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国鉄コミュの国鉄の車両

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国鉄の車両といえば、形式的な管理番号が決まっている。
電車の場合百の位が1〜3は直流電車、4〜6は交直流電車、7〜9は交流電車。
十の位が0は通勤型車両1〜3は近郊型車両。
5〜7は急行型車両。
8は特急型車両。

交直流特急電車の場合は481系は60ヘレツである西日本専用。
483系は50ヘレツである東日本専用。
485系は日本全国で使用可能。
489系は横川〜軽井沢間碓氷峠協調運転専用車両である。

国鉄は今のJRと違って全国ネットで通用する車両だった。

コメント(96)

>>[55] 夜行列車は貨物列車の他に、郵便・荷物車を急行列車に連結することが多かったです。
>>[57] 私は高校時代は自転車通学していて途中東海道線沿いを走っていたので昼間だけでした。客車編成に荷物車が連結されていましたね。
今は寂れてしまいましたが、かつて関西線の亀山駅は名古屋からのディーゼル急行が関西線奈良行「急行 かすが」と紀勢線の「急行 紀州」が併結されて亀山で切り離しされて紀州はスイッチバックして紀勢線へかすが は直進して関西線へ行っていました。普通列車や貨物は関西線でD51が加太超えで補機がついていました。まだ亀山には転車台と機関庫は残っています。紀勢線は蒸気機関車排出後はDF50が重連で貨物引っ張っていましたが、今は貨物もなくなり紀勢線は寂れるばかりです。唯一 特急 南紀 がハイブリッド車両になったくらいです。
>>[59] 紀勢本線は東半分では、寝台特急紀伊号が、天下の東京駅に直通する唯一の列車でした。
特急紀伊は名古屋で、特急出雲3・2号(旧いなば)と併結する関係から、14系客車が使用されていました。
残念だけど、貨物列車の縮小に加えて、急行津軽号への寝台車捻出の絡みや乗車率の低下(新幹線+近鉄特急やフェリーがある)の絡みや、名古屋での列車衝突事故といった要因の絡みから、国鉄民営化前の昭和58年度に廃止になりました。
>>[60] 急行 銀河 は乗ってみたかったですが(名前が良かった!)寝台列車はいくつか残してほしかったですが客車自体がないですから改造しようにも種車がありません。JR分割民営化の時に車歴の浅い50系客車ちょっと残しておけばと思いました。
>>[61]

上り「銀河2号」のスハフ43で座って一夜を過ごし、
その足で朝、予備校(浪人ではないが1年間用)の入試を受けに行ってしまいました。4月7日。
>>[62] 私は国鉄時代ではありませんし銀河ではありませんが唯一夜行列車に乗ったのは「ムーンライトながら(大垣行き)」です
観光用で良いので復活してほしいもの。2階建て新幹線(100系みたいなの)特急の食堂車、車内販売 急行の駅での駅弁手売り。ローカル線の混合列車、貨物の入れ替え作業、夜行列車
>>[64]

今はストーブ列車が「昔のローカル線」といった観光資源になっていますが、
元来は混合列車だったからだということが語られていないのが気になります。
一般の旅客列車なら、どんなに地方線区でも機関車から直接暖房蒸気を供給できますからね。

【1】釧網本線、細岡

【2】三菱石炭鉱業大夕張鉄道上り列車
↑ あ、この写真と異なり、混合列車はたいてい機関車の直後が貨車だからです。
>>[65] 津軽鉄道のストーブ列車は車両更新ができないままなだけなんですが今はそれを観光列車的にしている感じですね。
>>[67]

