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WW?軍艦よもやま話コミュの空母「瑞鶴」

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記念すべき最初の「トピ」立てです。

連合艦隊の空母群の中でも、もっとも幸運と武運の女神が微笑みを受けた空母、それは「瑞鶴」でしょう。「ミッドウェ−海戦」をのぞき、主要な空母艦隊戦には全て参加し、被弾したのは、「マリアナ沖海戦」と「エンガノ岬沖海戦」の2度のみ。初陣の「真珠湾」攻撃時の未帰還機は0機、「珊瑚海海戦」の米空母攻撃を受けた時にも、すぐ目前にあったスコールの中に身を隠くせたのも、女神さまのおぼしめしでしょうか?

「瑞鶴」の艦歴は、世界で初めて空母の集中運用した日本「機動部隊」の栄光と挫折の歴史にもつながっていくと思います。

「瑞鶴」のことをいろいろお話ししてみませんか?

コメント(78)

わたしの持っている写真集も「エセックス」級は、艦載機でぎゅうぎゅうのが多いですね。まいど「露天駐機」してたのか、「はい!撮りますよ」のカメラ目線のポーズなのか?まあ前者でしょうね。ホント艦載機の「輸送船」みたい。

大戦当時はまだカタパルトは「油圧」式みたいです。油圧式H-4BまたはH-4Aってなってます。(97年度 航空ファン イラストレイテッドアメリカ海軍空母より←しかしふるいね〜。)「蒸気」式は「フォレスタル」級みたいからですよ。正解ですね(^o^)
みーくんさん

お互い嫁持ちのおこずかい亭主の身の上・・・古い本も大事にせねばですね(^o^)
わたしの1番の「軍艦」関係の古株は、小学生の時に買った学研の「X(エックス)図鑑 戦艦」「同 航空母艦」です。もうかなりボロボロですよ。

「瑞鶴」に話しを戻したいと思います。

真珠湾での「瑞鶴」からの攻撃隊は全機無事に帰還して、まさに「幸運」の空母としてのスタートを切りましたが、実は「迷子機」を1機だしています。「瑞鶴」戦闘機隊の後任分隊長の「牧野正敏大尉機」がそれで第1波攻撃隊に属していました。この牧野正敏氏は操縦技量も上々で統率力もあり、威張る事もなく上司、部下ともにとても受けがよい人物でした。

カネオヘ基地の地上銃撃のあとは、同僚隊機も彼を見失っており「まさか・・」と思いながら「瑞鶴」へ同僚機が帰還した時も彼はまだ戻っていませんでした。

淵田美津雄総隊長機は、第1波攻撃隊の攻撃終了後も2波攻撃隊の戦闘指揮と戦果偵察のために、真珠湾の上空を4時間以上飛びつつけ、戦闘も終息してきたので帰還するべくオアフ島を離れようとした時、味方識別のバンクをしながら近寄ってくる「零戦」をみつてました。なんと!それが「牧野大尉」機でした。淵田氏は「随分、ねばったもんだな」と感心したそうです。

隊長機はかなり燃料が危なかったのですが、「迷子機」がまだいるのでは?と心配になり、戦闘機隊の帰投収容点の「カフク岬」まで飛ぶと、さらにもう1機の零戦が上空で待機していたそうです。この2機を引き連れ無事「赤城」に辿り付きました。

収容後旗艦「赤城」より発光信号が送られました。
「牧野大尉ハ本艦ニ収容ス」 「瑞鶴」艦長の横川市平大佐は「あれほど嬉しい瞬間はなかった。」と戦後回想されています。

のち「赤城」から「瑞鶴」へ単機で帰還した時、とても心配していた仲間達に牧野大尉は「スマン、スマン。ちょっと赤城に泊まってきたんだ。」と見当ちがいのいいわけをして、みんなを和ませたそうです。

そんな牧野大尉でしたが、インド洋作戦のコロンボ、トリンコマリー爆撃の際の未帰還となり戦死されています。
         (森史郎氏「勇者の海」より 抜粋・要約しました)

真珠湾では「瑞鶴」では戦死者がでませんでしたが、インド洋作戦では、艦戦2機、艦爆5機が失われ、珊瑚海では多くのパイロットが戦死されています。今日の朝すぐそこにいた人物が、夕方にはいない・・・。同じ釜の飯を食い、苦楽を伴にした仲間を失うというのは身を切られる思いだと思います。明日はわが身かもしれないしね。これだけを考えても「戦争」はしちゃいけないなぁと思う。
何をしてダメコンと呼ぶかは判りませんが、通常我々が認知している『ダメコン』は、ドイツ海軍が元祖なはずです。
注排水設備、消火器、人員を配した詰め所が艦内に一定間隔で設けてあり、上からの指示があった時はもちろんですが、連絡が途切れても詰め所の指揮官(下士官か?)の独断で任務を継続したようです。

第1次大戦で敗戦したドイツのオストフリースラント(でした?)がアメリカに渡り、新型爆弾の爆撃実験の標的になりましたが、あまりの不沈ぶりに米軍関係者が驚いたそうです。乗員がいない状態ですから厳密にはダメージ『コントロール』できてませんが、この辺りからアメリカ海軍でも、ダメコンや不沈対策の研究が始まったんでしょうね。
瑞鶴も好きな艦の一つなんで私も参加したいとおもいます

