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面 omote /アートと学問のより道コミュの「デザイン」とは?

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ある共通のキーワードについて色んなことを言い合ってみて、
それを「面」の内容に反映できないだろうか、ということを考えています。

そこでまず、私が個人的に気になっている言葉として、「デザイン」を挙げてみます。

たとえば、「デザイン専門学校」だとか、「グラフィック・デザイン」などと言うとき、
デザインという言葉の意味は自明(おのずと明らか)であるようにも思えますが、
芸術、あるいはもっと曖昧に「アート」と呼ばれるジャンルとの関係は、
どのようなものでしょうか。
両者はベツモノ?
あるいはデザインはアートの一分野?

必ずしも厳密な定義や区別にこだわる必要はないでしょうが、
アーティストとデザイナーの仕事や、求められる能力はかなり違う、という見方もあると思います。

そのあたり、
アートやデザインの現場でお仕事をされている方々の考えを聞いたみたいなあ、と思います。
もちろん、気が向いたときに、で結構なのです。

その他の方々も自分なりの考え方や疑問など、何でも書いてください。
上記のような仕事に関わっている方々も、なにか「正解」を期待されている、
というプレッシャーは無用です。
みなさんも、期待するのはやめましょう(笑)

では、はじまりはじまり。

コメント(19)

別物のようで一緒の気がするなぁ。
みる方にしてみれば一緒だと思うんだけど、作る方ではかなり違ってくるのかもしれませんよね。
自分で一から作り上げた場合と、いくつもの分担からなる仕事とではかなり意識は違うのが正直なところです。うーん、どうなんだろう。アートって無意識に敷居の高いものになってるけど、はたしてそうなのかなぁって…。定義よくわかんない。区別の意味もよくわかんないなぁ。

今日仕事の打ち合わせでイラストとアートの違いはなんぞや、と話題になりました。
例えば、安西水丸さんはかなりイラストとアートを分けた考えを強調されているようなんですが、私はその違いがよくわからないんですよね。じゃあ横尾忠則はなんに属するんだよって話になる気がして。
早速のリアクションありがとうございます。

「アート」にせよ「デザイン」にせよ、言葉の問題としてはね、
同じとも言えるし違うとも言えると思うんですよ。
要は観点のとり方であり、区別したり、一緒にするときの意図がどこにあるかだと思うんですね。

ムナーリなんかは、
アートとデザイン、というか、芸術家とデザイナーの仕事の違いを、かなり強調してます。
共通するところが全然ない、と言ってるわけではないんだけど(そんなわけないですもんね)、
基本的にはデザイナーとしての観点から、
デザインという仕事のもっている独自の意味を見直してもらいたい、
という意図が強く感じられます。

イラストとの区別って話も含めて、じゃあ「アート」ってなんだ?って問題になると、
学問的にはかなり膨大な議論の蓄積があって、ちょっとめんどいですよね。
これについては、メンバーの中には美学が専門の方や、
美術館でお仕事されてる方もいらしゃるので、色々とお話を伺ってみたいところです。
(こう考えると、なんとすばらしい人材が揃ってることか!)

まあ、そちらはまた、別途にトピックを立てた方がいいかもしれませんね。
そういえば…
私高校も美術科で、そこのデザインの先生が
「デザインは要素をできる限り取り除いたものだ」って話してたのを思い出した。
デザインてシンプルってこと?あぁ、そうかも、そうかもそうかもと妙に納得していた覚えがあります。
kikuchさんはどう思う?
私の作るものは常に情報過多なので、難しかったな。
kikuchさんが書いてること、すっごくストンと来た。そうだよね。
結局、自分は物を作る方だから、分けるのが難しいのかもしれない。
ヤクルトの瓶を、ただの瓶として見てない、確かに。普通じゃないかも。


