にしようとする狙いが見え見えだったなぁ。
ところで「シオシオ」の「シオ」は「青菜に塩」のイメージから「塩」だと思い込んでいた。ところが「シオシオ」は悄悄と書くのである。思い込みの怖さを身体で知って、シオシオ反省。



[しー2]しおから・ごえ【塩辛声】[名]しわがれた声。 

例えばアメ横の歳末売り出しにテレビに登場するオジさんたちである。または俳優で言えば上田吉二郎である。政治家なら池田勇人である。アメ横のオジさんたちはいざ知らず、塩辛声というと気になるのは喉頭がんだ。
たとえばコロンビア・ライトは手術によって声を喪ったが、以前は血の滲むような訓練にて腹式呼吸を駆使した「発声」に近い表現を体得することが出来たが、体力的にも精神的にも多大な努力を要求され、多くの人は以後筆談しか方法がなかった。だが、最近ではのどに当てて喋るつもりでアクションをすれば電気カミソリのような大きさの器械が音声表現として変換してくれるようになった。もちろん通常の声には及ぶべくもないが、特殊な訓練を要求されずコミュニケートできるから、多くの患者さんに喜ばれている。
ムエタイというタイ独自の格闘技を中心に据えたアクション映画『マッハ!!!!!!!!』は2004年洋画において燦然と立った作品だが、ここに登場する悪玉の親分がこの人工発声器を使っている。
おそらく世界ではじめて映画に登場したものだろうが、唖然としたのは、この親分が気管切開を受けて、その穴が塞がらず穴が開いたままになっている。奴はこの穴に直接タバコを挟んで喫煙する!
喉頭がんの原因の多くはタバコであり、香辛料の利きすぎた食事などであるから、医師とすれば信じられない患者である。気管切開部から直接喫煙すれば、そのあたりから新たなるがんの発生も避け難いと思われるからだ。なにもムエタイの肘打ちで頭を割られなくとも、早晩死んじゃっただろうと思うが、そういえば映画にはならんね。



[しー3]しぐれ【時雨】[名]晩秋から初冬にかけて断続的に降る小雨。 

久保田万太郎を師系とする俳人・安住敦には名句が多い。そのなかでも「時雨るや駅に西口東口」というのが凄い。この句からは色々なイメージが湧く。携帯どころか、自宅に電話がなかった時代には家族が帰りそうな時間に傘や長靴を持って駅の改札口でずっと待つ光景が展開された。吉永小百合と渡哲也の『時雨の記』は大人のラブ・ストーリーとして大好きな作品だが、「時雨」が冬の季語だと知っていると、人生の四季とイメージをダブらせて趣が深くなる。そして、「時雨」のときは案外に温かい日が多いことも重要な感覚である。



[しー4]じじょう・じばく【自縄自縛】[名]自分の言動によって自分の動きがとれなくなること。

この映画水路を遅滞なく発信することを唯一の目標と定め、そう公言したこと。時間に余裕があるときには思いもつかなかったが、忙しいときにはズンズン苛んでくる。時間の余裕はこころの余裕と同義語と思われるフシがある。



[しー5]し・せい【市井】[名]人家が多く集まっているところ。 

むかし1968年ごろ夕方の毎日放送を見ていた。なにかの時代劇の再放送だったと思うが、次回の内容をアナウンサーが紹介するときがあった。「次回の○○は、イチイに生きる名もない善人の願ったはかない夢をえがきます。ゲストは高橋オサヒデほかでおおくりします。」イチイはしせい、オサヒデは長英(ちょうえい)の二重の誤りをそのまま放送したわけだ。近頃は少なくなったといえ、こういう国語的無知をさらけ出す機会はむしろ増えている。信じられないことに、その機会は活字メディアに跋扈しつつある。
パソコンの辞書機能にまかせきりだから、最終選択の決断となる知識の薄さが原因だ。なんでもそうだが、書店の従業員が本好きと限らず、映画館の従業員が映画好きとは限らないことにも似ている。先日友人のメールに、その友人の奥様は有名な女流漫画家なのだが、夫人の誕生日のお祝いに一緒にアニメ映画を見に行ったと書かれていた。夫人は大のアニメ・ファンだとも書かれてあった。なにかホッとしたことが妙に印象的であった。



[しー6]しち・へんげ【七変化】[名]?変化舞踊のひとつ。?アジサイのこと。  

あのCGを多用したことだけが取り得の凡作『スパイ・ゾルゲ』で、ゾルゲが住んでいる家の2階に愛人の葉月里緒菜がアジサイを生けて持ってくるさりげないシーンがあった。ボクはゾルゲの正体をアジサイの別名である「七変化」に託したのかと一瞬面白く思ったのだが、そのあとの人間描写のおざなりさ、やっつけ仕事ぶりに、そういう配慮があるはずがないと判断した。アジサイは他にも四葩(よひら)とか額(がく)の花ともいう。「スパイ・ゾルゲ」にはそういうわけでもないのだがガクっときた。