私が乗ったとき(先代の客車)に観光化していなかったのは確かです。
>>[61]>

ないなら、新造すればいいだけのこと。
JRのやる気の問題ですね。
>>[68] 写真アップありがとうございます。
津軽鉄道のストーブ列車は、残念ながら乗ったことがありません。
国鉄には、もう1つ急行形電車でも、交直流電車が451・453・455系(50ヘレツである東日本用)なのに対して、471・473・475系(60ヘレツである西日本用)とありました。
東日本用は東北本線、常磐線をメインで使用していたのに対して、西日本用は、北陸本線、鹿児島本線、日豊本線をメインで使用していました。
>>[69] サンライズ出雲、瀬戸はブルートレイン時代の利用率がある程度あったのでサンライズで引き継いだそうです。航空便もあるのに、また飛行機の方が安く速いのに利用率が高いのは寝台列車の魅力だと思うので寝台列車(特急である必要はない)復活してほしいですね。ヨーロッパでは寝台列車復活しているようですし。
>>[69]

自分も鉄道会社なのにJR各社(とくに西日本)への罵詈雑言(JRへ直接を含む)を繰り返し、
コミュを退会させられ、
仕事ではグループ内で左遷されたやつ。
国鉄時代と言うより昔の機関車は使用線区での改造があって転属してもそのままだったりしました。蒸気機関車では寒冷地用の密閉キャブ 旋回窓など、前照灯、除煙板、集煙装置、重油併燃装置など、私が好きだったEF58はヒサシ付き 正面大窓。小窓、Hゴム窓、側面窓の数、後は経年での改造、ライトの大型化、側面鎧戸、パンタグラフなど、塗装もありますね。また御召専用機、予備機など、国鉄時代1976〜78年頃の東海道本線の笠寺駅で好きだった機関車はEF60一次型(1つ目)、EH10など、もちろんEF65や入換機のDE11もありました。また笠寺は名古屋臨海鉄道と連絡線があったので名古屋臨海鉄道のND55(DD.13類似型)もいました。
東海区間は機関車運転の養成も行っていませんからねぇ。
>>[75] JR東海はいわゆる観光列車と言うものがありませんからね。観光列車に手を出さなくても財政的には良いですから、でも東海道新幹線は観光的要素の車両は走らせられませんけど在来線は良いところがいっぱいあるのですが、私なんか貨物列車すきなので客室改造したコンテナをコンテナ貨物列車の中に組み込んでくれたらおお喜びですが。
>>[72]>