>艦橋の位置
当初は飛龍と同じように艦中央・左舷側に予定されていました
これは航空指揮上便利である。という意見によるものです
また基礎部分を頑丈に作らなければならないので煙突は邪魔だったので右舷・中央という訳にいかなかったのです
が、左舷・中央だと着艦に不便。気流が乱れる。中央にあっても有効性がない。と…
後期には艦橋と煙突が一体化したものになりましたけどあの大きな構造物の大半が煙突の一部になっているので実際に使うスペースはそんなに大きくないのですよ
エセックス級のように高圧缶ですと煙突も小さくて済むので日本のに比べるとかなりスペース的には大きくなってます
これは後期になるほど電探が多く搭載出来ました

>艤装のために嵐の中を航行
これについては『海の戦記 海空戦 空母・瑞鶴(森史朗・著 R出版)』で読んだ時に吃驚しました
こんばんわ 蒼月さん

「瑞鶴」いいですよね。「瑞鶴」を語ることは、日本空母部隊を語ることにつながると思います。実際にWW2で空母を所有していたのは、日本、米国そして英国の3国しかありません。それだけ空母の運用には、時間も労力もお金もかかることの証明じゃないかしら。空母の集中運用はミッドウェーでは裏目にでたけど、当時の日本の技術力から考えれば間違いじゃないと思いますよ。

ある読んだ本で、艦橋の位置は「赤城」と「飛龍」以外は、全ての空母の艦橋が着艦する時に右手に来るようになっていてると書いてました。まあ確かにそのとうりなのね。なになら人間工学に基ずくと、右側に障害物ある方が、左側より対処しやすいらしい事を書いてましたよ。

わたしゃ空母のNF戦記物が好きなのね。当然空母にはパイロットがいるわけで、そこが普通の戦記物とちがうんじゃないかと思います。もの凄く死の確率が高いのに、勇壮に飛び立つ彼らがいたからじゃないかと思う。ほんとに勇気がいる事だよ。

今度の日記は「南太平洋海戦」を書こうと思っているんですけど、その時の被害の写真見比べたら、「翔鶴」の飛行甲板はものの見事にめくれ上がっているんだけど、「ホーネット」はほとんどそれが見られないのね。250?と450?の差はあるかもしれないけど、それにしても米空母の「解放式」の設計の上手さには脱帽感があります。
空母保有国としてフランスもベアルンって代物を保有しているんですけどかなり影が薄いですよねわーい(嬉しい顔)

空母というのがもしかしたらなくなっている他可能性もあるんですよ
昭和七年のジュネーブ一般軍縮会議の十二月会議において日本の提案した案では空母全廃というのです
これは『戦時国民全集 海軍篇』という昭和八年に発行されて本に書かれてます
蒼月さん
『艦橋が左舷の方が航空指揮上便利』とのことですが、右舷と左舷でどういう違いがあるんでしょう冷や汗


はやひでさん
航空母艦を運用できる条件は限られますよね。後、必要性が高かったかどうかも影響あるかもしれません。ドイツやソ連、フランスは陸軍国ですしね。

『人間は右側の障害には対処しやすい』話、非常に興味深いですね。舞台も右側から正義の味方、左側からは悪役が登場するんじゃなかったですか?それに関連して、人は顔の左半分が正の面、右側が悪、みたいな話もありますよね。心臓を守る為に左半身を後ろに引くうちに、左側は無意識のうちに
『弱点』と思い込んでるのかも…

ってことで『自分の左側に障害物があると落ち着かない』のかもしれないですね。
ぐわぁ〜 蒼月さん

いまのいままで「ベアルン」のこと忘れて(゚o゚)ました。言われなかったら、多分このまま「ベアルン」のことを忘れていた可能性高し!ありがとね。歳なのかね〜、物忘れも結構するようになったしね。

空母全廃の話しは何かで読んだ気がします。山本か山口の伝記物だったかな?こんど本棚掘り起こしてみますね。

ザイドリッツさん

なにやら心臓の位置が関係あるみたいです。国籍を問わずパイロットが艦橋は右がいいと主張したみたいですよ。そういえば車の運転でも、左のミラーは比較的おろそかになりません?わたしゃ右は常に視界に入るのであまり気にしないけど、左は必ず首を動かして確認するようにしてました。
空母全廃の話ありましたよね。航空戦は大消耗戦に繋がるので、日本側に不利だと考えて提案したようですが。


はやひでさん、やはり心臓の位置ですか。人間に限らず動物は大抵右利きらしいですね。
友達の担任だった先生が、台風の後に切れた電線を拾って感電したそうです。しかし心臓を避けて右半身を電流が流れたので助かったと。(指はなくなったらしい)
奇跡だと言ってましたが、実はちゃんと理にかなってる訳ですね。左利きだったら死んでた訳ですから。

しかし空母黎明期の当時、既にそういうことが考えられていたとは驚きました。考えてたって言うかパイロットたちの実際の現場の声なんでしょうけど。
☆ザイドリッツさん
>艦橋が左舷の方が航空指揮上便利
左舷側にある。というより中央部にあるということに利点があると思われていたようです
左舷側になったのは煙突との重量バランス及び船体の構造上の問題で左舷の方に配置となってます

