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競馬千夜一夜コミュのドミノ

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「The Black Whirlwind/黒い旋風」ドミノ (Domino)
牡・黒鹿毛・米国産 1891年生 1897年死亡
父Himyar 母Mannie Gray(Enquirer)
通算成績:25戦19勝 2着2回 3着1回
主な勝ち鞍:フューチュリティS(6F)、メトロンS(6F)、プロデュースS(6F)、ウィザースS(8F)、フライングS(6F)、シープスヘッドベイH(8F)

ソングオブウインドやアロンダイトなど次々と産駒が活躍するエルコンドルパサー。種牡馬生活に入った3年目の2002年7月13日に腸捻転を発症し短い生涯を終えた彼の残した産駒は3世代でした。
引退して2シーズン、20頭の産駒しか残せなかった伝説のスプリンターにしてアメリカ競馬に大きな足跡を刻む馬の物語です。

米国競馬揺籃期の伝説的スプリンター“黒い旋風”と呼ばれたドミノは牧場時代からその快速は評判となっていました。平均売却価格が895ドルの1歳馬セールでカースルトンファームのキーン氏に3000ドルで購入されたドミノの評価は当初から高いものでした。美しく見事な体型と俊敏さを持っていました。2歳の1893年5月にグレーヴゼンドで迎えたデビュー戦(ダ1000m)は恐るべきスピードを発揮して6馬身差の圧勝。その後も爆発的な瞬発力で連戦連勝、グレートアメリカンS、グレートエクリプスSなどを楽勝し、高賞金として知られたフューチュリティS(ダ1000m)ではスタート直後に大きな不利を受けながらも驚異的な粘りをみせてガリレー(Gallilee)に頭差競り勝ち、マッチレースでの同着を含め2歳時は9戦9勝、人気と実力を不動のものとしました。
19世紀後半に2歳時だけの収得賞金が170,790ドルは驚異的であり、当時のアメリカ競馬が既に英国とは異なる興行的な特性を顕著化し2歳戦がどれだけ大きな意味を持つかを端的に示した数字とも言えます。競馬においてもビジネスという考え方が徹底しているアメリカでは効率化という観点からも2歳戦の充実は必然だったのです。この記録は1931年にトップフライトに破られるまでレコードでした。
3歳となりウイザーズS(ダ1600m)に勝ちますが、アメリカンダービー(ダ2400m)で9着に初めて負け、ベルモントS、トラヴァーズSの覇者ヘンリーオブナヴァレ(Henry of Navarre)とのマッチレース(ダ1800m)で同着になったものの距離には限界がありました。しかし、短距離では重いハンデを課せられても1600m以下のレースでは19戦18勝2着1回の圧倒的な強さを誇りましたが、1700m以上のレースでは5戦して1度も勝つことができませんでした。長い距離に結果は残せませんでしたが、スピードに優れていたので道中の抑えが利けば違ったかもしれません。1895年9月のファーストスペシャルS(ダ2000m)で5着が最後のレースとなりました。

ドミノは屈腱炎を患いながら全戦を走り続けたことが伝説化されています。アルバート・クーパー調教師が育成中に試走させてみると目を疑う様な好タイムを出しました。これはおかしいと翌日もう一度走らせたために両前肢にダメージを負ったという話が一般的ですが、 真偽は定かではありません。2歳時9戦9勝、3歳時8戦6勝、4歳時8戦4勝の戦績を残して引退したドミノは、自身の産駒が走るのを見ることもなく6歳のときに髄膜炎を発症し急死します。しかし、ドラマはここから始まります。

コメント(24)

読みごたえある記事で、すぐに参加させてもらいました。

続きが気になります。
血統はあまりわかってませんが、よろしくお願いします。
けん1さん、ご参加有難うございます。
昔があるから今があります。偶然なのか必然なのか、生物の歴史には物語があります。
私の主観は入りますが、なるべくわかりやすい話にしたいと思います。続きを楽しみにしてください。
リアクションがあるのが心の支えです。
“Here lies the fleetest runner the American turf has ever known,and the gemest and most generous of horses.”
「アメリカ競馬史上でかつてない俊足を誇り、最も高潔で勝たんとする意思を持った競走馬ここに眠る」とドミノの墓標には刻まれています。
競走馬として称えられてはいるものの、種牡馬としては初年度の産駒が生まれた1897年7月に亡くなったのでその成績には触れられていません。しかし、彼の残した僅か20頭の子供たちがアメリカ競馬の血統を大きく変えていくことになります。
レキシントンのカースルトンファームで種牡馬となり、そこの繁殖牝馬と交配されたドミノの全産駒は以下の通りです。

1897年生まれ
ディスガイズ Disguise 牡・母Bonnie Gal(Galopin)
ダブレット Doublet 牡・母Lucy Wallace(Ballinkeel/War Dance)
ピンクドミノ Pink Domino 牝・母Belle Rose(Beaudesert)
ラナウェイガール Runaway Girrl 牝・母Fair Vision(Touchet)
アンマスクト Unmasked 牡・母Mere Hill(Macgregor)
無名 牡・母Ellis T.(War Dance)

1898年生まれ
キャップアンドベルズ Cap and Bells 牝・母Ben-My-Chree(Galopin)
クライマックス Climax 牝・母Orchis(Bend Or)
コマンド Commando 牡・母Emma C.(Darebin)
コスチューム Costume 牝・母Miss Milly(The Mizer)
ドミノーズ Dominoes 牝・母Editha(Master Kildare)
ダブルシックス Double Six 牝・母Gloaming(Sir Modred)
ギンガム Gingham 牝・母Calico(Hampton)
キンバリー Kimberly 牡・母Elsie(See-Saw)
マルディグラ Mardi Gras 牡・母Paradox(Rayon d’Or)
ヌーデイ Noonday 牝・母Sundown(Springfield)
オリンピアン Olympian 牡・母Belle of Marwood(Hunter’s Lexington)
ランニングストリーム Running Stream 牝・母Dancing Water(Isonomy)
スプライ Spry 牝・母Dart Maiden(St..Gatien)
ザリージェント The Regent 牡・母Royyal Gem(Napsbury)

