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WW?軍艦よもやま話コミュのうちらのトップテン(巡洋艦編)

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うちらのトップテンの第3弾!巡洋艦編をスタートさせたいと思います。

ひょんな事から始まったこの企画・・・かれこれ一年を迎えようとしています。以前開催された戦艦編や空母編では、栄えある第一位は戦艦編じゃ「大和」か「アイオワ」、空母編じゃ「エセックス」か「ヨークタウン」だろうなぁ〜位の予想はついたんですが、巡洋艦編ではまさに戦国状態、どの艦が一位になるのかさっぱり見当が私自身も付きません。ですからとても楽しみです!

簡単なルール説明を・・・

採点の点数は従来通り、「80点」から「100点」の間でお願いします。戦歴や貢度、また技術貢献度などから、その巡洋艦に点数を付けていただいても結構ですし、また、ただその巡洋艦がカッコイイとか、好きだから・・・などの簡単な理由からでもオケです。

採点方法は従来の(採点を頂いた点数の合計)÷(採点を頂いた方の人数)です。とてもシンプルな方法なんで、諸事情による途中リタイア、また「おもしろそうだ!」での途中参入も可能ですので、どうぞご遠慮無く参加して、その巡洋艦を採点して下さい。

一通りの採点が終わりましたら、はやひでが集計して数字化、その後ランキングの発表となる予定であります。

採点のペースは2週間に1級のペースにしたいと思います。隔週日曜に新しく更新の予定なんで、どうぞゆっくりと考えてください。 なんせ列強各国の巡洋艦に得点を付けよう!とする大胆不敵?なお遊びなんで、どうぞお気軽に参加してください。

基本は年代的に古い艦から順に始めようと考えています。なるべく「日本」→「米国」→「英国」→「ドイツ」・・・というように、列強を順番に下ろして行こうとも思っています。しかしバランス等を鑑み、時にはスキップする場合もありますのでどうぞご容赦下さい。採点後次回は「・・・」級です、と次回採点艦のご案内をいたします。

あと、以下にあらかじめエントリーの巡洋艦も発表しておきますね。今回は全て「〜」級で考えて下さい。各艦毎やるととんでもない事になっちゃいます。んでどの巡洋艦に最高点を付けよう!、この巡洋艦は最低点にしよう、などの参考になると思います。

日本 重巡「古鷹」「妙高」「高雄」「最上」「利根」
    軽巡「5,500?」級(「球磨」「長良」「川内」含む)「阿賀野」「大淀」

米国 重巡「ペンサコラ」「ポートランド」(「ノーザンプトン」含む)「ニューオーリンズ」「バルチモア」(「ウィチタ」含む)
    軽巡「オマハ」「ブルックリン」「アトランタ」「クリーブランド」

英国 重巡「カウンティ」「ヨーク」(「エクセダ―」含む)
    軽巡「リアンダー」(「パース」含む)「タウン」(「クラウンコロニー」含む)「ダイドー」

独逸 重巡「プリンツ・オイゲン」
    軽巡「K級全般」

仏国 重巡「シュフラン」(「デュケーヌ」含む)「アルジェリー」
    軽巡「デュケイ・トルーアン」「ラ・ガリソニエール」

伊国 重巡「トレント」(「ボルツァーノ」含む)「ザーラ」
    軽巡「コンドッチェリ」(「A・D・ジュッサーノ」〜「L・D・アブルッツィ」)「カピターニ・ロマーニ」

以上で考えてみましたが、企画進行中にダブりそうだな・・・と感じた場合など、艦の変更や削除などもあり得ると思います。


ご意見やご要望が有りましたら、どうぞ遠慮なく申し上げ下さい。よろしくお願いします。

コメント(114)

今回の採点はイタリア条約型重巡の第2陣「ザーラ」型です。

イタリアの重巡は2つの異なる方針で建造されました。つまり2種類のタイプの重巡を建造した事になります。一つは前級である「トレント」型、フランスの巡洋艦や大型駆逐艦に対応するタイプで高速を武器として戦う艦種。もう一つが戦艦不在の場合これに代わって艦隊主力となりうる艦種の保有、これが「ザーラ」型の4隻が当てられました。「ザーラ」「フューメ」「ゴリッィア」「ポーラ」が「ザーラ」型の4隻です。

まあこの艦が防御が厚いのなんの・・・(笑)舷側装甲帯の最厚部が150mm、甲板の最厚部70mm、砲塔前盾やバーベットが150mmもある。日本の完成時の「金剛」と比較しても、舷側203mm、甲板57mm、前盾254mmだから、ちょっとした豆戦艦並みです。

艦の中央部へと主砲配置をグッと引き寄せ、艦橋、煙突、そして主砲の上部構造物と艦央にまとめる。これは日本の「妙高」型と同じ手法かな。この「ザーラ」がしまった感じに見えるのは、多分にこのおかげだろけど。

この艦中央部を150mmの装甲帯を貼ったんだろうね。喫水が上がったこの艦の写真をみるとよく分かるよ。(笑)第4砲塔の下と、機関部まで届いているかなぁ?の貼り方・・・何やら水線下に行くと薄くなり、100mmになるらしいがそれでもスゴイ。この防御重量が2,700?!前級「トレント」が888?、日本の「妙高」でも2,023?だから、いかに防御重視だったかが分かりますね。当たり所にもよるとは思うんだけど、自艦の砲撃には十分耐えられるレベルでしょう。

平甲板型の船体が「トレント」級だったのに対して、「ザーラ」は艦首楼型の船体に変更されました。重量削減と搭載機が第一主砲の前に置いていたから、そのスペースを確保したもんなのじゃないかなぁ。船首楼型はこの時期の欧米の主流型だったし。さらに重量削減手法の一環で魚雷発射管も廃止しています。

馬力は前級150,000馬力の4軸から、95,000馬力の2軸へ減少。速度は32ノットとスペックでは述べているけど、これは例のイタリアの得意技(笑)で、軽負荷、平水面、極度の過負荷出力の条件下と考えられ、実際の速度は29ノット程度と伝えられています。足の短さもイタリア海軍の毎度の事で16ノットで約5,000浬、まあ地中海仕様の迎撃海軍であるなら、使用上の問題は無いんでしょうけど。

機関は煙突の幅から見ても缶・機・缶・機の配置だね。ただ缶室、主機室が全て独立の一室で、イタリアの巡洋艦じゃ唯一の中心線隔壁を持ち、それを堺に左右の配置を変えた変則シフト。こんなところにも重量削減しながらも、重防御思想もかんじとれてなかなか凝っている印象でかな。

主砲は20.3?50口径から「ザーラ」では53口径へ変更されましたが、これまた例の初速を早めるための装薬量が多いタイプ。相変わらず砲身の寿命が他国に比べて半分程度の代物でしたが、「ザーラ」では何と!はめ込み式として、艦上での交換が可能でした。いちいちドック入りする必要が無くなったわけで、イヤハヤ知恵者はいるもんですなぁ。(笑)

戦績はよく分からないですが、多分に駄目駄目君。(笑)もし詳しい方がいましたら補足して下さい。

1941年3月のマパタン岬沖海戦で、傷ついた「ポーラ」を救うべく駆けつけた「ザーラ」「フューメ」でしたが、英国艦隊のレーダーを有効に使った砲撃により、揃って3艦いっぺんの枕を並べての沈没。

「ゴリッィア」はどれだけ活躍したんだろ?1943年に爆撃を受けて大破、自沈。その後放置の状態でイタリアが降伏して、ドイツが浮上させて再利用しようとしたんで、また英国海軍の人間魚雷で沈没。まあ艦としては不幸な部類でしょうね。

「ザーラ」はイタリアらしいセンス溢れる軍艦美があると思います。遠くからみた艦影は好きなんだけど、近くで見ると色々と粗が見え隠れするマイナス要素もある艦だなぁ。イイ女発見!と後ろ姿を見て近づき、振り向いてみたらガッカリのタイプ?(笑)う〜ん、迷うけど「92」点。

写真は模型の「ザーラ」、こちらの方が判りやすいと思います。
忘れた・・・(笑)、次回は米重巡「ニューオーリンズ」型。

お正月を挟んでしまいますので、1月10日を予定しています。宜しくお願いします。
皆様、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

では、うちらのトップテン(巡洋艦編)、昨年からの続きになりますが、また始めて参りたいと思います。

今回の採点は米重巡の「ニュー・オーリンズ」型です。

基準排水量を10,000?とする条約型重巡として、いよいよ最後の巡洋艦かな。まあ正確に言うなら米重巡「ウイチタ」も条約型なのですが、あの艦影はもう次級の「バルチモア」(笑)。「ウイチタ」に関しては、「バルチモア」に含めています。

「ペンサコラ」「ノーザンプトン」の両級は、後々の改良を見据えてかどうか・・・?は分かりませんが、基準排水量が10,000?未満。これは余裕重量を取った設計だったので、条約型の制限に関しては、かなり余裕のある艦種でした。

まあね〜この両級は、その割にはバランスが悪くグラグラ揺れるので、あまりイジれなかったんだけど(笑)・・・この設計段階のミスは、手直しの仕様が無い場合が多いです。日本では戦艦「扶桑」「山城」などに顕著かな。

それじゃその分で防御を見直し、設計の改良を加えたようとしたのが「ニュー・オーリンズ」のコンセプトです。主砲は20.3?3連装砲が3基、高角砲が12.7?単装の8基で、まさに米国のスタンダード。速度も32ノット強、足の長さも15ノット、10,000浬と十分です。

同型艦は7隻で「ニュー・オーリンズ」「アストリア」「ミネアポリス」「タスカルーサ」「サン・フランシスコ」の5隻が1934年、少し離れて「クインシー」が1935年、「ヴィンセンス」が1936年に完成しました。

前級の「ポートランド」型を改良して、艦種楼を艦中央部までズィッ!と引っ張り、後部の手前まで延長した艦影かな。これにより艦内スペースが増えて居住性がアップ、中央の艦舷も増えて航海性能も向上したと言います。でも後部の主砲は相変わらずに、狭ッ苦しい所の配置で、波も被りやすいだろうし、照準も付けづらい印象の艦尾をしてる。

最大の見た目の変化は、航空機関連設備を艦の後方に移した事。前級までは2本の煙突の間にカタパルトを置いたのですが、煙突は2本とも前に移動しました。これにより艦影はシマッた感じにはなったのですが、米国のお得意だった缶・機・缶・機の分離はされませんでした。

この航空艤装、第3砲塔の爆風も後部艦橋が壁となって、確かに爆風の影響は少ない感じがします。日本の重巡群とは異なる設計で、主砲を撃つ時には、日本の様に水上機を避難させなければならない手間は無かったかもしれませんね。これが偵察を重視した米巡洋艦の特徴なのでしょうが、第1次ソロモン海戦ではこれが裏目に出て、水偵に火災が引火して恰好の目標とされてしまいます。

主砲に関してはこの「ニュー・オーリンズ」型、全艦には同じ物が搭載されていません。Mk9系列と言われた、チョイ重すぎの砲塔が1番〜3番艦までで、「ニュー・オーリンズ」「アストリア」「ミネアポリス」のが搭載していました。このMk9系は色々と派生を生み、どの派生タイプが、この3艦に積まれたのかは、おいらの本じゃ不明です(笑)。

また4番艦以降、つまり「タスカルーサ」「サン・フランシスコ」「クインシー」「ヴィンセンス」の4隻が搭載した砲の正式名称が『Mk12 20.3?55口径3連装砲』といって、初速はあまり速くはありませんが、弾量が大きく、20,000mを越える射程の撃速は、日本の「高雄」型を上回る優秀な性能だったみたい。

実は、この主砲の装甲がこの級の最大の特徴かな。もう厚い・・・(笑)これ以後は、さらに?でもない事になるのですが、それはまたその時に。

「ニュー・オーリンズ」型の砲塔の厚さは、正面が152?、側面38?、天蓋57?のスペック表示です。比較の対象として、まずは「ペンサコラ」が正面63?、側面19?、天蓋51?。また日本の重巡の主砲は、全周を25?のスプリンター防御で、もう気休め程度にしかならなかったから、もうこの艦にはかなりの防御に重点を置いたのが分かると思います。