ミリタリークラシックの最新号で赤城&加賀の特集がありましてその中で艦橋について書かれているところによれば赤城の場合艦首から着艦を想定していたので中央部に配置された。という事が書かれてます
あと飛行機のプロペラの回転方向の都合でど〜しても左に曲がる傾向にあるんで左舷に艦橋があると激突の危険があるのも止めた理由のようですな

こんばんわ

な〜るほど!プロペラとの関係で、着艦に失敗すると左に曲がりやすかったんだ。これは初耳!φ(._.)メモしとこ。
「アンティータム」にアングルドデッキが試された時も、まだプロペラ機も使用されてたから、左側が広いというのは、パイロットのも安心感を与えるのに一役買っているかもしれないですね。

先日映画「連合艦隊」を借りてきて久しぶりに観ました。懐かしかったな〜。でてる役者も若くなっていました。もう亡くなった方もいますしね。

その映画の中での南太平洋海戦のシーン

「瑞鶴」が第3次攻撃隊を発進させて、「ホーネット」にトドメを刺そうとするんだけど、この時に飛行隊長に選ばれるのが、主人公の一人の本郷英一大尉(永島敏行)。かれは艦爆のパイロットで、零戦隊の隊長が同期の茂木(丹波義隆)。発艦した後飛行途中に敵の艦載機とすれ違い、茂木の零戦隊は母艦を守る為引き返してしまい、本郷の艦爆隊は大被害を受けるも、本郷自身はなんとか「瑞鶴」へたどり着きます。そこで心配して待っていた茂木を、本郷が「命令違反だ!俺は貴様を許さん!」とボカ!っとなぐりる。

「ホーネット」の日記を書くのに、いろいろ本から得た事を整理してみて、こりゃ「フィクションだ!」って初めてしりました。まあ、上手く繋ぎ合わせてる感じかな。

実際の「瑞鶴」の第3次攻撃は、零戦5機、艦爆2機、艦攻6機の内訳でして、この時は全機無事帰還しているのね。映画の中みたいな苦戦はないんじゃないかな?もうアメリカは動けない「ホーネット」を諦めていて、総員退艦をちょうど終えた所だったみたい。防空軽巡の「ジュノー」も信号の誤認から、「エンタープライズ」の方へいっちゃっていたし、個艦の対空防御に専念したみたいだったからね。800?爆弾が水平爆撃で命中したのがなによりの証拠になると思うよ。

ただ、この海戦で事実第1次攻撃隊の「瑞鳳」の零戦隊9機が、飛行途中で「エンタープライズ」の攻撃隊を発見して本隊を離脱。このため第1次攻撃隊が苦戦した経緯があります。ちなみに第1次攻撃隊の内訳は零戦21機、艦爆21機、艦攻20機です。
わたしゃこの「瑞鶴」第3次攻撃に関しては、映画どうり苦戦したとばっかり思っていました。なんか「連合艦隊」はNFっぽい印象がありましたから。まあこういう作り話を発見するのも、戦史好きの醍醐味とも言えるんですけどね。
>映画「連合艦隊」
私も好きな映画ですね
フィクションといえば、エンガノ岬沖海戦において瑞鶴が沈む際、小澤長官が大淀に移る際に「わしは、わしは貝塚とともにここに残る!」っていう一悶着は実際には無かったそうですね
変わりに大淀に向かう司令部を乗せたランチに瑞鶴艦上から罵声が浴びせられたそうです

瑞鶴の沈んでいくシーンは思わず敬礼して見送ってしまう…わーい(嬉しい顔)
わたしもそのシーンの話しは読んだ事あります。「瑞鶴」に残っていた乗り組み員がから、かなりの罵声が小沢長官へ飛んだようですね。「小沢!逃げるのか、恥じをしれ」みたいな感じだったと思います。

まあまだ「伊勢」や「日向」の戦艦も残っていたから、司令部は健在を示さなきゃなりませんからね。なにより沈没する軍艦の責任を取って、艦長は艦と運命を伴にする美学の方が、やたらに人材を失ってしまった悪しき習慣だと思います。

「瑞鶴」のシーンならここが印象深いです。

零戦整備班長の長門裕之に、中鉢二飛曹以下の少年たちが「自分達は発艦はできても、着艦はできません。だから敵艦に体当たりします。大事な飛行機を壊してしまうからごめんなさい」と謝るところが、涙なくては見れなかったよ。昔はなんとも無かったんだけど、歳なのかね〜。すっかりやられてしまいました。長門が発艦する時に、「これは真珠湾以来、おれを守ってくれたお守りだ。」といって中鉢にかけてあげてね。うまく発艦にはなんとか成功!でも彼も対空砲火で撃墜されちゃうんだよね。可哀相・・・
1941年11月26日早朝に、千島列島の択捉島にある単冠湾から南雲機動部隊が出港していきました。行き先はアメリカ太平洋艦隊の母港でもある、ハワイのオアフ島にある真珠湾です。空母と航空機時代の幕開けともなった、真珠湾攻撃作戦の旅立ちの日になるんで、それを思い出すべく書きこみをいたしました。

参加空母は6隻。この6隻が一同に会したのは後にも先にもこの作戦のみです。4万?をこえる大型空母の「赤城」「加賀」、俊敏な中型空母の「蒼龍」「飛龍」、最新空母の「翔鶴」「瑞鶴」の揃い踏みを想像すると、わたしゃ鳥肌もんであります。