20頭のうち1897年生まれの1頭は1歳で死亡しています。クライマックスとギンガムは不出走でしたが、多くの産駒がレースで活躍し、繁殖成績も際立って優秀でした。19頭の産駒でステークス勝馬が8頭も出たという比率は極めて高いものです。
1897年に生まれた6頭の初年度産駒は5頭が出走して3頭がステークスウイナーとなりました。変装を意味するディスガイズはイギリスで走り、英ダービーではダイヤモンドジュビリーの3着となりジョッキークラブSを勝ちました。エクリプスS3着など活躍しました。8戦3勝、引退後はアメリカで種牡馬入となり米シャンペインSの勝ち馬ヘルメット、アラバマSのマスケット、スピナウェイSのコートドレスを送り出しました。1910年生まれのHarmoniconを通じて天皇賞や有馬記念を勝ったオンワードゼアの血統表中にも父マルゼアの母系に現れます。ダブレットもステークス(重賞)の勝馬となり、ピンクドミノはスウィープSweepの母として知られています。ベルモントSなど13戦9勝したスウィープはウォーアドミラルや三冠馬ワーラウェイの母父としても有名で、彼とディスガイズの娘ワンダーWonderが生んだJohn P.Grierを通じてネイティヴダンサーにも影響を与えることになります。ラナウェイガールもステークスに勝ち、ステークス勝馬5頭の母になります。1919年のサンフォードSでマンノウォーに生涯一度の土を付けたアップセットUpsetの祖母でもあります。アンマスクトも小レースの勝馬ですが、騸馬になりました。
1898に生まれた14頭は10頭が勝馬となり、5頭がステークスに勝っています。キャップアンドベルズはエプソムオークスに優勝しました。米国産牝馬による初の英国クラシック制覇を成し遂げました。4戦3勝、ステークス勝馬2頭の母となりました。クライマックスは不出走だったものの、種牡馬テオクックTheo.Cookのははとなりました。コスチュームは未勝利で繁殖にあがったようですが詳細はふめいです。ドミノーズも不出走で繁殖馬となり、南米の根幹牝馬となったミスティファイMystifyを生みました。ダブルシックスも勝馬となり、繁殖入りしました。ギンガムは3頭のステークス勝馬の母。キンバリーとマルディグラも勝馬ですが共に去勢されています。ヌーンデイはステークスの勝馬で、ハイタイムHigh Timeなどステークス勝馬5頭の母となりました。オリンピアンはイギリスのステークスに勝ち短期間の種牡馬生活で少数の勝馬を出しています。ランニングストリームもイギリスでステークスに勝ち、母としてもラニミードRunnymede、アルティマスUltimusなどを出しました。スプライも勝馬でアルゼンチンに輸出されました。ザリージェントも勝馬ですが去勢されました。
そしてコマンド。このベルモントS勝馬がドラマを繋げて行きます。
コマンド(Commando)
牡・黒鹿・米国産 1898年生 1905年死亡
父Domino 母Emma C(Darebin)
通産成績 9戦7勝  主な勝ち鞍:ベルモントS(12F)、ジュニアチャンピオンS

コマンドは大柄のスピード馬で父と同じキーン氏の服色でデビュー、2歳時はジュニアチャンピオンSなど5連勝、メイトロンSでは騎手が酔っぱらって騎乗したためにつまらない敗戦を喫します。3歳時はベルモントS、カールトンSに勝つものの、ローレンスリアリゼーションは故障で敗れ、通算9戦7勝の競走成績で引退します。コマンドもレキシントンのカースルトンファームで種牡馬になりましたが、父と同じように早死にしたために僅か4世代25頭の産駒しか残せませんでした。キーン氏が輸入した英国産牝馬などに配合されたコマンドの全産駒は以下の通りです。

1903年生まれ
オヤマ Oyama 牡・母Ben-My-Chree(Galopin)勝馬
トゥルーラブ True Love 牝・母Citronella(St.Simon)入着なし
ノギ Nogi 牡・母Lady Reel(Felloweraft)入着馬
ホームルール Home Rule 牝・母Maid of Erin(Amphion)不出走
クロキ Kuroki 牡・母Rhodesia(Wisdam)ステークス勝馬
モスキート Mosquito 牝・母Sandfly(Isonomy)不出走
オアシス Oasis 牝・母Skim(Kingston)勝馬
サハラ Sahara 牝・母Veva(Mortemer)勝馬

1904年生まれ
スーパーマン Superman 牡・母Anomaly(Bend Or)ステークス勝馬
ピーターパン Peter Pan 牡・母Cinderella(Hermit)ステークス勝馬
ヒポドローム Hippodrome 牡・母Dominoes(Domino)不出走
エカテリーナ Ecaterina 牝・母Katherrine?(St.Simon)入着なし
メンサ Mentha 牝・母Mintcake(Marcion)ステークス勝馬
ザンベシ Zambesi 牡・母Rhodesia(Wisdam)ステークス勝馬
パンキー Punky 牡・母Sandfly(Isonomy)勝馬
スリッパリー Slippery 牝・母Skim(Kingston)勝馬
コミーダ Commida 牝・母Sumida(The Sailor Prince)勝馬

1905年
ディファイアント Defiant 牡・母Biturica(Hamburg)不出走
レスティグーシュ Restigouche 騸・母Dancing Water(Isonomy)ステークス勝馬
ピータークィンス Peter Quince 牡・母Fair Vision(Touchet)ステークス勝馬
ケルト Celt 牡・母Maid of Erin(Amphion)ステークス勝馬
コリン Corin 牡・母Pastorella(Springfield)ステークス勝馬
トランスヴァール Transvaal 牡・母Royal Rose(Royal Hampton)ステークス勝馬
フラワーオブザフォレスト Flower of the Forest 牝・母Silvabelle(Bend Or)不出走

