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グアムの沈船 東海丸コミュの仮装巡洋艦・コメート

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開戦前、南太平洋の緊張の度も高まりつつあったころ。遥か遠く北極海の北東航路を通過し南氷洋で任務に付いていた独逸の仮装巡洋艦・コメートが南氷洋で操業中の日本水産所属の捕鯨母船・第二図南丸に接触し、食料の支援を要請している。

仮装巡洋艦(かそうじゅんようかん)とは、第一に、第一次世界大戦時、また第二次世界大戦において中立国の商船に偽装して無警戒の敵国の商船を襲撃したドイツの軍艦のこと。

当時、同盟国の日本にも独逸補給船の基地があった経緯から、コメートのアイゼン艦長は日本船舶の動静にも詳しく、日本船に偽装したこともあったとのこと。
そのコメートが偽装した船こそ、大阪商船所属・南海丸だった。

南海丸と言えば、我々の追い続けている東海丸の姉妹船。大阪商船が社運を賭けて建造した畿内丸型・高速貨客船の一隻である。
この事実こそが、当時の畿内丸が太平洋の顔だったと言う証ではないだろうか?


左の写真は南海丸の艤装を施したコメート。
ファンネルマークの『大』に注目。

真ん中はコメート本来の姿。
不鮮明ながらも、畿内丸と酷似している点が確認出来る。
潜水艦の潜望鏡越しには、どう映ったのだろうか?

右の図はコメートの簡単な見取り図。
畿内丸、詰まり東海丸との違いを比較してみると興味深い。

コメント(3)

南海丸の名前は畿内丸型の船として、2番目くらいに出てくる船ですね。
東海丸は畿内丸型の2番船として建造されたのに、5番手6番手に造られた南海丸・北海丸は、エンジンを三菱の純国産に載せ替えていて、さらに進化した船として扱われているのでしょう。
就航したときの船長名や、沈没したときの乗組員の名前までが記録に残っていて、ちょっと羨ましいですね。

欧米の商船業界を震撼させた畿内丸型ですから、こんなこともあったのでしょうねえ。
シルクルーム・大型冷蔵貨物室・荷役作業アップのために追加されたクレーンなど数々の特徴は今でこそ当たり前ですけれど、当時は画期的だったのでしょう。


ところで・・・、スペシャルルームっていうのを見つけましたよ!
この倉庫もシルクルームと同じく空調システムが整っていたようで、スペースは狭いですが、もしかしたら金魚用の部屋だったかもしれないと想像しています。
また凄い部屋を発見してくださいました。
確かに金魚は当時の重要な輸出品目のひとつでした。
このごろは肝心の東海丸本体への調査に伺えない状況なので
文献等からの考察に専念しております。

私達が目指していることは、宝探しゲーム的な沈潜ダイブでは無く
東海丸が海に浮かんでいた姿を思い浮かべて
古の東海丸を堪能して貰うことですから、こうしてひとつひとつパズルを嵌めていくような作業から、いつかは全貌が掴めるものと考えております。


当時はベトナム・中国から鶏卵を運んだと言う船が意外と多いんですよ。
東海丸の処女航海でも上海から鶏卵積んでいましたよね。
重要な輸入品のひとつだったのかも知れません。


今日はオーストラリア人のリクエストで、レインボーをチャーターして東海丸に行ってきましたよ。
でもブルーホールも行きたいってことで、ファーストがブルーホール、セカンドで東海丸なので、窒素が溢れそうな量になってしまって、現在頭がボーっとしております。

でもここのところ続けて東海丸に行けているので、うれしい状況です。
少しずつですが、東海丸を広めることができている実感がわきますよ。

見る目が変わると発見があるもので、もう一つ階段があった場所がありました。
ボートデッキのアメリカ人ダイバーたちがデプスチャージと呼ぶ水タンクがありますよね。その後ろ側であり、一等客室の風呂場の上の隣と言えばいいのでしょうか、あそこに船に対して横向きの階段があった穴があります。
ブリッジデッキの後部に小さな踊り場のようなスペースがありますが、そこから上のデッキに上がることができたんですね。
でもきっと、階段の上がり口にはチェーンが張られていて「乗務員以外立ち入り禁止」っていう札が下がっていたと思いますが。

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