ありがとうございます。
まだまだ、需要は間違いなく、あるはずです。どんどん復活させたいですね。
今日、朝早くにNHKで岡山局制作?の貨物列車を取り扱った番組があり見ていたらEF210(桃太郎)と並んでEF64 1000番代が出てきました。ここで水島臨海鉄道で5tコンテナに軽自動車積み込むのをやっていました。NHKだから会社名は出て来ませんが三菱の軽自動車です。新潟までJR貨物で運ぶそうです。昔は自動車専用貨物列車がありました。今は自動車輸送は行われていないと思っていましたが軽自動車とはいえコンテナで運んでいたんですね。
国鉄ではありませんが昔は多くの工場などの引込線や専用線がありそこで働く入換機などもありましたが今は減ってしまいました。私鉄でも貨物列車が結構あって私が住んでいる名古屋でも名鉄(名古屋鉄道)でも凸型電気機関車がありました。国鉄からの引込線にはDD13(2次形)がよく働いていました。ピール工場の引込線が見えるところがあってDD13が鳶色のワム80000を引いている姿が見えましたが今は引込線も工場もなくなって跡地はイオンになっています。
DD51型といえば、赤鬼といわれたディーゼル機関車で、客車列車(特に寝台列車)を牽引していたイメージがあります。
ディーゼルカーの欠点は、エンジンによる騒音問題が大きい所にあるといえます。
私自身、山陰に旅行した時に、L特急北近畿の車掌さんから聞きましたが、特急まつかぜ(2往復)、急行だいせん(2往復)・丹波(タンババ=4往復)を廃止して、L特急北近畿に統一した理由は、車両回転の問題に加えて、ディーゼルカーの騒音問題の他に、高速運転によるオーバーヒートの問題が大きかったのもあるといえます。
DD51型の牽引の客車列車が非電化区間の夜行列車(特に寝台列車)に多用された理由はこういった所にあるといえます。
緩急車(車掌車)かつて貨物列車の最後尾に連結されていました。今は最後尾の貨車に赤い円板(正式名はなんと言うのでしょう)が取り付けられています。かつてはコンテナ貨物列車のコキにも最後の5tコンテナ分の大きさの車掌室がついていたコキフがありました。緩急車単独の貨車はヨでしたが有蓋車(ワム)の半分が車掌車のワフが結構ありました。高校生の時にあの中が気になり臨海鉄道の貨物駅に日曜日に行き駅の人に中を見せてもらいたいと許可とって止まっている緩急車に乗った事がかります。中は真中にダルマストーブがあり1人分の備え付けの机と椅子があり向かいには2人分のベンチシートがありました。(ワフの場合)デッキには丸形のブレーキハンドルがあるだけでした。トイレはないですが新しいヨはトイレ付きだったと思います。緩急車は好きです。特にアメリカの屋根が見渡せる一部2階になったのや出窓になったので昔のサンタフェ鉄道の
赤いのが好きです。日本にはあんな車掌車はないと思っていましたが南満州鉄道にはそっくりの緩急車がありました。南満州鉄道は、機関車もアメリカ型のようなデザインでした。特急あじあ は機関車も流線形でしたが
EF58は私が興味を持ったころ(1970年代半ば)は優等列車からは引退し夜行急行や荷物列車、郵便列車に使われていました。ただ全車現役で鉄道ファンにEF58全車の特集もありました。改造で個人的には残念だったのがヘッドライトが片エンド側だけシールドビームニ灯化されたのは残念でした。
EF58の青大将塗装が走っている所を一度は見てみたかったです。
>>[83] 青大将といえば、EF58形電気機関車に牽引された、電車化前の特急つばめで、特急つばめには、一等展望車(中国でいえば、公務車)が連結されたいた上に、つばめガールといわれた、女子車掌が乗務していたような、文字通り特別な急行列車でした。
昭和33年にデビューした画期的な車両は、151系電車の特急こだま(東京〜大阪)、20系客車の特急あさかぜ、キハ80系の特急はつかり(上野〜青森)で、これをきっかけにして特急列車が全国区に拡がりました。
交直流電車といえば、昭和39年の481系(西日本用)の特急雷鳥(大阪〜富山)・しらさぎ(名古屋〜富山)、昭和40年の483系(東日本用)の特急やまびこ(上野〜盛岡)・ひばり(上野〜仙台)に始まって、485系の性能がフル活用出来る、特急白鳥(大阪〜青森)や碓氷峠を協調運転出来る特急白山(上野〜金沢)などへと発展しました。
その他に夜行版としては、昭和42年の581系の特急月光(新大阪〜博多)に始まり、それを東日本にも走れるようにした車両として583系の特急はくつる・ゆうづる(上野〜青森)、特急明星(新大阪〜熊本)、特急金星(名古屋〜博多)へと拡大していきました。
キハ80系は非電化区間のエースとして有名で、昭和33年の特急はつかり(上野〜青森)が最初で、昭和36年のダイヤ改正で、改良版であるキハ82が登場して全国区に拡大しましたが、相次ぐ電化によって電車に置き換えられて、比較的遅くまで残ったのが北海道・山陰・東海の辺りでした。
>>[85]
>>[86] オサムさん

