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悪魔の映画辞典コミュのトピック版【 あ 】

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【 あ−1 】 ああ[感]物事に感動したときに発する。  

映画においてはデ=シーカの『ああ結婚』、今井正の『あゝ声なき友よ』などに使用され、その鑑賞以前から観客に感動せしめようとする無言の強制があるため傑作になった試しなし。ただし[表記]としては<嗚呼><嗟><噫>の諸字を当てる場合がある。『噫!活動大写真』のように大時代的なノスタルジックな効果を狙うためだ。なかでも曽根中生の『嗚呼!花の応援団』シリーズは大学応援団というアナクロ集団を描いて絶妙のシリーズとなし得たのは「嗚呼」という字が当てられたことがイメージを掻き立てたためもあっただろう。


【 あ−2 】 あい・か【哀歌】[名]悲しい気持ちを詠んだ詩歌。悲歌。エレジー。  

古来映画においては頻繁にタイトルに使用されたが関根恵子主演『樹氷悲歌(エレジー)』が最後。人々の文学離れに比例して使われなくなったと思しい。『哀歌16才』という青春映画の監督が少女買春で逮捕される(‘04,4月)など、21世紀の日本映画界では、文字通りの悲歌が流れたが、巷間、悲喜劇ではなく、喜劇だという人もいる。


【 あ−3 】 あい・くち【匕首】[名]つばのない短刀。九寸五分、どす。

この原稿を書いているウインドウズの辞書でもそうだが、長い間匕首の字は七という字で「ななくび」と表記されていたが「化」や「北」のつくりのように突き抜けないのが正しい。ゆえに東映や日活で“どす嵐”のようにタイトルに使われていた字は誤り。文部科学省はミスを許さず、それだけでこれらの現代やくざ映画はテレビ放送から駆逐されてしまった。


【 あ−4 】 あい・こ【相子】[名]お互いに勝ち負け、損得がないこと。 

アカデミー賞は賞獲りレースではないという意見があるが、誰も納得していない。それだけに『冬のライオン』キャサリン・ヘップバーンと『ファニー・ガール』バーブラ・ストライサンドがまったく同数でオスカーを得た一件は相子だとは信じられない。韓国では余りの怒りに「あいこー」と叫ぶ相子事件が起こったが、時の権力に握りつぶされた、らしい。


【 あ−5 】 あい・ことば【合言葉】[名]?仲間内で前もって決めておく合図の言葉。『赤穂浪士』での「山」と言ったら「川」と返す類。?団体などで主義・主張の旗印として掲げる言葉。

映画界では昨今流行した合言葉に「古くて小さい劇場は不要。シネ・コンは地方に眠る財宝発掘」というものがある。全国の映画館のコン・ビニ化は、日本映画の首吊りの足をひっぱるようなものでなければいいのだが。


【 あ−6 】 あか・じ【赤字】[名]収入より支出が多いこと。欠損。  

大抵の日本映画はこれだが、テレビ放映料やビデオ収入でようやくトントンとなる。もっとも最近では『踊る大捜査線2・レインボーブリッジを封鎖せよ!』のようにあまりに大ヒットしたために、がっぽり税金に取られるのは業腹と、スカイ・ウォーカー・サウンドの海外別ヴァージョンを製作して、その分赤字として決算を工夫することも出てきた。こういう方法も二次使用がいくらでも開かれているテレビ局の製作ならばこそ可能なもので、ただの映画会社が追随すると赤字の上塗り以外のなにものでもないことになる。


