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哲学カフェコミュのdemocracy(民主主義)について

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このトピックはわりとまじめに哲学的です。

最近、クリストファ−・フィリップスの
「ソクラテス・カフェにようこそ」という本を読み返しています。

その中で、「民主主義は最高の社会形態である」という、
イギリスの哲学者ホッブズ→ジョン・ロックの話が紹介してあります。

人は「自然状態=万人の万人に対する闘争状態」にある中では
自由を享受しえない、だから社会契約を結び、法を用い、
本来あるべき自由を享受できる状態にすべきだ、という議論があります。

けれど民主主義は、ギリシアの昔から指摘されている事ですが、
衆愚政治に陥る危険があります。
(現在のメディア中心の政治はまさにその陥穽に陥っている気がします)

しかしその対立軸である独裁が、秘密警察の存在を始めとし、
圧制を生んできた事も動かせない歴史的事実です。

われわれは、どういった社会をめざすべきでしょうか?
デモクラシーの欠点を補いながら、独裁の不自由をなくす、
そういった体制は実現可能でしょうか?
いま、この時代にあるべき体制、システムとは何でしょうか?

久々に突っ走ってしまいましたが、皆さんはどう思われるか、
ご意見を聞かせて下さい。

コメント(8)

あんまり学問的な話はすべきではないのでしょうが、アロウの定理と、投票のパラドックスという言葉があります。

アロウの定理というのは、まず個人が論理的に一貫しているならどのような選考を表明するのも妨げられないという事、優先すべき情報があればその他の情報は保留して社会的決定をする事、ある選択肢を他の選択肢より優先する事がどの個人によっても利益になるような場合にはそれを優先すること、ただ一人の嗜好を優先しないこと、これらを満たすものを社会的厚生関数と言います。

ただ結論から言ってしまうとそんなものは存在しません。

投票のパラドックスが存在するからです。

A,B,Cが次のような嗜好を持っていたとします。

A XYZ
B YZX
C ZXY

まずXとYで見たときXが選択されています。次にYとZで見たとき、AとBはZよりYを求めていますので、多数決によりYが優先されます。

しかし論理的一貫性を考えると、ZよりYで、YよりXならば、当然ZよりXの筈だからです。(X、Y、Zになる筈)

ではZよりXを選考の上位に置いたらどうなるか
その場合XYZですが、そうなると、Aさんと完全に嗜好が一致します。独裁の定義に当てはまってしまいます。

この場合の独裁というのはヒトラーのような独裁者ではありません。もっと機械的な意味での独裁者です。ですが、合理的で効率的な社会決定のルールを追求すること=独裁的決定システムの追求になってしまう、という事です。

僕は社会学でこの勉強をした時ショックでした。独裁というのは間違う確率も高いがはまると効率がいいなんて話も余談で聞きました。みなさんはどう思いますか?
3年経ってしまいました・・・(苦笑)仕方ないので自分なりの見解を述べます。

民主主義はあくまで経験主義に基づくルールです。それは哲学的なア・プリオリなものでもなんでもありません。ぶっちゃけて言えば19世紀のイギリスで偶然利害調整のシステムとして生まれたものです。

この話も誰かの受け売りですが(誰が言ってたか失念しましたすいません;)しょせん不安定なシステムなのです。しかし、完璧でないからこそ、適宜修正して改善していっていけばいいといえる。下手に自然主義的な科学的厳密さを導入すると、矛盾や独裁の問題が噴出してきます。衆愚政治もその一つでしょう。

それでも、現在最高のシステムとして、民主主義を絶えず治療しながら生きながらえさせることが僕たちの使命なんだと、今はこんな風に考えてます。
失礼、ぶっちゃけて言えば19世紀のイギリスで偶然利害調整のシステムとして生まれたものです。、は議会制民主主義のことです。
投票のパラドックス、訂正しときます。



選択肢がA、B、Cの三つあり、投票者が1、2、3の三人いて、三人の選好順序が

投票者1: A>B>C(Aが一番好きで、二番目に好きなのはB。三番がC。)
投票者2: B>C>A
投票者3: C>A>B

の場合を考える。まず多数決を取るとそれぞれの投票者がAとBとCに別々に投票するために答えが出ない。そこで別々の選択肢を個別に分析してみよう。

まず、CよりAを好む人は投票者1だけなのに対し、AよりCを好む人は投票者2、3の二人いる。このため、AよりもCの方が投票者集団としては選好順序が高く、Aは選ばれない。次に、同じ亊をC、Bについても考えると、CはBより選好順序が低く、BはAより低いことが分かる。最後にAはCより低いので、結局堂々巡りのC>A>B>C>A>B>C>A>B>C>A>B>C>A>B>C>A>B.....になり答えを出せない。

ウィキより訂正。
片方の選択肢が、正解である二者択一の問題について。
(仮定1)多数決に参加する人の数が十分に多い。
(仮定2)各参加者の投票行動は、他の参加者が解答を選ぶ確率に影響を与えない。
この二つの条件が揃うとき。
(結論1)多数決によって正解が選ばれる確率は100%か0%のどちらかであり、中間は存在しない。
(結論2)多数決が正解を選ぶ条件は、多数決参加者の平均正解率が1/2を越えている事である。


コンドルセーの定理ですが、しかし多数決実験では、単純な問いなら多数派が正しく、複雑な問いなら、多数派は常に間違えます。

監獄実験やアドルフ・アイヒマン効果実験を見ると、民主主義が正しく機能するには、様々な条件が必要なんだなあと思いました。
>exis さん


人間の自由とは何か、と言う人文学の根本的問いに往き付きますね。。。それはKENT さんが最初に言っていた事にもリンクしそうです。

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