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Comus Club ♪コミュのComus 紹介 + biographies

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Comusの紹介 (〜wikipediaより)
Comusの経歴 (http://www.comusmusic.co.uk/ より)

訳:Sakura(ご協力ありがとうございます)

コメント(7)

Comus  (wikipediaより)

コーマスはイギリスのプログレッシブ・フォークバンドです。1970年代初期に短期間活動していました。ファーストアルバム”First Utterance”は現在でもそのカルト的地位を有しています。コーマスは2000年の終わりに再結成し、フェスティバルに数回参加しています。

【バンドの歴史】
バンド名はジョン・ミルトンの『仮面劇コーマス』に由来します。また、ギリシャの神コーマスからもその名前を拝借しています。コーマスはDavid Bowieにも好かれ、1969年のロンドンPurcell Roomsでのショウの前座に指名しています。[1]
ファーストアルバムの”First Utterance”は1971年に発表されました。殆どがアコースティックなアート・ロックで東方のパーカッション、初期のフォーク、動物的なヴォーカルの要素を含んでいます。コーマスの音楽はあるゆる概念を想起させますが、主要なものは恐怖、混乱、絶望と、”The Herald”で時折耳にするような静謐な美もあります。歌詞は劇的で暴力、殺人、精神疾患をモチーフにしています。コーマスはこのアルバムの発表後に解散しますが、セカンドのために新メンバーを迎えて再結成します。1974年発表のセカンド”To Keep from Crying” が最後のアルバムになる予定でした。
2005年にボックス・セットが発売されました。2枚のスタジオ・アルバム、唯一のシングル”Diana”、未発表トラックの"All the Colours of Darkness"が含まれています。ライナーノーツはメンバーの独占インタビューを掲載しています。コーマスの20083月のスエーデンでのMellotronen Festivalのために再結成しました。[2] バンドのサイトによると、再結成後、新作に取り掛かっているということです。[3]
2009年3月21日のthe Equinox Festival (春分)ではコーマスが実に37年振りにイギリスで演奏したと発表しました。6月に開催された3日間のフェスティバルで演奏しました。

WoottonはSlapp Happyのレコーディングにも参加しています。リード奏者のJon Seagroattはフリー・インプロビゼーション・トリオのRed Squareのメンバーでもあります。SeagroattとシンガーのBobbie Watsonは2003年に結婚しています。[4]

【音楽界に与えた影響】
1998年にOpethのシンガー・ソングライターMikael Åkerfeldtはアルバム”My Arms”に"Drip Drip"から歌詞の一部分を引用しています(Your Hearse)。"As I carry you to your grave, my arms your hearse"から部分引用しています。

Opethは2005年にもアルバム”Ghost Reveries”でコーマスを引用しています。2曲目の"The Baying of the Hounds"は"Diana"から着想しており、このように歌っています。"And she knows by the sound of the baying, by the baying of the hounds".

イギリスの実験的バンドCurrent 93もまた”First Utterance”の”Diana”をスタジオアルバム”Horsey”でカバーしています。音楽的にこのバーションはオリジナルと大きく異なります。David Tibetは歌詞を恐怖いっぱいに歌い、オリジナルの眩暈がしそうなヴァイオリンのアレンジをループさせて歌っています。
Current 93はまた初期のアルバム”Earth Covers Earth”が”First Utterance”の若干風変りな続編として考えられています。(それでもCurrent 93の演奏はまだまだユニークです。)そのため、“Second Utterance”と称されることがあります。
コーマスの曲"Song to Comus"(First Utterance)は超現実主義の画家集団Hive of Dukesのアニメーターにライセンスが付与されています。後者はLiving Evilの中で使用される予定です。
Roger Wootton (ギター、ヴォーカル)

僕は1966年にRavensbourne College of Artに通っていて、そこでGlennと会ったんだ。僕と同じように、熱心なギタリストだったよ。僕たちはジャム・セッションを始めて、当時John RenbournやBurt Janschの影響を受けたよ。地元のフォーク・クラブで演奏し始めて、メンバーをどんどん追加していったんだ。