【 あ−7 】 あか・せん【赤線】[名]売春を目的にした特飲街(特殊飲食店街)。

GHQの指令により公娼制度は廃止された。しかし内務省通達により特飲街においては娼婦の自由意志による売春を許可したが、1958年に廃止ということになっている。警察がこの区域の地図を赤線で示したことによる。
東京では吉原、玉の井、大阪の飛田は有名。溝口健二監督の『赤線地帯』を筆頭に題材としては星の数ほどある。
ちなみに青線とは飲食店の営業許可だけでウラではされている稼業をいう。
ついでだから詳しく書いちゃうと、[白線(パイセン)]というのもあったという。
赤線、青線に対する警察用語で、昭和31年5月に成立した売春防止法では業者、周旋屋、売春婦がタッグを組んだ場合にはいずれもが罰せられるが、売春婦が自分の意思でこっそりする分には取り締まりの対象外。そこで普通のアパートに住まわせて商売をさせるものを言った。
暴力団がらみの美人局(つつもたせ)は[黒線]。
コール・ガールは[黄線]と呼ばれた。石井輝男監督の『地帯』シリーズは“○○ライン”と読ませたが、いつの世も応用が利くイロの道なることよ。


【 あ−8 】 あくたがわ・りゅうのすけ【芥川龍之介】[名]明治25〜昭和2、小説家。 

文豪としていまなお名を残す芥川であるが、あまり知られていないエピソードをひとつ。1921年大阪毎日新聞記者として中国旅行から帰ったのち、芸術的探偵小説を続けて執筆。現在の推理小説の前身である探偵小説の担い手となった時期がある。谷崎潤一郎・佐藤春夫と並んで「探偵小説中興の祖」の一人と言われている。
今井正監督の映画にもなった『妖婆』はその後怪奇幻想小説にも手を染めた頃の作品。
文藝春秋の社長であった菊池寛の青春の日々を描いた島耕二監督の好篇『末は博士か大臣か』ではフランキー堺の菊池寛、北原義郎の夏目漱石に対して仲谷昇がいかにも若々しい怜悧な芥川を演じている。


【 あ−9 】 あく・たろう【悪太郎】[名](古風な言い方で)乱暴者。また、いたずらっ子。  

鈴木清順監督の佳作『悪太郎伝』は最近リメイクの話があった。その、札束で横っ面を張り飛ばすプロ野球トロール漁法球団「虚仁軍」の監督の伝記映画は開幕ダッシュに転倒したため、2004年4月下旬現在暗礁に乗り上げてしまい幻の企画になろうとしている。(この悪太郎も2005年秋に失職)


【 あ−10 】 あくま・しゅぎ【悪魔主義】[名]19世紀末、欧州に起こった悪徳・退廃などの悪魔的世界に美を見出そうとする思想。ボードレール、ワイルドなどが代表的作家。

デアボリズム、サタニスム。 映画としては『デアボリカ』などはタイトルばかりが知的なれど、内容   
的には知的・美的という言葉の対極にある。『エクソシスト』の五番煎じみたいなものだった。


【 あ−11 】 アタッシェケース【attache case】[名]厚さ5センチ程度の角形の手提げかばん。アタッシェとは大使館員のこと。  

1962年オリエント急行内におけるイギリスとスメルシュとの諜報戦で一世を風靡した。無理にこじ開けようとすればタルカム・パウダーの缶が破裂するようになっている。


【 あ−12 】 あっし[代][一人称の人代名詞]「わたし」のくだけた言い方。多く男性の職人、渡世人が使う。

「あっしには関わりのないことでござんす」昭和になっても根強く残った。それは工員たちの組合運動の世界である。
山本薩夫監督の『あっしたちの街』がそれである。
江戸職人では「わっし」ともいう。マンガの主人公だったまことちゃんが第1・2・4指を突き出して「わっし」としたのは一部で流行したと聞く。