自分の絵がアートだと意識しません。
むしろ、モノをつくってないような“普通”の人にいいねと感じてもらえたならいいなと考えてます。生活にそったモノを生みたいのだけど、そこを書くと長くなる。自分の想いがおおく伝えられるものがアートなのかな。そのまんまを受け入れてもらえる作り手を、アーティストと呼ぶのかも。
なんか、みんな簡単にアート、アーティストとかいうんだもん。 胡散くさいったら…

作り手・作品のアート性も評価は後からついてくるんじゃないかなぁ…。
デザインはそこは明確な気がするんだけどどうなのかな。
“自己申告制の芸術”には常に疑問があります。
デザインは初めから必要とされてますよね。生活に。
アートも、もっとそうあるべきなんだけどなー
「アートってわかんない」人が多すぎてもちょっと困る気がする(汗)
判りやすい作品をつくろうっていうんじゃなくね。 身内圏内を超えたものを描きたいなー


今ある子ども向け施設の飾りのデザインをしてるんだけど
それは完全にアートじゃない。
けど、いずれはアートに結びついていかないとつまらないし。これは理想。
とても難しいですね!あくまで私の周りの環境でのハナシです。


生活に根ざしてないと、残っていかないのは共通してる事柄だと思います。
>「アート」だと意識してものをつくる人が理解できないし、 難解なものが好きじゃない。
これはとても同感できます。前置きして物を作る必要が無いし、「理解できないなら勉強して来い」だの「判らないならいいよそれで別に」と丸投げする独りよがりは、力不足を隠してる自信のなさの裏返し。

日本ほど「アート」という言葉に慣れない土地もない気がします。普通のことなのに、どうしてか気恥ずかしい言葉になってる。
それは、アート全般に対して認識がものすっごーく薄いからじゃないかなぁ。
例えばフランスと比べてもこちらはかなり薄いのでは。
一緒に仕事させてもらってる方々も、驚くほど知識や興味の無い方がいらっしゃいます。

そして自称評論家はやたらこれはアートだ、デザインだ、イラストだ、マンガだと区分けしたがるの。
そして論議したがり屋が多く、結論だけ乱暴につけてしまう。
そういう区分や論議はとても邪魔です。
なので無視するしかないけど、やりにくさや、苛立ちも感じます。
隔たりを作ってるのは“アートをよく知ってる”という人たちのほうだと。
でも誰がよく知ってるというんだろう?よく考えなくったって“感じる”ものなんですよね…。


私もアートってよくわかんない。
けれど、アート、デザインは生活にはやはり無くてはならないものだと思います。あまりに自然になってるだけで、取り上げられたらすっごく生活しづらいはずです。
例えば、タバコや酒、チョコレートがなくても生きていけるけど、無くなったらかなりつまんないでしょう?
アートもそういう趣向品にちかいものがある気はしますね。

とにかく作り手は屁理屈のまえに完成度の高いものは作らなきゃダメだろうということですよね!
kikuchさん、こじかさん、はじめまして。
コミュニティにいながら、挨拶が遅れて申しわけないです。

デザインとアートの話、楽しく読んでました。
僕はまったくの素人なんですが、
僕自身は、あまり違いを重視しないほう、です。
(ほかのひとのことはよくわからない)

たとえば、先日、僕はいい植木鉢を探していて、なかなかこれ、というものを見つけることができなかったんですが、ふと何気なく入った店で、色合いといい、大きさといい、自分が探していた感じのもの、しかもそれ以上のものを見つけることができて、すごく嬉しかったんですね。で、家に帰ってさっそく植え替えして、そのあと、しばらく眺めている。何というのか、うっとりしてその鉢植えのフィット感に見とれているんです(笑)。はたからみると、実にあやしい光景ですが。そのとき、僕にとって、その植木鉢はデザイン的にすぐれている、ともいえるし、アートといっていいのかもしれない、なんて思います。

同じことが、いい和食器や、いい手ぬぐいを見つけたときにも、よくあります(うっとりしすぎか?)