Glennも僕もグラフィック・デザインを専攻してたんだけど、2人とも芸術的刺激が足りなかったんだな。
Colinに出会ったとき、彼は映像学校で映画を勉強してたんだ。僕たちのグループはBeckenhamで3階建ての家を借りてたんだ。そこにはまもなく僕たちのマネージャーとなるChris Youleがいた。彼はJessと住んでたよ。僕たちの仲間の芸術を学んでる学生グループのひとりだ。Andyは友人の友人で、家賃が足りるように、引っ張り込まれたんだ。
Bobbieも同じように出現したね。で、すぐに同じ屋根の下の4人でバンドができたよ。当時はこんなにクリテイティブな人間が一緒になるなんて想像つかなったけれど、なんか仕組まれた偶然の重なりみたいだね。

僕はこの頃から曲を書き始めたかな。ドラッグでぼうっとした中でね。ど田舎のどこかから、なにか一連の歌が聞こえて来たんだ。これがFirst Utteranceになったんだ。この頃David Bowieと会ったんだ。彼はBeckenhamのローカルの週一のギグに参加したんだ。Beckenham Arts Labってクラブだよ。バンドを立ち上げて、軌道に乗せるにはいい場所だったよ。

Beckenhamでは、フルートとボンゴ奏者のオーディションをした。候補者の中にひときわ目立ったMichael Bammi Roseがいた。彼は参加したけれど、一年後にColinの友達のRob Youngに交代した。Chrisはやがて、僕たちがPYE's new Dawn labelと契約できるように導いてくれた。そして、First Utteranceのレコーディングを始めて、ツアーに出たんだ。
なんとなく成功の兆しを感じ始めたころ、1970年代初期の音楽の好ましくない変化の影響を受けて、仕事が激減したんだ。すべてのアコースティックバンドはグラム・ロックの台頭とともに、斜陽になっていったんだ。

1974に設立したVirgin Recordsにもう一枚アルバムを作らないかと打診を受けた。もうメンバーはばらばらで、僕の作風もコマーシャルになっていた。1970年はどうだったか、考えてごらんよ。もう音楽業界がすべてシングル志向になってたんだ。とにかく、オリジナル・メンバーの3人は' To keep from Crying'を制作したけど、まあ自分たちから見ても、あれは悲惨だったね。

短い歴史の中でも、Lyndsay Shonteff監督の映画(Permissive, Big Zapper)のスコアを2曲書いたよ。1974年にComusが完全に休止してから、僕や他のメンバーはより映画音楽を制作し始めた。僕は1980年まではアルバム・スリーブもデザインした。

数年間アーティストのSheila Maclurkinと住んでたんだ。彼女はComusのセカンド・アルバム'To keep from Crying'のスリーブをデザインした。スエーデンで超現実主義の神話ファンタジー芸術に出品してて、エッチングやスクリーン・プリントを手伝ってたんだ。セカンドのテーマだけど、どの曲も現在のセット・リストにはないね。でも、"Down Like A Movie Star"をスエーデンのバンドPiuと2008年12月にストックホルムで演奏した。ビデオはこれだよ。

2000年に僕はバリトンの声楽の勉強を始めて、クラシックのスコアを書き始めた。いまだにこのプロジェクトは継続してるよ。でも、Comusが再結成したんで、新曲が必要になってるので、クラシックはちょっと後回しだね。
今回はComusがどのくらい続くか楽しみだよ。オリジナル・ラインアップ-1で、当時よりも興味を持って迎えられているからね。
Glenn Goring
6弦、12弦ギター、ボンゴ担当

僕はサウス・ロンドンのCamberwellにあるKings College Hospitalで生まれたんだ。16歳で学校を放り出されてから、Ravensbourne Art Collegeに行って、そこでRoger Woottonに出会った。すぐにRogerと自分は芸術、特に音楽の情熱に通じるものがあるとわかったよ。
僕たちはトラッド・フォーククラブでVelvet Undergroundの曲を演奏した。驚くだろうけれど、評判は悪くなかったよ。
僕たちのフォーク・デュオがバンドになって、それがのちにComusになったんだ。"First Utterance"制作後にちょっと音楽業界に失望してから、僕は1972年にバンドを離れ、勉強を終えるためにArt Collegeに戻り、芸術で学位を取ったんだ。
1978年にNorfolkに移り、フリーランスの絵画修復家として仕事をし、古い美術作品の模写をしたり、自分の絵画や彫刻を制作したりした。1990年にナショナル・ポートレート・ギャラリー公認の模写画家になったんだ。
1980年代は舞台やラジオの曲を書いたよ。オリジナルComus以来、連絡を取り合っていたAndrew Hellabyは僕の舞台劇で自分が監督も務めた"Captain Jack Goes Down"の音楽とFXスコアを担当してくれたんだ。
1989年にはUniversity of East Angliaでクリエイティブ・ライティングの修士号を取得した。ここではMalcolm BradburyやAngela Carterに師事することができて、幸運だった。主にフィクションの叙述を書くことに集中して、短編や長編小説を何本か書いたよ。でも、僕の人生を通じて音楽をやめたことはない。友人のグループとThe Hollow Menというバンドを作った。曲を作り、ギターを弾いて歌ったよ。
1990年代には僕のギターの演奏に変化が訪れたんだ。僕はフラメンコが大好きだったので、ギタリストの友人が基本テクニックを少し教えてくれたんだ。2人で組んでフラメンコ・ジャズのハイブリッドなフォークをEast Anglia近辺のクラブやバーで演奏したよ。
もっと最近では、2000年代に自分が書いた舞台劇のオリジナル脚本で賞をもらったんだ。また30分のテレビドラマの脚本を書くという仕事もした。このドラマはイースト・アングリアテレビで放送された。
いまだにNorfolkの野趣あふれた自然の中に住んでるけれど、絵画、創作や、これまで以上に音楽を演奏してるよ。僕はまた、にんにくや劇辛のオーガニック・チリの栽培に情熱を燃やしているんだ。僕とRogerはバンドでの“チリマニア”だよ。
Visit Glenn's art website. http://www.glenngoring.com/
Andy Hellaby - bass guitar

1970年頃、僕はロジャーとグレンが住む家に引っ越したんだ。彼らはいつも一緒にギターを弾いてて、なんかそれが魔法めいて見えたんだ。当時僕は地元のバンドでベースを弾いてた(もうその名前すら思い出せないよ)。ロジャーとグレンが僕たちのバンドをBeckenhamのBowie's arts labに見に来ていたんだ。終わってから、彼らのバンドにこないかと誘われたんだ。すごく長い間、そう、一秒も考えたんだ。Yesと答えたよ!!
Comusの第2期(プログレ色が弱いというか、あまり印象的でなかったね)が’70年代半で,
それ以来僕はずっと電子音楽や音響効果の作曲や制作をしてたんだ。これはセカンド・アルバムの短い"musique concrete"からの自然な進化とも言えるね。映画、演劇やコマーシャルのサウンドトラックを作曲したよ。あとはRoyal CourtやロンドンのICA シアターでの制作。これは成功したと言えるかな。
僕はロジャーと映画のSpy Story(Len Deighton作)シリーズの作曲とスコアのレコーディングを共働した。もう一人の元ComusのメンバーのLindsay Cooperが僕に初めて演劇、アレンジや東京キッドブラザーズの音楽を紹介してくれたんだ。このグループは当時の演劇集団にしてはすごく過激で、日本以外に出たことがなかったんだ。
その後はCaryl Churchill やColin Bennetなどの脚本家と仕事をしたよ。彼らは僕とは実験的な創作をしたけれど、その後はドロドロの商業音楽に流れてしまったよ。僕は‘Fungi’という賞を受賞した自然の歴史を描いた映画のサウンドトラックの作曲とプロデュースもした。もう一人のComusoid, Comusのメンバーのグレンの紹介で、彼が制作した演劇の音楽プロデュースをした次の仕事だった。グレンの紹介で、僕は彼の演劇を見に来た地元の映画人と知り合ったんだ。

数年後に僕は広告の世界にようやく追いついて、ジングルやラジオ広告はどぶさらいと同じくらい創造的だと気がついたので、しばらく音楽は休もうと思ったんだ。何年かは写真家のアシスタントとしてライブに参加したよ。今でも写真にはすごく興味があるんだ。自分の古典的なアナログ・シンセイザーはいまだに持っているけれど、コンピューター・シークエンサーも少しは試してみたんだよ。
でも最近はサクソフォンを演奏するほうがずっと興味があるんだ。数年前から始めたんだけどね。でも、すぐにパブやレストランや知り合いのパーティで人気のあるポピュラーを演奏しはじめたよ。まあ、Comusの音楽と殆ど同じだよ!!!

