ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Air Afriqueコミュのエールアフリック(Air Afrique)管理センター訪問記1

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 5月まで資料収集に行っていたエールアフリック総合倉庫が貸し出されるために、管理センターに機能が移転しました。

別れ:
http://blogs.yahoo.co.jp/airafrique101/37858624.html


=== 8月28日 ===

 12時ごろに、技術センターに着いた。

 センター長のHさんなどと話しをした。
 
 センター長の部屋に、私の机と椅子を用意してもらった。

 それから、私が5月まで収集した資料がどこにあるか探した。

 最初、オペレーションセンターの棟に運ばれた私が使っていた机を案内された。

 しかし、そこには私が保管していたものはなかった。

 元の棟に戻って、運航関係資料の中を探してもらうと、私の名前が書かれたダンボールが6箱あった。

 さっそく、ダンボールを開けて、資料を空いている棚の部分に広げた。

 それから、資料の分類を開始した。

 その次に、前回作ったリストと照合を始めた。

 それをしていたら、あっという間に16時半を過ぎてしまった。

 最後はHさんの車で、センターを後にした。


=== 8月29日 ===

 11時過ぎにセンターに着いた。

 1時間ほど、昨日と同様に、前回作ったリストと照合をした。

 センター長に、昨日の件で呼ばれた後、1時間ほどセンター長について話を聞いた。

 それから、昼食を外で済ませた。

 すぐに、作業を再開したが、眠くて1時間ほど寝てしまった。

 その後、作業を再開したが、16時を過ぎていた。

 16時過ぎに、センター長が郵便局に行くというので、私も作業を終えた。

 アクワバ交差点(空港入り口の交差点)まで送ってもらって、そこでHさんと別れた。
 

=== 9月1日 ===

 11時過ぎに、センターに着いた。

 それから、1時間ほど29日と同じ作業をした。

 一部の資料の箱詰めもした。

 13時前に、昼食にした。

 Hさんと一緒に食べた。

 いろいろな話を聞いた。

 まずコートジボワールのハンドリングの民営化について聞いた。

 すでに新聞で8月に報道されたが、エールアフリックの破産後に、ハンドリングをしていたアビジャン空港・ヤムスクロ空港ハンドリング公団(社会資本省管轄)が民営化されることになった。

 この件に関しては、この公団はエールアフリック(清算作業中)に現在、月5000万CFAフラン(1144万円)を払っていることになっている。

 実際は、エールアフリックが従業員給料を未払いだったため、公団が支払いを拒否しているのが現状だ。

 そして、この公団が民営化されれば、ハンドリングに使用している機材を新会社に売却する。

 そのためのリストを、エールアフリックは作成中とのことだ。

 それから、運航拠点の話も聞いたが、最後までアビジャン、ダカール(セネガル)、ブラザビル(コンゴ共和国)の3箇所は残ったらしい。

 昔はパリにも存在したみたいだ。


 話の流れで、「日本の航空会社の日本−ニューヨーク線は、12時間だけど運航乗務員は2人で運航する。」と話した。

 Hさんが「エールアフリックの運航乗務員は8時間以上乗務しない。」と言った。

 私は「ハイテク機のA300-600R(2人運航が可能)でもですか。」と尋ねた。

 すると、「そうだ。」と言った。

 個人的には、労働組合が2人運航を認めなかったのだろうなと思った。

 1時間ほど、食べながら話しをした。

 その後、作業を再開した。

 何とか、めどが立ち、ようやく新しい資料探しが出来る段階まで来た。

 そこで、16時半過ぎになったので、仕事を泣く泣く打ち切った。

 例のごとく、Hさんの車でセンターを離れた。



画像1:オペレーションセンターの正面玄関床にあったアンティロープ・シュバル(エールアフリックのマーク)

画像2:2000年1月にアビジャン沖に墜落したケニア航空機に搭乗していたエールアフリック乗務員の追悼碑

画像3:センターにあった製造中のB747-200Fの写真

8431、8434、8428

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Air Afrique 更新情報

Air Afriqueのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング