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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 く 】

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[クー1] くう・ばく【空爆】[名・他サ変]爆撃機から爆弾を投下して攻撃すること。  

MGMでは1966年の『特攻大作戦』のヒットにあやかって、戦争映画の少し大作っぽい映画に『○○大作戦』とタイトルをつけた。第2作目はブライアン・G・ハットン監督、クリント・イーストウッド主演という世紀の傑作『荒鷲の要塞』のコンビだったし、160分という長尺でいかにも正月映画として仕立てやすいものだったから『戦略大作戦』となった。しかし、これは一風変ったオトボケ作品であり、『荒鷲の要塞』の引き締まった見事な映画に較べてユルユルの映画だった。第3作目はまたまたグンっと落ちる。イタリア製作の『空爆大作戦』で、売り物にしている空爆=空襲爆撃隊はすべてミニチュアの見劣り甚だしいものだった。監督のエンツィオ・G・カステラリの手腕も鈍く、この映画でMGMの同シリーズは引導を渡されてしまった。
これは第2次世界大戦から丁度30年。人々の娯楽作品への興味が戦争映画という形では自然に萎んだ時期にあたる。戦後10年は戦争を悪として捉える真摯な時期。戦後10年目から20年目の10年は懐かしさも手伝って、戦争裏面史や冒険談。戦後20年目から30年目の10年間は戦争をスポーツ感覚で捉えた娯楽大作として表した。もちろん、これはアメリカ映画においての傾向であって、共産国においてはしぶとく戦争の悲劇を重く暗く描くドラマを制作していたから、ある種均衡は取れていた。そのなかでもソ連が鈍重かつ退屈とはいえ『ヨーロッパの解放』シリーズで共産国では従来なかったスケールを打ち出したことは象徴的であった。

第2次世界大戦を描いた作品で戦後30年を貫いた一連のムードで描かれた最後の作品は何かというと、一般には『鷲は舞い降りた』と考えられるが、実質は『大侵略』(アンドレ・ド・トス監督。マイケル・ケイン)か、下がるに下がっても『燃える戦場』(ロバート・アルドリッチ監督。クリフ・ロバートスン、マイケル・ケイン、高倉健)になるのではないか。もっともロバート・アルドリッチには一種山本薩夫のような資質があり、主義やテーマ優先をしたと考えれば『大侵略』になると思う。



[クー2] クール【cool】】[形動]?涼しくてさわやかなさま。?冷静で感情に溺れないさま。 

いつも不思議な気がするのは、最近では大阪でも“アイス・コーヒー”一辺倒となったが、今から10年前くらいまでは“アイス・コーヒー”よりは“コール・コーヒー”であり“レイコー”が幅を利かせていた。“レイコー”は”“冷やしコーヒー”の音読みバージョンだろう。不思議というのは“コール・コーヒー”で、この呼称はミルクにもティーにも使ったが、“コール”は果たして“クール”からきたのかという点だ。まさか“凍る”“氷る”ではあるまいが。



[クー3] ぐけい【愚兄】[名]?愚かな兄。?自分の兄をへりくだっていう。  

いまや往年の人気は想像するのも難しくなった松竹新喜劇だが、最後のピークは今から25年前前後になるだろう。藤山寛美、小島慶四郎、(小島秀哉、曾我廼家鶴蝶はすでに退団していた)、四条栄美、千葉蝶三郎、など懐かしい名優たちの顔が浮かぶ。渋谷天外から完全に政権交代した寛美は借金問題を経て復帰が叶ってから連続90ヶ月だったか連続公演記録を更新するなどのワン・マン体制なれども画期的な頑張りを見せる。なかでも信じられない企画がリクエスト公演である。3本狂言の2本目をリクエストに当てるのだ。1本目の狂言が終わり、休憩が終わると緞帳が上がり寛美が登場する。1階2階3階ともに2人ずつ劇団員が客席に降りて、30狂言の名前が書いてある中から好きなものを挙げていく。もちろん『下積みの石』や『人生双六』や『鼻の六兵衛』や『カモ八ねぎ次郎』『お祭り提灯』などの代表作が並んでいて、詳しいファンなら、見ごたえのある面白いものを選ぶのだが、そこはそれ、ファンもピンからキリまである。多くの一般人は寛美のアホぶりが見たいのだから、字面だけでたくさん選ばれたのが『愚兄賢弟』という芝居であった。「愚兄」という文字がアホ役を連想させるのだろう。この芝居は人情ものの、これといって笑いの薄い芝居であったから、観客は少しフラストレーションが溜まったものだった。なんでも思い込みは損をする実例だろう。もっとも、この芝居が選ばれやすいということを見越してのラインナップ入りだったフシがある。なんといっても寛美目当ての観客ばかりで、寛美が出ない芝居は受け入れられない状況だったのだ。少しでもパワーを抑えられるものを入れておかねば体が持たない。