Andy's experimental music: http://www.myspace.com/andyssounds

Colin Pearson
ヴァイオリン、ヴィオラ担当

1949年にイギリスのTunbridge Wellsで生まれ、シンガポールに3年住んだ後、12歳の時にヴァイオリンを始めたんだ。
音楽学校では、初めてパブリックパフォーマンスやWebster and Miltonの作品に接したんだ。正式な音楽教育が嫌だったんで、South LondonにあるRavensbourne College of Artに通い、1970年に映像コミュニケ―ション学の学位を取った。
Bromleyで過ごした2年の間にRoger WoottonとGlenn Goringに出会い、バンドに誘われた。
当時はただのバンドで、Comusっていう名前はあとからついたんだ。The Story of Comusはこのサイトに十分に説明があるので、ここではデビュー・アルバムの"First Utterance" (PYE, Dawn)を1970年にリリースしたとだけ言っておくよ。このアルバムのツアーは2年間かけてイギリス、ベルギー、オランダやドイツを回ったんだ。
僕たちはなんとかツアーの間に映画3本の音楽を制作し、少しだけど(おかげさまで)、そのうちの一本に出演もした。
1972年にComus解散後は、ロンドンでセッション・ミュージシャンやApril Musicのトップライン・ライター、またUSのMatt Mattocks Ballet Companyのスコアも完成させた。パリで1973年に公演が行われました。
当時僕はルームメイトのRob Young (ex Comus)からの仕事を沢山やったよ。彼は家賃を払うためにセッションワークに戻ったんだ。1974年には僕はマネージャーのChris Youleを追ってドイツのハンブルグに行った。そこではポリドール・レコードの国際オフィスで仕事を始めた。海外セールスやメジャーなアーティストのマーケティング・キャンペーンのコーディネーション業務の仕事をしたよ。
僕のプロデューサーとしての最初のステップは1979年だけど、当時はまだポリドールから表面上は給料をもらってたんだ。
レコード会社が音楽から離れてしまっていることがわかって、僕はプロデューサーとして働くチャンスを探した。1980年にはインディペンデントの音楽出版のRolf Budde Musicに参加し、ベルリン・オフィスの制作ヘッドになった。そこにはスタジオもあった。
1984年にはAlphavilleのデビュー・アルバムを共同プロデュースした。これは世界的ヒットになった”Big In Japan" や "Forever Young"やプラチナ、ゴールドディスクがあるよ。”Big In Japan"はUKのNo. 8になり、殆どのヨーロッパの国でNo.1になった。"Forever Young"はアメリカでTop 50にはいり、今でも、この2曲はAlphavilleの地元のドイツではラジオオンエアーの常連だ。
Alphavilleの仕事のあとは、アメリカ、イギリス、ベルリンやデンマークでプロデュース業を続けた。でも、どうも“formula”ミュージックにこだわらなければならないプレッシャーに疲れて来たんだ。次第に、僕は自分の”アンダーグラウンド”のスタートに回帰して、ほっとしてるよ。でも、殆どがメジャー・レーベルにとってはノン・コマーシャルなんだ。僕はその後じぶんのレコーディング・スタジオを2件作り、自分の音楽に専念してる。

1996年にはEdition CP Musicを設立。これはEMI Music Publishing Germanyと共同だ。現在は昔のさやにもどって、再結成Comusの一員として再びヴィオラとヴァイオリンを手にしてる。Comusの曲はなぜだか嘘がなく、死に絶えることがないんだ!
僕は今でもベルリンでロシアからの養子のニコライと暮らしているよ。
Bobbie Watson - vocals and percussion

私はできるだけ早く学校を飛び出したかったの。自分の人生で何かわくわくすることがしたくてね。学校を辞めてから2カ月もしないうちに、まずロンドンに出たわ。それからケント州のBeckenhamの友人の家に転がりこんだの。そこにRoger, Glenn, Andyも住んでたわ。
その家では常に音楽が聞こえてた。レコードプレイヤーや楽器の音がしたわ。もうそのときGlenn, Roger, Andy, Colinはバンドを組んでたのよ。Brixtonから定期的にラスタファリアン運動家たちが訪ねてきたわ。その中にMike Rose(フルート奏者)や今では伝説的なトロンボーン奏者のRicoがいたわ。“ハーブ”の濃い煙を通して見えた光景はもう超絶だったわ。16歳になったばかりの私には最高に奇妙でエキサイティングに見えたの。