今後とも、よろしくお願いいたします。
チェコやスロバキア、ポーランドやハンガリーの方のデザインがとってもとっても好き。
東欧はアニメや絵本も有名ですけれど、それよりあっちの国のデザインがたまらなく好きです。
スッキリカッコいいのに懐かしく温かい気がして…。いつか行きたい。絶対行きたい!
広告デザインを、普通に絵として部屋に飾りたいのです。見ていて飽きない。
そういう生活に入り込んだartはやっぱり素敵!
商業的要素もすべてひっくるめてカッコよくartにまでなっているので
そんな作品を私も作っていきたい。
植木鉢のお話もそうですが、
「誰々が作ってどこどこで買い幾らした=良いもの」ではないということですね。
物を大事にするのも、デザインが多く関係しそう。
一般的な好みはとどまることなく常に変移しているけれど、
自分の判断基準になる好みはそれほど揺るがないので大事にしたいところです。
気に入ったものと出合った時、私も興奮しすぎていつもより10倍怪しい要注意人物になりますよ。
D&DEPARTMENT PROJECT SAPPORO by 3KG の常連になりそうです。
近代美術館の近くにあるお店ですよね! 
雑誌で紹介をみて、さっそく行ってみたら定休日か何かでやっておらず、しょうがないので近所のカレーうどん屋で食事をして帰った覚えあり(笑)。ただ、そのうどん屋が強烈に美味しいお店だったので、恨みはありません。
すみません、トピックから逸れました。
盛り上がってきましたね〜ウインク
あまり閉じた状態でやってるのももったいないと思うので、
勝手ながら今日から参加者以外の方にも内容を見られるように、設定を変えました。
もちろんmixi 会員のみですが。
そりゃ困る! という方がいましたら、ご連絡ください。

> 自称評論家はやたらこれはアートだ、デザインだ、イラストだ、マンガだと区分けしたがる

残念なことに昔から「評論家タイプだよね」
と言われてしまうことの多い私(笑

なんとも耳の痛い話ではあります。

まあしかし、こんなトピックを立てた手前、ちょっと弁明(?)しておきますと、
区別する見方も区別しない見方もありかな、というのが、私の基本的な考え方です。
kikuch さん風に言うと、七三の人もおかっぱの人も仲良くしましょう、ということかな。

これはアートとデザインの問題に限らず、
私がものごとの異同を考えるときの基本的な発想なんですけど、
たとえば目の前に、右手の人差し指と左手の人差し指を並べて立ててみます。

二本に見えますよね。

でも、頭の位置を変えるなり、両手の位置を動かすなりして視点を変えてみると、
二本の指は一つに重なります。

前の書き込みで、両者を区別するかしないかは視点の違い、と書いたのは、
まあ、そういうことです。

私の理解だと、たぶん sichihuku さんはこの、
二本が一本になるような視点から、アートとデザインの関係を捉えている。
あるいはイラストでも漫画でも、
それぞれが別々のものとして並び立つような視点は、基本的に取らないわけですよね。

そこには sichihuku さんなりの、創作に関わる姿勢があると思います。
私はsichihuku さんの作品が好きなので、そういう姿勢にも、とても好感を持ってます。

他方、先日も書いたとおり、ムナーリなんかは「あまりに頑なでは?」と思うくらい、
アートとデザインを分けてる。 おかっぱは嫌いなようです(笑: この比喩がすごく好きで)

でも、そこにもやはり、ムナーリなりの創作の姿勢だとか美意識だとかが表れていて、
彼の議論の全体を見てみると、
すごく納得させられるところがあります。
(詳しくはそのうち書く、つもりですが、
 たとえば余計なものを排除した機能美を重視するところとか、
 kikuch さんの書いてることとすごく近いことを言ってます。)

sichihuku さんにしても、ムナーリにしても、kikuchさんにしても、
創作活動を行なう以上、やっぱり自分の視点を持つことは必須なんだろうなあ、
と、思うんですね。
で、ときに自分の視点を共有しない人に対して、
「なんで?」って思うことも少なくないんだろうと思います。
そういうときの苛立ちとか、憤りというのは、
たぶんそれぞれの人が創作に向かうエネルギーの一部なのだと思います。