その空母の武器である艦載機も、当時の日本が持ちうる最高の飛行機でした。熟練の域に達しようとしていた97艦攻、ハインケルの落とし子99艦爆、そして新鋭機の零戦が、なんとか数を揃えられて機動部隊に配属になりました。アメリカの艦載機と比べても全然遜色のないもので、昭和5年に山本五十六が航空本部技術本部長の就任以来からの努力が身を結んだ結果だったんじゃないかしら。

その護衛のために、第3戦隊から「比叡」「霧島」の2隻の戦艦が分派されて、さらに機動部隊の目となる偵察機をのせた第8戦隊の「利根」「筑摩」の2重巡、「阿武隈」を旗艦とした1水戦の駆逐艦9隻が集められました。前路哨戒の潜水艦3隻と7隻の給油タンカーも機動部隊の支援のために随伴して、南雲機動部隊は総計30隻の陣容です。

この模様を取材する為に従軍記者なんかもいたんで、結構この集合艦隊の写真は残っていますよね。まあ開戦前なんで、フィルムなどのまだ在庫も在ったんだろうけどね。のちの「大鳳」や「信濃」などとはかなり違いがあるのね。あと記録映画にするつもりだったのかしら?「加賀」が荒波乗り越えながら航行していたり、エレベーターを上げている様子を撮った白黒の映像をみた事あります。「加賀」の前を進んだのが「赤城」だから、多分撮影者は旗艦に乗り込んで、艦尾のランチ置き場か飛行甲板から撮ったんじゃないかな。

艦隊の抜錨は26日の朝6時でした。北方のその時間だとまだ夜は明けてないから、まさに薄暗い中で出港したんだと思います。駆逐艦「磯風」「浜風」「谷風」「浦風」の4隻の一番砲塔の実弾発射が出撃の合図です。12.7cm砲の音が号砲となり真珠湾作戦は始まりました。
駆逐艦の実弾射撃が出撃の合図だったんですか。なんか読んでるだけでキンタマが縮み上がってきましたよ。
実際の戦争の悲惨さを知らない者が言うのも不謹慎ですが、この場面に居合わせられたら『よくぞ男に生まれけり』って思ったでしょうね。
『死んでも構わね〜俺はやってやるぜ!!』って思ったはずですよ。

なんか連載小説風ですが続きも書くんですか?


そうそう、加賀が荒天の中、大きくピッチングしながら航行してる映像は漏らしそうな迫力ですよね。
こんばんわ ザイドリッツさん

これ本当は日記に書こうと思っていた文なのね。でも考えてみればもうすぐ12月8日の真珠湾作戦も近いし、空母の話題もどうかなと思ってこっちに書きました。この作戦戦で、空母6隻が集められて大編隊で敵を叩くという戦術が、間違いでないという事が実証されたし、艦載機の搭乗員たちは個人技レベルだった飛行技術を、さらなる訓練をして実戦の域まで上げたというしね。この時点で南雲機動部隊は世界で最強の艦隊だったと思います。

攻撃隊の総隊長だった淵田美津雄中佐の回想の中で、「自らが引率する水平爆撃隊48機が自機の後ろにピタリとついて続き、その右を見ると村田重治少佐の雷撃隊40機、左側には高橋赫一少佐の艦爆隊が51機の一群が、綺麗に編隊を組んで飛行している。この3群の上空には板谷茂少佐の制空零戦隊43機が自分達を守るように、あたりを警戒援護して飛んでいる。わたしは男として良い気分なことはなかった」と書いてます。
映画なんかでよくみるシーンだけど、その気持ちは十分に伝わってきますよね。世界に名立たる海の荒鷲達182機を率いて飛ぶんだもん。こんなに気持ちの良いものなかなかないよ。

ザイドさんもみた事ありましたですか!「加賀」が前のめりみたいにピッチングしながら、荒海を乗り越えていましたよね。かっこよかったですよね。4万?を越える巨艦があんな風になるんだから、1水戦の駆逐艦なんかはさぞかし大変だったみたいですよ。

「陽炎」に乗っていた人の手記では、もう満足に食事もできなかったみたいです。座れないから立ったまんまで食事をするんだけど、おにぎりが天井から吊るしたザルに入っていたみたい。ピッチがきついとさらにそれも取れなくなって、油断してると自分たちがすぐ壁や廊下の方に行ってしまう・・・なんてのを読んだ事あります。目立たないように北方水域を回ったんで、駆逐艦乗りには真珠湾に着くこと自体がもう戦争だったのかもしれないね。

なんかよく読んでみると続きものみたいな終わりになってるね(笑)。続き考えてみますよ。
こんばんわ みーくんさん ミッチーさん

御両名ともあの映像見た事あるんですね。じゃ結構有名な映像なんだ!。「加賀」なんか上向く下向くですんごいピッチングでした。シーソーに乗ってるみたいなんじゃなかな?