【 あ−13 】 あつ・ぼった・い【厚ぼったい】[形]厚みがあって重そうなさま。

「厚ぼったい唇」といえば嵯峨三智子、池波志乃、そしてスカーレット・ヨハンセンが歴代ベスト3。本音を言えば劇団四季『アイーダ』の主演女優の濱田めぐみもトップに肉薄する勢いなのだが今回は免除しておく。
男では「サザエさん」の穴子くんと志村喬とピグモン(ガラモン)か。人相学的には情が篤いことを意味する。
年齢からいっても当分若いヨハンセンの天下だ。
嵯峨は言わずと知れた山田五十鈴の娘だが、体調を崩してはやばやと映画界から姿を消した。五十鈴は芸能界で娘がどんな役にオファーされても支障がないように腕に種痘を受けさせなかった。
70年代初頭日活ロマン・ポルノ華やかなりし頃遊女ものや大奥ものがあって、彼女たちの腕には種痘の痕が歴然とあったのが印象的だったが、嵯峨の腕にはなかった。
『こつまなんきん』以来鳴かず飛ばずだった嵯峨に松竹が用意した起死回生の企画は幻に終った。それはヌード・シーンもあり話題となることが必至だったのだが、ヌードゆえに固辞され実現しなかった。というのも、五十鈴が腕の代わりに種痘を受けさせたのが胸であったからだ。
五十鈴の頭にある「女優」とは濡れ場はあってもヌードという発想はなかったのである。
悲しくも切ないエピソードではないか。最近ではアンジェリーナ・ジョリーの刺青など、デジタル処理で何だって消せるために、無法地帯となったとも言える。


【 あ−14 】 あづま・ひなこ【吾妻ひな子】[名]上方の女芸人。

山田五十鈴の当たり役『たぬき』のモデル立花家橘之助が確立した芸“女道楽”の継承者だった。
昭和55年歿。今なお追憶のなかに生きている上方女芸人。
映画の辞典であるのに、何故に項目として取り上げるのかといえば、年齢不詳ということを思うとき真っ先に浮かぶ対象であるからだ。彼女の前では十朱幸代、佐藤友美、森光子も影が薄い。
死んだとき55歳と知り驚愕した。いつまでも若い女優の評価を、ボクのなかでは密かに“ひな子指数”と位置づけている。


【 あ−15 】 アパシー【apathy】[名]?無関心。とくに政治的無関心。?心理学で感情鈍麻。  

最近の日本人意識構造の趨勢を占める精神的マグロ状態。四半世紀ぐらい前から由々しき問題とされ、政府は民間に委託して喝を入れようとし演歌で啓蒙しようとした。細川たかし『心のこり』などがそれ。「アパシぱかよねー」


【 あ−16 】 あばた【痘痕】[名]天然痘・疱瘡がなおったあとに残る皮膚のくぼみ、瘢痕。梵語arbuda(水泡)から。「あばたもえくぼ」惚れてしまえば、相手の欠点も長所に見えるー。 
 
映画ではあばたといえば、『むっつり右門』での先輩兼ライバルである“あば敬”こと村上敬四郎が有名。
名セリフ「近藤、お主は青い、お主は若い」1970年代半ばに天然痘撲滅宣言が出されてから種痘も廃止されて思い出すことも少なくなった。
最近では蜷川幸雄監督『嗤う伊右衛門』のお岩の右顔面がただれたのは黒あばたであるという設定が印象的。
なお映画が非日常のアミューズメントたり得た頃、からだの皮膚のパーツを題名にしたお色気ドキュメンタリーが数多く公開されたことは言っておかねばならない。
すなわち『地球のあばた』『地球のうぶ毛』『地球の皮を剥ぐ』ついには『骨と肉』などまでがあった。
あばたもえくぼ状態は枚挙に暇がないが、最大・最悪の経験としては友人が彼女を評して「今井美樹に似てるねん」に会ってみれば、痩せてがりがりの出っ歯の娘だっただけのことが挙げられる。「サルマ・ハエックに似てるんだ」と聞いても期待しないことだ。単に眉毛が繋がっているだけかも・・・、ご用心めされよ。


