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哲学カフェコミュの哲学とは何か

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 初めて投稿させていただきます。

 このコミュニティのメンバーの皆さまは、なぜこのコミュニティに参加されていらっしゃるのでしょうか。もちろん、「哲学」に関心があるからだと思います。
 
 ところで、それではどうして自分が「哲学に興味がある」とおわかりになるのでしょうか。それは、「哲学とは何か」ということがおわかりになっているからではないでしょうか。
 「哲学に興味がある」とか「哲学が好きだ」とは、哲学とは何であるかがわかっていなければ言えないのではないでしょうか。

 世間が「哲学的な問い」と言っているような問いに興味があるから、「哲学に興味がある」とおっしゃっているのでしょうか。あるいは、哲学書に書いてあるようなことに、すなわち哲学者が問うているような問いに興味があるから、「哲学に興味がある」とおっしゃっているのでしょうか。

 哲学という言葉を辞書で引けば意味が書かれていますし、哲学の入門書の冒頭にも「哲学とは何か」という章は往々にして設けられています。また、古今の哲学者もこの問いに答えています。

 これらをお読みになって、「哲学とはそういう営みのことか」と納得された方もいらっしゃることと思います。私は、そのような方のお話をお聞きしたいと思っております。
 
 私は大学で哲学を専攻しているのですが、「哲学とは何か」という問いがよく頭をよぎります。上述したように、書物やインターネットを紐解けば、一応の回答は得られます。しかし、心から納得したことはありません。
 哲学とは考える営みでしょう(しかし「考えること=哲学」ではないはずです)。したがって、哲学徒(であろうとしている者)としては、いつまでも納得できない方が良いのでしょう。しかし納得することを目指さないで考えることなどできません。

 そこで、皆さまにお聞きしたいと思ったのです。哲学とは何でしょうか。

コメント(21)

・生の問題(ex「哲学とは何か??」という問い)の解決は、問題の消滅によって気づかれる。(長い懐疑ののち、生(哲学)の意義が明らかになった人々が、それでもなおその意義がどこにあるか語ることができない、その理由はまさにここにあるのではないか。)(6.521)

>なぜこのコミュニティに参加されていらっしゃるのでしょうか。もちろん、「哲学」に関心があるからだと思います。
 トップ画がかわいいからじゃないw??
 
>ところで、それではどうして自分が「哲学に興味がある」とおわかりになるのでしょうか。
 哲学が何かわかってるんじゃなくて、フッサールさんとかドゥルーズさん(特定の哲学者さん)のファンだからじゃない??

>「哲学に興味がある」とか「哲学が好きだ」とは、哲学とは何であるかがわかっていなければ言えないのではないでしょうか。
 言えるでしょ。珍しいことなんでしょーけど、一般に哲学書って言われてるものを好んで読めるならバナナ
 >ゆっこさん

 コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。

 >生の問題(ex「哲学とは何か??」という問い)の解決は、問題の消滅によって気づかれる。

 気付いた時には、その問題は既に無いということですね。

 
 >トップ画がかわいいからじゃないw??
 >フッサールさんとかドゥルーズさん(特定の哲学者さん)のファンだからじゃない??
 
 「哲学とは何か」ということが全然わからずとも、何となく心引かれて入門することも可能ということですね。

 
 >>「哲学に興味がある」とか「哲学が好きだ」とは、哲学とは何であるかがわかっていなければ言えないのではないでしょうか。
 >言えるでしょ。珍しいことなんでしょーけど、一般に哲学書って言われてるものを好んで読めるなら

 「哲学書」と言われている書物に書かれている内容が、果たして本当に「哲学」であるのかという疑問が残ります。私たちは「そうだ」と見なすことしかできないのではないかと思います。
 
>>2(Al氏)

>気付いた時には、その問題は既に無いということですね。
 ”解決”した場合限定よ牡牛座

>「哲学とは何か」ということが全然わからずとも、何となく心引かれて入門することも可能ということですね。
 そバナナ

>「哲学書」と言われている書物に書かれている内容が、果たして本当に「哲学」であるのかという疑問が残ります。
 前提を破壊しちゃダメダメ蟹座(それじゃ、そもそも何かが「哲学」って呼ばれてること自体ナンセンスになっちゃうじゃない。で、あなたは哲学を専攻してるんでしょ。哲学を専攻してるにもかかわらず自分の専攻してるものがわからないって変じゃない。科学を専攻するのとは内容が異なるんだから、ここにちゃーんと差異「哲学とは何か??の内容」が現れてるじゃない牡牛座
 >哲学を専攻してるにもかかわらず自分の専攻してるものがわからないって変じゃない。科学を専攻するのとは内容が異なるんだから、ここにちゃーんと差異「哲学とは何か??の内容」が現れてるじゃない

 自分でうまく言語化できないだけで、哲学とは何かということは既にわかっているのかもしれませんね。
 そーね。一般的に哲学とは何か??っていう定義とか了解は当然あるんだけど、哲学的に哲学とは何か??って考え始めるとそれ自体が定義を嫌うものだから一所に収まらないって感じではあるかもバナナ
>哲学とは考える営みでしょう(しかし「考えること=哲学」ではないはずです)。したがって、哲学徒(であろうとしている者)としては、いつまでも納得できない方が良いのでしょう。しかし納得することを目指さないで考えることなどできません。

考えることには考える幅と考える深さがあると思うのです。
哲学とは何かと、深く考えることも大切ですが、
私の意見では、哲学カフェではもっと全般的に
考えることのほうがより重視されるべきではないでしょうか?
科学技術や、経済がより発展して人々は、
世間の流れに流されているように思います。
そんな中で日々のちょっとした疑問を皆に提供する場が
哲学カフェでは、ないでしょうか。
神戸の喫茶店でやっている哲学カフェに 来られる人の
なかには「哲学」と言う言葉にむずかしそうなイメージを
持って最初来るのを躊躇したという方がおられます。

考えることを習慣にしたいので、
哲学が何かとわからなくても参加させてください。

 このトピックを立てた者ですが、よく調べたら同じ主旨のトピックが既にありました。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2388892&comm_id=347661
 こちらに続けて書くべきだったかもしれません。
「哲学」という概念は、私にとっては柵です。
前提と言ってもいいですけど。
 >viroさん

 >哲学カフェではもっと全般的に考えることのほうがより重視されるべきではないでしょうか?

 そうですね。
 トップページにあるこのコミュについての説明欄には「けれどこのコミュニティではもっと気楽に、自然に、色々な人の考えや価値観、感動した事、きれいだと思ったものにお互い触れられる場所にしたいと思います。」とありますから、viroさんの意見はコミュの趣旨に適っていますね。

 
 >神戸の喫茶店でやっている哲学カフェに 来られる人の
 >なかには「哲学」と言う言葉にむずかしそうなイメージを
 >持って最初来るのを躊躇したという方がおられます。

 「哲学とは何か」というテーマはそれほど取っ付きにくいとも思わなかったのですが、やはりコミュの趣旨には適っていなかったのかもしれませんね。

 >考えることを習慣にしたいので、
 >哲学が何かとわからなくても参加させてください。

 僕は「『哲学とは何か』ということがわからない人は参加しないでください」という意味で問うたわけではありません。しかし、そのような誤解を招きかねない問いであったのだとしたら、お詫びいたします。
 >しむらさん

 >「哲学」という概念は、私にとっては柵です。

 なるほど。柵がなければどこまで行っていいのかわかりませんからね。「哲学カフェ」において何かを語る際には、誰もが「柵」を意識しているかもしれませんね。「これから私が書こうとしていることは『哲学』という範疇に入るのだろうか」というように。
>AIさん

丁寧なご返答をありがとうございます。

>なるほど。柵がなければどこまで行っていいのかわかりませんからね。「哲学カフェ」において何かを語る際には、誰もが「柵」を意識しているかもしれませんね。

うーん、誰もがなのかどうかは分かりかねますが、その「柵」を意識されているのはまさにAIさんご本人なのでは?
「哲学カフェ」は哲学の名を冠してはいますが、実際はかなり自由ですよ。
 >しむらさん 
 
 >誰もがなのかどうかは分かりかねますが、その「柵」を意識されているのはまさにAIさんご本人なのでは?

 そうですね。鋭いご指摘です。
 私は何か書いたり話したりする際によく「私たちは○○と考えるが……」などと書いて(言って)しまうのですが、実際にそう考えているのは、たいてい「私たち」ではなく「私」なのですよね。
 中には人を説得させるために、意識的にこの方法を取る人もいそうです。気を付けたいものです。

 なお、私のHNは「AI」ではなく「Al」です。
ごめんなさい

改めてスレの主旨を汲み直しました。
Alさんのおっしゃるとおり、哲学者であるためには哲学の枠を超える発言は許されないでしょう。考えること=哲学でないのも事実です。ではAlさんはなぜ哲学にこだわるのですか? 思考は自由ですよ。柵なんて本来ありませんから。
 >ではAlさんはなぜ哲学にこだわるのですか?
 
 しばらく考えてみたのですが、はっきりとはわかりませんでした。いろいろと理由は浮かぶのですが、結局のところ「感覚的に惹かれる」というのが本音のようです。
 あとは、様々な分野に惹かれていく自分の関心をある程度しぼるために「哲学」にこだわっている面もあると思います。
 私は現在大学4年生で、哲学の論文を書いているため、読む本を「哲学」という分野に分類される本にしぼっています(比較思想的研究なので宗教書も読んでいますが、哲学的な考察が為されている物を中心に読んでいます)。
 これまでは手当たり次第に雑読していたのですが、今は卒論に関わる本にしぼって読もうと考えているのです。良い論文を書きたいからです。
 
 つまり、今はあえて自分の関心を哲学に集中させているということです。ですから、学校を卒業して一般企業などに入れば、哲学にこだわることもなくなるかもしれません。哲学書には高校時代から親しんできたので、すぐに無関心になるとも思えませんが。
>Alさん
ちょっと批判めいたことを書いたのに
冷静にしかも的確に答えてくれありがとう。

>しむらさん
哲学が柵、あるいは前提ということは、
上手く説明できないけれどわかる気がします。

「哲学とは、何か」を哲学的に考える。
う〜ん
自分を見るときに鏡を見るように、
哲学が何かを知りたいときには、
何か他の分野に映して考えることは出来ないでしょうか?
たとえば経済が発展するということは
どういうことなのか。
その答のひとつに「豊かになること」と
考えれば、豊かになることとはどういうことなのか、
自分だけ、あるいは自分の周りの人たちだけが
豊かになることが、本当に豊かになることなのかと、
考えていくのは哲学的ではないでしょうか?

ごめんなさい、すこし本題から外れたかもしれません。
>Alさん
なるほど。合点しました。
何かを始める時、入り口を絞って入門するというのが一般的な手法ですよね。ある程度1つの道を進みゴールが見えてくると、今度は進んで来た道を客観的に、振り返ってみたくなるものです。その客観性こそが前提を超える時、つまり柵を取っ払った状態なのだと私は解釈します。

>viroさん
ご返答ありがとうございます。私は哲学的思考の定義を知りません。ですが、viroさんの考え方を哲学的思考と捉えるならば、哲学には流動的側面があるのかなと思いました。例えば、「豊かさとは何か」という問いは、時代性、民族性、により価値観が変わっていくという前提に基づいていますよね。

哲学を専攻されている方を見ていると、1つのパターンが見えてきます。
それは日頃から抱いている感覚的な確信や疑問を言葉により論考し、考察のスパイラルにハマってジレンマを抱えているというパターン。感覚と論考が絶対に統合されないということを知っていながら、そこに執着しているように思えるのです。
「哲学とは何か?」という問いは以前自分なりに考えてみたことがあります、とても歯切れの良い回答とは言い難いですが書かせて頂きます

ある事柄Xが何かと考えるとき、そのXが如何なる事態を指示するのか具体的な場面から共通の構造を抽出するというやり方がベターだと思います、例えば「皮肉とは何か」と考えるとき、具体的な皮肉な状況というものを幾つか挙げ、そこから共通の構造、「自分自身がプラスになるであろうと思って敢えて行なった行為が、結果的に自分自身にマイナスとなり降りかかってくる事」というように答えを与えてゆくというやり方があると思います、しかしながら「哲学」という言葉はかなり広い場面で多様な意味合いで、しかも抽象的に使われる事があり、現実に哲学という言葉が使われている幅広い場面を考慮するならば、「哲学」という言葉は多様で抽象的な意味合いしか持てなくなるように思えます、