1906年生まれ
アルティマス Ultimus 牡・母Running Stream(Domino)不出走

コマンドも数少ない産駒の中から10頭のステークスウイナーを輩出しています。そのうちの9頭が牡馬で、10頭の全てが持ち込みを含めて英国産の繁殖牝馬を母としていました。
母エマシーEmma C.はキーン氏の服色で走り、3・4歳時に21戦6勝しています。母父デアビンDarebinは豪州産のステイヤーで、2代母のグウェンGuennもブルックリンCなどに勝った丈夫なステイヤーでした。ドミノには別のトピでご紹介したレキシントンの3×4・4、グウェンにはレキシントンの3X3の強いインブリードがあり、コマンドはレキシントンの血が凝縮されていました。
また、注目されるのはヒポドロームとアルティマスです。母父がドミノで強い近親配合となっています。
少ない頭数にも関わらず死亡した後の1907年には北米リーディングサイアーになったコマンド、サイアーラインはピーターパン、コリン、アルティマスから発展いたします。
 血統の歴史が勉強になりました。過去の血筋が脈々と流れて
現在のサラブレッドに至っているのですね。

 でも最近のはスピードにかまけてスタミナ補強が
されていないですので、そういうところが修正されないと
サラブレッドにあまり良い影響を与えないような気がします。
栄枯盛衰はサラブレッドの世界でも同じです。しかし、血脈が続いていれば残り火からも再び燃え上がります。
ドミノからコマンド、そして現代までの物語はまだまだ続きます。
ピーターパン(Peter Pan)
牡・鹿毛・米国産 1904年生 1933年死亡
父Commando 母Cinderella(Hermit)
通産成績17戦10勝 主な勝ち鞍:ベルモントS、ホープフルS、ブルックリン・ダービー、ブライトンH

シンデレラを母に持つコマンドの息子は2歳でデビューし、ホープフルSなど8戦4勝。3歳時はベルモントS、ブルックリンダービー、サバーバンHなど6勝しました。ピーターパンは父のコマンドや祖父のドミノほど競走馬成績も種牡馬としても及びませんでしたが、彼らとは異なる長寿で30歳まで生きしたので産駒も多くリーディングは取れませんでしたが、大種牡馬として長く君臨しました。代表産駒はブラックトニーとペナントです。
1911年生まれのブラックトニーBlack Toneyは40戦13勝、インディペンデントHに勝った程度の中級馬でしたが、3歳時に6戦6勝でプリークネスS、ベルモントSなど15戦11勝のバイムレックBimelechやケンタッキー・ダービー馬ブラックゴールドBlack Gold、ブローカーズティップBrokers Tip、牝馬チャンピオンのブラックヘレンBlack Helenuなど多くの活躍馬をだしました。そして、ブルーグラスS勝馬のブラックサーヴァントBlack Servantを経てブルーラークスパーBlue Larkspurが出ます。ブルーラークスパーはブルースウォードBlue Swordsを通じてプリークネスSやフラミンゴSに勝ったブルーマンBlue Manを出しますが、サイヤーラインとしては残っておりません。CCAオークス2着のブラッドルートBloodrootなど多くの牝駒を通してアメリカの競馬に多大な影響を残し続けています。
1911年生まれのペナントPennantはフューチュリティSなど12戦9勝、マイルまでの短い距離で活躍しました。産駒のエクイポイズEquiposeは51戦29勝の活躍馬で、1932年米年度代表馬・最優秀古牡馬、1933年米年度代表馬・最優秀古牡馬、1934年最優秀古牡馬になっています。エクイポイズの子で、ケンタッキー・ダービーやベルモントSなどに勝ったシャットアウトShut Outも16勝して種牡馬となり、イクスクルシヴネイティヴExclusive NativeやジアックスThe Axeの母父として名を残しています。
優秀な産駒を数多く輩出したピーターパンという直系ラインは消失しましたが、名馬の血統表の4〜5代以前には彼らの名前を見つけることができます。
テンポイントの三代母である月丘=エレギャラトマスの母父もピーターパンです。
アルティマス(Ultimus)
牡・栗毛・米国産 1906年生 1921年死亡
父Commando 母Running Stream(Domino)
不出走

ドミノ2×2という強烈なインブリードを持ったコマンド最後の子は、近親馬故の体質の弱さからかレースに出ることはありませんでした。しかし、種牡馬として成功しました。初年度からベルモントSのルークマクルークLuke Mcluke、ラストクロップのピムリコフューチュリティ(現ローレルフューチュリティ)など14戦9勝したスティミュラスStiumulusまでコンスタントに活躍馬を輩出しました。ルークマクルークは1915年のリーンメイデンに続く史上4頭目の牝馬でプリークネスSを優勝したネリーモースNellie Morseを出しました。元々はスタンダードブレッド(アメリカントロッター)の生産牧場であった名門カルメットファームが繁栄のスタート切ったのは基礎牝馬の一頭として彼女を購入したことに始まります。ベガの7代母がネリーモースになります。また、ドミノ2×2の父とドミノを父に持つ母ヌーンデイとの間に生まれたハイタイムHigh Timeは、極度の近親だったためか咽に疾患を抱えており戦績的には1勝しかできませんでしたが種牡馬として成功しました。ハイタイムは種牡馬としてスピードを伝え1928年にはリーディングサイヤーになりました。
1933年には、現在のSSの子たちのようにアルティマスの子たちであるハイタイム、インフィニット、シュプリームス、スティミュラスがリーディングのベスト10にランクインしました。彼らは早熟性を備えスピードに優れた種牡馬として一時期は繁栄しましたが、距離への限界と体質も強靭でなかったこともあり系譜をつなげることはありませんでした。
ケルト(Celt)
牡・鹿毛・米国産 1905年生 1919年死亡
父Commando 母Maid of Erin(Amphion)
競走成績:4戦3勝(ブルックリンH)