あれじゃ北方海域じゃ空母が使えないのが分かるよね。ミッドウェーの陽動作戦でアリューシャン攻略に「隼鷹」「龍驤」を持ってきたけど、濃霧などにも邪魔されてあまり思ったような活躍をさせられなかったしね。やはりあの2空母はミッドウェーで使うのが正解だったのかもね。

わたしの知る限りじゃ真珠湾に到着するまで、2名ほど行方不明者を機動部隊は出しています。一人目が出港してまもなく駆逐艦「霰」(←これは多分です。それを書いた本探したんだけど、出てこないの。どの本読んだか確認中なのね。)で、2人目が12月2日の「ニイタカヤマ ノボレ 一二〇八」を受け取った日に、空母「加賀」で、2件とも甲板作業中に波にさらわれました。

あと実際真珠湾の第1次攻撃で、「蒼龍」の零戦が一機発艦に失敗して海に落ちちゃってます。同じ「蒼龍」の水平爆撃の分隊長の阿部善次郎大尉も、飛行甲板を蹴ったらもう下は海で、お尻を濡らしながら機首上げたなんて冗談まじりでって言ってるんで、かなりの波浪状態で発艦したみたよ。あるいはただ「蒼龍」のスターターがピッチを読むのが下手なのかもしれないけどね。
こんばんわ みーくんさん

その場合はどうなるんでしょうね?作戦中だから戦死か、あるいは事故死になるのかな。わたしの読んだ本には、誰が落ちたかかは書いてないし、どのような扱いでの死亡かもわからないです。

あと間違いしました。わたしのコメ58で

阿部善次郎(×)→阿部平次郎(○) またやっちまった・・・
今日はえ〜と11月の30日です。南雲機動部隊はB地点に差し掛かった所くらいになります。A地点が単冠湾で、C地点が大体ダッチハーバーを南に下がって、北緯40度と交わる所くらいの位置と考えてください。このC地点から南に降りていってハワイを目指す事なるんだけど、B地点はそのA地点とC地点のちょうど中間当たりを差します。つまり波が荒く、荒天が多いと云われた北方海域の中間まで進んだ事になります。

まさに天佑神助!だったのかもしれないけど、これまでの数十年の統計にも無い程、波は穏やかだったらしい。八戦隊の藤田参謀の日記には12月2日までは、波は高いが晴れや曇りの日が多いとの記述もあって、輸送船からの補給作業は比較的順調に進んでいます。当然寒気は厳しく、外での見張りや給油作業は防寒服は着用しなきゃ無理だったみたいだけどね。

「瑞鶴」の艦内でも船酔いの峠を超えだして、飛行科の搭乗員たちは暇を持て余したみたいだね。将棋や碁などで時間を潰してみたり、あと映画などで見た事あるんだけど、97艦攻の下に真珠湾の戦艦横丁を書いた紙をひいて、それをずらしながら照隼器を引く練習してみたりと、まだ和やかだったみたい。そして12月2日夕方くらいから天気が崩れだし荒天へ、そして運命の「ニイタカヤマ ノボレ 一二〇八」の隠語電報が機動部隊に入りました。開戦が決まりました。

防空指揮所の配置の西村肇ニ2等水兵の戦後の回想では

「米国と戦争すると聞かされて、今までの中国兵とは違う最強の敵と戦うのだ、と多いに勇み立った。当時、われわれの考えではアメリカは対日石油全面禁輸、関税障壁を立てて日本商品を国内で売れなくする。何というヒドイ国なのかという憤りがありました。まだ何も知らず、若かったせいでしょう。大いにやっつけてやろう!という意気込みだけは盛大にありました」

当時の若者を代表するような意見じゃないかなと思います。
一方で「軍艦翔鶴戦闘医事報告」という医務科が調査した資料が残されています。他の空母に関しては沈没時にそれを喪失してしまい、「翔鶴」ののみが奇跡的に残されていました。対象が「翔鶴」の下士官搭乗員75名で、一種のアンケートのようなものです。

「神経過敏トナラザル者」 60名
「神経過敏トナル者」   15名

さらによく眠れたか?との質問に対しては
「不眠ヲ訴へザリシ者」  52名
「不眠ヲ訴へタル者」   23名

他には(眠りが深いか浅いかを、調査したんじゃないかしらね。)
「夢ヲ見ザリシ者」    47名
「夢ヲ見タル者」     28名

服薬セル者        33名
航空疲労回復剤 10名
胃散       1名
栄養剤      9名
航空休養剤   10名
催眠剤      3名

となっています。(攻撃前日までの累計での数字)
よくTVや映画なんかで見る、やる気満万の情景が「翔鶴」の中でもあったか?というと、実際にはそうじゃないかもしれない事がこの数字が物語っているんじゃないかな。そりゃ人間死ぬのは怖いですよ。3分の1の搭乗員は死に対して敏感になっている・・・そんな事は当たり前ですよね。

「ニイタカヤマ ノボレ 一二〇八」を受け取った12月2日午後から天候は荒れ初めました。3日には連日成功していた補給が中止されました。4日午前4時に艦隊はC地点に到達し、いよいよ北方海域を離れて南下を始めました。しかし4日は航海中最大の悪天航日になっています。

「瑞鶴」の艦橋からは、後方から追ってくる戦艦「比叡」「霧島」が前甲板を波浪に覆われて、ほとんど海中に突っ込んでいるように見えて、斜め前方にいるはずの「蒼龍」「飛龍」の2航戦は降雨のなかで確認もできない状態でした。艦のローリングは20度を越えて、歩くと左右に振られてまるで酔っ払いの如くの足取り。時々猛烈に波が艦腹に打ちつけ、魚雷が当たったような振動が起こっていたみたいです。