私はComusと3年間一緒に過ごしたわ。1972年の最初の分裂までね。当時本当に年端も行かなくてナイーブだったから、音楽でその先どうしていいかわからなくなったの。で、次に興味のある方向に目が向いたのよ。絵を書くこととファッションへの愛よ。Ravensbourne Collegeでアート・デザインを学んで、1976年にファッションと織物の学位を取ったわ。それから最初はデザイナーとして、ファッション業界で仕事をしたの。その後は全国規模の女性雑誌でフリーランスのファッション・エディターやイラストレーターや広告の仕事をしたわ。

1978年頃には短期間だけアニーメーション・スタジオで働いたわ。セル画の彩色をしたわ。まだコンピューター時代の前よ。関わったのはPink Floyd's "The Wall"。あとはTerry Gilliam's "Yellow Submarine Sandwich"。これはビートルズの"Yellow Submarine"のパロディよ。
1981年にロンドンからOxfordshireに移り住んで、自分のイラストのテクニックを磨いたり、新しい環境だったから写真を沢山撮ったりしたわ。あと、ずっとPrinceやCyndi LauperやTalking HeadsやBruce Springsteenのバックシンガーになりたいと妄想してたわ。もう誰でも、私で良ければ、歌いたかったの。その間に自分でパンやヨーグルトやフムス(中東風のディップ)の作り方を習得してたのよ!
この頃私は個人的なお客さんのウェディング・ドレスやスーツやステージ衣装の一点ものを作る仕事を始めてたの。この仕事を通じてGill Allcockに出会ったの。当時Fairport ConventionのMaart Allcockの奥さんだったのよ。ここで私の音楽人生が復活してしまったの。
1992年にGillと私でNice Girls Don't Explodeってバンドを始めたの。フォーク・クラブやフェスでトラッド・フォークや、お気に入りのアーティストの曲のアカペラ・アレンジをしたわ。このバンドは1988年に解散するまで何度かメンバー・チェンジしたわ。でも、このバンドによって、私は歌や演奏の復帰を果たすという目的を成し遂げたのよ。
なんだかもう音楽的に解放されちゃって、友人のバンドのバッキング・ヴォーカルしかできなかったから、地元のジャズ・クラブに通い始めたの。そこではジャズのスタンダードを歌うことを学んだわ。あと自分でもギターを練習したの。
地元の楽器屋さんで働いていたころ、1999年1月にJon Seagroattに出会ったの。当時彼は自分のアンビエントのパイオニア的バンドB So Globalで女性ヴォーカルを探してたの。

まったく新しい生活が始まったわ。Jonnyの励ましや協力で、一緒に曲を書き始めたの。そのおかげで、B So globalはDriftと変わり、“アンビエント エレクトロ ファンク”と称されるようになったわ。
私はずっと曲を書きたかったの。でも、方法や手段が見つからなかったの。だから、この出会いは私の創作人生にとって本当の目覚めだった。
2003年にJonnyと結婚したわ。当時私は地元のカレッジでファッション講座をパートで受け持ったわ。教授資格を2つもとったのよ。(え?私よ!)そして、London College of Fashionで専門コースを受けたわ。
地元で教える仕事を続けたわ。あとは単発でDe Montfort Universityや、最近ではUniversity of Northamptonでも教えてるの。

Driftは何年かは評判が良かったけれど、もう頭打ちの感じがして、なんだかもう行き詰ったわ。で、2年後にJonnyと私はColins of Paradiseを結成するために、ドラムとベースを探したの。このバンドは"genre-plundering groove surfers"と呼ばれたわ。今でもライブをしてるのよ。

まだまだやりたいことが沢山あるわ。修士や博士号を取ること。シナトラ風に50人編成のオーケストラで歌うこと。自分の絵画や写真の展覧会を開くこと。時間をちょっと巻き戻して、Jonnyとの子供を産むこと。あとはパッチワーク・キルト。ああ、あともっと他のことをするために、別の人生を持つことね。

Jon Seagroatt
木管楽器、パーカッション

私はフルートとパーカッション(最近はソプラノ・サックスも)をComusの再結成の2008年から担当しています。
Comusのオリジナルのフルート奏者でパーカショニストでもあったRob Youngは再結成には参加しないことになったのです。私の妻のBobbie Watsonは'First Utterance'の頃からのオリジナル・メンバーでしたから、私がComusの空席を埋めたことは自然の流れでした。
Comusのライブと、レコーディングなど制作サイドでも参加しています。新作'Out Of The Coma'にも参加しています。

私自身のサイトはこちらです。
http://www.jonseagroatt.com/

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