船体防御も進歩しました。水線部127?、垂直防御甲板76?+51?。日本の重巡の最厚が「高雄」型なのですが、水線部127?、垂直防御甲板34?。フランスの堅艦「アルジェリー」で水線部110?、垂直防御甲板30〜80?。

このイタリアの「ザーラ」でようやく対抗できるかなぁ、水線部150?、垂直防御甲板70?。でも砲塔回りでは「ニュー・オーリンズ」に、若干の軍配が上がりそう。ねっ、この型は、数字的には恐るべき堅牢な重巡洋艦でしょ(笑)。ただ、運用してみると、やはりトップ・ヘビー気味の傾向を示したらしい。
新年早々またこれ・・・入らんのですよ(笑)。以下続きです。



これを重防御を証明したのは「サン・フランシスコ」になるのかな。第3次ソロモン海戦では、1,200〜5,000mの超近距離の撃ち合い、ほぼ零距離射撃で仰角などは不要(笑)。まさに弾は水平に飛び交い、その為にこの水平防御が生きる事になりました。

海戦後に傷ついた「サン・フランシスコ」が修理した際、その時に受けた砲弾が出て来る出て来る・・・(笑)36?砲弾2発、20?砲弾10発、15?砲弾15発、14?砲弾5発、12.7?砲弾13発の合計が45発!当たり所も良かったのでしょうが、よく爆沈しなかったなぁ。

またこの海戦では、日本側には20?砲を積んだ重巡が参加をしていないから、20?砲弾に関しては、自軍の重巡「ポートランド」から撃たれた、言わばオゥン・ショット!この海戦が、かなりの混乱の最中で、互いを目視する事無く、撃ち合われた事も分かります。

1942年8月からの、ソロモン海域での日本軍とのねじり合いで、この「ニュー・オーリンズ」型は全艦(大平洋に出張らなかった「タスカスーサ」は除く)に被害を負い、沈没、もしくは後方に修理の為に下げられました。

第1次ソロモン海戦では「アストリア」「クインシー」「ヴィンセンス」の3隻が、枕を並べての討ち死。これは完全なる油断が原因です。日本側の三川艦隊が、偶然にも2隊に分かれた事もこの3隻はツイていなかったかな。十字砲火を食らって、更に魚雷のオマケ付きじゃ、艦は助けられないでしょうね。

この3隻で、一番早くに沈んだのが「ヴィンセンス」で、攻撃を受けてから50分後と云われます。その数時間後に「クインシー」、また「アストリア」は翌朝まで頑張りましたが、奮闘空しく無念?の転覆。3隻ともかなりの砲弾と魚雷を受けてみたいだから、艦を保たせたという事なら、やはり撃たれ強さを発揮したのかもしれません。

また、田中頼三少将の水雷戦隊との間に生起したルンガ沖夜戦でも、「ミネアポリス」と「ニュー・オーリンズ」の2隻が、仲良く(?)雷撃で艦首を飛ばされ大破しました。この被害写真を見た事があるのですが、まあ〜綺麗に無くなっています(笑)。

恐るべきは、61?にも及ぶ日本の特大酸素魚雷の破壊力なのでしょう。同じ海戦で戦没した「ノーザンプトン」が2本だから、この両艦も、あともう一本受けたら危なかったね。10,000?の重巡では、魚雷は2本が限界でしょうね。

ルンガ沖海戦終了後の1942年の12月辺りが、米巡洋艦群が苦しかった時期でしょうね。追い打ちをかけるように、翌年すぐに「シカゴ」もレンネル島沖海戦で戦没していますし。それを救ったにが「ブルックリン」級と新型の「クリープランド」級の軽巡群。条約型の米重巡に対しては、日本の連合艦隊は、五分か、またはそれ以上に勇敢に戦った、といえるとおいらは思いますよ。

この後、米巡洋艦の設計は平甲板型へと変化していくので、この「ニュー・オーリンズ」型は、「ペンサコラ」以降のマイナーチェンジを繰り返した最終型ともいえるかな。攻と防のバランスは、さすがに米艦!上手くまとめている感じがします。

「ニュー・オーリンズ」型は「93」点です。

写真は「ニュー・オーリンズ」が2枚、2枚目のはルンガ沖夜戦の後のもので、艦首を雷撃で飛ばされた時のものです。

次回から欧州の軽巡群を採点予定です。まず最初が英国から、「リアンダー」型(「パース」型「アリシューザ」型含む)を予定しています。宜しくお願いします。
今回の採点は英軽巡の「リアンダー」型(「パース」型、「アリシューザ」型含む)です。

今回は、一気に3級の軽巡をひとまとめにしました。英国の軽巡の歴史的には、同じ様なコンセプトでこの3級が建造された為で、仮に日本に例えるなら「5500?」型みたいな感じかしら。この内で「アリシューザ」のみ兵装が簡略化されていますが、まあその辺りは大目に見て下さい(笑)。そこを細かく見ると、結構ややこしくなりそうで、作業が大変になる感じがいたします。

まずは、この3級が建造された時代背景を見てみましょう。そこを考えると、この一括りの意味もご理解して頂けると思います。

英国巡洋艦のその存在意義が、海外植民地の権益保護。その為には70隻もの巡洋艦を必要としたと言われます。しかし第一次大戦後の2度に渡る軍縮条約で、その全保有量と個艦排水量の両方に足枷をはめられた形となってしまいます。

どうしても隻数を揃えようとする小型多数主義と貫いた結果として、建造されたのがこの3級、つまり1933年〜35年に完成した「リアンダー」5隻、1935年〜36年の「パース」型3隻、1935年〜37年の「アリシューザ」型4隻が当たります。まあ結局、この英国独特の方向性も、日本の「最上」型の建造着手の情報で、脆くも崩れ去る事になってはしまいますが・・・(笑)。

まずは「リアンダー」型から。

条約型重巡の建艦計画が一段落した1929年度に計画された、英海軍の久しぶりの軽巡洋艦になりますか。「アキレス」「エイジャックス」「リアンダー」「オライオン」「ネプチューン」の5隻が建造されました。この内で有名な艦は「アキレス」と「エイジャックス」かな。ラプラタ沖海戦で、ドイツのポケ戦の「アドミラル・グラーフ・シューぺ」をウルグアイのモンテビデオ港に追い込みました。

この級の艦影そのものが、最後の重巡の「エクゼター」を受け継ぎました。ただ、見ている写真が悪いのかもしれないのですが、同じ様に艦舷の低さが気になるかなぁ。これじゃ荒天時の操艦性には少々問題がありそう。また、見た目の大きな変更点は、その大きな一本の煙突!缶数を重巡群の頃からの8基だったのを、6基に減らしました。

これはそれだけ缶自体の性能が上がったという事だね。さらにその煙路を結合して、一本の煙突へとまとめ上げました。これは日本じゃお得意の手法でしたが、英国スタイルではないね、まさに英国の中では黒いアヒル・・・(笑)あと、これでは缶・機の分離は無理だろうなぁ。

「リアンダー」型の基準排水量は、各艦チョイ違い約7,000?。船首楼型の手堅い設計で、その主砲は15.2?連装50口径砲XX?といい、これが前2基、後ろ2基で都合4基。これは戦艦「ネルソン」型の副砲を改善したもので、弾量51?、最大射程が仰角45度で、23,300mに達した性能を示し、のちの英軽巡の主力砲になったと言います。

速度は32.5ノット、12ノットで10,300浬の効率の良さは、流石に英海軍かしら。艦の装甲スペックは水線部102?、垂直防御甲板32?、弾薬庫25?〜80?、砲塔回り25?。「エクゼター」より厚い・・・排水量の割には良く出来た方だと思います。まあ、これはスペック上の事。機関部周りのごく一部のみの装甲帯の厚さで、他の部分は全くの無装甲の状態でした。7,000?の大きさでは、そんなものでしょうね(笑)。

今度は「パース」型、「リアンダー」型の改良型で3隻が建造されました。1935年に「シドニー」と36年に「パース」「ホバート」。

この「パース」はバタビア沖海戦で戦没したから、ご存知の方も多いと思います。日本側では「最上」「三隈」が活躍した海戦ですが、それも色々と曰く付き・・・(笑)栗田がその増援を遅らせた、また「最上」が自軍の輸送船に対して魚雷を当てたりしています。

船体スペックや速度は「リアンダー」型とほとんど同じですが、「パース」型の大きな変更点が、またも(?)煙突。新しい大型缶の採用により、缶の登載数を6基から4基へ。前々級の「エメラルド」級に採用していた缶・機の分離配置に戻して、損害時の被害拡大に対処しました。その為に煙突は2本となり、英艦らしい姿に戻ります。この艦までかなぁ、おいら的な英国艦のトラデショナルな印象を受けるのは・・・(笑)のちの「タウン」型や「ダイドー」型には、何故かその匂いがしない。
また入らんのですよ!以下続きです(笑)。

最後は「アリシューザ」型、1935年〜37年の間で「アリシューザ」「ガラティア」「ピネラピ」「オーロラ」の計4隻が建造されました。

これは、もうドンドンと小さくなっていきます(笑)。基準排水量が5,200?。防空巡としてならこの船型でも良いのでしょうが、一応は砲艦ですからね。おいら的には軽巡としては小さすぎかなぁ。小さいと被害に対処出来ない、或いは後の新装備の追加がやりにくいなどの難点も生じやすいです。

この艦の建造コンセプトは、省く所は省くという経済重視の軽巡でいいのかしら(笑)。「パース」型から後部連装を一基減少させて、連装砲は3基へ。その分を船体の小型化に回し、機関出力も若干落ちていますが、32.25ノットであまり速度は変化無しです。艦が軽くなった分、速度も維持出来たのでしょう。その機関も煙突からみると缶・機の分離式だろうね。この辺は英海軍!押さえる所は押さえている印象です。

書いていて、『アッ!』と思ったのですが、『なるほどなぁ〜』(笑)に代わりました。この艦の運用した海域が上手い。植民地までの遠洋航海用ではなくて、本国近海と地中海での、ある種の限定海域でこの艦は使われたみたいです。ウン、これなら納得(笑)。日本なら太平洋ではなくて、日本海と本土近海用という訳で、この辺はさすがに軍艦を多数揃える国と貧乏日本の差が出たかなぁ。


以上この3型をまとめてみました。当時の英国が置かれた状況が分かる様で、植民地保護に必要な数と、軍艦の大型化に反比例する様な軍縮条約の制約下の狭間で、もがく英海軍の苦労が感じ取れる軽巡ですね。こういうのはコンセプトで生みだされる軍艦は嫌いにはなれないなぁ。難産の末に生まれた子供は可愛いもの(笑)です。

「リアンダー」型(「パース」型、「アリシューザ」型含む)は「89」点です。


写真は左が「リアンダー」、真ん中が「パース」型の「シドニー」、右が「アリシューザ」です。
また忘れた・・・

次回はイタリアへ。軽巡の「コンドッチェリ」級(「A・D・ジュッサーノ」〜「L・D・アブルッツィ」)です。

宜しくお願いします。
こんばんわ

ミッチーさん、いつも採点ありがとう!多謝感謝です。

今回の採点艦は、イタリア海軍の軽巡「コンドッチェリ」級です。

この「コンドッチェリ」は、イタリア語で傭兵隊長の意味。最初の軽巡「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」に有名な傭兵隊長の名前を艦名にしたので、以後の艦にも同じ様な活躍した隊長名を付けて行った事が、この「コンドッチェリ」級の由来となります。

全艦が傭兵隊長の名前だからといって、その全部が同じコンセプト・・・という訳ではありませんの(笑)。全部で5型の分類になりますが、その内で3型が新設計、2型がその前級のマイナーチェンジを施した艦、という具合で推移して行きます。まあ、日本人の感覚なら、軽巡には河川の名前を持ってきたというものなのでしょうね。

まずはその一番艦となる「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」型から。

第1次大戦後に建造されたイタリア海軍の軽巡で、全部で4隻建造されました。「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」「アルベリコ・ダ・ハルビアーノ」「バルトロメロオ・コレオーニ」「ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネーレ」がそれに当たり、完成したのが1931年〜32年。同時期には重巡「ザーラ」も続々と建造されましたので、伊海軍の巡洋艦建造ラッシュ(笑)。

この艦の建造コンセプトが、ライバル国であるフランスの大型駆逐艦群への対抗艦。つまり砲撃力と速度を重視、その替わりに防御を軽度にとどめて、脚の長さも地中海を活動するに差し支えない程度としました。

その為に基準排水量も小さいのね。与えられたのは、僅か5200?。そこに15.26cm連装4基、10?連装高角砲3基、53?連装魚雷発射管2基、さらに航空機2機で、なかなかの強武装ぶりです。ただこうなると、どこかにシワ寄せが来るもの・・・(笑)。

まずは装甲、もうこれは紙の如く・・・(笑)。舷側20?、甲板20?、砲塔23?、しかも最厚部のスペック表示となっているね。まあ、軽巡だし・・・

また、更なるその無駄を省く為の努力が、各箇所でかなりなされたみたいです。艦首楼型の船体に、縦肋骨と横肋骨を組み合わせた構造、さらに電気溶接も取り入れ船体を軽量化。さらには兵員室にまで簡素になったという徹底ぶり。また軽量の缶とタービンを開発して採用、また推進軸も2軸。ただ、高速を狙った細長い船体にした事により、主缶の並列配置は不可能となってしまいました。


あと、当時の伊重巡群と同じ様に、艦首部に航空関連施設を設けていました。しかし船体の内部に、その航空機をしまい込めない・・・そこで艦橋の下側を格納庫としたので、自然と前檣楼の高さの上がってしまいました。

色々との新機軸を盛り込んだ、意欲的な設計艦だとおいらは思うよ。しかし(やはり?)運用してみると些かにヤバい(笑)。高速を得るためのひょろ長い船体に重武装を載せたので、復元力の確保が難しい。もう活動の海を選ぶタイプだね。また船体強度が足りず、高速航行すると海水に叩かれ船体が損傷した、とも(笑)。

一応、公試運転では38ノット以上を記録したらしいが、そこは伊海軍だからねぇ・・・当然に割引が必要です。実際には機関の信頼性や、船体安定の為の強度問題から30ノット程度でした。

それを手直ししたのが、次級の「ルイージ・カドルナ」型の2隻です。「ルイージ・カルドナ」「アルマント・ディアス」の両艦は、1933年の完成となります。

この型は上部構造物の高さを抑え、後部射撃指揮所を廃止。航空兵装を艦の後部へ移設するなどの改良を加えられ、運用のしやすさは上がったようです。
また入りきらないの・・・上からの続きです。

3型目が「ライモンド・モンテクッコリ」型。これは伊軽巡の中興の祖といった感じかしら(笑)。この型も2隻建造されて、「ライモンド・モンテクッコリ」と「ムツッオ・アッテンドーロ」が1935年に完成します。

また「ライモンド・モンテクッコリ」型の建造が認められた1930年には、重巡と軽巡など補助艦の制限を決めたロンドン軍縮条約が成立しましたが、イタリアとフランスはその巡洋艦の保有量に不満をみせて不参加となりました。しかし、両国ともに個艦に対する規定には尊重する姿勢を表し、この条約基準の軽巡建造を進めています。

この型は、兵装に関しては前2型を踏襲しましたが、排水量2,000?加え船体を大型化。薄かった装甲の各所に厚みを増やし、装甲範囲の拡大を促されました。そのスペックは舷側60?(最厚部)、甲板30?(最厚部)、砲塔70?(最厚部)となり、かなりの防御思想が伺えます。

主機関の配置構成もほぼ同じですが、出力のアップと軽量化を図り37ノットを得たとか・・・ホントかな?(笑)また、航空関連施設を、従来の艦橋前から艦中央部へ完全に移動させます。まあ、これはこの方が色々便利でしょうね。頑固なイタリア職人がようやく動いたって感じかしらん(笑)。また対空兵装を、同種の砲や機銃ごとに集中した配置、艦橋を新考案の二重円筒式として、艦影を一変させたのも「ライモンド・モンテクッコリ」型です

この円筒状問型の艦橋構造部は、ウンベルト・プリエーゼ造船中将の考案。彼は戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」に、通常はバルジを設ける部分に多数の円筒を組み込み、独特の水中防御を思いついた、プリエーゼ式構造防御の発案者としても有名ですね。

装甲を施した内筒と外筒の2重の円筒構造で、円形は防御するに有利から来たものなのでしょう。前級までは司令塔の最厚部は40?程度でしたが、この級になると、何と!100?にアップしています。でもこれを見る時、きのこ類のブナシメジを思うのは自分だけでしょうか?(笑)好き嫌いが分かれる艦影だと思いますよ。また、この艦の艦橋自体の高さは余りなくて、重心点の高上を嫌ったものかのかしら。


その改良型となるのが第4型となる「エマヌエル・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」型の2隻です。1935年に「エマヌエル・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」が、翌年の1936年に「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」が建造されました。

この艦は「ライモンド・モンテクッコリ」型の焼直し。1,000?程の基準排水量がアップしています。兵装自体は前級とは変わらないのですが、雷装を2連装から3連装へ強化しました。また各部にも装甲増厚を図り、舷側装甲帯最厚70?、甲板最厚35?、砲塔最厚90?、司令塔100?のスペック表示。他の個所も相応の強化をして、防御重量は1,700?にも達したと言います。

機関出力も少々増えましたが、それ以上に基準排水量が増えた影響なのでしょう、速度は僅かながらの低下で36.5ノット。まあ実際の実用最大速度は34ノット程度だった、といわれています。

それにしても伊海軍の軽巡は、ひょろ長い印象ですね。「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」型〜「エマヌエル・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」型まで、全艦そう(笑)。速度を稼ぐのに一生懸命で、そのシワ寄せは船体の延長に・・・そうなると艦幅を取れないから、缶・機は並列に出来ずに一直線の並びになる。おいら的には間延びした印象が否めないなぁ。重巡も「ザーラ」型の4隻を除くとこの艦影を踏襲しているので、これが伊巡洋艦群の特徴なのでしょうが、当たり所が広すぎて被弾時には脆い気がしますよ。
マジかい!また入らない・・・(笑)もう一つ続きます。

これを覆したのが第5番目、つまり「コンドチェリ」型の最終型となる「ルイージ・ディ・サヴァイア・デュカ・デリ・アブルッツイ」型です。1937年に「ルイージ・ディ・サヴァイア・デュカ・デリ・アブルッツイ」と「ジュゼッペ・ガリバルディ」の2隻が該当します。

この艦は、それまで間延びしていた前後の主砲を艦の中央にグイッと引き寄せ、バイタル・パートを狭くした感じで、この艦影はまさに軽巡の「ザーラ」だね(笑)。「ザーラ」型の運用状況が良かった事が反映されたのかしら。

「エマヌエル・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」型からの設計を大幅に変更して、兵装と防御の両面を更に強化した艦です。基準排水量も1,000?アップして9,500?となりましたが、その分の効果はあった様ですね。

主砲は前4型までは、15.2?53口径連装砲を艦の前後に2基ずつの配置でしたが、新型の152?55口径砲を採用、連装と3連装の砲塔を各一基ずつに前後に搭載しました。この砲は優秀、初速、射程、発射速度の全てが向上して、戦艦「リットリオ」の副砲にも採用されています。また高角砲も新型に改められました。

従来までの4型は、これも伊海軍独特なのでしょうねぇ(笑)、砲と砲の間がもの凄く狭い連装砲。重巡同様に高初速を狙った為に、薬装量が増えて砲身の寿命が短い。また弾着散布界が広いのも一緒です。

それがこの「ルイージ・ディ・サヴァイア・デュカ・デリ・アブルッツイ」型でようやく変更されました。それにしても伊海軍はこういう類の要領が悪いなぁ。伝統を重んじる国民性なのかしら(笑)。

防御面も更にアップしています。舷側装甲帯は100?、ここでの図解入りでの説明が無いのでおいらもよくは理解が出来ないのですが、多分、更に30?を局部的に追加した2重の防御帯になっているのだと思います。なにやらこの30?は命中弾を舷側で早期爆発させるものらしい。相当に堅い装甲帯を想像してしまいますよ(笑)。また甲板も最厚40?、砲塔135?、司令塔140?と各部署も厚くなっています。

機関の配置も変更、艦幅が増えたので主機の並列配置が可能になりました。2本の煙突の間隔では、缶・機の分離配置をしている様には見えないのだけどね(笑)。2缶・1機・6缶・1機の変則的並びを採用、これは重巡「ザーラ」に類似したものです。

ただ「ザーラ」のような中心線縦隔壁は置いていません。日本海軍では、この縦隔壁を排除しようと試みたので、これは対照的で興味深い。魚雷戦を重視すると、片舷に雷撃を受けると急速に転覆すると考えられたから・・・「加古」のあっと言う間の沈没原因とも言われています。また、高速が自慢の伊軽巡群ですが、この艦にはそれを望みえません(笑)。一応軽負荷状態での公試は34ノットを記録したといわれますが、実際には31ノット程度らしい。

おいらはこの「ルイージ・ディ・サヴァイア・デュカ・デリ・アブルッツイ」型は嫌いじゃないよ。きのこ艦橋も見慣れれば、オリジナリティがあるしね(笑)。ただ、足が短いかなぁ。伊海軍は地中海運用の近海海軍仕様で、全部がそうなのですが、これはまた、それだけ給油を必要とするひと手間が掛かるのも事実。

「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」型から始まり、大型化や改良を繰り返されて、「ルイージ・ディ・サヴァイア・デュカ・デリ・アブルッツイ」型に至っては、列強の水準以上の性能はありそうです。ただねぇ〜、なんで伊海軍の軽巡はこんなに名前が長いのでしょう?(笑)

「コンドッチェリ」級は「89」点です。

写真は左が「コンドッチェリ」級の第1グループの「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」、右が「ルイージ・ディ・サヴァィア・デュカ・デリ・アブルッツイ」です。あまり艦影明瞭な写真が落ちていませんでしたの(笑)。
また忘れた・・・次回予告です。

次回はフランス海軍の巡洋艦では最終の採点艦「ラ・ガルソリエール」型を予定しています。

宜しくお願いします。
ミッチーさん、いつも採点ありがとう!もう巡洋艦編も2/3は採点が終了、あと1/3まで来ましたよ。

今回の採点艦は、フランス海軍の軽巡「ラ・ガルソリエール」型です。フランス海軍はこの型が最後になります。

フランス海軍軽巡の前級採点艦が「デュケイ・トルーアン」型でした。この型は1922年度の計画艦で、その同型艦3隻が1926年に完成しました。その後、フランス海軍は、機雷敷設艦「プリュトン」と練習巡洋艦「ジャンヌ・ダルク」を1931年に、機雷敷設艦「エミール・バルタン」を1934年に完成させますが、これらは特殊用途の軽巡群で、通常の軽巡とはチョイ違う(笑)。

まあ、「エミール・バルタン」は、その性能が軽巡並みで、この艦を拡大、さらに改良を加えたのが、今回の採点対象となる「ラ・ガルソリエール」型軽巡洋艦になります。

「ラ・ガルソリエール」型は、全部で6隻が建造されました。1935年に「ラ・ガルソリエール」、1937年中に残りの5隻「ジャンド・ヴィエンヌ」「グロアール」「マルセイエーズ」「モンカルム」「ジョルジュ・レイグ」が完成します。

この艦のコンセプトは、1937年から38年に竣工した新型戦艦「ダンゲルク」「ストラスブール」の随伴護衛艦。戦艦一隻と軽巡3隻からなる部隊を2つ作り、有力な打撃部隊を構成しようとしたものです。

この「ダンケルク」型は中型ながらも防御が堅く、全くに良く出来た戦艦でしたからねぇ(笑)。1934年には堅艦の重巡「アルジェリー」も完成していましたから、この時期のフランス海軍の充実ぶりには目を見張るものがあった、と言っても言い過ぎではないでしょうね。

