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グアムの沈船 東海丸コミュの65年前にタイムスリップ

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また新たな展開を見せる気配が出てきました東海丸。
新しい情報が入ってきましたら、皆さんにも報告いたしますが、大雑把な見取り図のようなものが見つかったのであります。

実際には南海丸と書いてありますので、東海丸ではありませんが、大阪商船が作った6隻の高速貨物船の一つであり、東海丸とは姉妹船なので、ほぼ同じような作りをしていたのだと思うのですが・・・。
その解説を読んでみると、南海丸は12名乗りの貨物船として使用していたと書いてあるのです。
船舶安全法というものがありまして、12名乗りまでの船は貨物船。それ以上の乗客を乗せることができる船の場合は客船または貨客船となると定められているのです。
まあ税金なり、経費が大幅に違ってくるのでしょう。本来68名乗りである貨客船を12名乗りとし、デッキの一段上の階(自分としては2階と呼んでいるのですが)、そこに12名分の寝室が作られていたのだそうです。

東海丸に関する資料を見ると、68名乗りの貨客船でニューヨークまで走っていたとなっておりますので、そうなってくると、この見取り図とは完全に異なる配置だったのだとは思うのですが、とにかく現在の東海丸は、風呂場と厨房ははっきりとわかるものの、床や壁が抜けてしまっているため、他の部屋の形が全くわからないのです。
そこで探しているのが東海丸の設計図と言うのか、見取り図なのです。
それがはっきりわかるようになりますと、今以上に楽しい沈船ダイビングが待っているということになるに違いないのです。

こちらの写真は畿内丸。
やはり大阪商船が誇る高速貨物船の一つであり、しかも第一号の船。東海丸はこの次に作られたのです。
凄いでしょ?!
第二次世界大戦で沈んじゃった船ですから、全くその船の在りし頃の光景は想像も付いてなかったのです。
ニューヨークまで当時の常識を破るスピードで走っていたんですってことは知っていたって、まさかこんな近代的で都会的な景色をバックに優雅に走っているとは思ってもみなかったので、この写真には衝撃を受けました。
美しいです。
きっと東海丸もこんな美しい姿で、ブイブイ言わせての航海だったのでしょうし、これでようやくあの階段室の天井がガラス張りになっていることに納得できるのです。
これだけ美しければ、乗船していた人たちも、それなりに着飾った人たちだったに違いありません。

しかし戦争が激化し、そんな商業船までもが戦争に借り出されていったのです。
このことも資料を読めば書いてあることであり、確かな史実なのではありますが、これまたイメージし切れてなかったのですよ。
こちらの船は愛国丸。
東海丸と同じく大阪商船の貨客船であったのですが、特設巡洋艦として徴用され、わざわざこんな塗装を施されていたのです。何千にもなる民間船の全てをこんな風にカモフラージュしたのでしょうか。
そんな時間と暇と金があったのですねえ。
そして、船首の方に丸い舞台みたいなものが見えるでしょうか。
民間の貨客船だったわけで、一切敵と戦うつもりなどなかった船ですから、当然武器は備わっていないのです。
しかし戦争ですから、いつ敵と交戦するかわからないわけで、何か武器を持っていないといけなかったわけです。ましてや特設巡洋艦となれば、敵の輸送船などを破壊して、物資の輸送を断つのが任務なわけですから尚更だったわけです。
実は東海丸の船首部分にも付いているのです。
現在は丸い骨組みしか残っていないので、ロープを巻くためにでもあるのかと思ったりもしましたが、元の形はこれなんですね。
この台の上で自由に向きを変え、敵を狙って撃っていたんですよ。でも大した攻撃力があったとは思えないほどのものなのです。
東海丸のものは、今でもグアムのアメリカ海軍基地の中に残されているようです。

このキッチンは富士川丸のものです。
三井船舶が所有していた船です。
今までに3回訪れたことがありますトラック諸島、現在はチュウックと呼ばれていまして、グアムから飛行機でパラオと反対側に2時間ほど飛びますと到着するのですが、そこの代表的な沈船です。
自分も2度ここに潜りましたが、東海丸よりもかなり原型を留めていますので、内部の探索が楽しめるのです。おまけに富士川丸は航空機運搬船としての任務についていましたので、中に飛行機が残されているのです。沈船だけではなく沈飛行機まで同時に見ることができるのでなかなか楽しいダイブポイントなのです。
サイズは東海丸より少し小さいだけなので、キッチンの規模は同等だと思いますが、東海丸と同じような形の調理器具が備わっているのです。
そして、その解説を見てみると・・・、ちゃんと書いてあるのです。
この当時はガスや電気などではなく、coal、つまり木炭や石炭を使って調理していたと。

東海丸も愛国丸も、そして富士川丸も、いえ、もっともっとたくさんの日本の民間船が徴用されて、そのほとんどが海に沈んでしまったのです。
戦争さえなければ、あのどこだかわかりませんが、近代的な都市を優雅に航海していたし、あんな風に迷彩色に塗られる必要もなかったのです。
日本の横浜に浮かんでいる氷川丸。
氷川丸も戦争に徴用されていった船ですが、氷川丸の任務は病院船として負傷した人々を運んでいましたので、敵の攻撃を受けずに日本まで帰って来たのです。
そしてやはり、氷川丸にも平安丸という姉妹船があるのですが、残念ながら、この平安丸もチュウックに沈んでいまして、東海丸と同じように横倒し状態となってますが、今でも船首部分に平安丸という船名が鮮明に見えるので有名なのです。

沈船ダイビング。
あまりにも損傷が酷い場合は、瓦礫を見ているような気分にもなるでしょうが、是非ともこんな風に、その船の歴史ごと楽しんでみると、無茶苦茶楽しいダイビングにもなりますので、どうか毛嫌いせずに楽しんでいただけたらと思うのです。
アクアアカデミーでも、その内にチュウックツアーでもやってみましょうねえ。
最後の写真は、全く想像もつかないことでしょうが、サイパンの沈船ポイントに沈んでいる船、松安丸のものなのです。
かなり瓦礫化してしまっているので、イメージしずらいですが、サイパンに住んでいた当時、確か1987年のことと思いますが、初めてチュウックに行き、凄い数の沈船ダイビングを楽しんで帰って来て、沈船ダイビングとは何ぞやがわかったとき、この松安丸の湯船を見つけたのです。
それまでこそ自分も瓦礫のダイビングと思ってしまってましたが、湯船を見つけた瞬間、人のぬくもりと言うか、人の痕跡に気がついたのです。
船に歴史ありなのです・・・。





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