[しー7]しち・りん【七厘】[名]木炭を燃料とする土製のこんろ。かんてき。 

昔は駅の売店で七厘で小鍋仕立てに食事を用意している光景を見かけたこともあった。小学生の頃、通学路にある大衆食堂の前を通ると、七厘で客の使った箸を燃料にやはり小鍋をかけていることが日常的にあった。そして、その箸は燃やすとうどんの汁に浸かったあとの箸であるために、じつに香ばしく美味そうな匂いがしたものだ。あのころは、家で弁当にご飯を詰めてきて、昼食に食堂に入っておつゆ代わりにうどんを頼み、持込でめしを食っていた労働者は少なくなかった。それだけ日本全体が貧しかった。近頃はその七厘を使って練炭を使用した自殺サークルが後を絶たない。本当に日本は豊かでもなんでもないなと思う。


[しー8]シニシズム[名]一般の習俗・道徳・世論などを無視し、万事を冷笑的にながめる態度。

  直球や豪速球を投げようと思えば投げられるのに、汗をかいたり、熱血を軽蔑する。絶対にベタな作品は自分たちでは参加しない。『ドライブイン・カルフォルニア』という1作しか見たことがないのだが、人気の劇団「大人計画」に対して、そんなイメージが払拭できないでいる。その直感が果たして正しいのか、あと数年かかっても確かめてみたいとは考えている。



[しー9]しまんろくせん・にち【四万六千日】[名]7月10日の観世音菩薩の命日。浅草寺にほおずき市がたつ。 

あの小益でない名人の桂文楽の、「舟徳」だったと思うが「四万六千日、お暑い盛りでございます」は見事なキャッチ・コピーの実例だと思う。


[しー10]し・みん【嗜眠】[名]意識障害のひとつ。病的な睡眠状態。 

デ=ニーロとロビン・ウイリアムスの『レナードの朝』は実際にあった話。嗜眠性脳炎で眠り続けていた患者にドパミンを投与すると覚醒していく。つかの間の何週間かの覚醒で、遂には同じ状態に戻っていく。
この覚醒したときのデ=ニーロの躍動を体感・発散させる表情も素晴らしいが、少し病状が再燃したとき、病室の奥からデ=ニーロが歩くシーンが凄い、顔、手、足、目のすべてがバラバラに機能してかろうじて倒れずにすんでいる。
どんな訓練をしたのかはわからないが、このシーンの演技だけで、この映画は残った。


[しー11]しゅく・めい【宿命】[名]前世から決められている運命、宿運。 

ホーム・グラウンドである新世界。うどんを更科で食べて出てくると、『砂の器』で丹波哲郎に殿山泰司の商店街の主人に「あの角に和賀自転車店」があったと教えるシーンで画面に登場した場所がある。そこを通るたびに「きっときっとそのうちに・・・繰り返し繰り返し励ましてます」と捜査会議シーンで丹波が言ったセリフを口に出してしまうのです。


[しー12]しゅせん・ど【守銭奴】[名]金銭を貯めることだけに執着するひと。 

アルバート・フィニー扮するスクルージが生まれ変わって、雪の街角にでてきて、「サンキュー・ベリーマッチ」と歌い踊る、ロナルド・ニーム監督の傑作ミュージカル『クリスマス・キャロル』は大好きな映画。長い間ビデオもなかったが、この度DVDが出た。レスリー・ブリッカスの名曲を聴きたい。ディッケンズの原作が繰り返し映像化されるのも、このクリスマスに生まれ変わる奇跡が、実現できるはずがないことに対する見果てぬ夢のようなものであることを痛感するからだろう。



[しー13]しゅ・たく【手沢】[名]?長く使っているうちに手垢や手のあぶらがついて出たつや。?故人が愛読した本。とくに、そのひとの書き込みがある本。 書き込みのある本は古  
書店では二束三文である。これが有難いこともすくなくない。しかし、むかし旅行のときに旅先の古本屋で買った西村京太郎をよんでたら、真ん中あたりで、ある登場人物の名前に矢印がついていて「コイツ」と書いてあった。これは腹が立ちました!しかし、ビックリしたのは、「コイツ」は犯人じゃなかったこと。犯人はさぞかしほくそえんでいることだろう。


[しー14]シンパ[名]共鳴者、支持者。特に左翼運動などで直接参加はしないが、背後で心情的、物質的に援助するひと。

 すべてのものについている贔屓は、そのものの年月とともに老いていく宿命がある。そうならないように、劇団は次世代の開拓に奔走するわけだが、シンパを獲得できなくて、新派は滅んだ。

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