1930年位で造船官が替わったのかなぁ、この「ラ・ガルソリエール」型の設計も手堅いもので、軽巡洋艦として無理がない良艦として仕上がっていると思いますよ。

機雷敷設艦もどきだった「エミール・バルタン」の流れを汲んだその艦首楼型は、まさにフランス海軍の軽巡として正統派。基準排水量が7,500?だから、ややこぶりの船体かしら。

しかし、フランスの軽巡として初の舷側装甲が設けられ、相手軽巡の15?の主砲弾に耐えられる防御が与えられました。その厚さは舷側装甲帯が105mm、甲板38mm、砲塔前盾100mm、その他の砲塔周りが50mm、司令部は95mmがスペック表示となっています。この艦の大きさからなら、もう十分な防御力が与えられたと思います。

その分、雷装が55?連装魚雷発射管2基のみ、また推進系が3軸から4軸が基本だった伝統を破り2軸推進と落として、計画速度は31ノットに減じました。対象の戦艦が「ダンケルク」、この艦は30ノット弱の速度だったので、この程度で十分だったでしょう。

また実際の公試では、各艦35ノットから36ノットの速度を記録したというから、トップヘビーとは無縁に思える船体のバランスの良さがあったのだろうね。

見た目が本当に流麗な印象の軽巡だよ。艦舷は十分な高さがあり、耐波性や航海性能も良かったようです。艦橋周りがガッチリとしていて、上に伸びるのは小さなマスト構造物がスッとあるだけ。

主兵装は15.2?55口径の3連装が3基、この主砲は15.2?・M1930といって、初速870m、最大俯角45度で、26,000mを以上ぶっ放せ、発射速度が毎分7.5発。またその砲塔の動き全般を電力で補った半自動砲でした。日本の「最上」型の15.5?60口径3連装砲と比べれば、スペック的には、初速と最大射程で劣るが、発射速度が勝るといった感じかな。

「最上」型は超攻撃型の軽巡だったから・・・(笑)。ちなみに「最上」型の砲塔周りの装甲は25mmでしたが、この「ラ・ガルソリエール」型はキチンと装甲を施しています。(前盾100mm、天蓋・側部・背面が50mm)

機関の配置は缶機缶機のこれまたフランス海軍の伝統かしら。重巡「アルジェリー」のみが、全缶全機の配置だったから、これは仏海軍の黒いアヒル(笑)。米・英の巡洋艦も同じ様な経緯を踏むから(全缶全機の配置は米海軍では重巡「ニュー・オーリンズ」型のみ、英海軍も「リアンダー」でトライするもの、また元に戻しました)、やはりこの配置が世界的標準なのでしょう・・・これに関しては、日本が異常なのが分かります(笑)。
ハイハイ、またいつもの事・・・(笑)


あと「「ラ・ガルソリエール」型の特徴が航空兵装かな。偵察機を4機搭載(のち3機へ)出来ました。後部煙突の後方に大型格納庫を設け、その中にこの偵察機を収容します。またその運用がし易いように、後甲板がクリアに整備されて何も無い状態で、後部主砲上にカタパルトを載せる方式でした。

第3砲塔が、いざ砲戦になると運用し辛い様にも見えますが、ある意味、航空機を上手く使う先見性が伺いしれると思いますよ。この洋上の水上機を収容する方法が特徴的かしら。

ハイン・マットと呼ばれる帆布製の幕を、30m程度を艦尾から流して、この上に乗っかった水上機をリールで引き寄せてから、艦尾にあるクレーンで吊り上げる方式です。日本の戦艦「大和」型もこれの導入を考えましたが、芳しくなかったみたい。またこの方式の為に、艦尾はスパッと切り落とした様な、トランサム型になっています。

このトランサム型、日本では駆逐艦の「松」「橘」型が採用しています。「連合艦隊 巡洋艦 佐藤和正」によると、軽巡「阿賀野」型も同じみたいだね。おいらプラモを作らないから、この辺が確認できませんの(笑)。また米国では「ブルックリン」型以降、英国では「フィジー」型などが採用しました。

この艦尾の形にすると、両側から流れてくる水流とスクリューに巻き上げられた水流とが、艦尾付近でおかしな動きをせず、後甲板での作業がしやすくなったと言われています。「ブルックリン」型では、航空艤装をこの艦から全部艦尾に移したくらい。「ラ・ガルソリエール」型も、ハイン・マット式に巧くこの特長をいかしたのだと思います。

この「ラ・ガルソリエール」型は、かなり優れた性能をもった軽巡だと思いますよ。主兵装に無理をしないで、また乗組員にも優しい船体設計でしたし、水上航行性能も抜群。海を選ばない船として、一番大事な部分をシッカリと押さえています。航空兵装も充実しています。あまり欠点が無いなぁ、艦影も素敵です。

「ラ・ガルソリエール」型は「97」点を付けます。

写真は「ラ・ガルソリエール」4番艦の「モンカルム」、とても美しい艦影だと思います。
次回はまた英国へ戻ります。

「タウン」級です。初めは「クラウン・コロニー」級と別の採点を考えていましたが、性能的にも大差がないので一緒にしちゃいました(笑)。

したがって採点艦は「タウン」級(「クラウン・コロニー」含む)です。宜しくお願いします。
今回の採点は英海軍に戻りまして、軽巡「タウン」級です。

当初の予定ではこの「タウン」級と、その改良型に当たる「クラウン・コロニー」級を別々に採点しようと考えていたのですが、性能的にはあまり遜色がありません。そこでこの両級に関しましては、一緒に採点をしてしまいたいと思います。

まずは「タウン」級から、これは大別すると「サウザンプトン」型「グロスター」型「エジンバラ」型の3つの型に分ける事ができます。あと重巡の「カウンティ」級と同じ様に「タウン」という名前のネームシップ艦は存在しません。各艦に都市の名前を配した事により、この艦型を「タウン」級と呼びます。

ロンドン条約の後、極東の日本が「最上」型を建造するという情報、またヒトラー政権後の大海軍再建を目指すドイツの脅威などから、前級「アリシューザ」型までの、小型で多数の軽巡洋艦を揃えようとした英海軍の構想は脆くも崩れ去る事になります。つまり大型艦の建造が世界の流れとなった訳で、それに逆らう事は植民地権益を海外に多く持つ英国として苦渋の選択だったと思います。

植民地の独立気運、あと目の前ではドイツが大躍進中!英国としては本陣を取られてはどうしようもありませんしね(笑)。でもその選んだ道は正しかったと思います。仮に小型艦ばかりじゃねぇ〜。戦後まで、この「タウン」級と「クラウン・コロニー」級は、戦没艦以外、比較的息の長い活躍をしています。

最初は「サウザンプトン」型から参りましょう。

前述の影響で1933〜34年度の計画艦で、1937年に「サウザンプトン」「ニューキャッスル」「バーミンガム」「グラスゴー」「シェフィールド」の5隻が完成しました。1937年だから、日本では「鈴谷」「熊野」が相次いで竣工している最中かな。

基準排水量は9,100?、ちなみにこの基準排水量では、同国の重巡「ヨーク」や「エクゼター」より大きいです(笑)。船体は艦首楼型で英国のスタンダードだね。見た目の艦舷の高さも十分で、これは扱い易そうな印象ですね。航海性能や居住性に重きを置く英海軍らしい。意外と重巡「ヨーク」や「エクゼター」、その後「アリシューザ」型まで、小型化に伴う色んな苦情の声が現場から上がったのかしら(笑)。

主砲は15.2cm50口径3連装を4基、艦の前後に配置していていますが、日本の「最上」型、米国の「ブルックリン」型と比べると3連装の砲塔が一基少ない。砲撃より防御の充実を狙った為で、15cm砲搭載艦との遠距離砲戦に耐える防御を施したと言われます。

この砲塔は6インチMkXX?と言い、性能的にもスタンダードかしら。初速840m、45度俯角で23,300m、発射速度7.5〜10秒に一発の性能です。対空砲としての能力はやはり?ですが、砲艦としてみるなら十淡路島で分かなぁ。

この艦は艦首と第一砲塔の間の距離があまり在りませんの。上空の写真などから判断するとかなりの胴詰まり。「最上」型で189m、「ブルックリン」型で185mの全長があるのですが、この「サウザンプトン」型は180m止まり。また艦幅は同じ程度ですが、全長を抑えた分が腹周りに厚い感じかな。砲艦にとって小柄な事は微笑ましい事だからね。砲弾に当たりにくくなるし、またバイタルパートの圧縮にもなりますから。

この艦に与えられたその防御力が、水線部114mm、甲板部38mm、弾火薬庫25〜114mm、砲塔部25〜51mm。ちょうどその部分が水線部では、こんもりと盛り上がりその個所が良く分かります。砲塔周りの厚さでは米艦に敵いませんが、このスペック表示は中々の優秀さがあると思います。

足回りでは75,000馬力の4軸推進で、その速度は32ノット。無理をしない設計なのかなぁ(笑)。同じ時期のフランス海軍「ラ・ガルソリエール」がこの艦と同じ船首楼型なので、もう少し速度が出て良いような感じもします。艦首部にあともう一工夫が無かったのが影響したかしら(笑)。その長さは12ノットで12,100浬と十分で、もうこりゃ英海軍のお手の物だね。この辺に関しては、寄港知らずの手間要らず(笑)。

機関の配置は「パース」型からの缶・機の分離方式で、その空いたスペースを航空機艤装に使うのも手堅い英国式。ただ、第一煙突が艦橋後部と一体化したようにも見えて、その分高く見えてしまうのもこの型の特徴かしらん(笑)。

この煙突が突き刺さった部分を、航空機の大型格納庫に充てています。ここもこの型の特徴だね。それがこの艦の艦橋周りの厚みを増す外見になって、良く言うと重厚、悪く言えばデブッた肩周りの様な艦影を醸し出しています(笑)。
上の続きです。

次は「グロスター」型、これは「タウン」級の第2グループに属します。

1935年の計画艦で、完成したのが1938年に「リヴァプール」「マンチェスター」が、39年早々に「グロスター」、都合、同型艦は3隻です。

もうこの「グロスター」型は「サウザンプトン」型の焼き直し。基準排水量を9,100?から9,400?へとアップした分を、機関室上部と砲塔周りを増厚して、その防御力の向上に充てています。この機関室上部の追加された厚みに関しては、おいらの手元の本では分かりません(世界の艦船 イギリス巡洋艦史 海人社)。

砲塔部分では前級の「サウザンプトン」型とくらべると、側部、後部、天蓋が25mm→51mm、前盾51mm→102mmとなっているから、ほぼ倍かな。重くなった分、当然に復元性は悪化しますが、艦幅と吃水を増大させ、機関出力も一割向上した事で抑え込んだ様です。それによって得られた速度は、「サウザンプトン」型と同じ32ノットでした。

この艦型はスペック上ではかなりの堅艦に仕上がったと思うのですが、大戦中に「グロスター」と「マンチェスター」の2隻が、航空機と魚雷艇の攻撃で戦没・・・(笑)。「大和」「武蔵」同様に、堅いと被害が出やすいのかしら。

「タウン」級の第3グループが「エジンバラ」型、1936年度の計画艦で「エジンバラ」「ベルファスト」の2隻が、1939年7月と8月に完成。こりゃもう第2次大戦の直前だねぇ。

艦型は「グロスター」型より更に増大して、基準排水量で10,260?。15.2cm砲搭載艦としては、英国最大の軽巡洋艦となりました。

水線部装甲の最大厚は前型と変化はないのですが、その防御範囲を前後に広げ、甲板防御も強化されたようです(これまたその数字は不明、まあ大した数字も厚さではないと思いますよ)。これによって、「サウザンプトン」型から比べると、防御重量が500?増しましたが、速度も32ノットは堅持しました。

この「エジンバラ」型の外見上の最大変化は煙突周りです。従来の機関の配置は缶・機・缶・機でしたが、その順番を入れ替えて、機・缶・機・缶に改正しました。2本の煙突の間隔はそのままで、ズイッと後ろの方にずらした感じです。