コマンドは2年目の産駒からピーターパン、3年目にコリンとケルトを出して、その血の優秀性を示しました。ドミノとコマンドが早逝したにも関わらず後世に強い影響力を残したことは驚異的でもあります。それぞれが5年長く生きていたとしたらアメリカ、世界の血統地図が大きく変わっていたことと思います。
ケルトは不敗の僚馬コリンに負けた以外はフェアプレイを負かしたブルックリンHなど2・3歳時に3つの勝ち鞍をあげています。
SS現役時のオーナーの一人であったアーサー・B・ハンコック、彼のクレイボーン・ファームは世界でも有数のサラブレッドの生産拠点となっています。今日の隆盛の根源となったのがJ・R・キーンの解散セリでケルトを購入した1913年に遡ります。
脚部の不安から早めに引退したケルトは種牡馬としてタッチミーノットTouch Me Not以外の活躍馬は牝馬が大半でした。その中から娘のマルガリータMargueritetが三冠馬ギャラントフォックスを生み、サイヤーラインは消滅したものの牝系の中で行き続けています。1921年にはアメリカのリーディングサイヤーとなりました。
1903年にコマンドはドミノーズDominoes(ドミノ)と配合されて翌年に栗毛の牡駒ヒポドローム Hippodrome が生まれます。彼もまた体質が弱かったためか競争に出ることはありませんでしたが、種牡馬としても見るべき産駒は出しておりません。近親なるが故に体質の脆弱性もその仔に伝えました。
そして、20世紀初頭の最も優れた競走馬と言われるコリンがドミノ系を現在につなげます。
コリン(Colin)
牡・黒鹿毛・米国産 1905年生 1932年死亡
父Commando 母Pastorella(Springfield)
通産成績15戦15勝 主な勝ち鞍:ベルモントS、ウィザースS、シャンペンS、メイトロンS、フューチュリティS、サラトガスペシャルS

15戦不敗、馬券禁止時代以前のアメリカを駆け抜けた伝説の名馬です。距離を問わない活躍で走ったレースは全て完勝、1907年最優秀2歳馬、1908年最優秀3歳馬。1956年に無敗でアメリカの殿堂入りしている数少ない名馬です。無敗馬は1988年のパーソナルエンサイン(2〜4歳時に13戦13勝。別トピを予定しています。)まで80年間出現しませんでした。15戦15勝はアメリカ最長無敗記録で、ハロウドドリームズがデビュー16連勝を記録しましたが、その後のレースで3着に敗れ記録更新はなりませんでした。コリンはブラッドホース誌が選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選第15位にも選ばれています。
祖父ドミノ同様に脚部のバランスが悪くなる原因でもある飛節の肥大が見られ、生まれた当初は期待をかけられていませんでした。コリンという名前は詩人ニコラス・ロウの「Poor Colin」から付けられたものです。
キーンの服色で走り、2歳時はベルモント競馬場に存在した直線コースなど1000〜1400mのレースで活躍、1000mのコースレコード、1400mの全米レコードをマークする程のスピードの持ち主で、フューチュリティS(ダ1200m)やシャンペンS(ダ1400m)など12戦12勝。ケンタッキーダービー、プリークネスSはパスしますが、3歳では初めてスタミナが試されることになった中距離戦・ベルモントS(当時は2200m)に屈腱炎を患いながら出走します。濃い霧と小雨の降りしきる不良コース、5馬身差の先頭をキープした直線で騎手がゴール板を間違えるアクシデントも有りながら、後にマンノウォー の父となるフェアプレイ の猛追を頭差しのいで不敗記録を死守します。タイダルS(ダ2000m)を勝った後に渡英しましたが調教中に屈腱炎が悪化したため引退します。脚元の故障には諸説あって、発症時期や症状も様々に伝えられていますが、今となっては定かではありません。ニューマーケットのヒース牧場で種牡馬となりましたが目立った産駒を残せず、受精能力の問題もあり、オーナーの死後は値下げと転売が繰り返されました。米国の無敗馬でも全く評価されずに米国に戻ります。米国でも受胎率の悪さもあって種牡馬として成功はしませんでした。1932年にヴァージニアのベルレイ牧場で死去します。生涯の産駒はわずか81頭だけでした。しかし、数少ない産駒のうち11頭がステークスウィナーとなり僅かに残った産駒が細々と血を伝えていきます。
コリンの母はパストレラ(Pastorella/1892)で、その父はスプリングフィールド(Springfield/1873)です。スプリングフィールドはストックウェル(Stockwell/1849)の子セントアルバンス(St.Albans/1857)産駒で、ジムクラックS、ジュライCを2度、チャンピオンSなど19戦17勝の優れたスプリンターです。産駒にはダービー馬セインフォイン(Sainfoin/1887)やサンドリッジ(Sundridge/1898)の母シエラ(Sierra/1889)がいて、血統的にはアウトクロスになっています。
セインフォインは大正8年に輸入され、多くの活躍馬を輩出したチャペルブラムプトン(Chapel Brampton/1912)の母父でもあります。
コリンの代表産駒は21勝あげたオンウオッチ(On Watch/1917)で、彼からはCCAオークスやアラバマステークスのウォープルマージュ(War Plumage/1936)、フラミンゴステークスを勝ったタイムクロック(Time Clock/1931)が出ますがそのラインは途絶えました。しかし、コインの血は細々ながらネディー(Neddie/1926)がつなげて行きます。

ネディー(Neddie)
牡・青鹿毛・米国産  1926年生
父Colin 母Black Flag(Light Brigade)

ネディーは通算14戦5勝2着2回。イースタンショアH、ジョンソンSに勝った他、ピムリコフューチュリティ3着などがあります。 代表産駒は、モンマスHなどを勝ったMy Celeste、ピムリコフューチュリティなどを勝ったNedayr、アーヴルドグレイスHなどを勝ったGood goods、ベイショアHなどを勝ったSaltoなどがいます。ネディーの血はグッドグッツ(Good Goods)がつなげます。

グッドグッツ(Good Goods)
牡・鹿毛・米国産 1931年生 
父Neddie 母Brocatelle(Radium)

ネディーとグッドグッツはいずれもマイナーな種牡馬でした。グッドグッツは現役時通算53戦10勝2着9回。主な勝ち鞍は、アーヴルドグレイスH、ガヴァナーズH、チャンプレインHなどの他に、ワシントンH、メリーランドH、サラトガH、ディキシーH2着、ベルモントS、ローレンスリアライゼーション、マンハッタンH、ホィットニーS3着などがあります。半兄にアメリカンダービーなどを勝ったToro、半姉にアディロンダックHを勝ったBrocadoがいます。 代表産駒は、ヤンキーHなどを勝ったBetter Goods、ダービートライアルを勝ったBroadcloth、コリーンSを勝ったElasticなどがいて、そしてプリークネスSを勝ち、他の二冠にも2着だった一流馬のAlsabが出ます。
アルサブ(Alsab)
牡・鹿毛・米国産 1939年生
父Good Goods 母Winds Chant(Wildair)
通算成績:51戦25勝 2着11回 3着5回
主な戦績:ニューヨークH、ローレンス・リアライゼイションS、ウィザーズS、プリークネスS、シャンペンS  2着/ケンタッキーダービー、ベルモントS、ジョッキークラブGC

アルサブは1941年2月25日にハイアリアパークのみ勝利戦でデビューしますが、14着と大敗します。3戦目で初勝利をあげ、以後はコンスタントに勝ち星を延ばしてゆきます。1941年7月19日のメイフラワーSから11月12日のウォルデンSまで10連勝を記録します。しかも全て1番人気でした。連勝後は勝ち運に見放されケンタッキーダービーの2着を含めて8連敗を続けます。そしてプリークネスSを1番人気で勝利しますが、ベルモントSではケンタッキーダービーと同じShut Outの2着となります。上位の成績を残したものの三冠には手が届きませんでした。前年にはワーラウェイ(Whirlaway)が、次の年にはカウントフリート(Count Fleet)が三冠馬となっています。その1歳上のワーラウェイと1942年9月19日にアブサブはマッチレースを行い、7ポンドのハンデを貰いハナ差で勝利しますが、10月3日のジョッキークラブゴールドカップで再戦し雪辱されています。
アルサブは父母ともに評価の低い二流血統でしたが、2歳から素晴らしい走りを見せました。ダート1300mで行われたRequestedとのマッチレースでは2歳の世界レコードで勝ちます。シャンペンSも2歳世界レコードで圧勝し、15勝を上げて2歳チャンピオンとなりました。三冠はプリークネスSだけでしたが、アメリカンダービーやニューヨークHなどの勝利が評価されて3歳チャンピオンにも輝きました。4歳以降は別馬のように2年間で1勝しか上げられずに引退しています。
産駒には、シアトルスルーやロモンド、シアトルダンサーの三代母Myltre Charm、Armageddonを含め何頭かのステークスウィナーがいますが、自身の戦績からは物足りないものです。
アルサブの血はArmageddon(アルマゲドン)がつなぎます。
1948年に生まれたアルサブの娘フォルカーFalkarは輸入され、その娘のブラツクターキンを通じて新潟大賞典や福島記念に勝ったマイヨジョンヌ、秋天や中京記念、小倉大賞典に勝ったレッツゴーターキン、新潟大賞典と新潟記念のブリリアントロードなど子孫に多くの活躍馬が出ています。ブラツクターキンの父はブラツクウヰング(Black Wing/1946)で父系はBalladier(1932)からBlack Toney(1911)を経てPeter Pan(1904)に遡ります。


アルマゲドン(Armageddon)
牡・鹿毛・米国産 1949年生 1972年死亡
父Alsab 母Fightinb Lady(Sir Gallahad)
通算成績:51戦9勝2着9回
主な勝ち鞍:シャンペンS、ウィザーズS、ピーターパンH、ベンジャミンフランクリンH、ヴェントナーH

トラヴァースS、アーリントンクラシック、スターズアンドストライプスHの2着やベルモントS3着などもある活躍馬でした。種牡馬としては7頭のステークスウィナーを出しましたが成功したとは言えません。代表産駒には、マルボロナーサリーSなどを勝ったSir BeauやデイドメトロポリタンHなどを勝ったGood Fightなどがいますが、バトルジョインド(Battle Joined)がドミノのラインを受け継ぎます。


バトルジョインド(Battle Joined)
牡・鹿毛・米国産 1959年生
父Armageddon 母Ethel Walker(Revokedその父Blue Larkspur)
通算成績:10戦7勝2着2回
主な勝ち鞍:サラトガスペシャル、ローレンスリアライゼーション

一流とは言えない父、母エセルウォーカーもアメリカで2勝しただけという凡庸な血統を持つバトルジョインド。しかし、勝ち鞍以外にもサプリングS2着などの成績を残して種牡馬となり、カリフォルニアオークスなどを勝ったLovers Quarrel、コロラドブリーダーズSを勝ったJ.J.Battleなど13頭のステークスウィナーを出しました。そして彼の代表産駒となったのは1971年度米代表馬にして最優秀スプリンターにもなったアクアク(Ack Ack)でした。
アクアク(Ack Ack)
牡・鹿毛・米国産 1966年生 1990年死亡
父Battle Joined  母Fast Turn(Turn−to)
通算成績:27戦19勝2着6回4着2回
主な勝ち鞍:ハリウッドGC(D10F)、サンタアニタH(D10F)、アーリントン・クラシック(D9F)、アメリカンH、サン・アントニオH(D9F)、ウィザーズS(D8F)

高射砲と名付けられたバトルジョインドの息子は、1968年10月2日に1番人気でベルモントパークの未勝利戦でデビューしますが2着でした。2戦目に初勝利をあげ、続く一般戦を2着で2歳を終えます。年が変わり一般戦を2連勝の後にバハマズSで初めてステークスを勝ち、その後もダービートライアルS(D8F)を1分34秒4のレコードタイムで勝ちますが、マイル路線を選択してウィザーズS、アーリントンクラシックSなど11戦7勝2着3回の好成績で3歳を終えます。彼が最も輝いたのは4歳のときでした。サンカルロスH(D7F)でビル・シューメイカーにサンタアニタの全ステークス勝利をプレゼントすると、サンアントニオH、サンタアニタHも快勝、アメリカンHを1分47秒2のレコード勝ち、引退レースとなったハリウッドGCでは自信初となる134ポンド(61k)を背負って1着でゴールします。記録が定かでない3レースを除き全てで1番人気を背負いました。そして1971年の古馬チャンピオン・チャンピオンスプリンター・エクリプス賞年度代表馬に輝きました。この年を最後に引退しクレイボーンファームで種牡馬として供用されました。
種牡馬としても多くのの活躍馬を輩出しました。約600頭の産駒で54頭がステークスウイナーとなりました。また、母の父としても優秀で95頭のステークスウイナーがいます。当時既に衰退しつつあったピーターパンやブラックトニーの一族に代わってヒムヤー(ドミノ)系を代表する勢力になりました。1990年に死亡し、長年過ごしたクレーボーンファームに埋葬されました。1986年米競馬の殿堂入り。1999年に20世紀のアメリカ名馬第44位に選出されています。
アクアクの娘ラスカルラスカル(Rascal Rascal/1981)はベニーザディップ(Benny the Dip/1994・父Silver Hawk)や輸入種牡馬クリプティックラスカル(Cryptic Rascal/1995・父Cryptoclearnce)、輸入繁殖牝馬ワキア(Wakia/1987・父Miswaki)の母であり、ワキアはあの音速の貴公子サイレンススズカを生みました。
アメリカで活躍したアクアクの子ブロードブラッシュ(Brood Brush)やユース(Youth)などがラインをつなげます。
アクアクの直子としてはパンザー(Panzer/1976)が種牡馬として輸入されていまが特筆すべき子は出しておりません。
アクアクの後継、まずはユースからです。

ユース(Youth)
牡・鹿毛・米国産 1973年生
父Ack Ack 母Gazala?(Dark Star)
通算成績:11戦8勝2着1回3着1回着外1回
主な勝ち鞍:リュパン賞、ジョケクルブ賞(フランスダービー)、カナディアンインターナショナル、ワシントンD.C.インターナショナル

1967年のフランスオークス馬ガザラを母に持つアクアクの息子ユースは1973年に生まれました。オーナーはテキサスの石油王であるネルソン・バンカー・ハント。ヴェイグリーノーブルやダーリア父娘をはじめとして潤沢な資金をつぎ込んで集めた一流馬が大レースを次々に制覇する世界的な馬主で、ガザラも彼の所有馬でした。フランスのジルベール調教師に預けられたユースは1975年秋のデビュー戦を勝利し、2戦目は重賞のサンロマン賞に挑戦してファーノースの2着となります。3歳になったユースは4月のグレフュール賞でシーズンのスタートを切ります。ここで強豪を破り注目を集めるようになり、2週間後のダル賞でも1番人気に応えて2着に4馬身差の楽勝でした。そしてリュパン賞はアークティックターンの急襲を3/4馬身差しのいで圧倒的な人気に応えました。3着に敗れた同じオーナーのエンペリーがエプソムダービーを勝ったことによってユースの評価も更に高まりました。3歳のここまで4戦4勝、フランスダービーも独壇場の強さでトウィグモスに3馬身3/4差の圧勝でした。このとき3着に敗れたマラケート(輸入種牡馬/代表産駒リードホーユー)は愛ダービーでエンペリーに2馬身半差をつけて優勝しています。同一馬主による英仏両ダービー制覇は、1950年にガルカドールとスクラッチで制したマルセル・ブーサック以来の快挙でもありました。
実質的にヨーロッパにおける最強3歳馬となったユースはイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスSに挑戦します。ところが初めてのアスコットで最終コーナーを大きく外にふくれてポーニーズから10馬身も離れた9着に惨敗、生涯唯一の着外となります。しかし、ヘッドからピゴットに乗り代わったニエル賞では2kg差をはね返してアークティックターンを破り凱旋門賞に向かいます。凱旋門賞ではユースとパリ大賞やロワイヤルオーク賞などに勝ったハント所有のエクセラーが本命でしたが、彼らの野望を打ち砕いたのは前年のフランス1000ギニー(プールデセデプーリッシュ)を制した牝馬のイヴァンジカでした。皮肉なことに彼女の鞍上にはヘッドの姿がありました。ユースは3着に終わりました。その後、北米に遠征したユースはウッドバインでカナディアンインターナショナルに勝ち、ローレルパークで行われたワシントンD.C.インターナショナルではイヴァンジカと再戦、10馬身差で雪辱を果たしました。引退後はアメリカで種牡馬となり、多くの活躍馬を送り出し後にブラジルへ移りました。
代表産駒にはエプソムダービーやキングジョージ6世&クイーンエリザベスS、サンクルー大賞典などを制したティーノソ(Teenoso/1980)、ヴェルメイユ賞のシャラヤ(Sharaya/1980)やヤングマザー(Young Mother/1986)などがいます。ティーノソは欧州最優秀古馬となりイギリスで種牡馬となりましたが自身ほどの活躍馬を残せないまま1999年に死亡しました。その子スティールタイムレフト(Still Time Left)からタイムウィリング(Time Willng)へと細々ながらもラインはつながっているようです。ヤングマザーは渡辺喜八郎さんの繁殖牝馬となり、社台ファームに繋養されマザーアクトレスやトオヤマザクラの母となっています。シャラヤの娘シェリーザも輸入され下河辺牧場で繁殖生活を送っています。
ブラジルでもイピランガ大賞典(G1)やダービーパウリスタ大賞典(G1)に勝ったパレモン(Palemon)、A.プラード大賞典(G1)のヤナイノユース(Janaino Youth)などがいます。ブラジルで血がつながっていることを願わずに入られません。
ユースの兄弟にはグランクリテリウムの勝馬で輸入種牡馬のミシシッピアン(父ヴェイグリーノーブル)や愛セントレジャーのゴンザレスがいます。
母のガザラはフランス1000ギニー(プールデセデプーリッシュ)とフランスオークス(ディアヌ賞)の勝馬で、娘のダブルクラシック(父ヴェイグリーノーブル)が輸入されています。ダブルクラシックはミンスキーとの間にフレーミングユースを生み、フレーミングユースは種牡馬として阪神大賞典や京都記念に勝ったダイナカーペンターを出しました。
(どういうわけかユースの写真を見つけられず画像はティーノソです。)
ブロードブラッシュ(Broad Brush)
牡・鹿毛・米国産 1983年生 1988年供用開始 2004年引退
父Ack Ack 母Hay Patcher(Hoist the Flag)
通算成績:27戦14勝2着5回3着5回
主な勝ち鞍:サンタアニタH、メドウランズC、ウッドメモリアルS、サバーバンH

