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Earth vision IIコミュの戦国時代の戦後だった徳川政権時代への旅

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初めて水戸市立図書館で「新論」を読んだときの衝撃を僕は忘れない。そこに書いてある事柄は昭和だったからだ。

この国の前の戦争を追いかけていた僕は当時の文書を沢山読んできた。その結果、ある「空気」というかスタイルを見出すことができた。

「新論」はまさにそのスタイルで、それもかなり徹底したやりかたで書かれていた。僕は混乱した。これはどういう事なのだ?幕末から昭和までの何年もの時間がまったくないように「新論」は昭和の筆のようにそこにあったのだ。

僕はその時に初めて昭和は幕末と直線的につながっている事を知った。新しい時代が来ていた、とか何もかも変わって来たのだとどうして素朴に思い込んでいたのだろうか?

元号が変わるくらいで何も変わらないことくらい僕等は経験しているではないか!

攘夷論の空気がそのまま対朝鮮、対中国、対米戦争の空気なのだ。

どうして、誰も戦争に反対でなかったのか、どうしてこの国の対外戦争が可能だったのか。すべて氷解するであろう道筋が一気に開けた気がした。

考え始めると、昭和の不可解なあれやこれやは、幕末の空気から、その時の出来事とまったく瓜二つであることが次々に頭に浮かんだ。

僕の父は言った。土浦での特攻隊の有様に「あれはもう軍隊ではなかった」。何かの殉教集団に見えたというのだ。それは技術将校を目指していた徹頭徹尾論理的に考える少年時代の父には、とうてい理解できない状態だったのだという。

事実は逆だろう。特攻隊というものが、あの軍隊の一番本質を濃縮していたのだ。もし、民族の未来を実質的に考えるのならば、玉砕はありえない。どうにでも生き延びてレジスタンスを続けるべきだろう。死んでしまってはもともこもないはずなのだ。

では、実質的出ないものが未来だったら?

そうなのだ。最期まで国体とは何か、戦争指導者はもとより、国民の誰も説明出来なかった。そうだろう。

それは抽象的な概念だったからだ。それも精神の高みを象徴する記号だったのだから。

僕はしかし、同時に気づくのが遅かったように思った。昭和の20年くらいでも、僕の処理能力を越えていた。それが一気に100年に伸びるのだ。とうてい生きている間にたどり着けそうもないと分かったのも確かだった。僕は水戸の図書館でその絶望も感じた。

あれから10年近い年月が経過した。僕はやっと腹をくくって、この課題に取り組むことにした。漢文だらけの文章に苦労しながらぼちぼち始めている。

それがこのネイティブの精神世界とどう関係するのかといえば、

「新論」の精神性とまったく同じものだからだ。

攘夷論が?疑問はもっともだ。僕だってそうだったのだから。しかし、

素朴にこの100年、いや300年以上続いてきたこの精神風土から僕等日本人が逃れられると思う方が間違っていると断言できる。

そもそも「日本人とは」などという設問の立て方自体がもう、攘夷論の世界なのだから。

この旅をここmixiに記録して行くかどうかは分からない。すでにここを去った人と深く考えて行きたかった事でもあったのだ。この先どうなるか分からないが、前フリだけはここに記しておこうと思う。


コメント(1)

この問題に先に取り組んで、解明の糸口をみつけていた人がいた。山本七平氏だ。「現人神の創作者たち」は、その起源を江戸初期の朱子学の苦闘に求めている。

そして僕は「靖献遺言」を知ることが出来た。

戦争が終結してのちに生まれた「遅れてきた青年武士」たちの観念的な飢えは相当なものだと想像できる。事実は物語になり、やがて登場人物は神格化して行く。

リアルな戦いにいた者からすればナンセンスなそうした観念的な肥大は、飢えた者に聖水の様に浸みわたって行く。

実際には白兵などほとんどなく、以前からの戦いは弓矢の「砲撃戦」だったのに、そして火薬を使った大砲の「砲撃戦」が加わり、なおその白兵の重要性は低下したのに、観念としての戦いは個人の英雄劇となってゆく。

その観念肥大の兵士達の幻の戦争は幻の目的を生んで行く。

その図式が300年も400年も続くのだ。その事が何を、今を生きる僕等に意味しているのか、誰も過去を振り返らずに、なかったことにしているのならば明らかにはなるまい。相当の影響を受けているのにもかかわらずだ。。。

ありうべき幻は現実を動かしている意味では決して幻などではない。

テレビは、本は、識者は戦争を狂気だの無責任だのに帰着させて行くが、それは問題から遠ざけるだけだ。

それは「理想」と呼ぶべきなのだ。理想だから邁進するのだ。理想だから極論に至るのだ。理想だから現実離れするのだ。理想だから生命を軽視するのだ。理想だから他者が不在なのだ。

理想だから。それも「これは理想なのではない、現実的な営みなのだ」と呻きつづける理想だからだ。

アメリカ大陸に住む人たちが、「あるべき姿」として語られた方法も同じだった。なぜか。そういうどこかの誰かを語るやり方もまた、その江戸期に発明されていたからだ。

かの本はその語り方の見本である。そこから僕はさらに遠くに旅にでなくてはならない。戻ることはない。行けるだけ行くだけだ。

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