第1煙突の艦橋後部に突き刺さりが無くなり、その分飛行機の格納庫は広く使えるようになったと思いますよ。まあ実際には、艦橋に対する排煙の逆流防止を狙ったもの、と考えられているみたい。まあ、後々にこの配置をした艦は誕生しなかったからね。バイタル・バートが長くなる、或いはその機関の配置では扱い難かったなどの問題が発生したのも知れませんね。

しかしなんだねぇ〜、煙突が後ろ過ぎると、なんか船として変な印象をおいらは受けるかなぁ(笑)。奇をてらい過ぎ・・・英国の戦艦「ネルソン」も変な恰好の戦艦だけど(好きな人いたらゴメンね)、それと同じ様な感じですよ。1922年に計画された幻の巡戦「インヴィンシブル」がふと思い浮かびました。

この戦艦デザインは、艦橋をほぼ中央に塔型して立てて、その前後に主砲を置いたもの。んで、その第3砲塔の後ろに煙突を持って来るという奇抜な設計でした。これは艦の徹底した集中防御を狙ったもので、その思想は英国の「ネルソン」、仏国「リシュリュー」などが受け継ぐ事になります。

余程、ジェットランド海戦における火薬庫直撃の巡戦の爆沈が効いたのだろうねぇ、英国は・・・でも機関もとても大事!艦が動かなくなったら、もうそりゃ大困りだろうし(笑)。
ん、もう!また入らない・・・(笑)

話を横道から戻しましょう。次は「クラウン・コロニー」級です。

この「クラウン・コロニー」級のネーミングは、「タウン」級同様に、艦名には英国の植民地の名前を冠した事に由来したものです。この級は大別すると「フィジー」型と「スウィフトシュア」型、更にその派生した軽巡では戦後にかけての完成となる「タイガー」型が含まれます。

この度は、「スウィフトシュア」型以下を採点艦として外そうと考えています。この「スウィフトシュア」型の完成は1944年〜45年にかけての2隻のみだし、性能的にも「フィジー」型の焼き直しです。

この型を簡単に補足すると、「フィジー」型がその排水量に対して荷重武装と判断され、設計を計画時から完全に仕切り直し。15.2cm3連装砲を4基から3基に減少させたのが大きな特徴かな。あと航空装備を完全に廃止して、対空砲火の増強も図られましたが、基準排水量も8,800?に増加しています。

それでは「クラウン・コロニー」級の「フィジー」型を見てみましょう。

1937年〜38年度の計画艦で、全部で11隻が建造されました。その内の8隻は「その排水量を1936年に締結された米英仏海軍軍備制限条約で、規定内の8,000?以内に抑制しよう」として計画され、その為のひな型の設計は前級である「タウン」級の「サウザンプトン」型でした。つまり成功した艦型であった「サウザンプトン」の縮小改良型を建造しようとしていた訳なのね。

しかし、色々とやり繰りをしている内に戦争が勃発してしまい、最終的には8,500?の基準排水量の軽巡として建造が続けられました。これが前期型の分類される「フィジー」型8隻で、1940年から1942年の間に「フィジー」「ケニア」「モーリシャス」「ナイジェリア」「トリニダート」「ガンビア」「ジャマイカ」「バーミュダ」が続々と竣工します。

「サウザンプトン」型が9,100?だから、約600?軽くなったのですが、15.2cm3連装4基などの主兵装は全くの同じ。また装甲帯には強弱をつけており、防御甲板の最厚部は51mmと強化されましたが、水線部はやや薄くなり114mm→83mm〜89mmへ、砲塔装甲は同じがスペック表示です。また足の速さも遜色はありません。

この600?の減少が響いたのかしら。英国海軍は本当に艦のトップヘビーには、もう神経過敏なぐらい注意して軍艦を建造する印象かなぁ。この過重兵装の反省をした艦が後期型の「セイロン」型3隻。1943年に「セイロン」「ウガンダ」「ニューファンドランド」が完成しました。

後部主砲の15.2cmの3連装一基を廃止して安定感を出し、戦訓から来る近接対空兵装や機器を充実させたので、排水量も8,900?へ逆戻り(笑)。また航空艤装に関しては最初からカットされていて、装甲や速度のスペック数値は前期型の「フィジー」型と全く同じです。

結局はこの後期型の「セイロン」型が、英国が行き着いた軽巡のスタイルとなるのだろうね。また後々には「フィジー」型の各艦も、主砲の排除や航空兵装の撤去など、「セイロン」型に準ずる、同様の改装を促されていきます。

あとこの「フィジー」型と「セイロン」型の隠れた特徴として、艦尾をポンと切り落とした様な形のトランザム・スターンが挙げられます。この艦の設計の際に艦の増大を防ごうのに、後部缶室の缶を横にするなどして、「サウザンプトン」型と比べると全長を11mも短縮しました。

そのせいで、第4砲塔と艦尾の後甲板のスペースがかなり狭くなっちゃっていますの。昔の米軽巡「オマハ」型、「ペンサコラ」型などにそれが顕著かな。艦の速度にもよるとは思いますが、海水を巻き上げて照準にも困った、とも云われているから、この「フィジー」型には、最適な艦尾だったと思いますよ。

この「タウン」級と「クラウン・コロニー」級は、英国の戦時標準軽巡洋艦に当たるね。案外被害には弱く、結構沈められています。「タウン」級は10隻中で4隻、「クラウン・コロニー」級では11隻で2隻。スペック数値より撃たれ弱いのかも知れませんね。

英国らしい手堅さを感じるのですが、建造後の小改装も多く、それに対応すると水上安定性にも欠ける所もあったみたい。バタバタした軽巡群で、おいらはあまり好きになれない。

「タウン」級、「クラウン・コロニー」級は「91」点です。


写真は「タウン」級の「バーミンガム」です。
今回の採点艦はようやく日本へ・・・長い欧州巡りだったです。では日本の軽巡「最上」型を取り上げてみましょう。

自分がW・Lシリーズの模型を買ってきて、人生最初に作ったのがこの「最上」型の4番艦の「熊野」でした。当時は軽巡のスタイルだった。主砲が沢山付いていて随分と強力そうな軍艦だなぁ、が当初に受けた印象です。

そのシリーズで航空巡洋艦の姿だったのが「最上」、主砲を20.3cmに変更したのが「鈴谷」で、「三隈」の販売は無かったはず・・・(笑)。また「最上」に至っては3度もフュージョンした訳ですから、その意味では非常に興味深い軍艦になると思います。

おいらはこの「最上」型の艦影は大好き。日本の巡洋艦の中では一番のお気に入りかな。この艦の図面を引いたのは藤本喜久雄造船大佐(当時)で、他には空母「蒼龍」、駆逐艦「吹雪」などが彼の設計になります。友鶴事件で彼は失脚して、失意の内にこの世を去りますが、彼の少しでも良い軍艦を作り出そうとした誠意は認めてあげたいものです。

それじゃこの「最上」型が誕生した時代背景から入りましょう。

この「最上」型はロンドン条約下で建造された最初の巡洋艦になります。つまり基準排水量の枠が、当初からガッチリとはめられた状態でのスタートでした。日本に残された重巡の枠はもうありませんでしたが、軽巡の建造枠が35,655?残されています。これを4隻編成の部隊を一つと考えていた軍令部ではその数を4で割り、その結果与えられたその排水量が8,500?となります。

そこに主砲さえ変更すればよい重巡になる船体を作っておく、という発想に切り替えれば重巡不足も補える訳で、全く頭の良い人はいるもんだ!また「古鷹」型の中型重巡の実績もあったからね。更に当時の最新技術を投入すれば、もっと凄い重巡が出来るだろ!というのが要兵者側の言い分になるのかなぁ(笑)。

まあ、そんな風潮だから当然に軍令部はムリ言うムリ言う・・・空母「蒼龍」の原案などもそれに近いものでしたが、「最上」型に関して藤本大佐は頑張ります(笑)。

兵装に関しては要求通りの15.5cm3連装砲塔を5基、61cm魚雷発射管3連装4基を盛り込みます。「高雄」型では10,000?の中でそれをやって、今度は8,500?で試みようとしたのだね。しかし防御は同程度を狙う訳だから、異常な程までその余分な重量削減に取り組まねばなりません。

先の「高雄」型で使用され始めた特殊高張力のDS鋼を大幅に取り入れ、甲板を支える横梁にも軽目孔を空けて少しでも軽くする設計を施します。また当時発達してきた電気溶接を船体構造に取り入れます。

また艦橋もこの設計当時はかなり大きな構造物となる予定でしたが、その建造中に友鶴事件が発生。高重心となるこの艦にも設計変更が加わる事になり、コンパクトな形に変更される運びとなりました。
ハイハイ、いつもの事・・・(笑)以下続き。

すったもんだしながらも、ようやくに一番艦「最上」が完成したのが昭和10年の7月。設計の段階から高重心が言われた「最上」型でしたから、その公試には心配事が付きまとう(笑)。

その性能調査の結果は・・・というと、当然のペケ(笑)!この公試運転中に推進機付近の外板や横梁、後部重油タンクの周囲付近に振動によって亀裂が出来てしまい、波に叩かれたので艦首の外板はデコボコになる。またそのせいで船体には歪みが生じ、3番砲塔が旋回不能になるという事故まで起きています。もう〜明らかな船体の強度不足だね(笑)。

この原因は重量削減の為に施工された電気溶接技術の未成熟と言われています。ドイツの軽巡群もそうでしたが、やはり日本でも同じ様な事例が発生しました。

そこで早速に改善策が立てられ船体の補強を図り、復元力向上の副作用を得る為に大型のバルジを追加。船体幅の広がりによって海上安定性は増しますが、排水量の増加を招き、速度まで低下してしまう結果を生みます。

さあ、実用レベルまで上がったゾイ!と就役早々に、同じ様な改装を施された僚艦「三隈」と伴に第4艦隊に配置されて、三陸沖の大演習に参加します。

ムムム・・・第4艦隊と言えば、大台風に遭遇した「第4艦隊事件」では?という事(笑)。初訓練がこの台風じゃもうたまったものじゃないね〜。

案の定に被害が「最上」にも出ます。嵐の中を航行中に艦首部分が激しく振動を受けて、全部の砲塔群付近にきしむような異常音が発生しました。あとで検査をしてみると、艦首部分の外板にまたしても大きなシワが!このシワは公試運転時よりのモノより大きく、またしても船体強度を再検討せねばならなくなってしまいました。まぁ、本当にコイツは手間かかる軍艦だ!

こうなると徹底的な補強をするしか手段はなく、電気溶接の部分を従来の鋲構造に切り替えて万全を期す事になりました。こうなると重くなるから安定性は増すのだけど、排水量は11,000?を超えて、速度も34ノット台へと低下してしまいます。正直、「妙高」型や「高雄」型とは大差が出ないという結果になるのかしら・・・(笑)新技術であった電気溶接技術の培養という点では収穫があったとは思うのだけどね。

紆余曲折しながら「最上」型4隻が出揃ったのが昭和12年10月。ロンドン条約に振り回された重巡と言ってもいいでしょう。軍縮条約と足枷に苦しみながら、四苦八苦してたどり着いた時には、その条約は期限が失効しています(笑)。
また続き・・・っ!もう〜(笑)

それではこの「最上」型、その性能を少し詳しく見てみますね。

まずその外見上のトレードマークともいうのが主砲かな。15.5cm60口径3連装が5基も装備されています。おいらは個人的にこの艦影が一番好きかな。

この主砲の最大仰角は55度、最大射程が27,400mとなっています。発射速度は毎分5発でこれが15門もある訳だから、もう、のべつ幕無しに砲撃をしている感じかな。また初速も920mとかなり速いのも特徴。さすが60口径!