この荒天は12月4日の午後一杯続き、日没近くになりようやく艦隊は荒天域を抜けます。荒天のために天測航法ができなかったため、千島の松輪島から発信された短波と、とホノルルの短波放送にダイヤルを合わせて、方位を測定して緯度、経度をわりだします。そしてそのホノルル放送の公告文の中に、スパイとして送りこんだ吉川猛夫予備少尉が真珠湾の在泊艦艇の情報が、潜り込ませてありました。

「11月28日布哇(ハワイ)方面敵主力艦概ネ以下ノ如シ」
戦艦八 空母二 甲巡十一乃至一二 乙巡五
艦隊は南に南下を続け、一路真珠湾を目指します。北方ルートを外れたため気温が上昇し始め、風が暖かくなってきました。6日にはついに米軍哨戒圏内に入り、臨戦体制が強化されました。各層を区切るハッチは閉じられ、人ひとりが通れるだけの中蓋通路のみが開けられています。

給油タンカーの3隻が駆逐艦「霰」に守られて分離され、帰途のルートに先回りして哨戒圏外で待機、奇襲成功の吉報を待ちます。「瑞鶴」の艦内は飛行機の試運転、最後の機体整備に大わらわでした。一部では爆弾の搭載も始まり、攻撃の準備に余念がありません。

「瑞鶴」では酒保が開かれてました。飛行科の士官室では、気持ちがやはり出撃を控えて各員高まっていたんでしょうね。「よし!よるぞ」「腕がなる」といった声が聞こえ、遂に喧嘩が発生しました。零戦隊隊長佐藤正夫大尉と水平爆撃隊分隊長の石見丈三大尉が殴り合っちゃってます。

この酒保に関しては各艦長が権限を持っていました。「蒼龍」も開かれたしね。(「加賀」「飛龍」「翔鶴」は分かりませんでした。)しかし「赤城」では、飛行科士官たちには淵田中佐の命令で禁酒が申し渡され、士官室のカレンダーに日本帰港日に酒と書かれグリグリに○をされていました。

7日には最後の洋上補給が、駆逐艦などの警戒艦におこなわれ、最後まで随伴した4隻のタンカーも分離され、駆逐艦「霞」とともに艦隊を離れました。5航戦の後方にいた「比叡」「霧島」が空母群の間をスピードを上げて抜き去り、水先案内艦「阿武隈」のすぐ後方に位置どりました。

7日夜半「瑞鶴」は現在24ノット。波は荒くピッチングが激しい。艦の動揺は激しく強風が甲板を吹きぬけています。「瑞鶴」は「翔鶴」と伴に、艦隊上空直衛担当の零戦を出撃させるため、直衛零戦6機、その後ろに第1次攻撃の制空零戦6機、さらに降下爆撃の99艦爆27機が並べられました。「搭乗員整列!」 原司令官の激励訓示のあと、横川市平艦長は「己の本分を尽くして行動せよ、武運を祈る」とだけ訓令さました。

12月8日午前1時30分(日本時間です、現地時間だと12月7日朝の6時)、遂にこの時が来ます。真珠湾作戦が開始されました。「赤城」での発艦を認め、「瑞鶴」も一番機が飛行甲板を蹴りました。・・・(おわり)

え〜と、いま12月7日だいたい20時30分です。真珠湾の攻撃は、日本では12月8日午前3時30分になりあと、約7時間後に太平洋戦争が始まります。今回ひょんな気持ちから書いた単冠湾の出発が、なんだか真珠湾までの南雲艦隊の動向になってしまいました。しかし真珠湾まで行くのも苦労したんだね〜。ともかく無線封止してたから、艦隊が一カタマリで移動したのは大変だったみたい。あと一体何人がミクシィ内で真珠湾の事を日記なんかで取り上げるんだろう?興味があるです。
12月7日から8日にかけて、真珠湾攻撃などのキーワードで検索かけたんだけど、あんまりこれというような日記にはヒットしませんでした。ミクシィをしてる年齢が若いせいもあるんだろうけど、もう太平洋戦争は60年以上も遠い昔話になっているのかもしれない。

その中で「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」と「トラトラトラ」の意味を同じだと解釈している内容のもありました。たしかに教科書では載ってなかったような気がする。ただこれくらいは正しい認識をもって欲しいと思います。

さてさて、真珠湾攻撃も終了しました。華々しい戦果は伝えられましたが、その下には目立ちませんが当然被害もでています。第一次攻撃で183機中9機、第2次攻撃では167機中20機で、第1次攻撃が完全な奇襲だったのに対して、第2次攻撃はすでに強襲になり被害も倍になっています。あと特殊潜航艇での5隻も成果が上がらず、4隻は沈没、残った一艇の酒巻艇が座礁して捕虜になりました。

その中から搭乗員の分隊長クラスで戦死された何人かを取り上げて書きたいと思います。「瑞鶴」トピではチョイずれていると思うんで、「海軍軍人列伝」トピに移動します。
赤城では酒保を開けなかったんですか。淵田中佐は『家に着くまでが遠足』な訳ですね。作戦を成功させて、うち帰ってから倒れるまで飲もう!!という考えもまたいいですね。そこで喜びを爆発させよう、日本帰ってみんなでウマい酒を飲む為にがんばろうと。