「大雑把」と名付けられたアクアクの息子は、1985年10月13日にローレルでデビュー戦を迎えましたが勝馬から4馬身以上も離された6着となります。フィラデルフィアに場所を移した2戦目を3馬身差で勝ち、続く一般戦も連勝すると2歳最後のレースとなったインナーハーバーSでは後続に7馬身半の大差で圧勝します。年明け早々1月5日のスタードナスクラSをハナ差2着で始動すると、ピムリコのジェネラルジョージSからウッドメモリアルS(G1)まで4連勝しケンタッキーダービーに向かいます。7人気だったケンタッキーダービーはシューメーカー騎乗の9人気ファーデナンドの3着。プリークネスSもスノーチーフに大差の3着、再びファーデナンドの後塵も拝しました。続くオハイオダービーに勝ち、セントポールダービー2着後も連敗します。真夏のダービーと言われるサラトガのトラヴァーズSでは2着でゴールしますが4着に降着。フィラデルフィアのペンシルヴァニアダービー(G2)を久々に勝つと、メドウランズC(G1)にも連勝して3歳のシーズンを終えました。4歳になったブロードブラッシュはサンタアニタのG1戦を2・3着の後、3月8日のサンタアニタHをハナ差で制してファーデナンドとスノーチーフに雪辱を果たします。続くジョンBキャンベルHを5馬身差、トレントンH(D10F)では2.00.8のコースレコードで連勝、メトロポリタンHはガルチ(Gulch)の3着、マサチューセッツHもハナ差2着の後、ベルモントパークのサバーバンH(G1)に勝ち、1988年8月8日のホイットニーHでジャワゴールド(Java Gold)の3着を最後に競走生活を終えました。引退後はゲインズウェイファームで種牡馬として繋養され、大物は少ないながらもコンスタントに活躍馬を出しました。
2003年9月に左前肢球節の手術をして休養しましたが、状態が回復して2004年シーズンは通常通りの種付けを行うことが発表されました。しかし、21歳という高齢もあって種牡馬も引退します。
代表産駒には、BCクラシックのコンサーン(Concern/1991)やケンタッキーオークスのファーダアミーガ(Farda Amiga/1999)、ジェロームHのショッスバーグ(Schossberg/1991)など数多くいますが、日本の競馬ファンであればフェブラリーSなど地方交流競走の常連として長く活躍したノボトゥルー(1996)や伝説の根岸Sなど個性的な牝馬として記憶されるブロードアピール(1994)がいます。1994年にはコンサーンなどの活躍でリーディングサイヤーにも輝きました。
コンサーンは種牡馬となりましたが今のところ目立った産駒は出ていません。母はG1勝馬、姉に同じブロードブラッシュ産駒になるテニスレディが出ていますから、血統的な裏付けは揃っているといえます。歳も若く、期待の余地はまだ多分に残していますが、ブロードブラッシュにとってはコンサーンが一番馬ですから、ぜひとも彼が後継者となって血統を伝えていって欲しいところです。
ブロードブラッシュの妹ボブズディレンマ Bob’s Dilemma(1990Mr.Prospecter)は輸入繁殖牝馬でトウカイパレスが活躍した資金で馬主の内村氏が購入、岡部牧場で繁殖生活を送っています。トウカイワイルドやトウカイボナンザ、トウカイナンバーなどの母となっています。
1999年の桜花賞馬プリモディーネは現役引退後に米国へ渡り、「ソーダストリーム系の牝馬で初のG?馬だけに世界の一流馬を付けてこの血を残したい」というオーナーの意向でブロードブラッシュに種付けされて2003年に牝馬のフェアリーウィスパー生みました。彼女は競走馬となれませんでしたがサンシャイン牧場で繁殖生活に入っています。
Eclipse―Pot8os―Waxy―Whalebone―Camel―Orlando―Eclipse―Himyar―Domino。
ドミノの系統は一般的にはオーランド系かヒムヤー系と呼ばれます。
ドミノの残したわずか20頭の産駒の中から現れたコマンドは種牡馬として15戦全勝のコリン、ピーターパン、ケルト、ウルティマスなど優れた産駒を次々に送り出して自身と父の名を高めました。コリンからアクアクを通じてブロードブラッシュ、ピーターパンからはブルーラークスパー、スパイソング、ダブルジェイなどの種牡馬が出て、主に母系に入って優れたスピードや競走意欲を伝え続けました。アメリカ産の活躍馬の血統表を見て改めて驚くのは、5〜9代目に現れるドミノ系種牡馬の数です。あのスピード、仕上がりの早さ、競走意欲の強さの源流はここに求めることができます。ドミノの血統的背景を探れば、1850年生まれのレキシントンがキーポイントとなります。血量の25%がレキシントンという非常に強い近親交配でした。こういった危険な配合は、時として強い影響力を持つ種牡馬を生み出しています。レキシントンもまた名競走馬にして名種牡馬で、本家イギリスをはるかに上回るサラブレッド生産大国の成立に大いなる足跡を残したのでした。アメリカ独自の血統であったレキシントンは、世界の競馬地図に変革をもたらすほどのスピードを注入しました。そして20世紀に入ってもアメリカの競馬は「仕上がりが早く、スピードがあり、タフな馬」の生産にエネルギーを注いでいきました。ドミノは競走馬としての仕上がりの早さ、マイル以下での圧倒的なスピード、更に旺盛なる競走意欲を子孫にも伝えてアメリカ競馬のためのアメリカ血統形成に貢献しました。馬が売り買いの対象となる以上その資質は不可欠だったわけです。新大陸の競馬が独自のスタイルを作り上げていったからこそのドミノの台頭なわけで、サラブレッドが北米で新たな裾野を拡げた背景は奥が深いと思います。