この主砲は実際に使用してみると命中率も高くて、なかなかの成績優秀砲!のちに20.3cm砲に換装する時には、砲術者サイドから惜しまれる程だったとか(笑)。この当時は「高雄」型に搭載されていた20.3cm砲の散布界も解決を見ていなかった時期に当たります。

実際にいざ砲戦!となった場合、最大の射程距離で撃ち合う可能性は低い訳だから、命中率は高い方が良い。威力が落ちる分(20.3cm砲の場合、毎分3発。10門の総重量弾量3,750?で、15.5cmは毎分5発、15門だから総重量4,125?)を手数で稼げば、十分に対抗可能となります。

しかしやはりこの主砲を換装してしまう訳だから、主砲口径を重んじた大艦巨砲主義を貫いたという事になるのかな。のち「大和」型や「大淀」に搭載される予定から、無理やり剥ぎ取られたのかもしれませんが・・・(笑)。

船体防御とその機関の配置にも触れておきましょう。

正直な話、船体の防御装甲厚は「妙高」型や「高雄」型とは大差ありませんの(笑)。箇所によっては傾斜装甲で厚くなり、新しい装甲材を使用してはいるのですが、おいら的には悪い意味で遜色が無い。欧米の巡洋艦群がその建造経験を増すにつれて、ドンドンとその装甲が厚くなっていったのに対して、日本海軍では「妙高」型から大きな変化がありません。

数字で表すなら、水線部100mm、甲板部35mm。また砲塔周りの25mmの弾片防御程度で、「妙高」型以来なんら変わっていません。

その分が攻撃力の要、雷装に言った感じなのかしら・・・この「最上」型から61cmもの大口径魚雷を3連装で4基搭載して、更には次発装填装置付きだから、その諸施設の追加に伴いかなりのスペースを取られてしまいました。

また、高角砲でも新式の89式40口径12.7cm連装砲で4基。これも「高雄」型よりも強力なもの。しかしまあ、よくここまで9,500?の船体に積み込もうとしたものだ!こうなりゃ確かに防御は捨てるしかないよね〜(笑)。

また機関の配置も他の国とは違い、相変わらずの缶・機のシフト配置は採用していません。これも艦内容量をとるから主砲の数を減らさない為と思うんだけど、機関部への一撃で動きが止まる恐れがあり、防御重視とは言い難いかな。速度は34ノットと高速を維持出来るから、あくまで攻撃は最大の防御の思想が伺えます。

今まで他の国の比較してみたからよ〜く分かるのですが、日本の重巡は超攻撃的な巡洋艦になっている事が分かります。比較的日本の重巡群は被害にも良く耐えた印象なのですが、実際の防御装甲は列強に比べるとかなり薄かったのは事実。また61cmの超特大の酸素魚雷の危険兵装があったし。まさにそれ劣性能を支えたのは乗組員の技量の高さがあったのでは・・・と推察いたします。

なんらかんら言っても自分はこの重巡の艦影は大のお気に入り(笑)。ちょっとアマいかなぁ〜「最上」型は「95」点を付けちゃいます。

写真は「最上」の軽巡時代を、『後ろから前からどうぞ〜』(笑)
回の採点艦は米国の軽巡「ブルックリン」型です。

日本の最新鋭軽巡だった「最上」型の対抗艦として、ロンドン条約下での1933年度〜35年度計画で9隻が建造されて、1938年〜39年にかけて全艦が就役いたしました。この内で高角砲と後檣の位置を改正した最後の2隻「セント・ルイス」「ヘレナ」の両艦は「セント・ルイス」級とも分類がなされます。

新型軽巡となるこの艦の検討は、主要部に対15.2cm砲の砲弾防御を施すと10,000?程度の排水量が必要となる事が明らかになりました。まずこの設計の出発点から日本の「最上」型とは異なるね。日本の場合、8,500?の大きさに如何に「妙高」型程度の攻撃力を持たせるかがその設計コンセプトでした。そして「最上」型の建造情報が入って来たので、対抗の意味も含めて15.2cm15門搭載艦の決定がなされます。

この後に建造されてゆく事になる重巡「ボルチモア」型、軽巡「クリーブランド」型などの設計はこの艦のスタイルを流用してゆく事になりますので、おいら的にはこの軽巡は、米国の巡洋艦の艦影を完成した名鑑となると思います。

この頃になると軽巡「オマハ」型や、「ニュー・オーリンズ」型に至るまでの巡洋艦の建造経験を十分にいかした設計で、その船体には平甲板型の船体となり、艦首部には適度なシアを有する艦舷が高いもの。見ただけで艦内容量もありそうで扱い易そうな印象を受けてしまいます。

またバルバス・バウを艦首には採用、艦尾はスパッと垂直に切り落とした様なトランザム型として艦尾甲板使用面積を増やしてここにカタパルトや格納庫などの航空関連施設が置かれました。

このトランザム型艦尾は海水を艦尾には汲み上げないので、この位置は航空艤装の最適だったかも。この艦の成功はここにあるのじゃないかなぁ(笑)。かなり思い切った設計だと思いますよ。

この「ブルックリン」型に積まれた15.2cm砲は6インチMk16砲という名称で、その口径は「最上」型よりやや小さく、また砲身長も47口径と「最上」型の60口径よりも短いもの。日本の評論家はここばかりを見ていて、日本の方が優秀だったとの評価が多い印象ですが、実際こっちの方も利点があります。

まず発射速度。日本の「最上」型は毎分4〜5発程度でしたが、「ブルックリン」型では垂直鎖栓式という法式を採用、発射速度が毎分6〜8発となり、約1.5倍から2倍近く速い。もう手数押しだね、こりゃ(笑)。またその砲弾の重さは日本の45?に対して57?の違いがあります。また目立ちはしませんが、砲身寿命が日本は250発〜300発に対して、米国は1500発と5倍以上の耐久性を誇っています。
はぁ〜い、またまたいつもの事。以下続きです。

さらにこの主砲の最大特徴がその装甲の厚さ!これが米巡洋艦の凄い所かな。

1934年〜37年に完成した重巡「ニュー・オーリンズ」型とほとんど遜色がありません。数字で書くと「ブルックリン」型は前盾165mm、側面と後面が32mm、天蓋51mm(「ニュー・オーリンズ」型では前盾152mm、側面と後面が38mm、天蓋58mm)、日本の「最上」型は全周囲で25mmの弾片防御程度だから、その厚さはまさに驚異的でしょ〜(笑)しかしその反面で砲塔重量は154?、「最上」型は180?だから軽く作られていました。

この事をまとめるとこの「ブルックリン」型は、攻撃力は少々落ちるが艦全体の重量を過大になるのを抑え込んで、砲力に於いて日本の「最上」やその重巡群に対抗し、十分にそれに耐える防御力をも盛り込んだバランスのとれた砲艦スタイルがこの軽巡。

しかもその攻撃力の射程が若干短い程度で、砲弾の発射速度は約2倍に近いからその威力は推して図るべしでしょう。オマケに大戦も後期に入るとVT信管付き砲弾がここから飛び出て来ますしね(笑)。

あと機関についても少し触れておきます。

機関の配置は残念ながら(?)重巡「ニュー・オーリンズ」型を踏襲、つまり缶・機の分離はなされませんでした。ただ8番艦「セント・ルイス」、9番艦「ヘレナ」の2隻は、高圧蒸気を採用出来た事によって機関部が軽量コンパクト化に成功、機関部区間の構成を再び缶・機の交互配置に改められて、その坑堪性を向上させています。もう何か鬼に金棒・・・(笑)

良い事尽くめで書いてきましたが、まあチョイとした悩みも・・・(笑)5基もあったこの砲塔群が上部構造物を圧迫しまい、後々の40mm機銃などの対空武装の追加が妨げられてしまいました。特に単装高角砲を両舷に多数置いた初期型の7隻にその傾向が顕著。つまり典型的な砲艦を追及するあまり、その追加容量を取れなかったのね。艦隊コンセプトが開戦により変化して、軽巡には艦隊直衛の防空艦や対戦哨戒など何でも屋を軽巡には求められる様になってしまい、その転換がこの「ブルックリン」型には困難が出てしまったようです。まあ、贅沢な悩みを言えばそうなんだけど・・・(笑)

この艦は完成度が本当に高いと思います。新アメリカ艦船の歴史はこの「ブルックリン」型の優れた船体構造から始まりました。「ブルックリン」型は「97」点です。

写真はネームシップ艦の「ブルックリン」です。
次回は重巡へ。

条約明けの重巡群に移りたいと思います。まずはドイツ重巡「プリンツ・オイゲン」型を予定しています。
今回の採点はドイツの重巡「アドミラル・ヒッパー」型です。コメ101では「プリンツ・オイゲン」型になってた・・・(笑)

ドイツに関してはこれでお終い・・・重巡がコイツと軽巡も一タイプの2艦種しかできなかったのは少々残念だけど、艦種自体が少ないからねぇ。(笑)ドイツ海軍ファンには物足りなさを感じていたら、この場をかりてお詫びいたします。んじゃ、スタート!

1935年の英独海軍条約で、ドイツは英海軍に対して35%の艦艇保有の権利を得ました。重巡洋艦の分野に関しては、英国146,800?に対してドイツが51,380?の保有権利です。また軽巡には既存艦の他に31,870?が認可されました。そして1935年ドイツは2隻の重巡の建造を発表しました。

しかし実際には1934年には秘密裏に建造を開始しており、最初の2隻が「アドミラル・ヒッパー」と「ブリッヒャー」で、ここで公然と建造ができるようになりました。また1936年の建造艦が「プリンツ・オイゲン」に当たります。

ここでの建造コンセプトがフランスの堅艦重巡「アルジェリー」に対抗が可能、高速の中型戦艦「ダンケルク」よりも逃げ足が速く、しかも大西洋で行動出来得る航続距離の保有も含まれました。果たしてドイツ技術陣はこれを達成できたのでしょうか?(笑)

基準排水量が14,000?!重巡の中じゃヘビー級の重さで、満載排水量だと18,000?を超えてきます。かなりの巨艦だね、こりゃ。この大きさだと米重巡の大戦中竣工の「ボルチモア」級が匹敵。この級については、また後日採点を予定していますのでここでは省きましょう。

この巨艦の割には装甲が薄いのよ・・・(笑)舷側装甲帯の最厚部が80mm、甲板50mm、砲塔前盾105mm。あと艦上構造物が妙に間延びしている印象かな。前部主砲と後部主砲の距離が有り過ぎで、その中に艦橋、煙突が立ち並び、引き締まっていない。英戦艦「フッド」みたいに見えるよ。

「シャルンホルスト」や「ビスマルク」もそうであったように、集中防御式じゃなくて、艦を大きな函として防御させたんだろうね。全体的に防御装甲帯を広げたんで、この薄さになったと思います。ただここで登場するのがクルップ鋼、これがドイツ戦艦や重巡をミステリアスにしてしまう・・・(笑)

装甲には「Wh鋼」、魚雷隔壁用装甲には「Ww鋼」が広範囲に渡り使われたみたい。これは「シャルンホルスト」や「ビスマルク」にも、新技術として改良された形で取り入れられた鋼材で、これの耐弾性や耐久性がよく分からないのね。これを用いられると「一概に、ただ厚いのが良いとは言い切れないのかも・・・」とも思えるのがドイツマジック。(笑)

水線下部も艦内は水密区分が増され、2重底も全長の72%にまで及んでいます。安定性や不沈性の為のバルジも付けられたしね。まあ、これに関しては脆さは露呈しています。2番艦の「ブリッヒャー」が、ノルウェー侵攻戦で、砲台からの直撃と魚雷2本を受けて航行不能、その後転覆しているんで、あまり水中防御は優秀じゃない可能性もあるよ。訓練等がよく出来ていなかったなどの理由もあるみたいだけどね。
以下続き・・・

主砲が新式の20.3?60口径で、連装2基が艦の前後に配置されました。列強の重巡に中じゃ最後の方に属するから当然威力、射程とも最大級と思われます。各国の20?砲の中では唯一射程も30,000mを超えていたみたい。

ただこの60口径、ドイツ式の換算なんで、実際には58口径になります。わずか約60?の違いだから、20?砲を考慮するなら、あまり威力には相違が無い感じもしますけど。(笑)

やはりこの「アドミラル・ヒッパー」級の問題が機関でしょうね。高い航続性を狙い、更には巡航出力も欲しいとなるとディーゼルじゃ無理無理。ってんで既に高速商船で試されていた超高圧水蒸気のボイラーを搭載して、それの両取りを目論みますが、二兎を追うもの一兎を得ずとはまさにこの事・・・(笑)