うちらが子供の頃、例えば30年前。『戦争』はつい30年前だったんですよね。普通におじいさんなんかは戦争経験者だったし、遊びに行った友達のとこのお母さんがB-29を見た話をしてくれたり、そういうのが普通でした。
そして、何となく『第1次大戦は昔』みたいなイメージがありました。しかし今ではどっちも『遠い昔の話』って世間では見られてるのかもしれませんよね。
湾岸戦争なんかつい最近みたいな気がするけど、あれだってもう20年近く前ですもんね。

ま、人類は永遠に戦争やめられんでしょうな。AK-47撃った時に腹の底から思いました。
久し振りのアップです。よく見たらもう3か月もしてなかったよ〜(汗)。ルーズなトピ主ですいません。今回は真珠湾のその後です。

日本軍の真珠湾攻撃で沈没、或いは着底させられてしまった米戦艦群の復興がこの時期位から、少しづつですが始まりました。

まず一番軽傷だったのが「メリーランド」、並んでいた戦艦「オクラホマ」の内側(島側)に在ったため、魚雷を受ける事無く済んだためです。爆弾は800?2発のみで、貫通したのは1発だけでした。1941年の12月の暮れには修理完了、1942年2月には一応戦闘に復する事はできたみたいです。

次は「テネシー」、これも「ウエスト・バージニア」の内側にあったので、同じく魚雷攻撃からは逃れる事ができました。爆弾も800?2発のみでしたが、この艦を被害を大きくしたのが、後ろに停泊していた「アリゾナ」爆発のおつりを大量に貰ってしまいました。降り注ぐ火の付いた破片、もれだした重油が艦上や艦舷を焼き被害を増大させてしまいます。しかし幸い機関部は無傷であり、本国へ回航され、「サウスダコタ」に近い艦影となる大改装を受けることになりました。

「ペンシルバニア」はかなり軽傷でした。ドック入りしていたためで250キロ一発だけ。1942年3月には戦線に復帰してきました。

「ネバダ」は中破、日本の判定じゃ着底、沈没リストに入れていたみたいだけどね。魚雷は戦闘開始後すぐの魚雷が一発だけだったし。戦艦列の一番後ろで単艦の位置取りで動き易かった、機関部は缶の火を落としていなかった、などの幸運が続き(?)「アリゾナ」からの第2次被害もあまり受けなかった。

まあ、そのあと250?の洗礼をかなり受ける事にはなったけど、そこは亀戦艦の真骨頂。1942年2月に浮揚作業が終わり、その後本国へ回航されました。かなり上部構造物が被害を受けたので、改装後の姿は昔の面影が一切感じられないものになっちゃったけど・・・1942年12月に戦線復帰。

重症組の残りの4隻はまた日を改めて書きたいと思います。日本も大戦後期、呉で数度に渡る空襲受けて、戦艦なら「伊勢」「日向」「榛名」の3隻が着底させられてしまったけど、やられ方の度合いがかなり違うよね。真珠湾では、結局はこの戦艦列に対する攻撃は第1次の雷撃隊と水平爆撃隊のみ(「ネバダのみ第2次で「加賀」の急爆250?受けるけど)、だけだった。

んで重症組は魚雷の攻撃が主だし(「アリゾナ」除く)、やはり戦艦というのはつくづく頑丈にできてるんだ!と思う。爆弾数発で行動が不能状態になる空母とはここが違う所だね。日本の場合は、数で押して来られた空襲だよね〜、危険な雷撃機は使ってはいないし。「伊勢」「日向」「榛名」のどれもトータルで直撃弾15〜20発、至近弾はそれこそ多数!確認もできないくらいに降ってきたんだろうね。歴戦の戦艦「榛名」、エンガノ岬で敵を寄せ付けなかった「日向」「伊勢」・・・あの3隻があわれじゃ。
お疲れ様です。スミマセン連続書き込みします。m(__)m

今日は質問を整理してました。空母ランキングの方は雲龍型と言うことですが、この雲龍型空母三隻(雲龍・天城・葛城)いずれも大戦後期の空母に見られる迷彩塗装が施されてますが、これもやっぱり第一号は瑞鶴なのでしょうか?エンガノ岬海戦の時は瑞鳳なども上空からそれとわかる写真とかありますが、マリアナ沖海戦時点での瑞鶴・翔鶴・準鷹・飛鷹あたりがどうだったんだろう?と急に思いまして…。手持ちの歴史群像シリーズとか見てるのですが、これに関する決定的な写真も記述も見当たりません。
 この空母迷彩は「発艦しても着艦はない」(帰還は陸上基地にせよ!という意味にとりたいです)というコンセプトらしいんですけど…。まだ自分でも調べ続けますが、ご存じの方ご教示お願いします。
68の書き込み削除しました。すいません。m(__)m
こんばんわ マリンガさん

去年の12月8日にミクシィ内で、「真珠湾」、「トラトラトラ」、「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」などを、キーワードで日記を検索かけた事あったんですが、殆どの人がよく分ってない感じで、明らかに認識が不足していたようです。混同してるみたいだね〜、ちゃんと勉強して欲しいものです。ミクシィしてる年齢が低いのもあったとは思うんですが、戦後60年を経過してる時間の隔たりを感じずにはいられませんでした。

身近な事じゃ、10年位前に新婚旅行でカミサンと「ミズーリ」を見るのに真珠湾へ行ったんですが、「アリゾナ」を含めての日本人の馬鹿騒ぎが気になりました。観光に来てるんだから・・・と言えばそれまでなんだけど、仮に広島の原爆ドームで、同じ様に観光気分、或いは馬鹿騒ぎしてる米英人がいれば腹立つと思います。お互い様なんですよね、結局戦争は・・・。よく知らないからあそこの国民は変だぞ!みたいな先入観を持ってしまうのかも知れません。個人的な恨みも持たない人々が殺し合うのは何故なんででしょうね?