じゃあ、私のようにデザイナーでもアーティストでもない人間が
こんなことを考えることの意味は、いったい何でしょうか。

私の場合は、それぞれの人がどういう視点から世界を眺めてるかに興味があるんですね。
で、特に人が何かを真剣に作ったり、何事かを真剣に考えるとき、
世界がどのように見えてくるのかに、すごく興味があるんです。
「問う人、つくる人をつなぐ」という「面」の基本コンセプトに関わるところです。

そういう意味で、いわゆるモノ作りの仕事に携わってる人たちが見てる世界には、とても興味がある。

同時に、そういう仕事についていない人であっても、
誰かが真剣に作ったものを眺め、自分の好みに合うものを選び出し、
「うっとり」する(pockleyさんのようにね)、
そのときの世界の見え方にも、興味があります。

アートとデザインの関係は? という問いは、
そういう各人の世界観を引き出すための、一つの糸口に過ぎません。

その意味では、成功してる、よね?
なんか私が妙にまとめてしまった感がありますがウッシッシ、
少し違った角度からでも構いませんので、
どなたでも思いついたら書き込んでくださいね。

で、ムナーリの本をいま、ざっと再読したのですが、
『芸術家とデザイナー』という書名が示すとおり、
彼が問題にしているのは芸術家とデザイナーの仕事の違い、
もっと言えば両者の方法論の違いであって、
できあがった作品についての区別(アートかデザインか)ではないんですね。
その辺り、私もちょっとこんがらがってました。

たとえば、
芸術家は「ファンタジア」(自由な想像力、と言う程度の意味だと思います)によって仕事をする。
他方、デザイナーはむしろ、ファンタジアに「理性」をつなぎ、
作ろうとしているモノの機能や素材について現実的で客観的な思考を働かせながら仕事をしなければならない。
(逆に言えば、芸術家は狭い意味での「現実」からずいぶんと自由だ、ということにもなります。)

また、
芸術家にとって自分を制作へと掻き立てるアイデアに形を与えることが第一の目的であって、
それを大衆が理解できるかどうかは気にしない。
他方、デザイナーは大衆が容易に理解できるようなヴィジュアル・イメージを用いて、
伝えるべきメッセージを正確に伝える必要がある。

…などなどです。

ムナーリの言うデザイナーの方法論によって作られたモノが
結果的にアートとしての魅力を持つ、というケースは、
皆さんの書き込みからもわかるとおり十分ありうると思います。

しかし、(彼が理解する限りでの)芸術家風の仕事のやり方では、
デザインという仕事はつとまらんよ、というのが、彼の言わんとするところのようです。
(・・・こうまとめてしまうと当たり前っぽいですが)

こじかさんがかつて感じられた苛立ち(?)と似たようなものを、
ムナーリも感じてるのかもしれないですね。
さきほど、日本テレビのニュース番組「NEWS ZERO」の中で、
「D&DEPARTMENT PROJECT」(14、15でsichihukuさんとpockleyさんが言及しているお店)と
その仕掛け人、ナガオカケンメイ氏のことが取り上げられていました。

デザインという試みそれ自体の根本的な問い直しから、
「デザインしないデザイナー」とも言うべき道の選択へ。
なるほど、そういうことか、と思いました。 目

番組としてのまとめは「長く使われるものにはそれだけの良さがある」って方向。
うーん。 ま、それはそうなんだろうけど。

デザインって、やっぱり人間とか社会とか生命とかのありようを考える上で、
一つのキーワードになると思います。

・・・と、いきなり大きな話の方向に舵を切ると「何だ?」という感じでしょうけれど。あせあせ

こうやってヒントを拾い上げているうちに、
見えてくるものもあるかな、ということで久しぶりに書き込んでみました。

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