【 あ−17 】 アパレル【appare】[名]衣服、衣裳。「− 業界」 

バブル華やかなりし頃から、外来を訪れる若者のなかに自分たちだけが解る説明をする人が少なくなく嘆かわしいことになっている。「仕事は何時から何時なんですか?」「えーと、B体制です」「・・・」といったようにだ。
バブルの頃税金対策にアパレルなど異業種企業や異業種素人監督が話題性だけで映画界に参入したが、いまや名前すら思い出せない惨状である。いまから15年前「仕事はなんですか?」「(即答)アパレルっす」そんな言葉など社会的に認知されてもいない時期だ。「おまえのあたまがあぱれるやろ」とあたまのなかにうかんだことはすこしはんせい。
こんな人を見て思い出すのは集合写真で自分の顔が前の人の体で隠れていることに気が回らない人たち。善人かもしれないが、矢状方向という感覚が欠如していることは問題だ。


【 あ−18 】 アベック【avec仏】?男女特に恋人同士の2人連れ。?二者が同一の行動をとること。「−飛行」  

アベックとは懐かしいが、いまや死語。ランデブー、カップル、ペア、二人連れ。アベック・シートというぐらいならいいのだが、最近のミニ・シアターにはソファーが並べられて2人ずつ座る劇場がある。その名も“ラブ・シート”、オッサンはいいけど、お姉さんは面白くないだろうな。しかし、若い娘たちが映画を見ながらメールをチェックしまくるのも季節はずれのホタルの舞いのようで迷惑極まるぞ。


【 あ−19 】 あま・しょく【甘食】[名]菓子パンと食パンの中間程度の甘さをもった円錐形のパン。「甘い食パン」の意。 

本当の甘食はずしりと重い。がぶりと噛むと前歯の裏側にべったりと隙間を埋めるようについたものだ。
日活ロマン・ポルノで数多くの女優が脱いでは消えていった。いまや異常なくらい巨乳女性ばかりだが、ボクのごひいきだった宮井えりなさんなどはちょうど甘食を置いたくらいのボリュームで、節度あるバストがよかった。


【 あ−20 】 あま・の・じゃく【天邪鬼】[名]?仏像で毘沙門天や仁王の足許に踏みつけにされている小鬼。?何事にも人の助言や忠告や意見にさからう者。ヒネクレ者。  

2004年4月に焼死した漫画家・横山光輝といえば少年時代の憧れの一人だ。『鉄人28号』と並ぶ最高のヒーローは『伊賀の影丸』。
その影丸の最高のライバルというのが、その名も天野邪鬼。トカゲのように斬られても突かれても蘇る不死の男。
映画になったとき、影丸は松方弘樹、 恋人は御影京子、邪鬼は若き日の山城新伍だった。
あまのじゃくでなくとも、天野邪鬼のファンは少なくない。そして若い日に(その頃のボクを含めて)年かさの人間にのみ天邪鬼となる傾向は永遠不滅のものである。
『大人はわかってくれない』『勝手にしやがれ』など映画の実例は数限りない。世の中に青春映画と呼ばれるジャンルは天邪鬼なくしては成り立たない。


【 あ−21 】 あららら[感]物事に驚いたり感動したりするときに発する語である「あら」から変化した。

とくにボクの学生時代からの憧れの女性K嶋さんはお得意。彼女は年間100本を超える映画を見て、家業を手伝い、子育てをし、グルメやバッカスの魅力も謳歌するスーパー夫人だ。劇場主義。そうそうミュージカルを中心に舞台も平らげる。日本一映画を見ている主婦の一人だろう。映画を見ないでおくかと迷うとき、尻を押してくれる存在のお一人だ。


【 あ−22 】 ア・ラ・カルト【a la carte仏】献立表のなかから好みのものを注文できる料理。  

さしづめ複数のスクリーンを有するシネ・コンはア・ラ・カルトの最たるものだろうが、おしなべてアメリカ映画の同工異曲作品中心だから、実質的な満足度といえば疑問視したくなる。専門店とはコン・ビニのように売れるものばかりを並べているものじゃない。