機関自体は高度に洗練されたものだったみたいだけど、まぁーこの装置がデリケート!性能を発揮させるのには、熟練の監視員がいつも注意していなければならない代物でした。トラブルも起こしやすく、燃費低減も期待値を下回り、成功した心臓部と足回りが無かったのが「アドミラル・ヒッパー型」です。

またこのボイラー配置や構成も各艦で異なっていて、「アドミラル・ヒッパー」と「ブリッヒャー」は同じなんだけど、「プリンツ・オイゲン」と比べると全然違う。(笑)さらにその後に建造予定だった「ザイドリッツ」や「リュッツオゥ」もまた前の2艦とは異なる配置と構成・・・これじゃ維持も乗員の訓練も大変になっちゃうね〜。

ドイツが敗戦後、「プリンツ・オイゲン」がビキニ環礁に実験艦として行く途中にホノルルに寄港、その時稼働していたボイラーが12基のうちで僅かに1基だけだったというから、人を選ぶというか、かなり気難しい機関だった事が分かります。(笑)

この「アドミラル・ヒッパー」型は「シャルンホルスト」や「ビスマルク」に似せて作られたんで、艦影は本当に近代的でカッコいいと思います。でも結局はこの機関が一番のマイナス材料だね。正直、ここまで安定性が無い機関は、兵器の資質さえも無いのかも・・・と思うよ。安定して使えなきゃダメダメ君だなぁ。

「アドミラル・ヒッパー」型は「86」点です。

写真は「プリンツ・オイゲン」です。それにしてもドイツの重巡以上の大艦は本当にかっこが良いと思うなぁ(笑)。
今回の採点艦は日本海軍の最後の重巡となった「利根」型です。重巡に関して、日本はこれで終わりですね。

一般的にはこの「利根」型、日本海軍が建造した最後の重巡洋艦という事で、大成功となった艦という評価が強い印象をおいらは受けています。これは果たして真実か・・・?(笑)この部分に関しても考慮に入れながら、「利根」型の性能に探りを入れてみたいと思います。

「利根」型は2隻が建造されました。昭和13年11月にはネームシップ艦の「利根」、翌年の昭和14年5月の「筑摩」です。当初の計画ではこの2隻は「最上」型の5番艦、6番艦として完成の予定でした。「最上」に若干の改良を加えた少し航続距離の長いタイプで、このまま完成していたら6隻編成の「最上」型が見れた・・・(笑)。それの雄姿を想像するのも楽しいね!

この軍令部の要求に沿いながらこの2艦は昭和9年〜10年に船台に乗った訳ですが、その間に航空機の洋上索敵能力の向上、さらには夜戦部隊全体の搭載機装備の見直しが行われたらしい。それに伴うようにして友鶴事件と第4艦隊事件のダブルパンチが日本海軍を襲います。だからこの2大事件の煽りを完全に被ったのは「最上」と「三隈」の2艦という事になるね。

しかしまだ船台上にあった「利根」「筑摩」はある意味幸運。2大事件の結果として判明した復元性能や船体強度に関しては、その工事中にその対策を打つ事が出来たのでその進行は極めてスムーズにいったとか。またロンドン軍縮条約も破棄をしていたので、その建艦の縛りも外れて、思う通りの設計変更が出来たのも大きいと思います。

その軍令部の要望変更とは搭載機の増大。砲塔を一基減らしてもいいから、索敵機を6基搭載しなさいというモノ。この要求自体に無理が掛かっていない印象だね。この武装の緩和が「利根」型が良艦となった原因になるのかな。

この索敵機を6機積み込もうとすると「最上」型のままでは当然に無理無理クン。4基は載せなきゃならない主砲の配置をどこに置くかの研究がなされて、その導き出された結果が、艦首部に4基の主砲を持って来ようというアイデア。それで空いた艦後部の後檣から後ろに索敵機スペースを設けようとした。この影響から艦橋を少しだけ後ろにずらし、艦の中央に置いた様な印象を受けるのだね。チョイ日本海軍とするとやはり異端児の艦影を持った艦になるかなぁ(笑)。

この砲塔を全部一か所に集める考えは、結構安易に出て来たような気がします。英国の戦艦の「ネルソン」型やフランスの「ダンケルク」型などで採用済みだったので、十分にそれを参考に出来たろうし、「大和」型の初期設計段階でも前部主砲集中型の研究はしていました。

この前部主砲集中型の採用は、メリットの方が巡洋艦なら多いかもね(笑)。

まず弾薬庫が一か所に集中するからその分防御が施しやすくなるし、分散させるより防御重量のかさみを抑える事にもなります。また砲の指揮作業の効率化を図れ、砲塔部がまとまった分散布界の広がりも狭められて着弾しやすくもなる。あと発砲しても爆風が後ろに行かないのが最大の利点(笑)。爆風は艦載機を破壊してしまうからね・・・基本的に砲戦となると、その艦載機は上空に上げるのがセオリーです。

ただ英国の「ネルソン」型は、後方に砲を向けて発砲したらその爆風により艦橋の窓ガラスを全部破壊してしまい、その運用には規制が掛かったといいます。一応「利根」型にはその事に関しては今まで聞いた事はありませんので、多分大丈夫だったと思います。

あともう一つの利点が発生います。「利根」型の隠れた長所なのですが、主砲を集中配置したので艦内スペースに余裕が生まれて、そのために居住区は他艦に比べても広かった・・・。他の外国の巡洋艦ではこの事は当たり前なのですが、日本の軍艦の最大の弱点が逆にこれにより露呈したのかもねぇ〜(笑)。乗り組み員には非常に好評で、「理想の巡洋艦」まで呼ばれる始末だし・・・

船体構造は若干ですが「最上」型よりは改良されました。でも「最上」型自体が「妙高」型から大きな進歩を遂げた訳じゃない。他国の重巡はドンドンと船体防御には力を入れて改良して行ったのになぁ。この部分からも日本海軍の攻撃一辺倒の艦の設計をしていたのがわかりまし、「妙高」型を生みだした平賀譲の鬼才ぶりも伺えますね。

機関の馬力は152,000馬力、速度は35ノットでこれは当時のスタンダードだし、足の長さの日本海軍では標準的だね。ただ世界的な標準となる缶・機のシフト配置にはされておらず、結局最後の重巡「利根」型にまでその採用はされませんでした(笑)。ちなみにこの缶・機の配置を日本が取り入れ始めたのは、「秋月」型が準シフト、「松」型でようやく採用したのに留まります。
以下続き、いつもの事です。

あと触れておかねばならないのが「利根」型の艦後部に広がる索敵機置き場(笑)。ここを飛行甲板とする本もありますが、正確にはそうじゃないよねぇ。第一、そこからは艦載機が発艦する訳でもなければ着艦も出来ない。つまり「利根」型は武装を強化し、足も速い水上機母艦という方が正しいのかも知れません。

また、このスペースの運用の仕方が少々能率が悪い・・・(笑)カタパルトがあるシェルター・デッキと一段低くなった上甲板、ここに予備機を置く事になったのですが、中心線上にレールを敷いた2段の斜面になっていて、わざわざ高低差をつけてしまった。こうなると艦載機を押し上げる様にして、上のカタパルトまで引き上げなきゃならないよね。

のちに「最上」が水禎を積む巡洋艦に改装されますが、効率はこちらの方が圧倒的に良かったと思います。この「利根」型の運用実績が考慮されたものとは想像できますけど(笑)。

あとこの時期になると、米軽巡の「ブルックリン」型や仏軽巡の「ラ・ガルソリエール」型などでは、艦尾を切り捨てた様なトランザム式艦尾の運用艦も登場しています。残念ながら「利根」型はそれは採用されなかった・・・(笑)。

「最上」の改装型では飛行甲板が比較的高い位置にあり、艦尾のスクリューが巻き上げる波の飛沫の影響は少なさそうな印象なのですが、「利根」型の機材置き場は低いままなのね。この位置にある艦載機は、高速時には波しぶきの悪影響をかなり受けたと思います。何といっても飛行機は精密機械の塊の様な物だから、この辺は「利根」型の大きなマイナス性能になると思うなぁ。

結構、この「利根」型は人気がありそうな気がするんだけどね・・・(笑)。この艦の成功はあくまで軍令部の要求が、例の2大事件から下がった事に由来すると思います。おいら的には比べてみて気がついたんだけど、この時期の各海軍の性能と比べても、完全に勝るものでもないと思う。目新しい新技術が搭載された訳でもないし、艦の装甲等は「妙高」型から殆ど進歩も見受けられないし・・・(笑)。最大特徴の艦載機搭載能力もいかんせん不便さも付きまとう。

「利根」型は「91」点にします。

写真は「利根」型とありました。多分「利根」だと思います。
次回は重巡としては最終艦!米国の「バルチモア」型です。

あとは数隻の軽巡を残すのみです。よくここまで来たなぁ(笑)
おぉっ!ミッチーさん、復活多謝感謝!さびじがったよぉ〜〜(笑)。

さて気を取り直しまして・・・


今回の採点艦は重巡ではオーラス、米国の重巡「バルチモア」型を見てみましょう。

この艦型の大元は重巡の「ウイチタ」、当初「ウイチタ」は「ニュー・オーリンズ」型の最終艦として就役の予定が、途中で軽巡「ブルックリン」型の船体設計に変更した為に単独の艦となり、ある種「バルチモア」型の試験艦とも云うべき存在の艦です。

この「ウイチタ」型は、主砲の配置は「ニュー・オーリンズ」型を踏襲していますが、見た目の大きな兵装の異なりは12.7cmの両方砲を2、3番砲塔の背後の中心線上に配置した事。これは対空砲と効果的な設置場所となり、後には重巡の「バルチモア」型、軽巡「クリーブランド」型へと継承され、戦時中の米国巡洋艦のデザインを確立した艦とも云えます。

その船体は乾舷の十分にある一枚の平甲板の船体で、軽巡の「ブルックリン」型を流用した訳だから、いかに同級に米国が自信をもってその採用に踏み切ったかが分かるよね(笑)。日本じゃこの艦の対抗が「最上」型で、そのノウハウを「利根」型には完全に生かしきれなかったのとは対照的かしら。

艦尾にはお尻をスパッと切り捨てたようなトランサム・スターンで、スクリューの飛沫を抑え込んだ効果で航空関連の施設を艦の後部へ持って来るのも同じ流れ、、またバルバス・バウが艦首部分では復活してる。ただ惜しむらくは、機関の配置まで「ニュー・オーリンズ」型を流用したので缶・機の分離配置にはなっていませんでした。

さてさて「バルチモア」型へ・・・

条約にとらわれない自由な設計がなされた最初の重巡がこの「バルチモア」型。一応14隻が完成しましたが、大戦中の完成は11隻、更に実戦参加組となると案外少ない・・・(笑)。

一番艦の「バルチモア」、「ボストン」「キャンベラ2」「クインシー2」「ピッツバーグ」の5隻かしら。あと「セント・ポール」と「シカゴ2」がチョイとだけ空母の護衛で参加しましたが、まあ、直ぐ終戦となっています。

条約枠が無くなったので当然にその排水量は増大・・・基準排水量は13,600?と大幅に増えて満載排水量だと17,000?に。似たような排水量ならCV8「ワスプ」かな、かの艦の基準排水量は14,700トンだから。この重巡の大きさが分かると思います。

その主兵装は当然ながらその主砲。20.3cm55口径3連装を3基の配置はもう米重巡の基本だね(笑)。凄いのがその対空砲火!12.7cm38口径連装両用砲が6基、その内2基は「ウイチタ」型を踏襲した2番、3番砲塔の背後に設置した画期的なもの。更にそれをレーダーにて補正射撃を行え、VT信管付き砲弾のオマケ付きだし。またボフォース40mm4連装機銃が12基で、もう全身ハリネズミの様な重武装となっています。

こりゃ、もう防空重巡と称しても良い位かしら(笑)。しかしこの事は、戦艦同様に水上砲撃艦としてはもう戦力的価値の低下を生んでいる事の裏返しかな。また、とかくこのような重武装は、どこぞにその歪みを生みだすもの・・・この「バルチモア」型も例外には当たらず・・・