年間のサラブレッド生産頭数が4万頭を超えるアメリカには、5000頭以上の種牡馬が供用されています。日本とはスケールが違い過ぎるアメリカだからこそ残りえた血統がドミノ系(ヒムヤー系)だともいえます。しかし、この系統はアメリカ競馬の歴史において多くの場面で重要な役割を果たしています。ドミノの直系子孫で、サンデーサイレンスの曾祖母の父プロミストランド(Promised Land)の母スタイミー(Stymie)は135戦35勝した女傑で、長く歴代賞金王の座にありました。マルゼンスキーの血統表にはピーターパン、ブルーラークスパー、ウルティマスらを通じてドミノの名前が8度も登場します。いかにこの血脈の影響力が現代に続いているかがよく分かります。
ピーターパンはブラックトニーから発展しましたが、ブルーラークスパーへのラインも1953年生まれのリグニード(Reneged)、ブローカーズティップのラインも1957年生まれのファームトゥマーケット(Farm to Market)を最後に父系が途絶えました。バラディア(Balladier)がスパイソング(Spy Song)を出し、その子クリムゾンサタン(Crimson Satan)は18勝した活躍馬で輸入されたドラマティックビッドなども出しました。ダブルジェイ(Double Jay)も輸入馬ムーンマウンテンを出していますが、いずれもその後の情報がありません。ペナントのラインであるトップデッキ(Top Deck )からはドミノの特徴であるスピードを活かしたクォーターホースの系統が生まれ、主流の一角を占めています。
ヒムヤーからプルーディット(Plaudit)を経た父系からは1マイルの世界レコードホルダーとして名高いドクターフェイガー(Dr.Fager)が出ています。さらにその系統からはミネソチタマック(Minesota Mac)、グレートアバヴを経てホーリーブル(Holy Bull)が出ました。
ブロードフラッシュが引退した今、奇跡的につながれたアメリカが残した大切な血統遺産をコンサーンなど残された種牡馬から次代へ続くラインを願わずにはいられません。広いアメリカなのでどこかに末裔が残っていて、突然復活することも夢見ています。
セントサイモン(サンシモン)のように血が袋小路に入ったときは救世主のように弱小血統が復活します。日本に残されているテスコボーイやパーソロン、ディクタスの系統からもノーザンダンサー、ヘイルトゥリーズン、ミスプロなどが繁栄しすぎて衰退に向かったとき、甦る血もあると思います。
ドミノの父ヒムヤーはエクリプスからタッチストン(Touchstone)を経由した系統です。タッチストンは1931年に生まれ、異説はありますがセントレジャーやアスコットゴールドC(2回)、ドンカスターC(2回)など21戦16勝しています。
19世紀にはアメリカでも競馬が盛んになり、イギリスを中心としたヨーロッパの血統とは異なる独自の系統を発展させるようになりました。その中で古くから発展した系統がヒムヤーです。ヒムヤーはタッチストーンから5代を経て現われ、ドミノとプローディット(Plaudit)が繁栄を遂げます。
プローディットは現役時代にケンタッキーダービーを制してドミノと並ぶヒムヤーの代表産駒となりました。この血統からはやがてクエスショネア(Questionnaire)が種牡馬として成功し、産駒の中からフリーフォーオール(Free for All)が現われまし た。フリーフォーオールから出たラフンタンブル(Rough'n Tumble)は種牡馬として成功を収め、22戦18勝のドクターファーガー(Dr. Fager)などを出しました。ドクターファーガーは現役時代に酷量を背負いながらも脅威的なレコードを打ち立てた程の馬で種牡馬となってからも期待されましたが、わずか12歳で亡くなりました。亡くなった翌年にリーディングサイアーに輝いています。ラフンタンブル、ドクターファーガーのラインは母父としても優れていましたが、現在では直系は絶えてしまいました。ラフンタンブルの血を現在に残したのはホーリーブル(Holy Bull)の祖父ミネソタマック(Minnesota Mac)です。ミネソタマックの仔グレイトアバヴ(Great Above)は種牡馬としては期待されなかったため、ブリーダーズカップへの種牡馬登録がありませんでした。このため産駒のホーリーブルはブリーダーズカップの出走には莫大な追加登録料を支払う必要があり、結局出走を回避する事になりました。
ホーリーブル(Holy Bull)
牡・芦毛・米国産 1991年生まれ
父グレイトアバヴ(Great Above) 母Sharon Brownシャロンブラウン(Al Hattab)
通算成績16戦13勝  主な勝ち鞍:フュチュリティS、フロリダダービー、メトロポリタンH、ハスケル招待、トラヴァースS、ウッドワードS、オリンピックH

「神聖な牛」 の意味を持つホーリーブルは2歳時に4戦4勝、ベルモントフューチュリティーSを勝ちました。3歳時はフロリダダービー、ブルーグラスSを勝ち、ケンタッキーダービーでは1番人気に推されたものの、逃げることが出来ず12着に惨敗しました。残りの2冠の回避を決めると米メトロポリタンHに出走、古馬を相手に5馬身半差の圧勝を飾りました。さらにドワイヤーS、ハスケル招待Hと連勝し、トラヴァーズSではこの年のBCクラシックを勝つことになるコンサーンをクビ差に抑え、2冠馬タバスコキャット(輸入種牡馬)に大差をつけて優勝しました。続くウッドワードSでは、ケンタッキーダービーの勝ち馬ゴーフォージン、サバーバンHの勝ち馬デヴィルヒズデュー、ホイットニーHの勝ち馬コロニアルアフェア、パシフィッククラシックの勝ち馬ティナーズウェイなどを相手に再び5馬身差の圧勝。BCクラシックは登録がなかったため回避したものの、エクリプス賞では年度代表馬に選出されました。4歳となり、初戦を勝って臨んだドンHで故障を発生して競走中止、そのまま引退することになりました。この競走を制したのはシガーで、この後連勝街道を突き進み、ホーリーブルに代わってアメリカ競馬の主役を担っていくことになります。引退後はアメリカで種牡馬入りし、BCジュヴェナイルの勝ち馬マッチョウノ(Macho Uno)、ケンタッキーダービーの勝ち馬ジャコモ(Giacomo)など多くの活躍馬を送り続けています。1994年米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬、2001年には米国競馬の殿堂に選出されました。
母父のアルハタブは公営で一世を風靡したフェートメーカーの弟で、輸入されたヒカリシルバーの父でもあります。ヒカリシルバーは種牡馬となって変な癖を覚えたために矯正器具を付けられ不能となった悲しい馬でした。

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