【 あ−23 】 あらかん【阿羅漢】[名]佛弟子が修行の結果到達する最高位。無学。羅漢。  

ジェット・リーになる前のリー・リンチェイが主演した少林寺ものの1作『阿羅漢』はアラカンではなく、アラハンと読ませた。ARAHANと原題風に記されていたから間違いではないのかもしれないが、やっぱり、流石にアラカンと読ませるわけにはいかなかったからではないのか。


【 あ−24 】アリステア・マクリーン[名]イギリスの冒険小説家。

有り余る才能を誇り、ついには加齢のためにか萎んでいく悪夢を正夢のように観察する実例。
『ナヴァロンの要塞』『ナヴァロンの嵐』『荒鷲の要塞』『女王陛下のユリシーズ号』など戦争・海洋・スパイものと才能をほしいままにした。  
マクリーンのイメージはそのまま早川ノヴェルズのイメージであり、高度成長の上げ潮気分である日本とダブる。高度成長の終焉にあたる70年代中頃に失墜したのは偶然とはいえ感慨深い。『ダイ・ハード』のブルース・ウイルスの役名は、彼からだ、と思う、んだよ、ね。


【 あ−25 】 あり・の・み【有りの実】[名]古風な言い方で梨の実。梨が無しに通じることを嫌って言い換えた。 

“するめ”を「金をスる」を嫌って“あたりめ”と言い換えるのと同じこと。  
このありの実という言葉を知ったのは月刊誌「少年」に連載されていた“わちさんぺい”作の『ナガシマくん』という漫画であった。少年時代は、なにしろ巨人戦しか中継されないのだから大抵の少年は長嶋茂雄ファンであった。
銭湯に夕方行くと、如何にして3番の下駄箱に靴を入れるかという戦いが繰り広げられたものだ。先を越されて不承不承1番で我慢する…。ほのぼのとした漫画で、野球好きの少年と変てこ親父とのギャグ漫画『ナガシマくん』はその後の少年漫画に大きな影響を与えた。森田拳司の『丸出だめ夫』などは好例だろう。当時益子かつみ『快球Xあらわる』寺田ヒロオの『背番号0』や『スポーツマン金太郎』など『巨人の星』以前にも野球漫画はいくらでもあったのだ。少年サンデー、少年マガジンが角張った製本でなく、いまの週刊誌のような製本であった時代のことである。


【 あ−26 】 あ・りゅう【亜流】[名]一流のマネをするだけで独創性のないこと。二流。追随者。エピゴーネン。  

悲しいかな、日本映画では洋画の亜流作品は切れ目がないほどに多い。し   
かし、洋画においてもアメリカ映画の亜流作品がどこの国でも製作される。商売である以上、回収しなくてはならず、その意味で手っ取り早いからだろう。昨今のようにCGが流行すると、設備をもたぬ日本では恰好の方法となり、ついには時代劇などにも軒を貸して母屋を取られる有様となった。CGの薄っぺらい表現は、そのまま薄っぺらい映画に直結するが、映画自体がしっかりしていればCGだって力をもつのだ。はきいりと意思をもってシャンとしてもらわねばならない。“亜流シャン劣等”映画は真っ平だ。 
 

【 あ−27 】 アルチザン【artisan仏】アルティスト(=芸術家)に対して職人的な芸術家。  

最近のアメリカ映画はなんでもCGで、VFXで、見た目が派手派手しいだけで、ドラマが薄い。それでもメジャーの作品ではCG,VFXの使い方だけでも抜きん出たところがあり、それだけ作品が目指している商品としての価値からすれば、その使用ぶりだけは及第作品であるものは少なくない。『パール・ハーバー』のマイケル・屁イや『スピード』のヤン・デ・凡、などはさしづめ21世紀のハリ・アルチ(ハリウッド・アルチザン)といえるだろう。作家性が極めて薄く、拝金主義とは言わないが、それを信奉している流れである。

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