特に当初の原計画には無かったボフォース40mmの搭載は、強力な対空砲火の主軸にはなりましたが、ともかく重い!4連装機銃2基で12.7cm両用砲の1基に相当したと言います。これを見晴らしの良い視界良好となる箇所に多数設置した為、その復元性の悪化を生みだしました。またレーダー技術の進歩は重量もかさみます。その装備基数も増えるしね。
いつもの事・・・

巡洋艦の歴史、特に重巡に関して日米の場合は、その搭載重量との設計戦争だとも言えるかもね(笑)。この「バルチモア」型に関してはこの上部重量の増大に対処するのに、不要と成りつつあった水上機施設の撤廃、40mm機銃の不要な盾の撤去、砲塔測距儀(レーダー射撃への移行の為・・・とはいえ砲艦から側距儀を取るなんてねぇ・・・)などをポイポイと取り去るなどを行っています。

ただこの努力も空しく(笑)、その復元性の悪化と船体強度の低下が避けられなかった事は、1945年の6月に発生した台風(コブラ台風)に対してハルゼ―がその艦隊を入れてしまった事で証明されてしまいます。

その被害は戦艦3、空母2、軽空母2、重巡3、軽巡4隻などの大型艦にも及び、空母「ホーネット(CV12)はその前甲板を波で折られたほど・・・その中で「バルチモア」型の一艦の「ピッツバーグ」が、その荒天に際して艦首部分をポッキリと波に叩かれ、折られてしまったからね。この原因は、前甲板に重量の大きいボフォース40mm機銃を置いたのが主原因と考えられています。

ただ、おいら的に「バルチモア」型に関しては、これだけの重武装をあと付けで載せた割には、『よくもったなぁ〜』の印象なんだよね。写真と映像でそのシーンをみた事があるのですが、駆逐艦などはもうその姿が波間に隠れるほど・・・

その船体はかなり波でかしがっていました。しかしその割には船体の被害はどうか?との感覚の問題だと思うのですが、この「バルチモア」型の平甲板船体はよく対応した感じがするよ。優秀な船体だと思います。

あとこの台風を乗り切ったもう一つの要因になるんじゃないかしら・・・この「バルチモア型の船体、そしてその砲塔防御は凄いスペックの表示となっています。その水線部の装甲帯は152mm、防御甲板が最厚部で76mm+51mm、司令塔203mm。これだけの厚さを誇る重巡は他の無くて他の列強を寄せ付けません。

あと砲塔周りが特に凄い・・・(笑)。砲塔前盾部203mmに天蓋が76mmの厚さです!ライバル関係にあった日本の「妙高」型から「利根」型まで変更なしの25mmの弾片防御程度にあったのと比較すると恐ろしいばかりの砲塔装甲と言える。この数字は巡戦時代の「金剛」と大差がありません(笑)。

この「バルチモア」型の砲塔重量は297?から307?と云われ、「妙高」型のそれは約151?。約2倍の重さ・・・完成した時代の差こそあれ、その手の込んだ砲塔装甲重視は米重巡の特徴でしょうね。日本側には雷装を重巡にも搭載したから、その攻撃力の方向性が一概にどちらが優れていたとは何とも言えないけど・・・(笑)。重巡の攻撃性には砲撃力を求め、重装甲の強固な防御を施した。

結果的にこれが例の台風に突入した際、艦の重心を押し下げる形となり、その平型船体の優秀性と相まって、転覆などの最悪の事態を回避できたのでは?と勝手に想像しています。(笑)。
いつもの事パート2・・・

例を上げると、日本の空母でも「赤城」と「加賀」を比べた場合、その上に伸びた3層からなる飛行甲板で、奇妙な独特の揺れを引き起こしたと言われる「赤城」。これは巡戦を元としたチョイと長い船体とその艦幅から来たものと想像されますが、それに比して戦艦がベースの船体だった「加賀」はその低重心から来る艦の重さを伴って、荒天時の安定感は新鋭空母だった「翔鶴」型以上だったとも云われます。これと同じ状況が台風に際しても、「バルチモア」型に発生していたとおいらは思います。

足の速さは120,000馬力で33ノット。その長さは15ノットで15,000浬と十分な数字。この十分な速度と足の長さを与えた機関も、これまた優秀です。この機関は毎平方センチ43?、454℃の蒸気性状を生みだしており、この数字は日本では無理・・・(笑)。

高温高圧ボイラーでは駆逐艦「島風」のが有名かしら。「島風」では毎平方センチ40?、400℃だったので、これじゃ太刀打ちできない。つまり米側では「島風」クラスの機関性能を持つ巡洋艦や駆逐艦がウジャウジャ海上を動き回っていた訳で、これじゃ機関に関してはかなりの差が出てしまったかなぁ(笑)。零戦なども馬力不足を最終的には問われたから、この分野では日本の先を米側は完全に走っている印象かしら。

更にその配置も缶・缶・機・缶・缶・機の機関区画の分離配置を採用していて被害にも強い。各缶室毎に一基を主缶に納め、前後の機械室にはそれぞれ2基の主機を据えて4軸推進法式。一室一基の装備方式だから丁寧な造りかな。この部分は「ウイチタ」からの変更点だね。

この様に見て来たけど、正直、この重巡は各国が求めてきた重巡の姿の極致といえるのかも知れない位の良艦だと思います。砲撃艦としての攻撃性と、対空砲火による護衛艦としてでも使える器用な使い勝手がある。時代が求めたとも言えるんですが、モノの見事にそれを捉えた性能を有したと思います。

「バルチモア」型、マイナスの要因がありませんの・・・「100」点付けます。

写真が「バルチモア」の艦尾から見たもので、トランザム式の艦尾の様子がよく分かります。あと同型艦「ピッツバーグ」の艦首がもぎ取られたの図(笑)。
次回は欧州の小型の軽巡を予定です。

まずはイタリアのカッ飛び軽巡「カピターニ・ロマーニ」型です。

宜しくお願いします。
今回の採点艦はイタリア海軍の第2次大戦時に関与した艦として最後、軽巡の「カピターニ・ロマーニ」型です。

前級の「ルイージ・ディ・サヴァイア・デュカ・デリ・アブルッツイ」型の計画年度が1932年と33年。これから約6年間の間はイタリアの巡洋艦に関しては空白期となり、この間に戦艦の新造、旧戦艦の改装などがなされた為です。

この空白を破り、「カピターニ・ロマーニ」型の計画が1938年と39年。「コンドチェリ」型の当初のコンセプトは、フランスの大型駆逐艦に対抗したものです。しかしその一番艦「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」型の性能改善を行った事を発端として、逐次改良を加えていったので、後々の艦となると大型化が著しい。

「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」型の基準排水量は5,200?だったのに対し、最終型の「ルイージ・ディ・サヴァイア・デュカ・デリ・アブルッツイ」型は9500?と倍近くも増えています。まあ、その分しっかりと性能も上がり、地中海では有力な艦にはなっていると思うのですが・・・

大型駆逐艦の更なる増勢強化を図るフランスに対応して、1938/39年度の計画で多数の建造が可能となる、基準排水量を抑え込んだ小型の軽巡12隻を着工しました。これが「カピターニ・ロマーニ」型に当たります。ソ連向けに建造した「タシュケント」型の経験を生かし、あのウインベルト・プリエーゼ造船官も設計に携わったようです。

しかし計画された艦は12隻でしたが、戦争突入で完成したのが4隻のみ。「アッティリオ・レゴロ」「スキピオーネ・アフリカーノ」「ポンぺオ・マーノ」、そして戦後の完成となる「ジュリオ・ジェマルコ」です。

そそ、この艦名にも「カピターニ・ロマーニ」という名前の艦は存在しませんの(笑)。同じく伊軽巡「コンドッチェリ」級、英国の「カウンティ」級や「タウン」級などもそうかな。どうも日本や米国の様にネームシップ艦が無いと・・・(笑)、些か違和感を覚えますよ。

「カピターニ・ロマーニ」型基準排水量は3,700?。手元の本(イタリア巡洋艦史 海人社)では、平甲板型の船体とあります。そうもみえるのですが、船首楼型の船体にも見えるのね(笑)。全部の艦橋周りが一段高くなっているようで、2番砲塔の高さを確保しているようですが、少々頭が高い印象を写真からは受ける感じです。あと防御等の装甲は一切が排除され、その分攻撃力と速度の方を取った、まさに攻撃専門(?)の軽巡になるかしら。

この艦に与えた攻撃力が、13.5?45口径連装砲を艦の前後に2基ずつの都合4基。この砲は新式で、連装と3連装の違いこそありますが、近代改装を施した戦艦の副砲塔と同じものが採用されました。従来50口径だったものを45口径として、初速を落とし、弾着時の散布界の広さを改善した効果があった、と言われています。

また、雷装設備が少し変わっています。船体中央部中心線上に連装発射管を置いたのですが、これが2段重ねになっているのね(笑)。んで、それが後部煙突の後ろにも同じモノがもう一基。

まあ、早い話は4連装が2基なのですが、何故に上下2段にしたか?・・・は不明です。艦幅のスペックは14.4mあるから幅が足りない訳じゃないし、魚雷を装填する時などは、逆に面倒な様な気がしますよ。またその分が上に重心が行くし、おいら的には海に浮かぶ船としてもイタダケない装備と思えてなりません。

この艦の速度は40ノット!がスペック表示。戦中に竣工した「アッティリオ・レゴロ」「スキピオーネ・アフリカーノ」「ポンぺオ・マーノ」の3艦は試運転で41ノットを記録したようですが、実際の速度は36ノット程度だったようです。

それにしても、かっ飛びの巡洋艦が好きだねぇ〜イタリア海軍は・・・(笑)。さすがにフェラーリの国!しかし、何故こうまでしてイタリア海軍は速度の水増し、というか、軽負荷状態(燃料を少なくして船体を軽くする)で計測をして発表するのかしら?

ネットの中で拾った情報だと、『設計値以上の速度を発揮した場合には、建造を請け負った造船所にボーナスが支給される制度があったので、速度水増しが顕著だった』とか、『南米やタイ、ソ連などに軍艦を輸出していたので、その時のセールスポイントが快速!とすると、その軍艦が売り易かったのでは?』と想像する方もいます(笑)。
ムムム・・・また入らんのかぁ〜ww

でもイタリア海軍の巡洋艦は、少々特殊な事情で造られているんじゃないかしら。その作戦海域は地中海だから当然に狭い。太平洋と比べたらわずかに1/55しかありません。だから重油タンクは小さく、また航続距離は短い設計ですが、その分小まめに補給が必要となる手間の掛かる軍艦になると思う。おいらのイメージだと、何だか燃費の悪そうな感じもしますよ・・・F1の影響かしら(笑)。

また太平洋とは異なり地中海は、海があまり荒れないとも言われます。荒天の心配をしないで、大波の影響を受けない設計も可能になるしね。重巡や軽巡には、艦首に偵察機を載せた型もある位だからねぇ。果たして、売られた国の使い勝手はどうだったか、を知りたくなってしまいます。

話が逸れてしまいました(笑)。この40ノットの高速を与えた馬力は110,000馬力。ホント呆れる位の高馬力だね。イタリアの新戦艦「ヴィットリオ・ベネト」が150,000馬力、「大和」が150,000馬力。この3,700?の小さな船体に、このパワーはまさに恐るべきかな。

この艦の缶の配置の仕方は、前々級の「エマヌエル・フィリベルト・デュカ・ダオスタ」型を踏襲したもので、一室一機に配分。それを6基から、強化された分で4基に減らしたものです。この辺にはイタリアの一貫性を感じます。

ワシントン軍縮条約以降のイタリアの巡洋艦は、重巡、軽巡伴に『缶―機―缶―機』の缶室分離配置を図っていて、改良を加える毎に性能が向上して行きました。日本は問題になりませんが、米英仏ともその設計の優秀さを認めながらも全缶―全機の配置をした艦があり、この辺には砲塔同様の頑固な職人気質のようなモノがあるのかもしれませんね。

「カピターニ・ロマーニ」型は、「84」点です。

写真は「アッティリオ・レゴロ」です。

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