先人達が残してくれた苦い経験を生かして欲しいものです。
はやひでさん

申し訳ありません。68の書き込みは削除してしまいました。逆にあの戦争を知らないのはアメリカも同じ様で“日本と戦争してたの?なぜ?”といった具合らしいですね。深夜車のラジオから時々“戦争を知らない子供たち”が流れてくると、僕ら知らないなりにも、昔戦争があったという事を無意識(?)のうちに植え付けたのがこの曲だったかなぁ!と思いますね。子供の頃はTV番組で「〇Χ家族対抗歌合戦」みたいなのが結構多くて、この歌は定番でしたものね!
ありゃ、コメ68はとても良いコメントだったのになぁ〜(笑)皆さんに見てもらえないのが残念ですよ。自分も耳にしたし、実際に見た経験ありますよ。

少ない人数だしね〜、ここのメンバーの方々はバランスが取れてるんで心配いりませんよ。太鼓版押します。間違いなし!

マリアナとエンガノ岬の迷彩の件・・・調べてみるけど多分はっきりした答えが得られないかも。「瑞鳳」の上空からの写真は見たことあるんだけどね。なんせ白黒だし・・・
はやひでさん

68の削除理由は、自分で「知らない事は仕方ない。謙虚に学ぼうと思いました。」と締めくくりながら、すぐ69の質問コメントを書き込んだくだり、何かしら自分自身にイヤラしさを感じたからです。あせあせ 考えすぎだったかも知れませんが…。


空母迷彩の件は、おそらく瑞鶴が一番という希望的観測に元づき調べています。よろしくお願いします。
こんにちわ マリンガさん

空母迷彩の件ですが、以下の事が分かりました。手持ちの資料が「学研 日本の空母パーフェクトガイド」、長い解説だから要約して載せますね。

日本海軍で艦船に対する迷彩塗装の研究が始まったのは、昭和18年に入ってからです。それ以前では飛行艇母艦「秋津洲」、北方の防備をした5艦隊の艦艇(軽巡「多摩」「木曾」なんかが有名)など現場レベルで研究はされていました。

全軍を挙げての研究となったのは、やはり米潜水艦の跳躍著しいのが原因みたいだね。舷側は航行中に潜水艦の目を欺くために商船に見えるシルエット、飛行甲板には停泊中に飛行機に発見された場合に、陸地に溶け込むか、他の艦種にみえるように工夫されていた、といいます。

んで空母に迷彩を施したたのは、昭和19年6月のマリアナ沖海戦の後から。つまり「翔鶴」「飛鷹」に関しては、迷彩は施されなかった、という事になりますね。

ただ「大鳳」にマリアナ沖海戦の直前にされた説もあるみたいだね。証拠写真が無いから闇の中・・・個人的には迷彩がしてない方が「大鳳」らしくて好きかな。

エンガノ岬には突っ込んだ4空母の他、「雲龍」型の3隻や未完成だった「阿蘇」「生駒」「笠置」「伊吹」の船体にもしてるし、「隼鷹」「信濃」「龍鳳」(「信濃」は船体のみ)など生き残りの空母には殆ど殆ど施されていますよね。

飛行甲板の迷彩については、日本海軍はそこまで甘くはないかもね(笑)。判明している「瑞鳳」は、飛行甲板に3本の白線が引かれてその効果を少なくしたみたいだけど、旗艦「瑞鶴」にはそれが無し。まあ大艦だから目立って必要なかったのかもしれないし、個艦の判断で任されていたのかもしれないです。
連投失礼!

あと個人的に迷彩の最高傑作がこいつ。昭和17年1月にダバオ停泊中に撮られた潜水母艦の「大鯨」です。

これで止まっているんですよ〜。(笑)動いているみたいにみえるでしょう!舷側の喫水部分には波が白のペンキで描かれていて、煙突の煙が風で流されて全力航行してるみたいだね。あと泣かせるのが、魚雷発射管までご丁寧に白ペンキで描いてる所。潜水母艦にある訳も無く、まさに芸術の域。これを描いた職人さんは日本の宝です。
ゲゲッ!間違えた(汗)

「大鯨」(×)→「長鯨」(○)

またやっちまった・・・
はやひでさん

ありがとうございます。m(__)mそこまで細かく判明するとは!欧米の艦艇は空母に限らず他の水上艦艇にも早くから迷彩が取り入れられてたと思うのですが、やはり大戦後期にいたって日本もほとんどの空母に迷彩を施したのは、実際に艦種・速度・進路を敵に錯覚させる効果があったということですね。

写真の「長鯨」を見ればそれがよくわかりますね!ここまではっきり錯覚させる迷彩は他に見たことないですね。(笑)

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