[クー4] くこ【枸杞】[名]夏、淡い紫色の花を開くナス科の落葉低木。紅く熟する実は果実酒や漢方薬用。  

いまでもタケダのプラッシーは米屋で売っているのだろうか?70年頃オレンジ・ジュースのなかに袋の粉砕した繊維を入れることで、あたかも100%果汁のようなイメージに近づける戦略が当たって、タケダのプラッシーはなかなかの人気があった。そのプラッシーにはほかにトマト・ジュースにコーラがラインナップされていた。そのコーラというのが変っていた。コーラとは大概がクスリくさいものだが、プラッシー・コーラにはクコが入っていると聞いたことがある。だからか、このクスリくささはどこか東洋的で好きだった。もちろんトマト・ジュースも飲まないわけではないがおやつに飲むというには美味くない。そこで体にいいからということを前面に押し出して飲んだものだ。アホ学生たちはプロレスごっこをして額を噛んでおいてから「プラッシーいくか!」と叫んで米屋に走ったものだ。フレッドにしゃれたものだが、わかるかな?



[クー5] くさり【鎖】[名]金属製の輪をつないでひも状にしたもの。  

なにが効を奏するかわからないという実例をひとつ。あれは中2。堺東の堺東宝は一時洋画名画座になっていた。ある夏、『続・鎖の大陸 苦いパン』を見に行ったら併映が『猿の惑星』だったのだ。あくまでもお目当ては「鎖」であって「猿」ではなかった。これも2本立て、3本立てというスタイルが当たり前だった時代のお話。「鎖」はいまや正・続ともに思い出す人もなく、くたびれた生活の中、人生の鎖に縛られたおっさんが思い出すだけである。


[クー6] くじら・まく【鯨幕】[名]黒と白の布を縦に交互に縫い合わせた幕。葬儀などに用いる。

 齢90を超えて今なお現役監督である新藤兼人。こうなったらあと数本はつくって、スペインのO氏には勝ってほしいものだ。最新作「ふくろう」はなかなか若々しい力を感じたものだが、食い詰めた大竹しのぶが食うために売春する気になるが、着るものもない。そこで村に残った鯨幕を再利用して仕事着をつくる。商売のあと毒殺してあの世に送ってしまうのだから、鯨幕は一石二鳥のギャグでもある。モスクワ映画祭で受賞したけれど、ロシア人にはワカンネェだろうなぁ


[クー7] くち・こみ【口コミ】[名]評判・うわさなどが口から口へ伝えられて広まること。マスコミをもじった語。  

口コミとは風評被害も入るだろう。そのことを思うとき必ず思い出すのが『メリー・ポピンズ』だ。ポピンズが雇われた家の主ディヴィッド・トムリンスンは銀行家。あるとき預金を下ろしにきた客に不備があって引き出せない。それを銀行が危ないから下ろせないのだと、あっという間に広まって取り付け騒ぎになる。いまの時代、映画が口コミだけで当たるとは思えず、探し人や求人をするとき張り紙をする感覚なら効果もしれている。だが、口コミという言葉がいまなお廃らないのは、そういうことに対して希望を棄てきれない業のようなものなのだろう。



[クー8] くつ・じょく【屈辱】[名]権力や勢力に抑えられ、屈服して受ける恥。  

「屈辱を受けました。腹でも切りますか」このセリフ、標準語でしか成立せんな。



[クー9] くど【竈】[名]?かまど、へっつい。?かまどの後ろにある煙出しの穴。  

関西では物品を人称代名詞で表現することがたくさんある。「お粥さん」「飴ちゃん」「お豆さん」などだ。しかし「へっついさん」ともいい、「おくどはん」とも言う。おんなじものだと思っていたが、上の説明の?で納得した。上方落語の「へっつい盗人」は道具屋にへっついを盗みにいく噺だが、閉店した道具屋の竹で編まれたすだれを開けるときに“ベリバリボリバリ”という擬音で表現する。音がしないように小便をかけるが、そのときは“ジョンジョジョリン”という。いかにもギャグ中心の上方落語らしいではないか。


[クー10] ぐびじん・そう【虞美人草】[名]ひなげしの美称。「虞美人」は中国の武将項羽の愛人だった虞氏の通称。虞美人が自決したときに流れた血がこの花になったという。  

「虞美人草」といえば夏目漱石であり、長谷川稀世だ。そのむかしテレビドラマになっていたからだが、長谷川一夫の娘というだけが売りだったひとだが、現在は東京の小演劇にたくさんでている。一体何の花なんだと思っていたら、ひなげしだと。それなら二宮ゆき子の『ひなげし小唄』に“赤い〜ひなげぇしぃ咲くという〜♪”というフレーズを思い出せばいい。えっ、誰のことよって?