しかしそんな多様で抽象的な意味合いでしかない「哲学」という言葉の意味の探求(哲学と呼ばれているものとは何かという問い)に私はあまり興味を持てないので、その手の話は辞書の製作者に譲るとして、ここで問い事体をシフトして、「自分にとって意義のある哲学とは何か?」という事を考えた方がまさしく「自分にとって意義がある」と考えられます、


ではまず「哲学」とは何か?
「哲学=考えること」ではないにせよ、やはり哲学ならば「何か」を考える営みであると言えると思います、そしてその「何か」とはまさしく「哲学の問い」に他なりません、従って「哲学とは何か?」という問いは「哲学の問いとは何か?」という問いにシフトさせる事が出来ます、

では「哲学の問い」とは何か?
これに関して私は自分の回答が決定的だとはとても思えません、従って「哲学とは何か」という問いに魅せられた方々で大いに議論して頂ければと思いますが、一応自分なりの考えを書かせて頂きます、

まず哲学の問いとは、それが何であれ世界についての問いであると言えます、しかしその世界についての問いの中で哲学以外の学問で扱われていない問いであると言えます、しかし哲学以外の学問であってもその学問での最も先鋭的な部分であり、新たに世界の原理を明らかにするような活動であれば哲学と言える(かもしれません)、

学問の問い、例えば数学の難解な問題であるとか、国語の文法の問題であるとかを「横方向の問い」とするならば、哲学の問いとは「そもそも数とは何か?」「そもそも文法とは如何にして成るのか?」というような「縦方向の問い」であると言えるように思えます、

例えば「今日の晩ご飯は何を食べようか?」という問いは具体的な状況選択の問いであり、哲学の問いではないように思えます、しかし「そもそも何故晩御飯を食べるのか?」という問いや「晩ご飯とは何か?」という問いは哲学の問いとは言い切りませんが「哲学性」を帯びた問いと言えるように思えます、またさらに「晩ご飯とは何か?という問いは如何なる問いなのか?」という問いはより哲学性を帯びた問いと言えるように思えます、

このことから哲学の問いとは物事の原理を探求するものであり、具体的な物事に関する事柄に関する問いより抽象度の高い問いの方がより哲学性を帯びていると言えるのではないかと思います、

以上がかなり歯切れはよろしくありませんが「哲学とは何か(哲学の問いとは何か?)」という問いに対する私の考えです、


では「自分に意義のある哲学とは何か?」
ここからはかなり私自身の信念も加わって来ますが、やはり自分に意義のある哲学というものは自分自身の内発的な知的好奇心を原動力とするような冒険であり、自分自身の思考により世界の原理を明らかにしてゆく活動でなければならないと思います、だから自分自身の興味のある問いでなければそれは意義のある哲学とは言えず、著名な哲学者の哲学書を読むという事も、自分自身がその哲学者が感じたであろう問いをあらかじめ自分自身の肌で感じていなければやはり意義のある哲学とは言えないと思います、


だから本来的には哲学とは他の誰かから強制されるようなものでは無く、「ついついやってしまうこと」だと思いますし、むしろ「気がついたら哲学していた」というものではないかと思います、

だとするならば「哲学とは何か?」という問いは実は「意義が薄い問い」なのかもしれません、なぜならば「気がついたらしてしまっていた事」が何であるかという事が「どうでもよい事」のように思えてきたからです。
哲学っていうのは、知を愛すること。
だから、「愛」の一種なんですよ(笑)

「→」が論理。
「↓」が哲学。

なんだろーー。
根拠のある妄想みたいなものかな。
既知のものを並べる論理ではなく、
未知を突き詰めてゆくこと。
かな?
木で言うと、見える部分の幹や葉ではなく、
根っ子を追求していくかんじかな。

哲学のコミュニティ作りました。
まだできたてほやほやです。
みんなで哲学しませんか?
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3779122
人生やこの世界のすべてまるごとを「あ〜こういうことだったのかあ!」と理解できるようになるまで、深く、かつ全体への見渡しを忘れずに探究することだと思っています。

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