【音楽界に与えた影響】
1998年にOpethのシンガー・ソングライターMikael Åkerfeldtはアルバム”My Arms”に"Drip Drip"から歌詞の一部分を引用しています(Your Hearse)。"As I carry you to your grave, my arms your hearse"から部分引用しています。
Opethは2005年にもアルバム”Ghost Reveries”でコーマスを引用しています。2曲目の"The Baying of the Hounds"は"Diana"から着想しており、このように歌っています。"And she knows by the sound of the baying, by the baying of the hounds".
イギリスの実験的バンドCurrent 93もまた”First Utterance”の”Diana”をスタジオアルバム”Horsey”でカバーしています。音楽的にこのバーションはオリジナルと大きく異なります。David Tibetは歌詞を恐怖いっぱいに歌い、オリジナルの眩暈がしそうなヴァイオリンのアレンジをループさせて歌っています。
Current 93はまた初期のアルバム”Earth Covers Earth”が”First Utterance”の若干風変りな続編として考えられています。(それでもCurrent 93の演奏はまだまだユニークです。)そのため、“Second Utterance”と称されることがあります。
コーマスの曲"Song to Comus"(First Utterance)は超現実主義の画家集団Hive of Dukesのアニメーターにライセンスが付与されています。後者はLiving Evilの中で使用される予定です。
僕は1966年にRavensbourne College of Artに通っていて、そこでGlennと会ったんだ。僕と同じように、熱心なギタリストだったよ。僕たちはジャム・セッションを始めて、当時John RenbournやBurt Janschの影響を受けたよ。地元のフォーク・クラブで演奏し始めて、メンバーをどんどん追加していったんだ。
僕はこの頃から曲を書き始めたかな。ドラッグでぼうっとした中でね。ど田舎のどこかから、なにか一連の歌が聞こえて来たんだ。これがFirst Utteranceになったんだ。この頃David Bowieと会ったんだ。彼はBeckenhamのローカルの週一のギグに参加したんだ。Beckenham Arts Labってクラブだよ。バンドを立ち上げて、軌道に乗せるにはいい場所だったよ。
Beckenhamでは、フルートとボンゴ奏者のオーディションをした。候補者の中にひときわ目立ったMichael Bammi Roseがいた。彼は参加したけれど、一年後にColinの友達のRob Youngに交代した。Chrisはやがて、僕たちがPYE's new Dawn labelと契約できるように導いてくれた。そして、First Utteranceのレコーディングを始めて、ツアーに出たんだ。
なんとなく成功の兆しを感じ始めたころ、1970年代初期の音楽の好ましくない変化の影響を受けて、仕事が激減したんだ。すべてのアコースティックバンドはグラム・ロックの台頭とともに、斜陽になっていったんだ。
1974に設立したVirgin Recordsにもう一枚アルバムを作らないかと打診を受けた。もうメンバーはばらばらで、僕の作風もコマーシャルになっていた。1970年はどうだったか、考えてごらんよ。もう音楽業界がすべてシングル志向になってたんだ。とにかく、オリジナル・メンバーの3人は' To keep from Crying'を制作したけど、まあ自分たちから見ても、あれは悲惨だったね。
短い歴史の中でも、Lyndsay Shonteff監督の映画(Permissive, Big Zapper)のスコアを2曲書いたよ。1974年にComusが完全に休止してから、僕や他のメンバーはより映画音楽を制作し始めた。僕は1980年まではアルバム・スリーブもデザインした。
数年間アーティストのSheila Maclurkinと住んでたんだ。彼女はComusのセカンド・アルバム'To keep from Crying'のスリーブをデザインした。スエーデンで超現実主義の神話ファンタジー芸術に出品してて、エッチングやスクリーン・プリントを手伝ってたんだ。セカンドのテーマだけど、どの曲も現在のセット・リストにはないね。でも、"Down Like A Movie Star"をスエーデンのバンドPiuと2008年12月にストックホルムで演奏した。ビデオはこれだよ。
まったく新しい生活が始まったわ。Jonnyの励ましや協力で、一緒に曲を書き始めたの。そのおかげで、B So globalはDriftと変わり、“アンビエント エレクトロ ファンク”と称されるようになったわ。
私はずっと曲を書きたかったの。でも、方法や手段が見つからなかったの。だから、この出会いは私の創作人生にとって本当の目覚めだった。
2003年にJonnyと結婚したわ。当時私は地元のカレッジでファッション講座をパートで受け持ったわ。教授資格を2つもとったのよ。(え?私よ!)そして、London College of Fashionで専門コースを受けたわ。
地元で教える仕事を続けたわ。あとは単発でDe Montfort Universityや、最近ではUniversity of Northamptonでも教えてるの。
Driftは何年かは評判が良かったけれど、もう頭打ちの感じがして、なんだかもう行き詰ったわ。で、2年後にJonnyと私はColins of Paradiseを結成するために、ドラムとベースを探したの。このバンドは"genre-plundering groove surfers"と呼ばれたわ。今でもライブをしてるのよ。
私はフルートとパーカッション(最近はソプラノ・サックスも)をComusの再結成の2008年から担当しています。
Comusのオリジナルのフルート奏者でパーカショニストでもあったRob Youngは再結成には参加しないことになったのです。私の妻のBobbie Watsonは'First Utterance'の頃からのオリジナル・メンバーでしたから、私がComusの空席を埋めたことは自然の流れでした。
Comusのライブと、レコーディングなど制作サイドでも参加しています。新作'Out Of The Coma'にも参加しています。