「はつかり」の昭和33〜35年は蒸気機関車+客車です。

【2】「はつかり4号」(公道で撮影)
183系電車は、総武線快速の東京地下駅開業に合わせて、昭和47年に千葉鉄道管理局に将来横須賀線との直通運転を想定して製造された、113系1000番台とセットで開発された電車で、急行内房・外房の大半を特急わかしお・さざなみに格上げされた電車です。
113系1000番台が配属された電車区は、東京南鉄道管理局の大船電車区(横須賀線用)、千葉鉄道管理局の幕張電車区(総武線快速用)です。
それともう1つは、常磐線快速用の103系は東京北鉄道管理局の松戸電車区、総武線各駅停車用は、千葉鉄道管理局の津田沼電車区です。
583系電車が配属されていたのは、盛岡鉄道管理局の青森運転所、大阪鉄道管理局の京都の向日町運転所です。
青森運転所の使用列車は、昼は特急はつかり(3往復)・みちのくなら、夜は当然だけど北海道連絡の特急はくつる・ゆうづる(3往復)。
向日町運転所の使用列車は、昼は北陸本線の特急雷鳥、九州の特急有明、夜は特急明星(2往復)・なは・彗星(1往復)・金星と新幹線連絡や南九州へ行く列車に使用されていて、昼の列車との共通運用が図られていたことにあるといえます。
他にもブルートレインは、東京北鉄道管理局の尾久客車区(上野駅関係)、東京南鉄道管理局の品川客車区(東京駅関係)の他に大阪鉄道管理局の宮原客車区(大阪駅関係)が中心だったといえます。
>>[90]

一時期、同じ熊本(等)←→新大阪でも、客車なら「あかつき」、583系なら「明星」という変則な使い分けをしていました。
写真は「あかつき3号」佐世保行き。
>>[91] その変則体制が解消されたのが、昭和49年度の山陽新幹線の博多開業の時です。
長崎本線系統は特急あかつき(3往復)、鹿児島本線系統は特急明星(電車3往復、客車4往復)、特急なは(電車)、名古屋発の特急金星(電車)、日豊本線系統は特急彗星(3往復)の布陣です。
583系電車は、東京からの新幹線連絡と南九州が有効時間帯に入る列車。
ブルートレイン(14系・24系)は、京阪神〜九州北部(長崎・熊本・大分)で有効時間帯に入る列車という使用車両にも色分け出来ました。
それと夜行急行列車は、全車座席車の編成で寝台特急に対する座席列車という色分けが出来るといえます。
>>[92]

出張帰りに上り夜行「なは」に乗ったことがあり、
当時はすでに熊本始発だったので、
たとえば札幌発 上野行きなのに「オホーツク」みたいな違和感がありました。
ブルートレインで始まった20系客車の急行格下げ転用が始まったのは、昭和50年度の急行銀河に始まり、昭和51年の急行天の川・新星、昭和52年度の急行十和田3・4号(座席車はA寝台を改造)の他に、急行かいもん・日南が20系寝台車と12系座席車を混結する為に、給電方式を改造した。
昭和53年の急行だいせんが十和田方式、急行ちくま(この年から客車化の上寝台車連結)・さんべがかいもん・日南方式でした。
381系電車は、高速で曲線を走行出来るように設計された振り子式電車です。
昭和48年の特急しなの(長野鉄道管理局長野運転所)、昭和53年の特急くろしお(天王寺鉄道管理局日根野電車区)、昭和57年の特急やくも(米子鉄道管理局出雲電車区)。
皮肉なことに、キハ80系やキハ181系では時間が掛かる上に、高速運転による負荷からオーバーヒートなどの起きやすい線区である。
特にキハ181系は特急しなの・つばさで高速運転による負荷からオーバーヒートを起こしたことは有名である。
旧型客車(10系寝台車)は主に夜行急行・普通列車で使用されていて荷物・郵便配達列車を兼務していたことがあげられるといえます。
旧型客車で比較的遅くまで残った列車をあげると、急行すずらん・狩勝(A寝台連結)、利尻・大雪(B寝台のみ)=北海道系。
急行津軽(2往復)、鳥海、能登、越前、妙高(A寝台車連結)=上野駅系。
急行きたぐに(A寝台連結)=大阪〜青森で寝台車は新潟まで。
急行きそ(B寝台車のみ)=名古屋〜長野。
普通列車(B寝台車連結)からまつ、山陰、はやたま、ながさき。
地域的に見ると、北海道・東日本の方で比較的多く残り、西日本関係は普通列車だけという感じでした。

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