[クー11] ぐ・みん【愚民】[名]愚かな民衆。「−政策(=支配者が権力を保つために、人民を政治に対する批判力を持たない無知の状態に置きとどめようとする政策)」  

あれは浪人時代、医学部に行っていた兄貴が「まあ、あせらずにゆっくり勉強しろよ」というアドバイスをくれた。すると親父が「あほ、そりゃ愚民政策やないか」と怒った。聞くと兄貴は留年が決まりかけていたという。そんな考え方もあるのだなぁ。「酔生夢死」「砂上の楼閣」昔の親父は、子どもにこんな語彙でもって対していたのだなぁ。鼻の奥がつんと硝煙くさくなっちまう。


[クー12] クランク【crank】[名]?往復運動を回転運動に、また、回転運動を往復運動に変える装置。?手動式映画撮影機のハンドル。またそれを回して撮影すること。  

死語となりても、これしか言いようのない言葉がある。「クランク・イン」「クランク・アップ」をはじめ、なんといっても凄いのは「メガホンをとる」という表現だ。



[クー13] くりからもんもん【倶利迦羅紋紋】[名]背中に彫った倶利迦羅竜王の入れ墨。またその入れ墨をした人。一般に入れ墨や、入れ墨をしたひとにもいう。

これも死語。しかしね、むかしは一目でヤクザと分かる風体でいたもんですよ。診察していて困るのは、男と女の垣根がどんどん低くなってしまうことに似ている。先日もスヌーピーのセーターにチノ・パンツの中年の患者さん。不摂生を続けているらしく、さんざん注意した。「じゃあ、胸の音聞いてみますね。」すると胸乳までびっしりクリカラモンモン!「だまし討ちやんか」と心の中で冷や汗かいたのだった。



[クー14] くる・ぶし【踝】[名]足首の関節の骨が左右に突き出た部分。  

もはや誰も知らない映画をいくらでも覚えている。フランス映画で原題が「くるぶし」というものがあった。これが日本では『ある日アンヌは』という邦題になる。ミレーユ・ダルクが主演した映画でなんのことのない映画だったが、話はこれからだ。なまじ詩的なタイトルであったためか、まったく客が来なかった。そこで配給会社が名画座に下りるときからタイトルを変更して、集客アップを目論んだ。『ある日アンヌは』は『愛撫』となった。これなんかは、どれだけ効果があったのかは不明だが、大した効果はなかっただろう。こういう処遇を受けた映画はまだまだある。ジェーン・フォンダがオスカーを獲った『コール・ガール』はなんと『ニュー・ヨーク売春地帯』になってしまった。『国境のかなたに明日はない』は『地獄のガンマン』に、『八点鐘の鳴るとき』はアリステア・マクリーン原作というだけで『虎鮫の要塞』、青春映画『きんぽうげ』は『濡れた花芯』となったが、ジョークとしか思えない例がある。キム・ノヴァクとクリント・ウォーカーのおとぼけウエスタン『空かける強盗団』は『空かける女強盗団』にされたのだ。ま、これもなんでも原題のカタカナ表記の一つ覚えとなった現在では懐かしい笑い話だ。



[クー15] くわい【慈姑】[名]野菜として水田などで栽培するオモダカ科の多年草。球根の一部に芽が出ていることから「芽が出る」「めでたい」として正月料理に使う。  

よく時代劇に登場する太鼓医者なら例外なく慈姑頭をしている。どう考えても胡散臭い。長い間医師を続けていると、いろいろなお誘いがある。いつだったか、超高級老人ホームの専属医にならないかという話が舞い込んだ。給料も段違いにいいのである。だが、いまの患者さんを捨てていくのがいやで断った。だが本音を言えば、超高級老人ホームというのが自分には合わないと考えたのだ。多分、あくまでも多分だが、そういうところに行くなら慈姑頭のちょうちん医者に徹する決意がないとだめだろうと思われた。勇気がなかっただけかもしれないが・・・。



[クー16] グワシ【ぐわし】[形動]楳図かずおの漫画「まことちゃん」のなかで主人公の幼稚園児まことが右手の親指。人指し指、小指を伸展させ、他の指を屈曲させて前に突き出してアクションする歓喜を表わすときのしぐさ。  

正確にはグワッシである。このことを取り上げる接点はあまりないのだが、たったひとつ。血液中のたんぱく質を分類して炎症の有無などの判定に使う「蛋白分画」はいまでも日常的にチェックしている有用な検査なのだが、学生時代にその正常な曲線を試験用に覚えるのに、このグワッシを使った。まったく同じだったからだ。

コメント(1)

関係ないけど、UPの写真いいですねえ〜♪
海賊の髑髏みたい。
☆☆☆

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